中さん

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日記(8.24)

2024-08-24 11:11:11 | 日常
2024  8月24日   (土曜日)    ②    晴れ   

昨日午後はズーっと自治会長会議。
公民館に自転車で行く間に汗びっしょりになった。
〇敬老会参加者のまとめ。全体で107名の参加であった。
 9/14当日の準備項目の確認と事前打ち合わせ9/7
〇防災事業の一つ〇安否確認訓練9/1の件再確認チラシの配布。
〇防災冊子作製委員会の自治会地区の防災マップを提出。
 これが新規住宅も増えて大変な作業であった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今朝は遅れて9時半になってから野菜を収穫へ。
暑くて早々に引き上げた。
〇型の悪いキュウリが十数本あったが
 太ってしまったものは廃棄してくる。
 シャワーを使って少し休憩だ。
夏野菜はもう終わりだ!
〇今年は草の伸びが早い事。・・・年々暑さが長引くし気温も高いなあ~
秋物の準備ができないでいる。
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 上毛新聞「群馬」に
▼夏の怪談といえば幽霊が定番だが、
 妖怪もまた人々を怖がらせる存在だ。

 妖怪研究家でもある群馬大共同教育学部の市川寛也准教授によると、
 妖怪の起源の多くは説明できない不思議な自然現象に解釈を付けたものという
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ▼例えば海から遠く離れた場所で見つかった貝塚は、
  数キロ先の海まで手を伸ばして大量の貝を食した巨人「ダイダラボッチ」伝説
  を生んだ。
  暗闇からの不気味な音、怪奇な天候不順も「化け物の仕業」とされた。
  その最たるものが災害であり、妖怪やたたりの所業に押しつけることで、
  理不尽な悲劇を受け止めてきた。
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メモ
 浅間山がダイダラボッチのせいで噴火した!? 日本全国の「ヤバい巨人伝説」
 ■兄の浅間山が妹の富士山に嫉妬?
  富士山の土を浅間山に運んだ?!巨人・ダイダラボッチ像
 (大串貝塚ふれあい公園・茨城県水戸市塩)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 昔々のお話である。いつのことかは解らないが、
 浅間山と富士山が兄と妹の間柄であった時のこと(ここでは真偽は問わない)である。
 兄(浅間山)は妹(富士山)の背の高いことを妬んで、
 妹に少し山を削って土を分けてくれるよう、ねだったという。
 妹は仕方なくそれに同意。巨人・ダイダラボッチに頼んで、土を運んでもらったとか。
 巨人は、大きな前掛けに土を乗せて、せっせと運んだようである。
 ところが、怒りん坊の兄は、作業がはかどらないことにイライラ。
 腹を立てた挙句、ついには文字通り爆発(噴火)してしまったというのである
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 もちろん、今時こんなお話を真に受ける人はいないだろうが、日本全国いたるところに、
 似たような巨人伝説が言い伝えられていることまで無視するわけにはいかない。
 かの民俗学の巨匠・柳田國男でさえ、「ダイダラ坊の足跡」なる一文を記し、
  この巨人伝説について考察していることからみても、
  ただの作り話と一笑に伏すわけにはいかないのだ。
■ウルトラマンよりも遥かに巨大?
  では、どのような巨人伝説が言い伝えられているのか、
  もう少し見てみることにしよう。よく知られるのが、
  茨城県水戸市で発掘された大串(おおぐし)貝塚を舞台とするダイダラボウ
  (ダイダラボッチ)の物語である。大串貝塚といえば、
  縄文時代前期に多くの縄文人が暮らしていたとみられる貝塚遺跡。
  ヤマトシジミやハマグリ、カキ、アワビなどの貝殻が積もり積もった丘が発掘
  されている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  この貝殻の山を築いたのが巨人であった…とまことしやかに書き記すのが、
   奈良時代初期の和銅6(713)年に編纂されたと思われる『常陸国風土記』である。
  足跡だけでも、長さ40歩(約72.8メートル)、幅20歩(36.4メートル)もあったという。
