今週は、明日からまた帰省だということもあって、多忙な週です。
(例によって、恵とぱぽはお留守番組です。)
清盛さん記事は、41回と42回をまとめてまた来週に書く予定です。
急に冷え込んできましたので、皆さんもご自愛くださいね。
プランターのハツユキカズラがきれいなピンクになりましたぁ~。
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歴史ドラマというものは、先のことがわかっているため、どの回においても、「ああーーここでこんなことをしたから(言ったから)、ああいうふうになってしまうんだなー」と、登場人物の言動を分析したり、ちょっとした場面や小道具などからも、後に起こる大事件を連想したりして、わくわくしますね。こういうのを、「伏線」といっていいのかどうか、わかりませんが、(注1)ともかく、40回にも伏線的な細かいしかけがあちこちにありましたよーーー!
まずは・・・悪化する西光と清盛の関係・・
過去に戻ると、、、平治の乱のあと、西光が清盛に、信西の敵である義朝の子・頼朝を斬首してくれと懇願した際、清盛は、必ずそうすると約束したにもかかわらず、頼朝を助命してしまったため、西光はそのことで、清盛は信用ならないと不信感を強くしていました。32回では、清盛をにらみつけ「信用していない」と言う西光に、清盛は、約束を違えてしまったことに対する釈明も詫びもせず、「相変わらず手厳しい・・・」と鼻で笑うだけ。それ以来、「所詮成り上がり者のくせに・・」と清盛を軽蔑してきた西光。
しかし、清盛が大輪田の泊をつくり、宋との交易を実現させたのを目の当たりにし、「殿は、亡き信西殿の志を忘れたことは1日たりともござりませぬ。」と、盛国から真剣に言われて、心が落ち着いたのでしょう。今までのわだかまりを捨て、清盛の宋銭普及プロジェクトに積極的に協力しようという気になったわけですね・・・しかし、その西光からの、相撲節会に対する協力要請は、冷たくはねつける清盛。「そんな形ばかりの宮中行事に現をぬかしている暇はない」これだけでも、ひどい言い方なのに、信西が生きていたら、きっと自分に味方するはずだと、勝ち誇ったように言って、西光の気持ちを踏みつけにします。たとえば、自分は忙しいので、弟か子らのうち誰かを遣わしますとか、言い方があるんじゃないですかねぇ・・・。激高する西光・・・このように、清盛の冷たさを露骨に描くことで、「鹿ケ谷の陰謀」への序曲を不気味に響かせる藤本脚本!
「信西の志」という心の支えを共に持つ盟友となれたであろう清盛と西光が、どのように決定的な決裂をし、清盛がどんなにヒステリックに西光を潰してしまうのか・・・恐ろしいことになりそうです・・・・
それにしても、西光役の加藤虎之介さん。。。老けっぷりがあまりにも上手なので、びっくりです!髭が、、、いかにも老人のそれみたいに、薄くへろへろになっているからでもありますが、、声の微妙な枯れ具合といい、目を細めたりつむったりする仕草といい、前回までの西光と比べると明らかに違いますーー。これに比べると、松ケン清盛の老け具合はまだまだこれからだという気がします。
もうひとつの気がかりな伏線?は、清盛の息子らの「武芸放棄」?!・・・
保元・平治の乱に出陣し、戦というものを知っている優れた武将である重盛までもが、我が子らには、「恥をかかぬよう」歌舞音曲に励めと言うようになってしまいました。とりわけ、長男の維盛は、姿麗しく舞いの名手で、後白河にも気に入られ、光源氏の再来とすら言われたほどだったそうです。
そして、戦を知らぬ世代の弟ら、知盛と重衡は、侍大将の伊藤忠清から弓の指導を受けながらも、なんだかスポーツでもしているような気楽さです。
忠清が、2人とも上手だが、実際の戦では相手は動いているから、的を射るのとは違う、と注意すると・・・
重衡が、「戦なんぞ、おきるのか?」こんなに安泰な世になったのに、一体いつ、誰が何のために戦なんて起こすっていうんだい??と嘲笑気味に言います。忠清が、平家は武家なのだから、いつでも武芸の鍛錬は怠たるべきでない、と諭そうとすると、、、知盛が、忠清のいう通りではあるが、といったん引いたうえで、こう言うのです。
「だが、武芸一辺倒の暮らしからの脱却を目指して一門がここまで昇ってきたのもまた、まこと。許せ・・武力だけでは平家のおのことして務まらぬのだ」 (忠清先生がっくり・・・そして涙ほろり?!)
