波佐見の狆

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ELPのクリスマスミュージック (Keith&Gregは永遠)

2016-12-21 23:17:43 | Keith Emerson他プログレ

今年も、残すところあとわずかとなりました。

皆さんにとって、2016年はどんな年でしたか?

私には、3年分くらい過ぎたのではないだろうかと思えるくらい、very eventful yearで、去年の今頃は予想もつかなかったまさかの出来事がいろいろありました。

東日本大震災からちょうど5年目のその日の深夜・・・サンタモニカの自宅で、71年にわたるその輝かしい生涯に自ら終止符を打ったKeith Emersonさん。あれから9ヶ月たち、私の悲しみも少しずつ癒え・・・・キースの遺してくれたものがいかに素晴らしものであるかを、ますます実感し、かえって心豊かにさせてもらっている自分に気づきます。キース、ありがとう!!!

ところが・・・こんどは、彼の50年来のバンドメイトで、ベース(ギター)/ボーカル担当だったGreg Lakeさんが、69歳で、癌のため亡くなったことを知りました(12月7日)。キースとグレッグは、音楽的には、お互いを極限まで高めあう最高のコンビであった一方で、一人の人間対人間としては、軋轢、衝突も多く、なかなか難しい面もあったようです。でも、今では天国で、しっかり肩を抱き合っていることでしょう。「なんだよ、グレッグ、お前までもう来たのかよ~!」「キースが寂しがってるんじゃないかと思って、来てやったんじゃねえかぁ!」「ごちゃごちゃ言わずに、歌えよ!」「おう!いくぜ お前もさっさと弾きやがれ!」なんて言ってね。

EL&PのEとLが相次いで旅立ち、私にとって、EL&Pという存在がいかに大きいものだったか、改めて深く思い知らされた年となりました。

今日は、ELPのクリスマスミュージックをご紹介。

まずは・・・グレッグが作曲した、”I Believe in Father Christmas”という美しい曲です。ELP最後のアルバム "Works Vol II"に収められています。

若かりしころのグレッグ・・・可愛かったなあ!

 

 1分あたりの、夕陽をバックにラクダが歩くシーンに流れる、きらびやかなファンファーのようなシンセサイザーはもちろんキースによるものですが、このメロディ自体は、クラシックからアレンジしたもの。

その原曲が、これです。プロコフィエフの組曲「キージェ中尉」中の第4パートの「トロイカ」 (こちらは、ロンドンフィルハーモニー管弦楽団の演奏)。

 

キースは、このトロイカが大好きだったらしく、彼のソロアルバムの中でも演奏しています。”I Believe in Father Christmas”では、トロイカのほんの一部を使っているだけですが、ソロアルバムの方では、フルで演奏しています。それがこちら。

キースにしては珍しく?原曲にかなり忠実に仕上げているのですが(ギターパートは別として、全体的には殆どシンセサイザーによるキースの独演)、やはり、管弦楽よりこちらのほうが、そりの躍動感が活き活きと伝わってくると思いませんか?

(プロコフィエフは、これをクリスマス曲として書いたわけではないのですが、トロイカは、まさに張り切ってそりを走らせるサンタクロースの楽しい雰囲気を感じさせますよね~。)(注1

で・・・そのソロアルバムというのが、これです。その名も"The Christmas Album" (注2

1988年発表で、自身のオリジナルのほか、O' Little Town of Bethlehemなどの伝統的なキャロルや、クラシックやジャズのアレンジをいろいろ組み合わせ、子供たちの合唱なども入れて、心温まる手作り感いっぱいの1枚になっています。このアルバムの冒頭が、Troikaです。

ついでながら、このアルバムから、もうひとつ聴いてください。

キースのオリジナルで、”Captain Starship Christmas” という曲ですが、サンタが宇宙船に乗ってやってくるというお話で、男の子の可愛い語りから始まり、キースの演奏、そして、子供らの元気な合唱が続きます。

<ちょっと目がチカチカする画像なので、音だけ聴いたほうがいいかもです。これしかなかったので、すみません。>

 

ちなみに、この合唱団の子供たちは、イギリス南部のWorthing(ワージング)という小都市にある West Park School の生徒さんなのですが、この学校は、キースのお母様ドロシーさんが、若いころcook supervisor(調理管理者?給食の責任者みたいなお仕事?)として働いておられまして、キースは、お母様の思い出を紡ぎたかったのですね。

今年のお空のクリスマスコンサートは、どんなに賑やかなことでしょう!

