黒部信一のブログ

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不機嫌な太陽―気候変動のもう一つのシナリオ― No.5

2022-09-13 10:11:24 | 地球温暖化

      不機嫌な太陽 ―気候変動のもう一つのシナリオ―  No.5

§6.太陽は躁とうつを繰り返しているのか

太陽の動きは変動している。ちょうど人間でいえば、機嫌のよい時と悪い時のように。 (1節の最初は、今後続く、地球の年代測定法の解説が主の為、スペンダー説を支持するところなので重要なのですが、我々には必要ないので、そこは飛ばして読んで下さい。)

1章 不機嫌な太陽は氷山多発期を生む

気候変動は、太陽活動の変動と同期して起こることが多く、宇宙線によって生成された奇妙な放射性原子(ミューオン)の増減は気候変動を示している。その放射性原子(ミューオン)の生成が増えた時は、世界は寒冷であった。

 マンによる最近1,000年間の気候変動 (ホッケースティックのグラフの誤り)

  中世の温暖期と小氷期の存在が不都合である「産業革命以前に起こった自然の気候変動を無視したい」人たちは、この時期の気温の経年変化を水平にさせた。マンは1000~1900年の間世界は涼しい状態を維持し、それ以降気温が急上昇している「ホッケースティック」として知られているグラフを作った。しかし、中世に温暖期と小氷期があった実例は、東アジア、オーストラリア、南アフリカからも出ている。ホッケースティックのグラフの誤りは統計学者の検証に任せることにする。

1節 小氷期における太陽黒点の消失

 宇宙線による大気の変化 (放射性同位元素による年代測定法の進歩)

 宇宙線は地球の大気に到来した印を、放射性原子という形態で置いていく。それは大気中の窒素から作られた「放射性炭素原子14C(炭素14)」で、年代測定に使われている。 [注: 14Cは放射性同位元素炭素14のことで、通常の炭素原子Cは12Cである]

 生成された14Cは、酸化されて炭酸ガス(14CO2)となり、植物に吸収され、その植物やそれを食べた動物に移行し、それらの遺体である木材、木炭、骨、革、および他の残存物に残る。その遺体中の炭素の比率(14C/12C)は、その生物が遺体となった時期の大気中に含まれる炭素の14Cの比率に一致している。それから数千年を経過するとその14Cはその間に徐々に崩壊して窒素に戻る。それで年代を測定し、その誤差を補正するために、大気中の14Cの生成率が、時代によって違っていることを見いだし、樹齢の古い木の正確な年代が分かる年輪ごとに14Cを測定し、それで年代の座標を補正した。 それにより、宇宙線の侵入を防ぐ太陽の働きが、数千年の間に変化した様子を見ることができた。宇宙線を太陽の磁場が跳ね返すことで14Cの生成率を低くしていた。太陽の活動が不活発になると、宇宙線がより多く到達し、14Cの生成率が上昇した。

[注:放射性同位元素とは、ラジオアイソトープ(略称RI)という。原子番号が同じで質量数の異なる元素を同位元素 (同位体)という。原子核は陽子と中性子からなり,陽子の数が原子番号を、陽子と中性子の数の和が質量数を表すので,同位元素の間では原子核を構成する中性子の数のみが異なり化学的性質は同じである。同位元素が存在するため、原子番号と質量数によって規定される原子核を核種といい、質量数を左肩に付して14Cのように表す。 同位元素には安定なものと不安定なものがあり、不安定なものは時間と共に崩壊して放射線を発する。それを放射性同位元素と言い、宇宙に自然に存在し、時間と共に崩壊し、年代によって生成率が異なるので、放射性同位元素の比率を測定することによって年代を測定する方法が開発された。]

太陽活動と気候変動との関連付け

ニュージーランド科学工業研究部のブレイは、紀元前527年以降の太陽活動を追跡し、宇宙線による放射性炭素原子14Cの生成の増加を太陽の磁気活動の低下と関係づけることができた。ブレイは太陽活動の低下と宇宙線強度の上昇を、記録された歴史的な氷河の前進と結びつけたのである。この氷河が前進した証拠は、小氷期の最も寒い期間がまたがっている17世紀と18世紀には、極めて多数にのぼった。その10年後、気候学者のエディは17世紀末における太陽の特異的な黒点極小状態に対して「マウンダー極小期」と名づけた。

