47回「宿命の敗北」 あらすじ、ダイジェストムービーはこちら。
48回「幻の都」 あらすじ、ダイジェストムービーはこちら。
46回の最後で、清盛が宋剣を握りしめ雄々しく立ち上がった時は、確かに武士としての「心の軸」が戻っていましたよね・・・で、彼の死までその武士魂で突っ走るのかと思っていました。そりゃあ、もうこの時期ですからね、体はもうぼろぼろで、特に鹿ケ谷以来激高することが多いので血圧も相当上がっている感じがするし、「体の軸」は、ぶれぶれよれよれでしょう。でも、心はしっかりのまま命尽きると考えていました、私。。。うーーむ、またしても藤本脚本にしてやられました!47回でまたすぐにその心の軸がゆさぶられて、48回ではもう軸そのものが砕けてしまいましたね。
忠盛の時代から「侍大将」として武の要だった忠清の爆弾発言「平家はもはや武門ではござりませぬ。殿も武士ではござりませぬ」。そして、そのことを証明するように、彼を斬首しようと宋剣を振り上げたものの、よろけてしまい情けなく尻餅をついて手も震え茫然とする清盛。さらに・・・手から落ちてしまった宋剣にはびっしりと錆が!ノベライズ本には、この錆びてしまった宋剣のことは何も書いていないので、映像の効果を狙った演出ですが、たったこのワンカットだけでも、実に多くを物語っていましたね。『平清盛』では、毎回のように登場人物だけでなく、様々な小道具類(動物や植物を含め)が優れた効果を出しているのですが、今回のこの錆びついた宋剣は、今までの小道具類の中でも私には最も衝撃的なものだと言ってもいいです。
今まで、どんなに辛くとも、いかなる絶体絶命のピンチに陥っても、「心の軸」がしっかりしていてから、うまく乗り越えさらに高く昇ることができた。たとえば、39歳の時、叔父を斬ることができたのもそうだった。そして、さらに若いころに戻れば、30歳のときの祇園社乱闘事件(第13回)もそうです。神輿目がけてまっすぐ弓を放ち、非難されても堂々と振る舞い、鳥羽法皇に「そちこそが、神輿を射抜いた矢そのもの。白河院が、、朕が乱しに乱した世に報いられた1本の鋭き矢じゃ」と言わせることができたのも、武士として貴族社会の慣習を打ち破るという強い信念があったから。
それが、身内から「殿の目指した武士の世は、武士のままではつくれぬものでござりました」と批判されて、反論することもできず、「・・・なにをしてきたのかと思うてな、この何十年・・・武士の世とは、なんであったのかと思うてな」などと、時子に弱音を吐く清盛。自らのこれまでの生き様を全面的に否定しているようなものじゃないですか!私が言うのもなんですが・・・・すっかりマイナス思考の清盛さんになってしまったのね。本当にかわいそうです。
それに対して、今まさにプラス思考の塊になっている頼朝は、弁慶から祇園社事件の顛末を聞き、清盛の「エア矢」に射抜かれた時の鳥羽院のマネなんかして、すっかり興奮状態。お目々ぴっかぴか。
「わたしにはわかった。別れ別れになったかに見えた父義朝の道と清盛の道は、再びひとつになると。そして、それこそが私のつとめであると」
富士川の戦いの維盛軍のふがいなさに、あのお方の20年はいったい何だったんだ~~!!と怒っていたのが、祇園社事件について知っただけでこんなに全てを悟ってしまうというのも、はしょりすぎの感じはありますけど、それでもこの段階で頼朝にこのような肯定的、建設的な言葉を言わせるシナリオって、やっぱり素晴らしいです。感動に打ち震えてしまいました。頼朝や義経のことは、私は恥ずかしながら勉強不足で、あまり知らないのですが、少なくともこの『平清盛』においては、頼朝は、決して父の敵討ちが目的で平家を破壊しようとしているのではありません。むしろ清盛のことは十分尊敬しており、それだけに今の平家専横状態では「武士の世」が実現しそうもないのがもどかしくて、いったん全てをリセットして、あとは自分に任せて欲しいと考えている。
実は、クランクアップ会見で、岡田将生さんがこんなことを言っていましたよ・・・「松山さんとは、ワンシーンしか共演するシーンがありませんでした。(中略) 頼朝の父は義朝ですが、平清盛も、僕自身は父として見ていました。それだけ平清盛は大きな存在、全てを包んでくれるような存在でした。ワンシーンでそれをひしひしと肌で感じました」 えっ!!ワンシーンでもツーショットで出る場面がある???挙兵後の頼朝が清盛と存命中に対面するなんていうことは、いくらなんでもありえないでしょう。ということは・・・・清盛が熱病に侵され絶命する間際に夢の中で頼朝(と義朝?)と会う!これっきゃないでしょう。