彼のこの言葉は、この頃の平家の置かれていた立場をよく物語っていると思いました。同じ超セレブ・エリート一門でも、藤原摂関家などとはまた異なるジレンマがあって、大きなものを背負って生きていかざるを得なかったのですね。
ただ・・・知盛の神妙な表情とこの台詞はさすが彼らしいと思ったのですが、重衡の能天気ぶりは、まるでおバカ末っ子。ざっといろいろ読んでみましたが、重衡という人物は、『平家物語』中では、公卿化した優美で軟弱な平家公達の象徴のように描かれているけれど、史実は違っていて、むしろそういう平家の公家化を心配しており、重盛や知盛にも劣らぬ武勇の人であった、とのことで、藤本脚本がこれから重衡をどう扱うのか。。。『平家物語』の路線を踏襲するにしても、非常に気になるところです。
ドラマはあと10回しかありませんが、この重衡の悲運をどこまで盛り込めるのでしょうか・・・一の谷の合戦で、馬を射られて逃げられなくなってしまったため、義経軍に生け捕りにされ、京中を引き回された挙句、いったん鎌倉に置かれたのち、奈良にて29歳で斬首されますが、鎌倉では、立派な振る舞いと優れた教養を見せたため、頼朝や政子から優遇され、素晴らしい交流を持ったのだそうです。
重衡を主人公にした時代小説「最後の御大将 平重衡(しげひら) 義経が最も恐れた男」という面白い本があるとのことで、読んでみたい!
話はそれました・・・・
なんでも伏線に見えてしょうがない??!!かもしれないですが・・・・細かいところを言えばですね、清盛が後白河らの一行を厳島に招待することになり、彼等を乗せた宋船が、大鳥居に近づいてくるシーンがありましたね。
海上にそそり立つ朱色の大鳥居。そこに、帆をいっぱいに膨らませながら近づく宋船・・・・
まさに絵に描いたような美しさ。そしてこの美しさを創り出したというだけでも、清盛の偉大さを想うのですが・・
ただ、空は曇っていますね。せっかくの厳島ロケ。晴天の日にやればよかったんじゃないですか?もしかしたら、わざと曇りの日を選んで撮影したのかも・・・この時点では、ゆるぎないと思われた一門の権勢と後白河との絆にも、すでに厚い雲がかかり始めていたのである。。という暗示かなと思ってしまう私です。
そうそう、、、、あと、これを一言書かずには今回の記事は終われませんでした!!
後白河が、編纂中の『梁塵秘抄』から、いきなり歌いだす今様の歌詞がこんなに淋しいものでした。。
「・・・・どうしてあんなにも夜も昼もむつみ合ったのだろう。長くは一緒にいられなかったからだ・・・」
これこそまさに、彼が滋子を失うことへの伏線でしたね・・・
注1) 「伏線」とは・・・
1 小説や戯曲などで、のちの展開に備えてそれに関連した事柄を前のほうでほのめかしておくこと。また、その事柄。「主人公の行動に―を敷く」
(Yahoo辞書による) 芸術用語ですか? 「伏線を敷く」とか「張る」などといい、その伏線の内容が後で明らかにされることを「伏線を回収する」と言う。
前の記事で、兎丸は、この『平清盛』の脚本家藤本有紀さんの創作だと明言しましたが、それは、演じている加藤浩二さんがインタビューでそのようにはっきり言っていたからなのですが、「禿」に関しては、創作か史実かについては、ネット上で検索するかぎり、「創作である可能性がきわめて高い」と言っておいたほうがいいようです。