1000~1300年の中世の温暖期、その後1300~1360年、1450~1540年、1645~1715年(マウンダー極小期)、1790~1820年と太陽活動が低下した4つの(黒点)極小期の時期を生じた。この時期は短い回復期により分断された。しかし、この(黒点)極小期の寒冷期に氷河が前進して村が押しつぶされたことや、夏が極めて短かったことや、各地で飢饉が起きたことが記録されている。

◎バイオリン製作者ストラディバリが生存したのは、このマウンダー極小期にあたり、この時期の欧州の木は成長が悪く、年輪の間隔が過去500年のうちで最も狭い。それでこの時期のトウヒ材は年輪の間隔が狭く、ことのほか強くて密度の高いものであるので、ストラディバリによってその時のトウヒ材で作られた、約千本のストラディバリウスに匹敵するバイオリンはその後決して作れないという。(それで2022年のオークションでは1534万ドル、20億円で落札された。)

2節 太陽風の送風機の調子と気候変動

 太陽類似星の観測

 宇宙物理学者は、太陽に類似している星(太陽類似星)を25年以上のあいだ観測して、300年前の太陽と同じようにそれが磁気活動を停止することがあることに気がついた。さらにシカゴの物理学者ユージン・パーカーは、小氷期に黒点が消失していたことに気がつき、また、太陽風の理論を生み出し、太陽風により太陽が磁気遮断層を作り、それにより外からの宇宙線の侵入を防いでいるということを明らかにした。

 黒点極小期に寒冷化する理由

パーカーは、太陽の黒点数が減少した時に起こる太陽光度の減少が、小氷期の寒冷化を引き起こしたと考えた。また、気候の変動に影響を及ぼすものは、太陽からの可視光か非可視光の両方かどちらか一方と考えた。1996年にスべンスマルクたちは、太陽光度は小さな要因でしかなく、太陽の黒点の減少は、宇宙線の侵入を増加させ、それが雲量の世界的増加をもたらし、より強力な寒冷化を引き起こすと考えた。

3節 氷山多発期

間氷期に起こった寒冷期

 300年前の小氷期には、アイスランドやグリーンランドは氷が海岸まで迫り、そこにいたバイキングたち入植者はいなくなり、先住民だけが生き残った。陸上の氷河が南方へ拡大し、大西洋に入ると、海洋上を漂流し、氷がとけて陸上で削り取った岩石の屑を海中に落とし、今でもそれが見つけられている。海底の地層コアーを採取して、直近の小氷期と、それより前に1500年の間隔で寒冷期が起こっていた。

[注:1990年頃から、地層コアーからの温暖期と寒冷期の年代測定方法ができたが省略する。地層コアーとは、長い円筒状のパイプでボーリングして、その中に入った地層を採取したもの。その長さは地質によって異なるが、堆積物だと600m以上は掘削できる。]

 北大西洋の海底に堆積した地層から、一般的には10万年ごとにおこる氷(河)期と、比較的短周期の気候変動が重なって起こることも判った。10万年周期の変動は、地球の公転軌道のふらつきによりもたらされ、比較的短周期の気候変動は宇宙線に影響を及ぼす太陽活動の変動によるものである。

 直近の氷期における氷山多発期

 海底地層コアーの研究で、気候の激しい変動が起こっていたことが判った。ドイツ水路測量研究所のハインリッヒたちは、北大西洋の欧州側の地層から、北カナダに由来する白い炭酸塩岩の粒子を見つけた。その粒子から、気候変動で知られていなかった厳寒期が何回も存在していたことを突き止めた。ハインリッヒ氷山多発期と呼ばれるこの時期は、人の生涯にあたる短い期間中に数℃の平均気温の低下があった可能性があるという。海底地層コアーの最大のコレクションは、コロンビア大ラモント地球観測所にあり、同地球観測所の地質学者ボンドは、北大西洋の地層コアーをmm単位で調査した。