  ただし、尿の穴(小便を放ってできた穴のことか)の径も20歩(同)あったというあたり、
  何やら胡散臭さが鼻について気になるところではあるが…。
~~~~~~~~~~~~~~~~
  ともあれ、足の大きさからザッと見積もってみれば、
  おそらく300メートルをも優に越える巨人だったはず。
  かのウルトラマンでさえ身長40メートル(ウルトラマンキングは58メートル)だから、
  無敵を誇る正義のヒーローさえ、いとも簡単に踏み潰せそうな巨大さだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ただし、大串遺跡の上に築かれたダイタラボウ像の方は、
 高さ15メートル25センチと、少々小ぶり。
 それでも、奈良の大仏(座高約14.7メートル)よりも大きいというから恐れ入る。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
 『風土記』によればこの巨人、丘の上に座りながら、手を伸ばして浜辺
 (海岸線は、現在よりずっと内陸にあった)の蜃(大蛤/おおはまぐり)を
 ほじくって食べたとも。

 その食べ残しの貝殻が積もって丘になったというのだ。
 普通の人間が食べ残した貝殻だけで、こんな大きな丘ができるわけがないとの思いが、
 巨人伝承に繋がっていったのだろう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 また、武蔵国つまり現在の東京都、埼玉県、神奈川県にも、
  巨人伝説が数限りなく伝えられている。
  〇東京都世田谷区の代田橋の名は、ダイダラボッチが橋を架けたというのが由来。
  〇杉並区の善福寺池や三鷹市の井の頭池はいずれもその足跡が元になったものとか。
  〇大田区南千束の洗足池が巨人の小便が溜まったものと聞かされては、
   ボートに乗る気まで削がれてしまいそうである。
   ここでも、無謀ながらもその身長を推測してみれば、
   1キロメートル以上もの超巨人像が浮かび上がってしまう。何とも驚くべき数値という他ない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■畏怖すべき存在を巨人に投影
 ところが…である。仮に身長1キロメートルもの巨人がいたとしても、
 まだまだ、たかが知れている。実はこれよりも遥かにスケールのでかい巨人像が、
 誰もが知る歴史書に、堂々と記されているのだ。
 いうまでもなく、『古事記』や『日本書紀』がそれ。改めて読み返してみれば、
 国土創生に携わったイザナギとイザナミこそが、
  空前絶後の大きさだったことに、思いが至るはずだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  二柱が「なりなりてなり余るところ」を
      「なりなりて合わざるところ」に差し入れて夫婦の
 かためをした後に生まれたのが、

 大八洲(おおやしま)と呼ばれる日本列島だったというのだから、
 想像を絶する大きさだったという他ない。
 『出雲国風土記』に記された「国引き神話」にも、
 八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)が、
 志羅紀(新羅)や高志(越)の三埼などを
 「土地よ来い、土地よ来い」と引いてきたことを記しているが、
 それさえ、この国土創生に寄与した二柱の大きさには、遠く及ばない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 もちろん、神話そのものが史実であるわけもなく、
  何らかの事象を象徴的に語ったものであることはいうまでもないが、
  それらがいずれも、巨人伝承に彩られていることは注視しておくべきだろう。
 太古の人々(縄文時代も含め)が、ありとあらゆるものに精霊が宿って
 人々に災をもたらすものと恐れていたことは想像できそうだが、
 さらに畏怖すべき存在として恐れていたのが巨人だったのではないか? 
 目に見える大きさをもって、
 その霊力の大きさを言い表したのではないかと思えるのだ。
~~~~~~~~~~~~
 それが神とみなされるようになるのは弥生時代に入ってから。
 大陸の進んだ思想に影響されたことによるものであったことは間違いなさそう。
 さらに、『記紀』に記されたような人格神としての神の名を与えられて祀られるようになるのは、おそらくヤマト王権が国としての体裁を整え始めてからのことだろう。
 大きな社を設けられて常時祀られるようになるのは、