肝心のドラマ制作サイドではどういう見解かといいますと・・・
番組サイトの「よくある質問」より・・・
Q. 禿(かむろ)は実在したのですか?
『平家物語』にその存在が記されています。 身寄りのない子どもたちを、髪をかむろ(おかっぱ頭の子ども特有の髪型)にして、赤い直垂を着せ、京の市中を見回りさせました。平家のことを悪くいうものがあれば、これを聴きだして、その家に乱入し、資財、雑具を没収し、当人をとらえて六波羅に突き出したとあります。内裏の中にも出入りしていたようです。
「禿」の衣装で、赤い羽をつけておりますが、これは創作です。
んん??この書き方って、いかにも『平家物語』に書いてあるから史実だよ、と言っているように取れるのですが・・・そういうスタンスですかね、NHKさん?
『平家物語』自体を、史実の記録とみなすか、創作ストーリーとみなすか、によるのでしょうが・・うーん、そのへんは、にわか清盛ファンである私にはよくわからないのが正直なところですが、清盛マニアの人たちのブログなどを読む限りでは、やはり『平家物語』は史実をベースとした創作であるし、史実をリアルタイムで記録した藤原兼実の日記『玉葉』などの史料には、禿のことは一切書いていないので、史実ではないという意見がほとんどです。注1)
そして、『新・平家物語』の吉川英治氏も、『平清盛』の藤本有紀さんも、禿に関しては『平家物語』の描き方を踏襲している、と言っていいでしょう。
・・・・・
39話の感想なのに、、前置きが長すぎましたか?!
だってね、この禿が史実だったとは、私も思いたくないのです!だから、気になって気になってだいぶあちこち読みました。
少なくとも『新・平家物語』では、童たちは時忠の命令で密告行為を行ったということがちらりと書いてあるだけで、あとの制裁行為のことまでは描写はありません。
彼らが、、、しかも、時忠の許可もえず、他ならぬ兎丸を襲って殺害する、なんて・・・予想はしていましたが、よくぞここまで衝撃のシナリオを創ったものだとあらためて思います・・・
私はもう、清盛と兎丸が激しい口論を始めたときから、涙が出てきました・・・清盛に対して「お前」とか「清盛」と呼び捨てにできるのは兎丸だけで、口は悪いけれど、心はとても純粋で、曲がったことが大嫌い。志を同じくする清盛のことが本当に大好きで、一門のことを愛してきたんです。その彼から、「お前が今やっていることは悪だ」という決定的な言葉を突き付けられても、目的のためには手段を選ばずおじさんと化してしまった清盛の心には届かない。
長年われらを見下してきた朝廷や藤原摂関に今こそ、平家の力を見せつけるとき。今を逃したら負けだ・・・自らの死期がそう遠くないことを予感していたからでしょう、生き急ぎ、焦る清盛の、狂気走る瞳が、孤独で悲しい。。
工事現場で重傷を負った蝉松が、人柱になることを申し出て、「それで清盛様の夢が叶うなら、嬉しゅうござります。」などと立派な言葉をかけたときも、そうか、その気持ちを汲んでそうしようと、言わんばかりでしたね・・・・
話はそれますが、人柱に関して、『新・平家物語』では、おおよそ次のような話になっています。
後白河に近い東大寺のある僧侶が、「清盛はあまりに悪業が多い人間なので、海龍王の怒りを買っている。清童30人を人柱に立て、自分が21日間祈願でもしないかぎりは、筑堤は成就しない。」ということを言って、子供を集め始めた。それを知った清盛は、激怒し、この僧侶を捕えて、「お前を海龍王のもとに遣わしてやろう。」と、言って海に沈めてしまった。そして、この坊主の指図に従って子供集めをしていた現場監督?に、人柱に勝る効力があろうからといって、石に経文を書きこの経石を少しずつ石船に乗せて投げ込むよう命じた。