 ボンドによる氷期の最後以降の調査

 ボンドは間氷期の調査をし、氷期を終わらせた大きな温暖化は、約1万3000年前の「ヤンガー・ドライアス寒冷期」と呼ばれる厳しい寒冷期によって中断された。その時期にやはりハインリッヒ型の氷山多発期を示す白い粒子が見つかった。海底地層コアーには、寒冷期も記録していた。

◎その時、紀元前1300年に頂点に達した寒冷期は、東地中海周辺の国々を干ばつで苦しめた。ギリシャのミケーネ人とトルコのアナトリアのヒッタイト人の都市文明は崩壊した。ユダヤ人がエジプトを脱出したのは、ナイル河の水位が低くなっていた時である。また、海賊により錫貿易は途絶え、その替わりに、鉄の使用がキプロスで始まった。

4節躁うつ病の太陽

 太陽活動の変化と気候変動

 寒冷化が起こった時期と、太陽活動が低下し宇宙線が増加した時期とが、すべて同時に起こった。スべンスマルクのこの主張は、世間から疑問視されていたが、(彼の説を支持する)ボンドのチームにスイス連邦科学研究所のベーアが加わったことで変わった。

 ベーアの10Be (Beの放射性同位元素10)による研究

 ベーアは、南極とグリーンランドの両極地の氷層コアーを掘削し、それから宇宙線により大気中に生成された放射性ベリリウム10Be量の変化を測定した。半減期は10Beの151万年、14Cは5730年で、10Beは生物や炭酸ガスによる影響を受けることはなく、南極やグリーンランドの氷の上には10Be原子が次々と落下して、氷の中に閉じ込められた10Beは、10万年以上にわたる過去の太陽活動状況を明らかにした。

 突然の温暖化と寒冷化

 コペンハーゲンのダンスガールとベルンのエシュガーは、グリーンランドの氷層コアーの調査で、氷山多発期群の突然の寒冷化の間に、突然の温暖化が起こっていることを発見した。氷中の重い酸素原子(同位体17Oと18O、普通は16O)の割合の変化が、温度変化の指標である。最後の氷期の真っ最中である4万5千年から1万5千年の間に形成された表層に、強い温暖期が、突発的に12回も起こり、その各々が数百年間続いたことを見出した。現在の間氷期の間にも温暖期が繰り返し起こり、それでアルプス越えの近道も発見された。

 現在の地球の温暖化は、氷期の間に起こった強烈な温暖化よりも強いものであろうか。

 最も最近に起こった温暖化は、中世の温暖期と20世紀の地球温暖化の時期である。中世の西暦1000年から1300年頃の温暖期は、バイキングやイスラム文化の絶頂期であった。

太陽活動が活発で宇宙線の侵入を阻止した時期は、中世の温暖期と20世紀の温暖化時期の両方に明確に見られる。過去1万2千年の間氷期の間に、温暖期が8回起こり、その時にはいつも宇宙線は少なかった。間氷期と氷期の双方における寒冷期と温暖期は、太陽活動によって起こっていることは疑う余地がない。

5節氷期における気候の良い時と悪い時

クロマニヨン人の移動

 クロマニヨン人がアフリカから西ヨーロッパに移動したのは、ダンスガール・エシュガー温暖期の約3万5千年の頃であった。西欧にいたネアンデルタール人はクロマニヨン人にとって代わられた。

 1万3千年前のヤンガー・ドライアス寒冷期には、アフリカの降雨は突然ほとんどなくなり、多くの地域を苦しめた。その時期にシリアのユーフラテス川の流域では、穀類の栽培の証拠が見つけられた。背の高い人間の出現は、宇宙線が増加した結果の賜物である。氷期の間、現代の人間は徐々にシベリアまで広がり、そして最後にアメリカ大陸へ渡った。 (約1万2千年頃にはベーリング海峡は氷で覆われており、ここを渡ったモンゴロイドたちは、寒冷化に追われて南米の先端のフェゴ島まで行った)。