 さらに後のことと考えられるのだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ちなみに、『鬼滅の刃』に登場する巨人といえば、何本もの手を持つ異形の手鬼や、
 脱皮によってひときわ大きくなるという那田蜘蛛山(なたぐもやま)鬼一家の父が挙げられるが、
 いずれもダイダラボッチに比べれば遥かに小粒としか言いようがない。
 つまるところダイダラボッチとは、もはや鬼の概念を遥かに飛び越えた、
 しかも、神以前の偉大な存在と言わざるを得ないのである。
~~~~~~~~~~~~~~
得体のしれない者は怖いと同時に神秘だ。
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 ▼今月8日、巨大地震の発生可能性が通常より高まったとして、
  南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が初めて発表された。

  東海の駿河湾から九州の日向灘沖にかけて想定される地震である
~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ▼ひとたび発生すれば
 最大の震度は7、津波は高さ30メートルを超え、最悪で32万人超が死亡するとされる。
  被害が危惧される地域を中心に警戒感が一気に高まったが、
  特別な注意の呼びかけは1週間で終了した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ▼これだけの大災害となれば、内陸の本県を含め日本全土への影響は免れない。
  他にも首都直下地震や激甚化する台風など警戒すべき危険は多い

 ▼いつ起こるか分からない不気味さが不安をあおる。
  それでも現代人はある程度の想定を共有し、備えることができる。
  〇隙を作らず、決して妖怪の好きにはさせまい。
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日記(8.24)

2024-08-24 07:17:32 | 日常
2024   8月24日    (土曜日)     曇り  蒸しているなあ~

〇息子が春先の頃から言っていた ”米が不足してくる”と・・
 その後、埼玉米が随分買われている様な話が入ってきた・・
〇昨年、高温で新潟米の収量が減ったことや輸入米も戦争の影響もあってか?・・
 結構おいしいと言われてきた埼玉米が買われているとか・・・!
 よくわからないが兎に角、品が少ないらしい
〇身内もお米が棚に少なくなっているとか・・言う。少々不安だ・・

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 栃木県 下野新聞   雷鳴抄には品薄の記事がタイミングよく載っている
  コメ品薄

 盆休み中、都内に住む友人から
 「スーパーでコメが売り切れている」というメッセージが届いた。
 無料通信アプリのトーク画面に、青ざめた顔の絵文字が付いている。
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▼気になって宇都宮市内のスーパーへ向かった。
 5キロ、10キロ入り袋のコメが棚いっぱいに積まれていたが、
 1家族2袋までと制限されていた。
 〇県南の道の駅では、農協から仕入れた分はなくなったという

▼主食用米の民間在庫量が6月末時点で過去最少となった。
 それでも「コメ不足」ではない。
 本県産は1袋30キロに換算して242万3千袋分の在庫がある。
 農林水産省は「十分に確保されている」という。
  ならばこの品薄状態は、どういう訳か
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▼昨年の高温の影響で  
 〇コメの品質が落ち流通量が減った一方、
 〇パンや麺類と比べ値頃なことや、
 〇災害に備えて買い求める人が増えたとの見方があるが、
  判然としない
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▼生活困窮者に食品を配布する県内各地のフードバンクからも悲鳴が上がる。
 普段なら十分あるコメが底をついていると。
 寄付する余裕が家庭や農家にないのだろう
~~~~~~~~~~~~~~~~
▼米価も上昇している。ただ「今までが安過ぎた」という声もある。
 販売価格より生産コストが上回る農家は少なくない。
 県内では月内にも稲の収穫が始まる。
 品薄が解消され、新米を食べれば、
 友人の青ざめた顔の絵文字も笑顔に変わるに違いない。