いずれにせよ、実際に「経石」が出土しているということなので、なんらかの人柱計画が持ち上がり、清盛がそれに反対して石に経文という素晴らしい解決策をだしたのはきっと史実でしょう。(注2)
五条大橋・・・・
この橋の上で、若き芽を吹いたばかりの義経は、生涯の友・腹心となる弁慶と出会う。
この橋の下で、老いゆく清盛は、生涯の友・腹心であった兎丸を失う・・・・
友の変わり果てた姿を見つけたときの清盛の哀しみは・・・あの信西入道のさらされた首を見つけたときよりも、さらに深く、深く、無言でぶるぶる震えながら友を抱きしめる姿が、なんと痛々しいことか・・・その清盛を、私が抱きしめてあげたかったあーーーーー
このときの音楽がまたいい。「遊びをせんとや」の管弦楽バージョン。保元の乱で、傷ついたあの(「あの」ばっかりですが・・)藤原頼長に、死ぬ前に一目会ってあげられなかったことを悔やむ父忠実のもとに、頼長の魂となって飛んできたオウムが手の中で息絶え、忠実が「我が子よーーー!」と号泣するシーンもこの曲でしたね。あれも名場面で、涙なしでは見られませんでしたが・・・清盛は無言であるだけに、哀しみがいっそう強く伝わってきて、私もうボロボロ・・・・
大切なものを失い、ついに禿を「始末せよ」と時忠に命じる清盛。この「始末」というのは、語義としては殺せという意味ですね?30人もの孤児を用がなくなったから、殺させ、それを時忠ひとりにやらせたというのでしょうか??。もしそうだとしたら、これもあまりの衝撃シナリオです。兎丸の遺志を無にしているじゃないですか!禿組織を解散して、更生施設をつくって、読み書きなども教え、それこそ泊の普請の手伝いをさせるとか?ちゃんとした大人になれるようにしてあげるのが筋じゃないの?そういう対処をしていれば、民は、さすがは平家と清盛を見直し、人身が離れることはなかったのでは・・・・
だからやっぱり、平家は驕り、清盛は悪い・・・そういう印象を持ってしまいますね・・そもそも藤本脚本の狙いは、いい人清盛像を知らしめることにあったのでは???と言いたくなる私ですが・・・・
しかし、この脚本家さん、タダものではないようなので、何を書き出すかわかったもんじゃない。きっと、「善人か悪人か」という単純なレベルを超えた大きなメッセージを伝えてくれようぞ。残り11回で、またいかなる衝撃の展開があるや、どこまでもゾクゾクさせてくれるわい・・・・・ふっふっふ・・・・・・
注1) にわか検索ですが・・・『平家物語』は、全般的に、清盛が奢る暴君だったというコンセプトになっているそうで、禿について語られているのも、平家のダークな部分を強調するためでしょう。
物語における脚色のせいで、現代の私たちが誤ったイメージを持ってしまっているという例は、よくあることらしく、たとえば、「忠臣蔵」の映画や舞台で、赤穂浪士に同情的なイメージを植え付けたいあまり、吉良上野介を、相当の悪役に描いていますが(浅野内匠頭をいじめたとか)、これは事実ではなかったそうですね。(「薄桜記」ご覧になりましたか?「平清盛」の頼長役だった山本耕二さんが主人公丹下典膳としてまた違った魅力を見せていました。この中では、上野介は立派な人物です。いろいろ読んでいて、私も史実と物語とのギャップを初めて知り、大変驚きました。)
注2) ただし、墨で書きつけたのなら、海水で消えますよねえ??彫り込んだのでは?と思ったのですが・・・
このドラマのキーパーソンの一人である兎丸は、実在の人物ではありません。清盛の海や宋文化との関わりを象徴的に表すために、脚本家が創り出した魅力あふれるワイルドなキャラクターです。史実という制限がないわけですから、兎丸にはどんな言動を行わせてもよいわけです。