 7万4千年前頃の寒冷化

 人類が大きく拡散する前に、気候が初めて氷期の最も寒い時期に入ったのは、7万3500年前頃であった。7万4500年前頃にスマトラ島のトバ火山の爆発でインドまで灰をまきちらしたという程で、空を火山灰が覆えば短期の寒冷化が起きるが、それがあっても宇宙線の強度の方が強かった。

 ボンドとベーアの業績

 ボンドのデータによると、産業革命のかなり前から、自然は劇的な気候変動を起こす能力を持っていた。ベーアの12Beのデータと組み合わせると、小氷期から21世紀初頭にかけての温度上昇の大部分の気候変動に太陽が重要な役割を演じていたことは否定できない事実である。ベーアは、地球の磁場が低下している時には、太陽活動の低下があっても、気候変動は起きていないという証拠を見出していた。

6節 雲形成仮説を否定するベーアのデータ

 地球磁場の変動

 ハレーは彗星を発見しただけではなく、地球磁気学でも変動を知っていた。2000年にオランダのチームは、磁場はあと千年すると消失するという計算をしていた。地球は、磁場の南極と北極を交換する体制に入ったのではないかと懸念されている。磁極の反転(地磁気逆転現象)は、歴史では頻繁に不規則に起こっていて、2千年以上かけて起きるという。

 地球磁場の変化と気候変動

 磁極の逆転は、日本の松山基範とフランスのブリュンヌによって別々に発見された。

しかし、磁気逆転によってもたらされた影響は残っていない。紀元前5千年頃の青銅器時代にも地磁気が弱まったが、気候変動は起きていない。

イルカ様運動をする太陽              太陽風とその途切れるところ

宇宙線の電子から始まって、雲ができるまで

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不機嫌な太陽―気候変動のもう一つのシナリオ― No.4

2022-09-13 09:48:48 | 地球温暖化

      不機嫌な太陽 ―気候変動のもう一つのシナリオ―  No.4

§5.地球の歴史と宇宙線

 そして全球凍結などの寒冷期の生物の進化の解明へ。生命の誕生のもう一つの説の登場と、生物の進化の条件は寒冷化であった。(ここからは難しいところは、飛ばし読みして下さい。省略した個所は、主に学術的に説明しているところです。)

6章 スターバースト、熱帯の氷、生命が進化するという幸運

地球全体が氷で覆われた全球凍結が数回あったことは、地質学者を驚かせた。その全球凍結が起こったのは、天の川銀河で星の「生成率」が最も高くなった時で、その時以外は起こっていない。その星のベビーブーム期には、宇宙線が強くなった。若い太陽の強い磁気作用が、地球を守って暖かくし、生物の出現を早めた。全球凍結期には、生物圏の生産性が高い時の繁栄と低い時の衰退の間で大きく振れた。

1節 全球凍結

 氷に覆われた星

 地球外生物の発見を夢見る人にとっては、昔は火星だったが、今は木星の衛星の一つのエウロパである。エウロパは氷で完全に覆われていて、その下には液体の海洋(と生命体)が隠れていると考えられている。

 全球凍結の証拠

1960年代にケンブリッジ大学のハーランドは、約6億年前の堆積物中に、氷河作用の痕跡が、あたかも当時は世界全体が氷で覆われていたかのように、地球の広範囲に広がっていたことに気がついたのである。大陸がどこに横たわっていたかは、岩石に残された地磁気の記録からもたらされている。 1986年オーストラリアのウイリアムスらは、古代に氷から海中に落とされた酸化鉄粒子による地磁気の痕跡から、それらの落とされた場所が赤道から数度以内の領域であったことを突き止めた。その数年後、カリフォルニア工科大学のカーシュヴィンクは、その鉄粒子を伴っていた他の岩石が、7億年前と正確に判っている氷河の作用により、オーストラリアで形成されたものであることを確認した。彼は「これらの広範囲にわたって存在する海水面からの沈殿物が、赤道から数度以内に広範囲に広がって存在する大陸の氷河によって形成されたことは、現在では明らかである。これらのデータは、赤道付近に広大に広がった氷河が存在していたとしなければ説明がつかない」とした。カーシュヴィンクはこの状態に対して「全球凍結」という名前をつけた。そこからは赤道付近でも氷床、氷河や凍結した海が存在したことになるが、赤道近辺の海の凍結度については、完全な凍結か、氷山が流れる半凍結かは、まだ議論の対象である。