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★我が家は毎年11月時点で家内の友人の農家さんに予約している。
 息子夫婦と最近はよく食べる子もいて30㎏を10袋ほど予約している感じだ。
 都度精米に行くが30㎏がとても重く感じる年齢になった
===================ー
台風10号の進路が気になってきた。
この時期は自治会などのイベントや準備が沢山重なっているので気になる。

  台風10号は24日(土)午前6時現在、マリアナ諸島にあって、時速20キロで北へ進んでいます。
  この台風は今後、発達しながら日本の南を北上する見込みです。
  27日(火)頃以降には強い勢力で西日本から東日本にかけて接近するおそれがあります。
  西日本から東日本にかけては、27日頃以降は大荒れの天気となるでしょう。
  北日本でも28日(水)頃以降は大荒れの天気となるおそれがあります。
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日記(8.23)

2024-08-23 09:28:08 | 日常
2024     8月23日   (金曜日)      晴れ
自分で作ったスイカが食べ終わったところに
うまい具合に農家本業のS さんから中くらいの玉スイカをいただく。

冷やしておいて今朝‥いただく・・食べたら・甘い事。サンキュウである。
カボチャもトウガンも一緒にいただく。これもいい感じだ。
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毎日新聞   余録
大正デモクラシーの時代。
   〇明治時代になって産業革命が起きると、
    それまで大半が農民だった日本人が労働者として働くようになります。
    おりしもロシア革命やマルクス主義が日本にも伝わってきて、
    自由や平等という意識を国民が持つようになったのです。
新聞や雑誌が部数を伸ばし、大衆文化が花開いた。
映画やレコードが身近になり、野球や演劇、将棋、囲碁が人気を集めた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
関東大震災後は新しい組織や施設が誕生した。

「春のセンバツ」に日本棋院、日本将棋連盟。いずれも今年100年を迎えたのは偶然ではない。
  1924年の干支(かんし)を名前に刻む甲子園球場も1日に100年を祝った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲今の高校野球に当たる中等野球の人気の高まりから、
 阪神電鉄が本場米国の球場をお手本に建設した。
 わずか4カ月半の突貫工事で夏の大会に間に合わせたという
「僕たちには夢があります。この先の100年もここ甲子園が聖地であり続けること。
  そして僕たち球児の憧れの地であり続けることです」。

  智弁和歌山の辻旭陽(あさひ)主将の選手宣誓で始まった
  今年の夏の大会はきょう関東一と京都国際の決勝戦で幕を閉じる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲原点回帰したような大会。
 低反発バットで本塁打が減った。
 タイブレークなどでバントが決め手となり、
 僅差の試合も多かった。

 島根の大社のように公立校の活躍も目立った。
 決勝はどちらが勝っても初優勝になる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~^
▲「高校野球は二十世紀の偉大な発明かもしれない」。
  作詞家の阿久悠さんは20世紀最後の大会の際、
  スポーツニッポン紙の連載「甲子園の詩(うた)」に書いた。
  「完成品が競いあう場でなく未完成品が未熟を超えて人々に夢や感動を与える」からだという。
  猛暑対策や選手の健康を優先した改革も求められる現代の高校野球。
  宣誓の夢が続く未来を願う。
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★私の高校時代、野球部は2年連続で甲子園に出場した。
 S監督に厳しく仕上げられた同期生・後輩達も真っ黒になって頑張っていたなあ~
 皆、元気に暮らしているであろうか!
 遠い昔がよみがえる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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日記(8.22)

2024-08-22 15:00:47 | 日常
2024    8月22日   (木曜日)   ②   晴れた!