何かと気ぜわしい時期になってきましたが、皆様もどうぞよいクリスマスシーズンをお過ごしください。お忙しい中、ELPの音楽に耳を傾けていただき、ありがとうございました。

あーーー年賀状これから・・・・ 実は、「真田ロス」真っ只中・・・・

注1) ご存知のように、「トロイカ」とは、ロシアの3頭立ての馬車(馬そり)の意味で、プロコフィエフが描いたのは、キージェ中尉を乗せてシベリアを走る馬そりのイメージですが・・・YouTubeの画像がまさにそれですね・・・でも、音楽を聞く側としては、一般に流布している、サンタを乗せて8頭のトナカイに引かれて走るそりを思い浮かべて楽しむのも、自由でしょうからね!

注2) キースのクリスマスアルバムは、他にも異なるアルバムカバーのものが出ています。全部で4通りあるようです。

私がもっているのが一番左のものです。曲目数は12トラックで、トラック1がトロイカなのですが・・・・2つめと3つめは、曲目数9トラックのみで、トロイカは入っていませんね・・・カバーデザインは素敵なのですが・・・4つめが最新バージョンで(2012年に復刻版として発売)、曲目数は、12トラック(詳しくはこちら)。これから、キースのクリスマスアルバムを購入しようと考えている方は、この最新版をお勧めします。アマゾンで、輸入版を2029円プラス送料で入手できますので。

 

 


キースとの衝撃の出会い

2016-07-15 00:27:52 | Keith Emerson他プログレ

5月末、アメリカで、大々的なKeith Emerson追悼コンサートが行われましたが、キースへの哀悼を表す動きは、いろんな形で世界中に大きく広がっています。

私が大好きだから言うのではなく、本当に、キースは、テクニック、オリジナリティ、創造性、センス、どの点からみても、ロック界最高のキーボーディストでしたから(ということは、ジャンルを問わず20世紀最高の音楽家の一人ということ)、世界中で愛されただけでなく、与えた影響も計り知れないものがありました

日本でも・・・こちらは、キーボードの専門雑誌の7月号ですが、「キース・エマーソン追悼特集 キースが遺した音楽とその偉大なる功績をたどる」という特集で、小室哲哉さんら、キースに多大な影響を受けた日本のミュージシャンたちが、Keithを熱く語り、その音楽性を専門的に分析しています。

私は、信奉者といっても、ただ聴くだけですからテクニカルなことはほとんど解りません。それに、中学時代から40年以上好きといっても、気持ちが離れていた年月もあるので、それほどキースのことをちゃんと知っているわけでもないです。そんな中途半端ファンが語っていくことですから、検索でこのブログを訪れて、ちょっと違うなぁ・・と思う真のマニアの方もいるでしょうが、一個人の私的な思いとして、さらりと読んでいただけたらと思います。

もともと私自身は特に音楽が好きだったわけでもなく、ギターや尺八が得意だった父が、私にも何か楽器を習わせようと思ったようで、中古のオルガンをどこからか手に入れてきて、小学校のとき、近所の教室に通うようになりました。しかし、家で全然練習もしないので上手になるはずもなく、教室に行っても先生からしかめ面をされるだけで、私も嫌になりすぐにやめてしまいました。音楽よりは、本を読むのが好きで、音楽は私にとっては苦痛といってもよいくらいのものでした。

そんな音楽嫌いの少女だった私ですが、小学校を卒業するころから、親友の影響で、海外のポップス音楽を聴くようになりました。そのころ、みのもんたさんがパーソナリティを務める「オールジャパンポップス20」というラジオの人気番組があり、当時大好きだったミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」をリクエストしていたら、みのさんが私のはがきを読み上げてくれて、むちゃくちゃ嬉しかったです。それから、エルトン・ジョンにも夢中で、キーボードを弾き語りして美しく歌うミュージシャンに恋い焦がれるようになりました

エルトン初期の名曲「僕の歌は君の歌」(Your Song)。ピアノの吟遊詩人と言われていたころ。

Elton John ~ Your Song

 