 全球凍結が起こった時期

 全世界の大陸から得られた証拠は、7億5000万年から5億8000万年の間に、全球凍結がほぼ3回起こったことを示している。その間、虫類は海底の岩屑をあさることにより生き延び、体制(body-plans)を進化させた。それで5億4200年前に始まったカンブリア紀に入って世界が再び暖かくなった時に、動物種の爆発的発生が可能になった。凍結と生物進化を伴ったこのような急進的な出来事が起こったのは、この時の原生代後期だけではなく、原生代前期の24億年前と22億年前の間に、2回の全球凍結期が存在したことを示す証拠が、20世紀末までに、南アフリカ、カナダ、フィンランドから地質学者によって収集された。

 全球凍結時の地質と生物の変化

 世界最大の鉄マンガン鉱床は、原生代前期が残したもので、海水中に溶解していた鉄とマンガンが、酸素が作用して生成されたものである。地球がさび付いたのである。バクテリアの多くは一層されたが、真核生物は生き延びた。この新しい生物は、遺伝子をカプセル化した細胞核を有することを特徴とし、単細胞の菌類、藻類、および動物に似た草食性生物であった。18億年前までに、一部の真核生物は、酸素を処理するバクテリアを体内に取り込み、それをエネルギー(ATP)の発生装置として利用した。現在では、すべての植物と動物の細胞内に見いだされる。この寄生性のバクテリアの子孫は、人間の体内にミトコンドリアとして存在している。性別が分かれる前にこのバクテリアの取り込みが行なわれたので、現代人はそれを母親のみから受け継いでいる。

 全球凍結を起こした原因

 全球凍結を起こした原因と結果について論争が起きた。 しかし、地球の長い歴史の中で、ほぼ23億年前と7億年前における比較的短い2つの「時間の窓」ともいうべき特定の時期に起こった理由を明らかにすることである。またこの2つの出来事同士の間では、10億年以上もの間、氷が全く無かった理由も説明できるものでなければならない。 シャバイブは、過去5億年間における温室期と氷室期の気候変動を、天の川銀河の渦状腕への運行により説明した。そこから、星のベビーブーム期には、宇宙線が途方もない高いレベルにまで増加したので、地球は雲が多くなり、太陽光が遮られて全面凍結したと説明したのである。

2節 星のベビーブーム

 スターバースト

 地質学者は全球凍結の証拠に驚き、それに対して天文学者は予想よりずっと温かい銀河が多数存在することに驚いていた。

 1983年に、オランダ・アメリカ・イギリスの赤外線天文衛星が、これらの銀河が強い非可視光線を発していることを検出した。1998年に欧州の赤外線天文衛星が、極めて強い赤外線を発する数百個の天体の調査を終了し、ドイツのマックス・プランク地球外物理学研究所のゲンツェルは、天文学者たちの結論を発表した。「極めて強い赤外線を発する大多数の銀河の光度は、その大部分が星の誕生に由来していることを立証する。このような活発な星の誕生が、どのようにして、どれだけ長い期間これらの銀河で起こりうるのかは、課題である。」 これらの活発な活動をしている銀河は、現在、スターバースト銀河と呼ばれている。強い赤外線は、大質量で短命の星が、多数爆発することにより生じた温かい宇宙塵に由来している。スターバーストは、その大部分が銀河同士の衝突によって起こっている。

 2つの銀河が衝突しても、各々の銀河に含まれる星が数十億個と多い場合でも、星間の空間は広いので、2つの星同士が直接衝突することは少ない。それよりも銀河によって運ばれてくるガス同士が高速で衝突して衝撃波を生じるので、ガスが圧縮されてそのガスの崩壊が誘発され、新しい星たちが誕生する。天の川銀河では、それよりも穏やかに作用して、明るい渦状腕を生み出しており、1年に2つ程度の新しい星を誕生させている。スターバーストでは、星の生成率がそれより50~100倍高いこともありうる。

