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湯シャンプーで考える、しょうもない人生の目標は終わらせましょう

2018-03-12 21:00:00 | ワタリのエッセイ
ワタリはいつもいわゆる湯シャンプーをしています。

コンディショナーをつけるのはしますが、基本髪がパサつきやすいので、頻繁に髪を洗うのには向いていないのです。

でも、湯シャンプーをしている人ならみんな感じている事ですが、湯シャンプーだけでは頭皮の油を完全に落とすことはできないらしく、頭皮がバターみたいにベタベタして来たらシャンプーを使って頭皮を洗い、このベタベタを解消させます。

でも、この作業をしていていつも感じるのは、たかがこんな時々リセットでも大げさに感じる人にとってはすごく抵抗があるんだろうな。という事なのです。

時々いるでしょ?「●●中だから絶対それはタブーなの!」とか言って自身を分かりやすく制限している奴。

湯シャンプーの場合だと、明らかに頭皮がベタベタしているのが自分で分かっているのに、「今湯シャンプー中だから絶対シャンプー使わないの!」という事になります。

命、健康、金銭取得に関わる事なら、そう言う自身に対する分かりやすい制限は悪いことではないと思います。

でも、たかが湯シャンプーなのに、そんなにこだわって自身を制限して何になるのか?といつも思います。

湯シャンプーだけなら、他者に対する攻撃というのは少ないですからまだ良いのですが、これがダイエットになると外食の際に自身に対する配慮を求める人もいます。

まあ、そう言う自身に対する配慮を他者に求める人というのは、何でもかんでも言いがかりをつけるための材料になるわけなので、それこそ本当に自分自身のその行動はおかしい事である。と言う事を自身の身で気がつかないと治らないわけなのですが、ちらっと、そう言う小さい事を人生の重要課題として生まれて来ている人々のことを考えると、なんとしょうもない事で大いなる被害を起こし、何度も何度も人生の教授を呼び出し、何回その教授を潰しているんだろう?といつも思います。

例えば、「大事にされる子供時代を過ごす」と言う風に、親のチョイスさえ間違っていなければ確実に成功する人生の課題を持って生まれて来た場合、子供時代で人生の課題が終わってしまうのです。

ワタリから見ると、こう言う人生においてあまり大きな課題を持たずに生まれて来た人というのはかなりいて、そういう人は現世の中でやる事を見出さないとならないのです。

でも、誠に残念ながら、そう言う小さい頃に現世に来た理由を済ませた人は、現世において目的が達成されてしまっているのでもうやる事がないと認識していて、大体の人はしょうもない方向に行きます。

そして、そのしょうもない方向の1つが、しょうもない事にこだわり過ぎる。と言う事とになり、それをやめて自分自身の人生を改めて考え、生産的なこだわりの方向に持って行くと言う事を実践として学ぶチャンスとなるわけなのです。

それがあの世に戻る直前までできていないと、走馬灯で反省大会となり、今まで潰して来た人生の教授達にごめんなさいの大合唱をする。と言うオチになるのです。

ワタリなんぞは教授役を求められ易い方なのですが、子供達のことで手一杯なので、そんなしょうもない事を人生の課題にしている人間にはかかわらないようにしているんです。

だから、ブログ上で言うだけで終わらせます。




















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