しかし彼の音楽性が変わり、奇抜なコスチュームで派手なライブをするようになって、なんだかついていけなくなり、次に夢中になったのは、アメリのバンド「シカゴ」のキーボードプレイヤーでボーカリストであるロバート・ラムでした。

シカゴは、ギター、キーボード、ベース、ドラム、トランペット、トロンボーン、サックス(フルート)という7人編成で、リードボーカルが3人もいたので(ギタリスト、キーボーディスト、ベーシストが歌う)、音が多彩でした。私は彼らによって、生まれて初めてロックバンドというものの素晴らしさを知ったのでした。7人のなかでも、ロバートのことは、その声、キーボード、ルックス、全てにおいて本当に大好きで、彼は私の初恋の人だったと言ってもいいくらいです!

シカゴについては、かなり思い入れがあってまたいろいろ語りたくなってしまうので、今日のところは簡単に触れるに留めますが・・・

エルトンにせよ、ロバートにせよ、まずは歌ありきでした。そしてキーボードはその伴奏の道具でした・・・さらに言えば・・・・歌を引き立てるための道具「でしかなかった」のです。キーボードの音は、歌(ボーカル)を邪魔しない程度に、優しく光るように入れられていました。クラシックじゃジャズではないのだから、もちろんそれはそれでよかったのです。そういうスタイルに、私も何も不満はなかった・・それどころか、そういうのがすごく素敵だと思っていました。少なくとも中学2年のころまでは・・・

シカゴ初期の大ヒット「サタデイ・イン・ザ・パーク」~「一体現実を把握している者はいるだろうか」

Chicago - (1973) "Saturday in the Park" & "Does Anybody Really Know What Time It Is?"

ところが・・・中学3年になって、「キーボード = 伴奏」という、私にとってそれまで絶対的だった公式をぶち破る衝撃的な出会いがありました。上記とはまた別の親友が、「何かようわからんけど、すごかLPのあるけん、一緒に聴かんね!」みたいなことを言って、聞かせてくれた「トリロジー」(Trilogy) と題されたLPレコード。「エマーソン・レイク&パーマー」(ELP)というイギリスの3人組のバンドで、世界中ですごい評判だというのですが・・・1曲目から、度肝を抜かれました。それがこれでした・・・

当時リリースされたばかりの、ELPの4枚目のアルバム「トリロジー」の1曲目「永遠の謎」(The Endless Enigma) という曲です(注1)。「パート1」「フーガ」「パート2」という三部構成で、全体10分ほどです。

Emerson, Lake and Palmer - The Endless Enigma (Complete)

イントロからして、ミステリアス・・・心臓の鼓動?・・・いや幽霊でも出てくるのか???これは何の楽器だろう?いったい何が始まるのだろう?と思っていると、いきなり、電光石火のような激しいピアノが続く・・・インドのヘビつかいの笛みたいな音(注2)をちょっと挟んで、さらに、叩きつけるような、むちゃくちゃ速弾きのハモンドオルガン・・・歌が入る部分でも、オルガンが、伴奏ではなく、ボーカルに対して挑んでいるといってもいいくらいの強さがある・・・・。中間部の美しいピアノとベースの二重奏の部分は「フーガ」と名付けられ、後で知ったことですが、クラシックのフーガの技法で、作曲されています。そして後半(パート2)のファンファーレのような華やかな音、これはいったい何??

この曲を全体的にみれば、静と動のコントラストがはっきりしたメリハリのある流れをもち、グレッグのボーカルとベース、カールのドラムもタイトでかっこよく、キースのキーボードと華麗に融合しています。

とにかく、番存在感が大きくて「聴かせる」のはキーボードで、そのユニークな音色にしても、弾き方(激しいタッチ、超速弾き、グリッサンド(注3)の多用)にしても、それまで私が慣れ親しんでいたものとは、あまりにも違っていましたそして、イントロの幽霊のようなミステリアスな音とパート2を華やかに盛り上げるファンファーレのような音が、シンセサイザーという、まったく新しい、開発されたばかりの電子鍵盤楽器の音だということを知りましたこんな革新的なロックを作曲して演奏しているのは、一体どういうミュージシャンなんだと、そのことで頭がいっぱいになりました。名前は、キース・エマーソン。この人はキーボードを弾くだけ、ボーカルはやらない。。。(注4)(ボーカルは、ベーシストのグレッグ・レイク)なにせYouTubeもない時代です。レコード以外は、ラジオと音楽雑誌が情報源。キースがどんな感じの人で、どうやって弾いているのか、すぐにはわからなかった。とにかく、もっともっと聴きたい!!