下野新聞  雷鳴抄に
逆走事故の事
 高速道路の「逆走」は自身だけでなく、
 対向車を巻き込み重大な事故を招きかねない。
 そんな死傷事故が今夏のお盆期間、県内の東北自動車道で相次いだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼〇15日早朝、那須塩原市の下り線で逆走した軽ワゴン車と乗用車が正面衝突。
 それぞれの車の運転者が死亡し、乗用車に乗っていた小学4年と2年の
 きょうだい2人が重傷を負った。
 〇翌16日夜には栃木市の上り線で逆走していた乗用車とオートバイが衝突、
  オートバイの男性が救急搬送された。
▼子どもたちは親と帰省先に向かう途中だったとされる。
 楽しいはずの夏休みの事故に胸が痛む。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼国土交通省によると、
 高速道の逆走事案は毎年200件程度発生し、
 2日に1回の頻度で起きている。

 逆走した運転者の7割は65歳以上
 原因は道間違いを発端とした本線上の転回などのほか
 近年は認知症の割合が増加傾向にあるという。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼国は対策の強化に乗り出し、
 高速道会社などと誤進入防止用のカラー舗装や看板設置に取り組んでいる。
 警察も認知症の疑いのある免許所持者を家族からの情報などで把握した場合、
 臨時適性検査を行う未然防止策に努めている。

逆走の3割は64歳以下で高齢者に限らない。
 自らの命と同様、相手の命を守る責任が
 ハンドルを握る一人一人に求められている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 逆走が多いなあ~・・・2日に一回は起きているって  ちょっと信じがたい。
★私も高速に乗る機会は殆ど無い状況に・・なった。
 それだけにこれからどうしても、
 乗らねばならないとなったら相当に注意準備がいるなあ~。
  特にサービスエリアに入って混んでいる時は
  スペース探しで停め方が反対になることもあって
  慌てて出ると危険だ。
~~~~~~~~~~~~~~~
★免許返納が高齢者に求められているが
 返納した方のその後のデータでは認知症の進みが早いとか聞く。

★★記事を探した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
運転を継続している高齢者における運転とは?
 認知症高齢者に対する対処が構築された一方で、
 現在運転している高齢者が安全に運転を継続できるための
 システムが整っていない状況になります。
 運転は、視覚などからの情報をもとに操作を行い、
 脳や体を使う活動であると同時に、様々なところに出かけるといった社会活動になります。
 〇また、高齢者の約6割が運転し、
  さらにはその半数以上が毎日運転している現状を踏まえると

  (「高齢ドライバーを取り巻く現状」を参照)、
  運転は生活にかかすことのできないものの1つであると考えられます。
=============================
最近の研究では、高齢者に対して、
 安全に運転できる期間(運転寿命)を伸ばしていくことが
 健康寿命の延伸に重要であることが明らかになってきています。
 ただし、認知症の方や明らかに運転に問題がある方は、免許を返納する必要があります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
運転を中止すると、要介護状態や認知症発症のリスクを高める
 単に高齢というのみで運転を中止すると、
 生活の自立を阻害したり、うつなどの疾病発症のリスクを高め、
 寿命の短縮にもつながることが多くの研究で確認されています。

~~~~~~~~~~~~~~
高齢者にとって車の運転が出来なくなることは、
 「生活範囲の狭小化」と直結し、
 それが活動量を減少させ心身の機能を低下させることが、
 これらの問題を引き起こす原因と考えられます。

国立長寿医療研究センター 予防老年学研究部の調査では、
 運転を中止した高齢者は、運転を継続していた高齢者と比較して、
 要介護状態になる危険性が約8倍に上昇することが明らかになりました。
 さらには、認知症発症との関連を調べたところ、
 運転をしていた高齢者は運転をしていなかった高齢者に対して、
 認知症のリスクが約4割減少することが分かりました。

この結果は、運転の実施状況は認知症の危険を予測する上で有益であり、
  運転のような高度な認知機能を必要とする行動の保持が、
  将来の認知症の抑制に対して影響を及ぼすかもしれないことを示唆しています。
============================
運転をするということは脳を随分使っているんだなあ・・・・
 一つ上の友人が、ちょっとバックで事故ったのでやばい!と思ったのか 
 免許返納した・・・
 野外生物の研究がいきがいだったが、自由に調査活動が出来なくなって
 一気にウツ状態になった。
 最近は”死にたい願望”などと言うようになった。
 返納しなければまだ相当の自由度があったろうに・・
 先日ちょっと心配しで隣の県のK市まで会いに行ってきた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
免許返納か早い認知症か来るか・・・
そうは言っても・・事故を起こさないで静かに運転で返納時期を判断しよう。
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日記(8.22)