現在の平家一門の面々よりもずっと早くから清盛と夢を分かち合い、それに懸けているがゆえに、兎丸は、これまでずっと清盛の盟友として常に彼を支え、盛国、時子とともに、彼の一番の理解者の一人でした。 もちろん、これからもずっとそれはゆるぎないだろうと私は思い込んでいたのですが・・・・
その兎丸が、、、、39話の予告編ではなんと、びしょ濡れになって「お前の国づくりは、盗賊が物を盗むのと同じや!」と叫んでいる。しかもタイトルが「兎丸無念」!こ、これは由々しき事態です。兎丸と清盛との関係がいったいどうなるのでしょう・・・兎丸自身どうなってしまうのでしょう・・・今朝の予告編では、大輪田の泊の工事が難航し、怪我人(死者も?)続出なので、兎丸の怒り爆発と言っていましたが、、、それだけで済むのでしょうか。ああ、日曜日が怖いっ。
38話では、時忠が、「禿」(かむろ)と呼ばれる美少年秘密組織を率いて、平家のことを悪く言ったり一門に禍をしようとするものを容赦なく取り締まって罰を与えていき、人々を恐怖に陥れていく様子が描かれていました。そしてこの時忠の務めには直接かかわっていないものの、少なくとも黙認していたという点では、バックにいるのはもちろん清盛です。そういう時忠のやり方にも、兎丸は臆することなく、強く異を唱えていました。時忠が「平家にあらずんば、人にあらずじゃ」との名言を発するに至っては、兎丸は怒りのあまり茫然としていました。
その兎丸を、時忠のそばで、じいっーーーとみつめる禿のリーダー羅刹。彼の魔性の視線がああ恐ろしや。。。。禿に関してもうひとつすごく気になる記述が、NHKサイトの、人物デザインのページ「遮那王(のちの義経)赤の皮肉」というところにあるのです。遮那王に、わざと平家のカラーである赤のカツギをまとわせ、そのため弁慶が彼を禿の一員と間違える、という設定だそうで、「平家の象徴である赤をまとった禿は、清盛にたいして重大な過ちを犯すという皮肉。」という言葉があるのですよ・・・清盛に対して重大な過ち??!! まさか。。。。羅刹が、兎丸に対して何か取り返しのつかないことをしてしまうなんていうことではないでしょいうね。私の嫌な予感よ、外れてくれぃ・・・・
ちなみに、古い船に大量の石を積んで沈め、それらを積み上げるという方法で大輪田泊に波よけの堤防を築く、という設計を行ったのが、兎丸だという設定になっていますが、この方法は、前の記事でも言及した吉川英治歴史時代文庫50『新・平家物語(四)』には、「船瀬法」注1)として説明されており、設計者がだれかということは特に書いてありませんね。
この事業が、台風に翻弄されたこともあって大変難航したのは、史実に違いありません。
「ようやく浪間に石面が見える程度までに埋め立てて来た半島形の線が、一夜の強風と怒涛で、なんの痕跡もないただの青海原と化し去っていた」(上記新・平家物語の「宋美人」の段より) こんなことでは、100年経っても完成しそうにないと、奉行らは、「まるで賽の河原の石積みだ」とため息をついたという描写も、この本にあります。
賽の河原の石積み!注1)
そうです、38話の中で、清盛がひとり、泊に見立てた水盤のなかに、船に見立てた貝殻に石を入れては沈め、入れては沈めしているシーンがありましたが、物悲しいカッチーニの「アヴェマリア」が流れ、何かにとりつかれたような清盛の横顔は、どこか狂気さえ感じさせるものでした。(松ケン清盛、本当にすごくなってきましたね~)生き急ぐかのような清盛を、心配そうに遠くから見守る盛国。あの石の沈め方は、まさに賽の河原の石積みです。堤防工事は、一応2年かかって完成を見ますが、結局清盛の夢は実現することはなかったわけですから・・・・
