翌朝(11/12 日曜日)です。
本日も天気は上々。帰りの新幹線は5:30なので、それまで、たっぷり一人旅を満喫することにしました。
テーマは・・・宮城県が産んだ偉人「支倉常長」(はせくらつねなが)へ、想いを馳せる1日です。
支倉常長さん。伊達藩の武士だったのですが、政宗の命により、慶長14年(1609年)、宣教師ルイス・ソテロらとともに、慶長遣欧使節を率いて渡欧。7年を費やし、キリシタンとなりながらスペインとの通商交渉を行うものの、目的は果たせず、帰国後失意のうちに没しました。私が、長崎の天正遣欧少年使節(天正10年;1582年)に大変興味があるのは、以前よりお話ししていますが、この、みちのくの遣欧使節にも、同様に心引かれ、ぜひ支倉常長ゆかりの地を訪れたいと以前から思っていました。
まずは、仙台駅から、仙石線、路線バスと乗り継いで、2時間かけて、石巻へとやってきました。
月の浦という入り江に建つ「サン・ファン館」です。
ここ月の浦こそ、まさに、慶長遣欧使節団が旅立ち、戻ってきた港で、支倉らが乗ったガレオン船「サン・ファン・バウチスタ号」を復元した実物大の船が係留展示されています。
「ガレオン船」とは、大航海時代にヨーロッパで活躍した大型の帆船で、日本にもその技術が持ち込まれ、徳川藩や伊達藩で建造されたのです。
(伊達藩の家紋が前面に)
この復元船、みゆきさんも、おっしゃっていたのですが、、現代の感覚で見ると、意外に小さい。しかし、確かに、この規模の船が総勢180人もの乗組員を乗せてヨーロッパ往復を成し遂げたのですから(実は2往復もしたそうな)、すごい性能だったのですね。なお、震災時の大津波で、流失こそしなかったものの、大きく破損。その後いったん修復されたのですが、やはり傷みが激しく腐食も進んでいるため、現在は外から眺められるだけで、船内の見学は禁止となっています。スタッフの方に尋ねてみたのですが、今後さらに修復して船内へ入れるようになる見込みはないそうです。船内は、蝋人形などによる展示説明があり、当時の人々が、長い航海を船内でどのように過ごしていたのかが、よくわかるようになっているとのことだったので、とても見たかったです!
しかし、この係留場所から、長いエスカレーターを上ったところにも、展示館があって、この慶長使節についてはもちろんのこと、大航海時代の世界情勢、航海技術について、ジオラマやパネルで詳しく学べるよう、いろいろと工夫されています。
また、「サンファンシアター」という、ミニ映画館みたいな立派な大型ハイビジョンルームがあって、「2つの大津波とサンファンバウチスタ」と「地の果てまでも」というプログラム(各20分)を上映しています。どちらも、素晴らしい作品で、特に後者は、大勢の俳優さんたちによる本格的なドラマ仕立てになっていて、太平洋のど真ん中で嵐に遭い悪戦苦闘する常長らの姿が、大迫力で伝わってきます。こんな映画まで見られて、入場料たったの350円は安すぎません?!(サンファン号の船内見学禁止になっていることで、料金を引き下げたそうです。)
晴天の日曜なのに、見学者は、まばらでした・・・・経営は大丈夫なのかなと気になったのですが・・・・実は、復元船は、オリンピックの年以降に、取り壊す方針だそうで、シンボルであるこの船がなくなれば、ますます、こんなアクセスの悪い施設を訪れる人は減るのでは、と心配になります。老朽化するいっぽうのこんな特殊な船は、修復に莫大な資金がかかり、もし資金面がなんとか工面できたとしても、船大工さんたちが高齢となり修復の技術自体が確保できないとのことで、解体しか選択肢はないのでしょうが・・・大変残念なことです。
遠かったけど、来てよかったなあとしみじみ思いつつ、仙台駅へ戻りました。
4時すぎに、 「仙台市博物館」に到着。
ちょうど、「伊達政宗生誕450年記念特別展」をやっていました。
わたしのお目当ては、もちろん、慶長遣欧使節関連資料です。
とりわけ、日本史の教科書にも載っている有名な常長の肖像画を見たかったのです!
<国宝・ユネスコ記憶遺産登録資料>
敬虔なキリシタンとしての常長の姿。17世紀にローマで制作されたとみられ、日本人を描いた油絵としては最古のものだそうです。使節団帰国後も支倉家に保管されていたのですが、支倉家は嫡男常頼の代にいったん断絶となったため(キリシタンの家臣がいたという理由で常頼は処刑)、この絵は仙台藩に没収されていました。
安らかな目をしています。南蛮との通商交渉を上手く運ぶため、状況的に仕方なく洗礼を受けざるをえず、そのことで深く苦悩したが、最終的には真の信仰を見出した、という、遠藤周作の小説における解釈(「侍」)に、あらためて頷けるものがありましたよ・・・。
もっと語りたいのですが、字数制限のため、ここで旅行記終わりといたします。