2024-08-22 09:26:08 | 日常
2024   8月22日  (木曜日)         曇り
久々に曇り空。夜明けが遅くなった。
天気図は

雲の状態も・・

気象庁によると、
 関東地方では、暖かく湿った空気の流れ込みと日中の気温上昇の影響で、
 22日夜遅くにかけて大気の状態が非常に不安定となるでしょう。
また、関東地方では、雷を伴い激しい雨の降っている所があります。

昨日も東京などでは集中豪雨があった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■雨の予想
 関東甲信地方では、22日夜遅くにかけて、
雷を伴った激しい雨や非常に激しい雨の降る所があるでしょう。
〇雨雲が予想以上に発達した場合や、発達した雨雲がかかり続けた場合、
 警報級の大雨となる可能性があります。
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天気が大きい影響を与えていた戦国時代のことが・・
上毛新聞   三山春秋 

 ▼織田信長は天気を味方につけていた。
  今川義元の大軍に挑んだ桶狭間の戦いは、
  ゲリラ雷雨が打ちつける間に本陣に迫った。
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 ▼武田軍と相対した長篠・設楽原の戦いは梅雨の時季である。
  雨の少ない日を見極めて行軍し、
  鉄砲3千丁の威力を最大限発揮させた、とみられている。
  歴史に「もし」はないけれど、読みが外れていたら…と想像してしまう
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 ▼合戦は作戦ありき。戦国時代は軍配者と呼ばれる者たちが兵法はもちろんのこと、
  統計や天文学、陰陽道を駆使して出陣のタイミングを進言していたという。
  重用された軍配者は空模様から天気を読む力も優れていたのだろう
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 ▼現在、予報を出す基礎資料ともいえるのが天気図である。
  日本で初めて作成されたのは1883(明治16)年2月。
  お雇い外国人の気象学者クニッピングが測候所からの
  観測結果を電報で集めて7色刷りのものを作った

★メモ

1883(明治16)年2月16日、ドイツ人気象学者エルヴィン・クニッピングの指導で
 日本初の天気図が作製されました。
  クニッピングは船員として来日しており、
  安全な航海には必要不可欠な気象の知識を持っていたことから、
  東京気象台(現在の気象庁)に雇い入れられていました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この日、彼の指導の元に作成された最初の天気図はまだ試行段階でしたが、
  同年3月1日からは毎日印刷・配布されるようになったのです。
  この天気図のおかげで、同年5月26日には最初の暴風警報を発令することができ、
  おかげで多くの船が難を逃れることができたそうです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〇気象庁のHPでは1875年から現在までの東京の平均気温を見ることができますが、
 クニッピングが活躍した時代の日本と今の日本の気候はすでに随分と変わっているようで、
  都市化と気候変動の影響から、当時より年間平均気温が3度も上昇していました。
  当時の夏は今より過ごしやすかったのかもしれませんが、冬は寒かったのでしょうね〜
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 ▼広く知れ渡るようになったのは1924(大正13)年、
  ちょうど100年前のきょう、「国民新聞」に載るようになってから
といわれている。

  戦時中は軍事機密となり、41(昭和16)年に紙面から姿を消した。
  再び載るのは終戦からおよそ1週間後の8月23日であった
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 ▼本紙に載る天気図に目をやる。
  このところ気になるのは次々に現れる「台」の文字だ。
  台風の上陸数は9月が多い。
  頼れる“軍配者”の力を借りて備えを万全に、安全第一の行動を。・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★台風10号も発生した。こちらに向かってこないことを祈る。
コメント
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