私の中から、ミッシェルさんもエルトンさんもロバート・ラムさんもあっけなく吹っ飛び、それから、キースまっしぐらになってしまったのでした。

これが私のキースとの出会い。

それからだんだんとわかっていく、キースの偉大さについては、またゆっくりと語りましょう。

貴重なビデオをみつけました。自宅で、「フーガ」部分を作曲する、若かりしキース(28歳ころ)。右手の5本指の軽やかな動きに胸が詰まります・・ (YouTubeって本当にありがたいですね。)

Keith Emerson composing Endless Enigma from Trilogy

 

 (ところで、彼の話声は、当時こんなスイートボイスだったのですが、後年、、声変りでもしたかのように、大変低い声になっていました!

注1この曲のタイトル「永遠の謎」は、ダリの絵「果てしない謎」(Enigma sin Fin)(こちら)に感動してイメージを得たものだと、後年、キースが語っています。ちなみに、キースは、バルセロナのホテルで、ダリを見かけたことがあって、「彼は、自身がすでに描いていた絵さながらで、とても印象的な姿だった。」と振り返っています(CD ”Three Fates Project" ライナーより) ELPは「トリロジー」のジャケットにする絵をダリに依頼しようとしたが、報酬があまりにも高くて断念した、という話は有名(結局ジャケットはヒプノシスというアート集団に依頼された)。

注2)「ヘビ使いの笛のような音」 これは「ズークラ」というチュニジアの民族楽器で、キース自身が、現地を奥様と旅行した際住民から購入して、演奏しています(実は、こんなことも今になって調べてわかったのですが)。大変な肺活量が必要な難しい笛で、キースは大変苦心して演奏した模様です。

注3)「グリッサンド」  鍵盤を一つ一つ弾くのではなく、あるキイから別のキイまでを、まとめて、指や手のひらや手首などを押し当てて素早くスライドさせる演奏法。高速で豪快なグリッサンドは、キースの十八番。「永遠の謎」でも、パート1の終わりの方とパート2のボーカル("Each part was played, though the play was not shown..")の後、グイグイと聞こえてきます。むちゃくちゃカッコいい!!!

注4)キースが、生涯にわたって、一度もボーカルをやらなかったかというと・・・実は、2曲だけ、彼が(リード)ボーカルとしてクレジットされているものがありまして、そのことについては、いずれまた。なお、ギターはまるでダメらしく、コードをボロロンくらいみたいです。

 

 

 

 

 


フォーカルジストニアとKeith

2016-05-09 11:50:50 | Keith Emerson他プログレ

Keith Emersonさんの突然すぎる訃報が世界中を駆け巡って、2か月半が過ぎました・・・・

こちらは、この4月に予定されていた日本公演に向けて、日本のファンのために撮影されていたビデオメッセージです。

(ほんの2分ですので、どうぞ終わりまでご覧ください。Keithの手元に注目です・・・)

Keith Emerson Band Message for Billboard Live Tour 2016

 

私は、Keithがもういないということを未だ信じられない気持ちで、毎日のように、Keithの音楽を聴き返しては、ポロリと涙したりしているのですが・・・YumikoさんやYukoさんら友人たちが、私の深い悲しみをシェアしてくれて、いろいろ語り合ううちに、少しずつですが、Keithの自死という重い、重い選択を、私なりに受け止めることができるようになってきたところです。毎朝、父、義父母、栗恵たちにお線香をあげるとき、Keithのたましいよ、どうか安らかに・・・と祈りを続けています。

