昨日、牛久で、能と狂言の公演がありました。
私は、恥ずかしながら、この歳になるまで能も狂言も観たことがなくて、人生初めての体験です。
「黒塚」「萩大名」という演目について、ネットで調べて、大まかにではありますが、予習をして行きました。
ただ、正直なところ・・・有名な野村萬斎さんの演技をこんな地方都市で、こんな料金で観られるって、ラッキー~~という、つまりミーハー心が大きく、狂言の方が楽しみで、能の方は、ついで・・と思っていたのです。
開演前の舞台はこんな感じ。小さな文化ホールではありますが、ちゃんと、本舞台、橋掛がり、揚幕、後座、地謡座、鏡板がしつらえてあります。
2時に開演すると、まず、舞台の向かって左端に机が。
能の山中一馬さんが一人でてきまして、講義を始めました。この講義が30分。次に、狂言が20分、最後に、能が1時間という構成でした。
結論から言いますと、、、、自らの予想に反して、私は、狂言より能の方に魅せられてしまったのです。
というのも、山中さんの講義の多くが、能についてのお話で(そもそも能とはどういう芸術か、ということと、「黒塚」の内容について)、とても分かりやすく、予備知識がゼロに等しい私には大変新鮮で、水を吸収する乾いたスポンジさん?!になってしまったようです。
「能は、踊りと歌と音楽で構成されているので、西洋芸術でいえばオペラのようなものではあるが、仮面をつけるという点では、世界にも類をみないもの(古代ギリシャには存在したが、現代まで続いているという点では、能が世界唯一と言える)。その表現は、日常生活の動作とは全く異なり、「リアリティを徹底的に排除している」ということがポイント。泣く場合も、ドラマや映画のように涙を流さず、手をかざして頭を傾けるようにする。つまり、象徴的に表現する。
能をみながら、眠ってしまうかもしれないが、それは仕方がないこと。なぜなら、能の囃子や謡いは、アルファー波を引き起こすように、脳に心地よいように作られているものだから。熟睡してしまうと困るが、時々まどろむ感じで観てもらう分は全く差支えないので、気軽に鑑賞してほしい・・・」云々。
なんですってえ!!リアリティを排除
映画やテレビドラマは、徹底的なリアリティ追求をする作品が多いですよね。例外はいろいろあっても、基本はそうでしょう。あらゆる小道具、セットから、俳優の台詞、演技、所作、すべてにおいて、リアリティがあればあるほど、登場人物に共感し、感動するわけですから・・・(私はそういうのが好きですから!) リアリティを排除するのが価値が高いというのは、衝撃です・・・・
「萩大名」は、楽しかったですよ。大名と言っても、田舎の地主程度でまるで教養がなく、和歌も読めないい主人公が、みやこで高貴な遊びをしようと無理をして、大恥をさらす、というストーリーで、言葉も、能に比べれば現代に近いので、笑いどころにはついていけました。あっという間に20分が過ぎ、問題の?!「黒塚」です。
「黒塚」は、安達原(今の福島県安達太良山録)に伝わる鬼女伝説を基にした、恐ろしく悲しいお話です(詳しくは、こちら)。修業中の山伏一行が一夜の宿を乞うた老女が、糸車を紡ぎながら人生を嘆く。やがて、寒くなるので薪を取りに行ってくるが、私の留守中決して寝所を覗かないで、と念を押して、行ってしまう。山伏は約束は守ろうとするが、供の者が、つい好奇心を抑えられず見てしまうと・・・人間の死骸の山が!約束を破られて怒り狂い襲い掛かる鬼女を、山伏らは遂に祈り伏せて僧力で負かして退散させてしまう・・・
糸車というのは、枠桛輪(わくかわせ)という小さくシンプルな作り物で、老女がこれを操りながら嘆く場面が結構長くて、うとうとしてしましました・・・・アルファー波ですよ。でも、お供が老女の寝所を覗こうとするあたりから、緊張感が高まり・・・老女が、真っ赤な頭を振り乱し般若の面で現れた後は、息をのむ展開でした。静(弱)と動(強)のコントラスト。お囃子と謡も、こうして生で見て聴くと、素晴らしいですね。圧巻の1時間でした。
能のこと、もっと知りたいと思いました。
ちなみに、能の演目には、「敦盛」、「船弁慶」、「経正」、「知章」、「屋島」など、平家物語に題材をとったものも多いのですね!!本格的な能楽堂でじっくり観てみたいです!
皆さんも、能や狂言の舞台をご覧になったことがある方は、どうぞ感想を教えてくださいね。
私は、今回たまたますぐ近く(車で10分)で、本物を鑑賞するという幸運に恵まれたわけですが・・・私を能・狂言にいざなってくれたのは、イギリスのYukoさんのブログのこちらの記事でした。Yukoさん、どうもありがとうございました。またいろいろとご教示ください!
こちらは、YouTube上に公開されている「黒塚(安達原)」。(シテは、観世喜 正)
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