中さん

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日記(1.6)

2025-01-06 15:17:30 | 日常
2025    1月6日  (月曜日)     ②

野菜が使い終わったよ!と言って
ジム通いに出かけて行ったので・・
寒さで、ちじこまっているが野菜を採りに行く。
ネギ・小松菜・レタス・青梗菜を
出来が悪いが仕方ない。
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中國新聞のコラム天風録に  仕事始め
◆私個人は暇人で今はお正月明けの務めはないが現役時代はいつも以下にような気分であったなあ~
 身も心も少し重い。
 のそのそと今朝、布団を出た勤め人は多いのではないか。
 暦に従えばきのうまで9連休。5年ぶりの長さだった。
 寝正月でなまったわが心身も、仕事始めにあらがっている
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▲物価高の折、豪勢に正月気分を味わえた人は一握りだろう。
 昨年末の調査会社のアンケートでは、
 おせちなどの食費を削る予定の人が5割超。
 3割がお年玉を減らすと答えた。
 初詣のさい銭はどうだったか。
 古い習わしが懐事情で細るのはさみしい。
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働く人の「手取り」が伸び悩む。
 増えた給料は物価高にかき消され、
 税の重さが身にしみる。


〈はたらけど・はたらけど猶・わが生活楽にならざり・ぢっと手を見る〉。

◉石川啄木の歌にちなみ、「ぢっと手を見る」という嘆きがSNSをにぎわす
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メモ
    働いても働いてもやはり生活は楽にならない。
    私はただじっと手を見つめてその原因につい
    て深く考えるのである。
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    明治四十三年に詠んだ歌です。
    当時、啄木は新聞社に勤務して一応の生活は保障され、
    夜勤までして懸命に働いたが、暮らしは依然として苦しく、
    働いても働いても楽にならない
    都会生活の嘆きをかこっていた。
    啄木の経済事情は、結婚前後に出来た借金、
    そして、家族のあいつぐ病気による医療費が
    不時の出費として生活の困窮に拍車をかけて
    いた。この歌は自己のやるせない気持ちが歌われて
    いるが、庶民共通の悲哀でもあった。


作者・・石川啄木=いしかわたくぼく。1886~1912。
    26歳。盛岡尋常中学校中退。朝日新聞校正の職につく。
26歳で亡くなったんだなあ・・
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▲下を見てばかりもいられない。
 昔の歌舞伎役者は仕事始めを1月6日に定めていたと聞く。
 元日から指を折って数えた時、
 6日目で初めて小指が立つ。
 「一本立ち」につながる縁起を担いだ

 まっすぐな願いが伝わる。
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▲働く意味を見つめ直す。
 それも長い休みの効用だろう。
 世知辛いご時世でも、
 自らの成長や誰かの笑顔を思い描けば力も湧く。
 新年、身も心も奮い立たせて良いお仕事を。
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日記(1.6)

2025-01-06 11:18:58 | 日常
2025   1月6日  (月曜日)      曇り⇒雨

昨日は午後になって、スポーツ文化公園にカミさんと歩きに行った。
最近あんまり歩いていない。
私は下半身が弱ってきているので歩き方が”ぎこちない”!

寒々して冷たい午後の公園。
木々は芸術の様に枝を作品にしている。

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本当に久々に訪れた公園。東屋も綺麗になっている。

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今日は天気が崩れるという・・

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◉今月20日には新米大統領トランプ氏が発足。
 あと2週間後だ!何事が起こるかな”!

何事も無関心でいても良いが無関係にはいられない何事も
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◆近隣の政治家が言っていた。なるほどなあ~!
 私は常に思うことがある 
 無関心は無知、無知は損をする。
 しかしだんだん無関心になりつつある・・老いが加速する。
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毎日新聞  余録には
米連邦議会の上院(建物右側)と下院(左側)

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江戸幕府は万延元(1860)年、
 日米修好通商条約の批准書を交わすために訪問団を派遣し、77人が全米を回った。
 首都ワシントンでは数人がスミソニアン協会の博物館を訪れ、

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メモ
これは、1860年、明治維新の8年前に、ワシントンの海軍工廠で撮影された記念写真です。

 ここに写る彼らは、日米修好通商条約の批准書を交わすため、
 幕府から派遣された遣米使節団(総勢77名)を率いる高官たちです。
 この中の、さらにトップである「正使」が、前列右から3人目、
 新見豊前守正興(しんみぶぜんのかみまさおき)です。
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 当時38歳という若さですが、17歳で将軍・家慶の御小姓となり
 長年、将軍の側近くに仕えてきた由緒ある旗本の殿様とあって、
 その姿には凛とした風格が漂っています。
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 日本の農具、神棚などもあったと日記に書いている。
 7年前に「黒船」で来航したペリーが持ち帰ったらしい。

協会が運営する博物館や研究施設は20を超える。
 収蔵品は月の石から仏皇帝ナポレオンのテーブルナプキンまで1億5000万点以上だ。
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◉中には歴代大統領14人の頭髪など奇妙な資料も多く、
「米国の屋根裏部屋」と呼ばれる
▲その博物館は、2021年の連邦議会襲撃に関連した品々も集めている。
 大統領選で敗北したトランプ氏の支持者が、結果を覆そうと議事堂に乱入した事件である。

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▲収集は発生直後に始まり、すでにプラカードや横断幕
 武器として使われた棒、襲われた警官のヘッドスカーフやブーツを保管した。
 現場で後片付けをした議員からは、当時着ていたスーツも提供された。
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▲議事堂が大規模に攻撃されたのは米英戦争以来207年ぶりだった。
 協会のハーティグ歴史博物館長
 事件を受け、資料収集の意義をこう強調した。
「民主主義の原則である権力の平和移譲が揺さぶられました。
 将来世代がそれを理解するため歴史を保存します」


明日6日で事件から4年になる。
 トランプ氏は大統領への返り咲きを決め、
 扇動した罪での起訴は取り下げられた。
 それでも歴史的「汚点」は保存される。
 民主主義を支える地道な活動である。

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