中さん

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日記(1.28)

2025-01-28 13:27:08 | 日常
2025   1月28日  (火曜日)     晴

●10時には区画整理事務所にて当自治会区内の工事に伴う打ち合わせを行う。
 現場の確認とガス工事・ゴミ置き場移転の準備などを打ち合わせた。
●昨日のフジテレビの会見放送は16時~今朝の2時まで続いたらしいが
 途中で観るのをやめた。
 10時間の凄い時間だ。でも実際の裏事情は見えてこない・・
 気分は良くない実況放映だ。 第三者委員会で詳しく調査されるらしいが・・
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今朝の新聞にアメリカ大統領の顔写真が歴史が並んでいる。

私が小さい時耳にした最初の名前は”アイゼンハワー大統領”!であった。
それが、何だかわからなかったが、その後の大統領は年を重ねて興味がわいた。
拡大してみた。

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アウシュビッツ解放80年
    コラム 天風録
 侵入を阻む電気柵を戦車がなぎ倒して進む。
 施設に入ったソ連兵は、あちこちで白骨を目撃したという。
 80年前のきょう解放されたアウシュビッツ強制収容所。
 ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺の舞台となり、
 主にガス室で100万を超す人が命まで奪われた。
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▲当時の収容所の様子を解放を手伝ったソ連兵が証言している。
 「人々はよろよろとバラックから出てきて、遺体の間に座り込み横たわった。悲惨だった」
▲解放時に残されていたのは痩せ衰えた人だけ。
 6万に上る囚人のほとんどは、
 ソ連軍接近で慌てて撤退を始めたドイツ兵に無理やり連れて行かれていた。
 飢えや寒さで歩けなくなると、容赦なく銃口が向けられた。
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ファシズム国家ドイツを打倒しようと、
 ソ連と米国、英国が手を結んでいた時代。

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 今や様変わりした。ソ連を継いだロシアは近年、
 収容所跡地での追悼式典から排除され続ける。
 ウクライナ侵攻が溝を深めてしまった。

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▲民族やジェンダーの違いを言い募り、
 力をひけらかして異論を抑圧したナチスのやり方は、
 長くは持たなかった。

    差異より共通点を見つけて大事にする―。
   惨劇を繰り返さぬため、
   人類がなお学び足りない重い教訓である
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人間性をすべて奪われた」とホロコースト生還者 アウシュヴィッツ解放80年
 ナチス・ドイツのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所が
 旧ソ連軍によって解放されてから80年を迎えた27日、
 収容所跡地で追悼式典が開かれた。
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第2次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人などの大虐殺(ホロコースト)を
 生き延びたトヴァ・フリードマンさん(86)、
 レオン・ワイントラウブさん(99)らは、
 世界の指導者たちを前に、収容所での忌まわしい記憶を語った。
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また、生還者らは、ナチス親衛隊(通称SS)によって何千人もの収容者が処刑された、
 アウシュヴィッツ強制収容所の第11ブロックの「死の壁」の前でろうそくをともし、
 犠牲者を追悼した。
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アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所は、
 ユダヤ人を中心に約110万人が殺害され、
 人類史上最悪の大虐殺の地となった。

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●もう80年も経ったのか!まだ80年なのか!
 消えない記憶であろう。
コメント
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