ネット上で伝えられるところによれば、Keithは、もう数年前から病気で思うようにキーボードが弾けなくなっていて、深刻な鬱になっていた・・・とのことですが、その病気は、「フォーカルジストニア(局所性ジストニア)focal dystonia」です。

dystoniaとは、不随意運動、つまり、自分の意志とは関係なく、筋肉が異常な動きを繰り返す疾患で、focal はfocus の形容詞ですから、一点集中的に、つまり局所性に、特定の部位に症状が出るのが、フォーカルジストニアです。体の特定の部分を細かく動かして酷使する演奏家の職業病と考えられています。鍵盤楽器奏者の場合、弾こうとすると指先が硬直・麻痺したり、くるりと巻き込んで鍵盤を押せなくなったり、逆に、押してはいけない鍵盤に指が行ってしまったり・・痛みは無いそうで、日常生活には何の支障もなく、自分の担当楽器を演奏しようとするときのみ現れるという、実に厄介な難病です(Keithは、右手に発症していました)。(注1

過度な練習を長年続けていくうちに、筋肉が極度に緊張して、それが脳にも大きな負荷となる結果、脳(大脳基底核)が、誤作動を起こしてしまい、筋肉を動かす重要な指令を正常に送ることができなくなる・・・つまり、筋肉と神経だけの問題ではなく、脳のメカニズムが大きく絡んでいるのです詳しくは、こちらのサイトなどを)。

さらに、完璧主義者とか、不安でパニックになりやすい人とか、あがり症とか、メンタルな要因もあるわけですその他に遺伝的要因なども関係していると言われていますが、フォーカルジストニアの原因は、はっきりとは解明されておらず、それゆえ治療も難しいのですね・・

日本では、フォーカルジストニアの認知度はまだ低くて、海外と比べると治療できる専門家も少ないようです。私はと言えば・・・ピアニストである娘さんがこの病気と闘っている、という親しい方がいまして、数年前からこの病名についてお話を聞いていたので、たまたま知っていました。Keithがフォーカルジストニアだと知ったとき、ああ、これだったのかと、今更ながらに驚いたのでした。

その親しい方というのが・・ハナミミのママさんです。ハナミミ家のお姉さんは、パリの音楽院を優秀な成績で卒業した後すっと現地で活躍されていたのですが、すでに10代でフォーカルジストニアを発症され、以来20年にわたって治療を受けながら前向きに演奏活動を続け、この病気についての理解をもっと広めようと啓蒙活動にも積極的です。昨年には、パリから来日したジストニア専門の療法士さんと組んで、講座を開いたりしておられます(こちら)。ママさんから、「娘は、ピアノを弾こうとするときだけ、指が思うように動かなくなるんですよ・・・」と伺ったとき、へえ、、そんな奇病があるんだなぁ・・大変だなぁとは思いましたが、そのときは正直いって、まったく他人事でした。しかし、私も、この病気が主な原因で、大切な人を失った今、この病気についてきちんと知りたいのです。ハナミミお姉さんのような若い将来ある音楽家さんたちには、どうかKeithの分まで果敢に闘い、啓蒙を続けてほしいと切に願います。

ハナミミお姉さんの素晴らしい演奏が聴けるCDです(詳しくはこちらを)。

(左側の女性がHMお姉さんです)

 さて、Keithのことに話を戻しますが、彼の場合、この病気を発症した原因がどこにあったのか、私などが想像しても分かるはずはないですし、もちろん、これからは、Keithの「死」ではなく、「生」を・・その偉大なる生き様を語ろうと思っています。そうすることが、遺されたファンにできるせめてものKeithへの恩返しですしね

ただ、Keithの全盛期の演奏をじっくり聴き直していると、ああ、このKeithにきわめて特徴的な演奏の仕方(指の使い方)が、発症を誘発したのでは・・・と感じられるところが大きいので、本当にいたたまれなくなるのです。その特徴的な演奏の仕方というのは・・・専門的にはどう表現するのかわからないのですが、簡単に言えば、キーボードを打楽器のように強く叩く激しいタッチと、そして驚異的な速弾きです私が心から大好きだったこの弾き方が、年齢を経るにつれ、Keithの体に大きな負担となっていたのではと・・・もっと言えば、Keithは自らの命を削って(まさに、自分の羽根で美しい織物を織った鶴のように)、どこまでも、どこまでも音楽の高みを求め続けていた・・・。それと、公の場では、いつも陽気でパワフルに見えていましたが、実はきわめて繊細な人で、18歳ころから世界中で数知れずライブを行ってきたにもかかわらず、本番前には大変緊張していたそうなので、メンタルな面でも、深い苦悩があったのでしょう。