 クラスター内での銀河同士の衝突

 大部分の銀河は、大きなクラスター内で複数の銀河が共に動き回っているが、我々は宇宙という空間内のある瞬間しか見ることができない。それはその運動のステップを1つ刻むのに、数億年要するからである。この運動を決めるのは重力であり、この重力は、銀河を作っている星たちとブラックホールの各質量同士が相互に引き合うものだけでなく、クラスター同士を結び付ける未解明の暗黒物質の大きな重力も含んでいる。(以下、クラスター内の銀河同士の衝突は略。)

 局所銀河群での近接遭遇

 天の川銀河は幸運であった。約500万光年以内の近くには、大部分は非常に小さい「局所銀河群」と呼ばれる30個以上の銀河が見える。近くの銀河としては、大マゼラン星雲と小マゼラン星雲とアンドロメダ星雲の3つの銀河だけが肉眼でも見える。(以下略。)  星の生成を誘発するには2つの銀河が衝突するだけでなく、2つの銀河が近接遭遇した時にも、双方の銀河で、重力により潮汐と圧力波が誘発されて、星のつまった領域がかき乱され、スターバーストを誘発されると考えられる。(以下略。)

 天の川銀河での星のベビーブーム年代

 多くの星の距離は、1997年に欧州の人工衛星「ヒッパルコス」の測定データが公開され、以前より正確に判るようになった。―途中省略―。 さらに2015年に打ち上げられたガイアのデータが待たれている。その結果を待つ間の 不確かな状態でも、約23億年前に起こった最初の2回の全球凍結と、ロシャーピントーが24億年から20億年前の間に起こったと推定したスターバーストとは、時期が一致していることは明らかである。この2つの出来事は、地球がさらされた異常に高い宇宙線に結びついていたと考えることができる。 20億年から10億年前までの長い期間に、氷河作用が起こったことは判っていない。その期間は星の生成率が著しく低い時期と一致している。 ほぼ7億5000万年前に始まった後の3回の全球凍結は、また別の星のベビーブームに結び付いていなければならない。 2004年にマドリッドのサフォーク大学のマルコスたちは、天文学者たちによって「散開星団」と呼ばれている星のグループのデータを使って、約7億5000年前にスターバーストが存在したと推論し、その時期が一致していることを指摘した。

3節 若い太陽は暗かったのに温暖だった矛盾

 若い太陽の活発な磁気活動

 太古においては、宇宙線を遮蔽する太陽の磁気は、現在よりずっと強かった。そうでなかったら、7億5000万年前のスターバーストの時に地球に侵入してきた宇宙線の流入量は、仮に今の時代に同じスターバーストが起こったとした時の宇宙線の流入量よりも、数%少なかったはずで、それは当時の太陽風は今より強かったからである。それで24億年前には、宇宙線の流入量を20%削減できるほど、太陽の遮蔽層は強かったのである。 さらに時代をさかのぼると、太陽は現在のものとは非常に異なっていた。太陽が、約46億年前に、ほこりっぽいガス星雲の中から、その家族である惑星と一緒に初めて誕生した時には、少なくとも現在よりも10倍の速度で自転していた。その磁気活動は活発で、太陽風の密度もはるかに高かった。その結果、宇宙線は生まれたばかりの地球の近くに全く接近できなかった。

 太古における暖かい気候

 若い太陽は、現在よりも温度が低く、放出する太陽光の量がかなり少なかったから、気候の為には幸いした。太陽の中心の熱い場所における核反応が、ヘリウムを生じ、それが膨張中の中心部を満たすので、数十億年かけて徐々にしか明るくならなかった。太陽は、その初めの頃は、現在の太陽光の70%しか放射していなかった。