「平清盛 ラスト予告編」という2分のお知らせ動画を見てしまった方はいらっしゃいますか?昨日もお昼頃テレビで流れていましたが・・・・HP中に「ネタバレ映像がありますのでご注意ください」なんていう警告?!が書いてある通り、最終回までの大事なところがちょろちょろ見えるので、皆さんできれば見ないほうがいいですよぉ・・・・実は私、怖いもの見たさで?!HPで1回だけさっと見てしまったんですよ。どうも・・・・夢の中で清盛が頼朝に、「頼朝・・・真の武士とはいかなるものか、見せてみよ」と言っているんです。つまり、頼朝に、武士の世を実現するという志を託す?!で、でもその割に、「頼朝の首を我が墓前に供えよ」とか、結構怒っているんですけどね・・・・それからね、碇をかつぐ知盛最期のシーンもあるよーーーあ、見ないほうがいいですなんて言いながら、ネタばらしてますね・・・きゃーーごめんなさいーーーー
ただ、ここで忘れてはならないのは・・・
頼朝の頭の中にある「武士の世」と清盛がこれまで目指してきた「武士の世」は、同じものではないということです。
● 頼朝の「武士の世」:
純粋な、あるいは狭義での武士が団結して武力で国を統治する世。(朝廷とは独立して行政権をもつ。)しかも、坂東(東国)武士が中心。それぞれに領地を与えて支配させる。武士(豪族)の土地所有が国づくりの要。
● 清盛の「武士の世」:
単に武士が武力で国を統治する(その際、朝廷と密になったうえでその上に立ち行政権をもつ)というだけではなく、宋を手本として、一般庶民を含むどういう社会階級の人間でも、生まれや血筋ではなく能力次第で好きなように面白く生きられる世の中。それまでの旧弊に縛られない新しい日本。そういう社会を実現する手段として、外国貿易と宋銭の普及による貨幣経済の浸透を図る。
つまり、清盛の考えていたことが、頼朝の考えと比べると、ずーーーっとスケールが大きくて革新的だったわけですが、この、時代を飛び越える革新性が仇になり、周りがついていけなくて、混乱をきたし、平家を孤立させることになってしまうのです・・・。で、こんなに違うので、清盛が頼朝に志を託すといっても、頼朝には理解できないから、清盛の望んだようにできるわけがないし、やるつもりもないでしょう。そこのところを、藤本さんがどう解釈してつなぐのかがまた大きな見どころですね。注1)
還都しようと必死で諌める宗盛に、清盛は、「たとえ武士の世と呼べずとも・・・わしの出おうた身内、敵、味方、友、師・・・・みなの生きた証がこの福原の都なのじゃ。捨てるわけにはゆかぬ・・」 彼がこれほどまでに福原に固執するのは、自分の野心や保身からではなく、忠盛、忠正、鳥羽院、頼長、義朝、信西、西光、そして重盛に兎丸・・・それぞれに国を良くしたいと強く願っていた人々の志を大切に想うが故なのです。時忠の「宗盛、義兄上のお気持ちがわからぬか。福原は、義兄上のご一生のすべてぞ」という言葉も素敵でした。時忠はここにきて、血を分けた弟以上の存在になっていたのですね。
宗盛くん・・・あなたの本当の気持ちもわかったよ。私今までさんざん、ダメ棟梁とかバカ息子とかあなたの悪口ばかり書いてきて、ごめんね!あなたにできる方法でいいからね、最期までしっかり叔父さんたちや弟たちを支えてあげてね。
重衡くん・・・・あなたの屈託のない明るい笑顔に、お父上は若かりし頃の純粋で一直線な自分を見たのでしょう。「ようやった」ってほめてもらえて、本当によかったね・・・その元気で、知盛兄上と精一杯がんばるんだよーーー 注2)
あーーーー最初は、単にタルカスが挿入曲だから観始めただけなのに、、、これほどまでに思い入れてしまって、1年が過ぎようとしています・・・終わってしまったらすっかり脱力感だろうなーーーー清盛ロスになりそう・・・
49回「双六の終わるとき」は、選挙報道のため時間が繰り上がり、
NHK総合では7:10~7:55ですので、お見逃しなく!
(BSプレミアムはいつも通り、6:00からです)
注1)『新・平家物語』には、清盛は、「頼朝は、平家一門から権力は奪っても、命までは奪うまい。根絶やしにはしないだろう」という淡い期待すら抱いていた、といった記述があります。この期に及んでも超お人よしの清盛なのですね。
注2)重衡の運命を考えると本当に可愛そうで、このように書いてみましたが、実際南都を焼き討ちしてしまったことは、平家にとって大きな代償となりました。ドラマ中では、大仏まで焼いてしまったことのみを強調していましたが、『新・平家物語』によれば、最初は明かりが欲しいために民家に火を放ち、それが強風に煽られて炎上し、建物の損失だけでなく、女童(めわらべ)、老僧、若い修学者などを含む数千もの尊い命を奪ってしまったのだそうで、清盛が「天は平家を見放した」と嘆くのも当然だったのです。それでも、重衡に蹴りを入れることもせず、自分の責任として、すべてを呑み込んだうえで、重衡に優しい言葉をかけた。松ケン清盛の苦しみが痛いほど伝わってきましたね(重衡も、この事件の総大将だったという咎で、5年後に斬首)。