カッチーニのアヴェマリアは、今まで、鳥羽院と璋子との永遠の別れのシーンや、清盛が忠正を斬るシーンなど、死と結びつくきわめて悲しい場面で使われてきましたね。今回この曲が、清盛の石積みシーンおよび時忠の「平家にあらずんば」発言シーンで流れてきたのは、ひたひたと迫りくる一門の破滅を暗示し、いっそうの儚い美しさを響かせるのです・・・
兎丸は清盛から離れていっても、盛国さんだけは最期まで変わらない心で尽くしてくれるよね。。。。
注1)「せんらいほう」と読むのでしょうか?ご存じの方教えてください。
注2) 「賽の河原」の定義(広辞苑より)
〔仏〕小児が死んでから苦しみを受けるとされる、冥途めいどの三途さんずの河原。石を拾って父母供養のため塔を造ろうとすると鬼が来て壊す、これを地蔵菩薩が救うという。西院(斎院)の河原。_転じて、いくら積み重ねても無駄な努力。・
昨日は、栗之介の15歳のお誕生日でした。
(実は。。。私はすっかり忘れていました!エリーユキママさん、メッセージありがとう!)
我が家では、前からの念願だったとあるプロジェクトを、栗兄ちゃんの15歳を記念してついに実行しました。
それはね・・・ビデオカメラで撮影していた栗や恵の映像を、完全DVD化するということです。もちろん、全部VHSテープに落としてはいたのですが、アナログ映像は遅かれ早かれ劣化しますからね。。。
カメラのメディア(miniDVカセット)からDVDにグということになりますが、ぜんぶプロに任せました。
こちらのカメラのキタムラさんのダビングサービスです。1本60分まで1890円、120分まで2730円と、それなりに料金かかりますが、インデックスや見出し動画などもついていますし、予想以上にきれいな画像に仕上がってきましたよーー。
全部で、なんと13枚(60分~80分)!
No.1は、2001年8月の猪苗代・磐梯高原旅行etc.の巻で、もちろん栗のみです。3歳10か月のころの、元気で愛くるしいお兄ちゃんが画面いっぱいに輝いています。No.7は、2002年11月の初めてのお泊り会・・・そうです、金ちゃん、銀ちゃん、エリーちゃんとのラピステでの思い出。。。恵はNo.8から登場します。2003年1月、飛行機で和歌山から成田にやってきた彼を迎えにいくところが、まるでドラマのように楽しげに映っています。
ビデオカメラ何年間くらい使っていたのか、はっきりわからないのですが・・・ともかく最後のNo.13が2003年で、栗と恵を福島の高湯温泉に連れていったところなので、わずか3年間の旅行や日常生活の様子などが、つぶさに記録されています。本当にしょっちゅうカメラを回していたのだなぁと思います。。。こうして改めて見ていると、栗が恵をどんなに歓迎していて、一緒に遊びたがっていたかわかるのです。
これら13枚をデッキにセットするだけで、、、いつでも、ぴっかぴかの栗に会えます。そして、黒々としたお目々、ふっさふさのおっぽで、跳ね回っているやんちゃ盛りの恵にも。。。。
追記 DVDのコピーをプレゼントさせていただきます!!
栗をかわいがってくださった皆さんにも、映像を見ていただきたいので、13枚のなかから適当に私が選んで、1枚コピーを作りますので、もらってくださる方は、コメント欄にお書きくださるかまたはメールでその旨お知らせください。コピーはパソコンで作りますので、時間がちょっとかかりますが、お金はかからないので、遠慮なく!
兄ちゃんと僕が可愛く動くとっておきの映像だよ!ぜひ、もらってやってくださいーーー>恵