 初期の地球の地殻は、衝突してくる彗星や小惑星の激しい衝撃により、完全に破壊されると共に、衝突した星を構成する原材料の残骸により、繰り返し再生された。この時代は「冥王代」と呼ばれ、38億年前までの8億年間続いた。地球の非常に若い時代のものとしては、ほんの少量の鉱物粒子しか残っていない。代表的なものが、オーストラリアで見つけられたジルコンである。この破片が44億年前のものであることが、2001年に確認された。ジルコンは通常花崗岩を伴うが、花崗岩の形成には水が必要である。またこのジルコン中には、重い酸素原子の比率が高いことが、それが形成された時に液体状の水が存在した直接的な証拠でもある。 38億年前に始まる「始生代」に形成された岩石は、はるかに多く残っている。その時までに太陽光は現在の75%までに増加していた。 「原生代」の始まりの25億年前でも、太陽光はまだ83%と低く、世界平均気温は-5℃しか期待できない。

 地球が暖かかった理由は?

  1972年にアメリカのセ―ガンらが「太陽が若い時は光が弱かったのに地球が温暖だった矛盾」に注目した。しかし、なかなか答えは出なかった。

 宇宙線の減少による温暖化

 太陽が若かった時に、光が弱かったにもかかわらず、地上には液体状の水が存在していたことだけははっきりしている。 この矛盾に対する唯一の回答は、宇宙線と雲である。すなわち、太陽の若い時は、磁気活動が活発だったために、低い大気層の下まで届く宇宙線が非常に少なくなり、そのため地球を冷やす低い下層雲が極めて少なくなって温暖化したのである。 イスラエルのニール・シャヴァイブはこの説を2003年にまとめた。「太陽の標準的モデルでは、太陽の光度は、過去45億年のあいだに徐々に、約30%の増加をしたと予測している。光の弱い太陽の下では、地球に存在する水の大部分が凍結したはずである。しかし、地球の歴史の極めて初期の段階から、流動する水が存在していたことが観察されている。・・・今回の謎は、宇宙線が地球に到達するのを、より効果的に阻止できるほど、若い太陽が非常に強い太陽風を送り出していたに違いないと考えると解くことができる」。

4節 炭素原子が示す生物生産性の拡大期と縮小期

 38億年前に生物と生物圏が存在した証拠

 グリーンランドの西海岸のゴッドホープ(自治州の首都ヌークの別名)の近くで、氷床と海の間に露出していて見つかった厚い粘土層の遺構の中に、38億年前の古い岩石の中に見いだされた炭素の黒い斑点は、地球上に棲息した生物群の痕跡であった。粘土の中には、黒鉛(炭素のみで形成された鉱物)の微細な小球が極めて大量に存在していた。それは地球が若かった頃に、バクテリアが水中で繁栄していた名残りと考えられる。 コペンハーゲンの地質博物館のロージングは、この小球が、生物の主要構成元素である炭素の各種の同位元素に対して、生物の選択性を示していたことを見つけた。

 海面のプランクトンであるバクテリアや藻類は、水中に溶けている二酸化炭素を取り入れる時に、普通の12Cの原子を含んだ分子の方を好んで受け入れている。重たい13Cは一般の二酸化炭素の分子の90個に1個の割合で存在するが、その分子を拒絶することが多い。その結果、生物の体内における13Cの比率は、自然界の標準的な比率よりも低いのである。ロージングが採取した黒い小球は、ちょうどそのように13Cが排除されているので、かっての生物由来と考えて、「黒鉛の小球を形成した原始生物体の堆積物は、海面からほぼ連続的に沈降したプランクトン様生物に由来したものであろう」と1999年に発表した。

更に彼は仲間のフライと2004年までに、放射性重元素の崩壊により生じた原子量の異なる鉛の同位元素の分析値から得られた手がかりから、水が明らかに遊離の酸素を含んでいることを示した。その鉛の各種同位元素の比率は、38億年前の海水中にウラニウムは存在していたが、トリウムは存在していなかったことを示したのである。(ウラニウムとトリウムは酸素が存在しない時には、固く結びついているが、酸素が存在するとウラニウムだけが水溶性になるのである)。

 このことは高度の能力を持ったバクテリアが、すでに存在していたことを示した。38億年前にバクテリアの一部は、光合成を用いて、日光のエネルギーを使って水分子を水素と酸素に分離していた。水素は、生きている細胞を動かし構築するのに必要な炭素化合物に組み込まれる。酸素は環境中に排出される それまでは、生命の誕生は、海底の噴火口の周辺に見られるように、初期の生物も太陽光ではなく、地球内部のエネルギーに寄っていたと推測されていた。