冒頭に紹介したビデオメッセージ・・・手元をよく見ると、右手が全体的にひどくこわばっている感じがありませんか?!こちらのサイト(コンチェルトはりきゅう院)でも、専門家の方が「キースエマーソンさんの症状としては、ピアノを演奏する際に、右手の薬指と小指がかなり巻き込んでいたので、演奏はかなりつらかったのではないかと思われます。」と、分析しておられるように、右手は相当重篤な症状だったことがうかがわれます。 

<追記>こちらのライブ録画を、冒頭の1分でいいのでご覧ください。右手薬指・小指の巻き込みがよくわかりますね!(1年以上も前に録画されたものだと思いますが・・・。→ 2008年モスクワ録画ですね!) それで、この音の完成度の高さ!まさに綱渡りのような、極限の状態だったと思うのです・・
 
Keith Emerson Band - Tarkus
 
 
 
こんな状態になってまで、この4月に来日公演を行おうと前向きに頑張っていたKeithです。決して病気に負けたのではないと私は思います。サポートのキーボードプレイヤーを雇っていたそうで(もちろん、そんなことは初めて!)、今回を最後に引退しようと考えていた、との話もあります。

公演を計画したときまでは、「今回だけサポートしてもらって、頑張ろう。」だったのが、本番が近づくにつれ、「1回だけであっても、サポートにまで頼らねばならないなんて、プライドが許さない。それはKeith Emersonではない。潔く幕を引こう。」と、心境が急に変化したのでしょうか。

そもそも、右手でのプレイがだめなら、左手があるだろうとか、弾けないなら作曲のみでやっていけるじゃない、、とか、傍からはどうでも言えますが、何よりライブでのプレイを一番大切にしていたKeithですから、強いこだわりがあったのですね・・・。一度たりとも、Keith Emersonではないステージなんて、したくなかったのだと思います。それが彼のプロとしての矜持だった・・本人にしかわからない複雑な苦悩が、孤高の決断をさせたのだと思います。

フォーカルジストニア患者は、ともかく、自分の楽器から一定期間離れるのが、リハビリになるらしいのですが・・・日本のミュージシャンにも、ほかの楽器に転向するなどして、じっくり治療している方もいます。(米米クラブの金子隆弘さん・・こちら)Keithも、1年くらい何も弾かないで、(ご家族と日本の温泉でゆっくり骨休めするとかして!)心身をリセットしてみるということはできなかったのか、とも思いますが・・・70代に入り、若い世代の音楽家と比べると、余裕がなく、悲観の程度が大きかったのでしょうね。

Keithのことを知って、ハナミミのママさんが、「娘は、パリに住んでいたことが幸いで専門家の診断&治療を受けることが出来ました。この病気は、以前は完治することはないと言われてましたが、今は研究も進み的確なリハビリ治療によってステージに復帰することも充分可能になっています。キースさん、イギリスで良い治療が受けられなかったのでしょうか?メンタルケアも併せて受けることが大事ですよね。」と書いてくださいました。そうなんですよね・・・キースの公式サイトでも、「プライバシーに配慮」との理由で経過などは何も明かされておらず、最も親密だったミュージシャンたちも、敢えて?詳細は語ろうとしません。私も、決して、エマーソンさん(および近親者)のプライバシーを詮索するつもりはなく、自分自身の気持ちの整理のため、そしてフォーカルジストニアについて知ったことを書き留めておきたかったのです。(にわかリサーチですので、何か間違いがありましたら、どうぞご教示くださいね)。

Keith、あなたは、それまでになかった素晴らしいロックを世界中にプレゼントするために、神様からこの地上に遣わされた天使だったのですね。その指が衰えたとき、あなたの役目は終わった、戻りなさい~~~と天から連れ戻された。これからは、天界で永遠のセカンドステージですね!!

