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ボーイソプラノの絶頂期(pinnacle)にある少年声楽家の応援サイトを立ち上げたとたんに、変声のニュース・・・というより、本サイト立ち上げの時点で既にボーイソプラノではなかった、というのは考えてみれば皮肉なものである(立ち上げは9月末で、Harryが変声期に入ったのは8月。).... まあ、もっと早く彼のdevoted fanにならなかった自分がバカなのだから、それを言っても仕方がないのだが・・・・・
日本語で「声変わり」と表現するこの医学的事象も、英語ではvoice break と言う (voice changeとも言うが、breakを使うのが一般的)。「彼は変声した」はHis voice has (is) broken. と言う。声が壊れたとか破れたとか、実に悲しい表現ではありませんか・・・・・。
「ボーイ・ソプラノの館」の館長さんも、「ヨーロッパでは、ボーイ・ソプラノのことを「神様のいたずら」と呼んでいるようです。神様がある少年に美しい声を与えておいて、ある時期がきたら、否応なしに奪い去ってしまうところからきた言葉です。たいへん美しくも残酷な名前です」とおっしゃっている通りである。
しかし、何事にもpositive thinkingで余裕しゃくしゃくのこの小さな巨匠(あ、でもきっと背も伸びているのでしょうね・・)は、「神様が遂に僕からソプラノを奪った」ことではなく「神様が僕にまた新たな声をくれた」ことにしか目が向いていない。彼にとっては、voice breakもさらにbigな芸術家になるための踏み台に過ぎないようだ。自分のソプラノが止まる時期をちゃんと予測して、それまでに何をするべきかと逆算して目標を定め、精力的にレコーディングにリサイタルにと日々邁進していたようにすら思われる。
館長さんの言葉はさらにこう続く―― 「蝶々がさなぎの時期を越して美しい成虫になるように、変声期という冬の時期をじっと耐え、心を磨いた少年だけが大きくはばたくのです。そんなことができるならば、その少年の一生にとってボーイ・ソプラノは美しき思い出であると同時に、人生のプロローグとさえなるでしょう。ボーイ・ソプラノは、少年時代だけに与えられた仮の声なのですから、いつまでもそれにしがみつくことは、むしろ、その少年の人間的成長を妨げるのではないでしょうか。
全くもってその通りであり、肝心のHarryが全然しがみついていないのに、私だっていつまでもボーイソプラノHarry Severという「ノスタルジア」に浸っていようというわけではない。 絶頂になったとたん朝露のごとく儚く消えてしまうephemeral beautyをいつまでも嘆いていても仕方がないのは、少なくとも理屈上はわかっている。ただ・・・私にとって、Harry のソプラノは、beautyという一言ではとても片付けられない、もっと崇高で、私自身が高められるような、非常にパワフルなものであったので、彼のトレブル時代のperformancesについて語ることは、単なるノスタルジアではなくもっと建設的なものだと思っている。
それに、長年の伝統としてバリトン/テナーで占められてきたDie Schone Mullerinの市場に、全曲ボーイソプラノでの録音という「奇策」をもって殴りこみをかけたかと思うと、こんどは変声期に入ったばかりのemerging voiceでソプラノ時代の代表曲を歌って世界中に流すという度々の大胆不敵さからもわかる通り、彼は従来のボーイソプラノにはいなかったような随分と型破りのところがある人で、これからも何をやらかすかわからないのである!
(先のBBCインタビューでもS. Raffertyから You've broken the mould. とはっきり言われていた! mould が「鋳型」の意味で、break the mouldで「型を破る」というイディオム。
break the
mould (of sth) to change what people expect from a situation, especially by acting in a dramatic and original way: She succeeded in breaking the mould of political leadership. <OALDより> )
そういうところがまた私にとっては尽きない魅力なのだと思う。
というわけで、本サイトでは、これからもボーイソプラノとかテナーなどというvoice rangeにこだわらず、Harry Sever少年(そして青年)のmusicalityと personalityについて大いに語りながら、今後の彼の動向に関する情報を出来る限り紹介していきたいと思っている。
なお、上記で言及した「ボーイ・ソプラノの館」は、日本のボーイソプラノの視点から、ボーイソプラノの諸側面について総合的専門的に研究している大変informativeなサイトである。
トップページはこちら。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~yakata/index.htm
特に、「ボーイ・ソプラノの歴史」「ボーイ・ソプラノと変声期」「ボーイ・ソプラノの美学」の3章は、ボーイソプラノ愛好家ならぜひ一読されたい。私も、また変声の問題を論じる歳に引用させていただくつもりである。
お正月過ぎまでずっと超多忙が続くため、読み応えのある記事を書くまとまった時間が取れないのですが、少しずつ草稿を練っていますので、辛抱強くお付き合いいただければ幸いです。
(Photo from the Harry Sever interview on Boy Choir Mgazine; used with the permission of BCM and Judy Sever (in advance of the Japanese translation of the article)
>「神様が僕にまた新たな声をくれた」ことにしか目が向いていない。彼にとっては、voice breakもさらにbigな芸術家になるための踏み台に過ぎないようだ
うんうん。そんな感じがしますね。今までの声と違って寂しいと思うこともあるのだろうけれども精力的に活動していると本人にとってもファンにとってもいいことですね
お正月過ぎまでお忙しいのですか。お体に気をつけてくださいね。ということは来年もSTEで楽しい記事が読めるということですね。辛抱強く待ってます
て。。
>今までの声と違って寂しいと思うこともあるのだろうけれども
そうですよね・・ソプラノが歌えないというより、とにかくいままでのように思いっきり声が出せないこと自体は相当フラストレーションになっているのはと思うのですよ・・・・だからこそそのエネルギーをピアノとか指揮とか他の活動のほうで発散させているのでしょう。一体これが何年続くのか、、、、それがわからないのがファン側としてはねえ・・
>お体に気をつけてくださいね。ということは来年もSTEで楽しい記事が読めるということですね
ありがとうございます。Milizさんのongoing supportのおかげですね
そうですね、本サイトも、Harry のレベルに恥じないよう、型破りで知的なものにしていきたいと考えています