次回の記事からは、Keithの音楽や、その魅力的な人物像について、具体的に明るく書いていきたいと思っています。

注1) こちらのサイトなどにも詳しい通り、フォーカルジストニアは、担当する楽器により、例えば、管楽器奏者なら、口唇や舌、弦楽器奏者なら、腕、首、ドラマーなら、手や足に…という具合に、集中して使う部位に症状がでるわけです。歌手が、頸部に異常をきたして特定の音域が出にくくなるということも(コブクロの小渕健太郎さんの例)。また、特定の部位を過度に繰り返し酷使する職業なら、音楽家に限らないわけで、漫画家、スポーツ選手、職人さんなどにも発症しますが、きわめて精密な動き(巧緻運動)やスピードを集中的に鍛錬する演奏家は、とりわけ発症率が高いのです。そのため、focal dystoniaはmusician's dystonia (音楽家のジストニア)とも呼ばれます。

こちらのサイト(広済鍼灸院)によれば、音楽家の10人に1人は、フォーカルジストニアに罹患しているとの報告があるそうです。このページを下の方にスクロールすると、「来院者楽器別の内訳」という円グラフがありますね。これは実に興味深いデータです。フォーカルジストニアでこの鍼灸院に来院した音楽関係者について、2011年から約2年間統計をとったもので、167名中、なんとピアノが54%、ギター20%、管楽器15%、バイオリン9%、打楽器1%。この調査からみても、鍵盤楽器奏者にとっては格別に深刻な問題であることがわかりますね。

ちなみに、打楽器といえば、RADWIMPSのドラマー山口智史さんは、活動休止だそうですが、バンドの公式サイトにおける発表を読むと、その苦渋の決断の経緯に胸が詰まります。「ファンと音楽に対して常に誠実でいようとしていた」・・・ 

誠実で才能あふれる世界中の音楽家たちを、フォーカルジストニアの闇から救う研究が加速することを、心から願ってやみません!

 

 

 

 

 

 

 

 

 


伊豆旅行前日・・・Keithの訃報

2016-03-22 12:20:58 | Keith Emerson他プログレ

それは、先週土曜日(12日)朝のことでした。

翌日からの伊豆方面への旅行のことで、頭がいっぱいで、洗濯物や片づけ物などでばたばたしていたら・・・

Yumikoさん、続いてもう一人の友人が、悲しい知らせをメールしてくれました。

Keith Emersonさんが、11日に、アメリカのサンタモニカの自宅で、ピストル自殺したというのです・・71歳でした。

Keith Emerson って誰?と思われた方は、こちらなどをどうぞ。Keithのことは私も、『平清盛』の音楽の件で、こちらの記事で紹介しましたね。この中でも書いたように、私は40年以上も前からのKeith信奉者です。

最近はいちいち彼のサイトをチェックするほどではなかったのですが・・・・私にとって、Keithは別格も別格で、神様のような存在でしたから、亡くなるとかいうことはありえなった。漠然とですが・・・100歳になっても、溌剌として、ロックキーボードの巨星であり続けるKeithの姿を思い描いていました。いつだって、パワフルで、陽気で、かっこよかったKeith。いろいろと、つらいこと、悲しいことがあっても、彼の音楽を聴けば、元気をもらえ、肯定的な気持ちになれました。彼の音楽が、そして彼の存在そのものが、私にとってはいかに大切なものであったか、今更ながらにわかりました。

とっても強い人だと思っていたのに・・・自殺なんて、一体何があったの。。。声をあげて泣きました。その時点では、まだ詳しいことを書いてあるサイトがなくて、ずっと病気のため思うように演奏することができなくなっていて、深刻な鬱に陥っていたという、大まかなことしかわからないまま、ばたばたと旅行の準備をして、13日の10時ころ、家を出発しました。

3泊4日の旅行中も、ずっとKeithのことが頭から離れることはなく、とりわけ、2日目は冷たい雨だったこともあり、沈んだ心を鼓舞しながらの観光でした。車の中や宿で検索をし続け、その病気というのが、難病「フォーカルジストニア」だったということなど、詳細がわかってきたものの、未だ気持ちの整理がつきません。Keithのことについては、またきちんと別記事で語りたいので、今回は、ここまでといたします。次の記事は明るく楽しい旅行記にしますね。

Keith Emersonさんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

71年にわたる素晴らしい偉大なる生涯、お疲れ様でした。苦悩なき天国で、また思いっきり音楽を続けてくださいね!

海外のファンによる、3分ほどの追悼ビデオです。若い頃のKeithの素敵な写真がいっぱいなので、どうぞ皆さんもご覧になってくださいね。

Keith Emerson Dead RIP 2016 ELP Jerusalem

(このビデオのBGMは、ELP全盛期の「エルサレム」という曲です。Keithのオルガンとシンセサイザーが鳴り響いています。)