 しかし、生物に関して、グリーンランドから得られた実態は、生物圏と言える本格的な大規模な生物系からなっていたのである。このことはロージングが言うように、37億年以前に、機能する生物圏を持っていたのである。 若い太陽は、光量が少なかったにも関わらず、その光は、生物系に大量のエネルギーを供給していたのである。そのことは、同じグリーンランドに大陸の花崗岩の最初の兆候が見出されていたことも偶然ではない。

 生物圏の生産性を示す13Cの比率

 そうすると今度は、宇宙線と生物の盛衰との間の繋がりを見出した。 13C(炭素Cの同位体)の原子は、生物が成長する時に広がるので、生物の繁栄と衰退の歴史が地質年代を調べている者には、説明できる。 グリーンランドの小球は、13Cの排除特性を示した。それは周囲の水から13Cの二酸化炭素を取り入れて成長する微細な海洋植物、バクテリア、および藻類の特徴である。この生物たちが豊富な時には、水は、そこから排除された13Cを著しく含むことになる。この13Cは、その時の二酸化炭素から作られた石灰岩に保存されている。貝殻を作る時には、12Cにこだわらずに13Cも取り込むからである。石灰岩の13Cの比率は、水中に残っている比率に従っているので、海中生物の活発さの盛衰を示している。 地球物理学者たちは、炭酸塩の堆積物中の重い酸素18Oと一緒に、13Cも一緒に、半世紀前から分析していた。18Oは過去の温度を探る為にしていた。だが13Cは、地球上の生物全体の状態が、過去にどのように変化したかを示すことに気がついた。

 寒冷期に生物の生産性が高い理由

 13Cが頂点に達した時から判ったことは、過去5億年の間に、生物の生産性が最も高かったのは、石炭紀の後半の3億2000万年から3億年前の間であった。それは地球が天の川銀河の定規腕を通過した結果、宇宙線が強く、巨大な氷床が南方の諸大陸を覆った時である。

 どうして生物は、そのような寒冷期に繁栄したのであろうか。 その理由は、今の地球が氷室期にあるのと同じ理由ではないだろうか。

 人工衛星から見ると、地球の気候様式を見ることができる。温かい熱帯と凍結している極地との間で、温度の違いから、強い風と激しい海流が生じている。海面における生産性は、海面に含まれるクロロフィルの豊富さで測定することで判るが、1㎢当たりの生物体量は、亜熱帯では非常に少ないが、中緯度や亜寒帯の海では、表面の水にリンのような不可欠の栄養素がより多量に補給されるのでずっと多い、と人工衛星は観測している。地球歴史の中で穏やかな時代は、栄養素が欠乏する領域が広がるので、生物は中程度の繁栄に限定される。

 極寒を含む期間の生物の生産性

 23億年前と7億年前に起こった全球凍結を含む期間には、時々炭酸塩中の13Cが極端に低いレベルに落ちていることがあるが、それは光合成が停止し、死んだ生物が12Cを環境中に戻したからである。しかし、その13Cが大きく低下した期間中に、生物生産性の爆発的上昇が散発的に起きている。極端な凍結の期間中に、いくらか緩和した時には、海中の生物は急激に生産性を回復するからである。解き放たれた栄養素に加えて、生物体中に組み込むのに利用できる二酸化炭素が、異常に高いレベルに上昇していたことが、全球凍結の合間に生物の成長を促進した可能性がある。

 炭素原子が語る生物のドラマから、スベンスマルクは、数十億年間にわたる生物群の盛衰に関して、「海洋生物の生産性が低い時の食糧不足と、高い時の豊作との振れが、小さいか大きいかは、天の川銀河内の地球の周辺の星の状況により決定される」ことが分かったのである。

5節 生物の変動性と宇宙線強度

 概説 13Cの値が絶えず変動するのは、地質、気候および生物との間の関係が、本来変わりやすく、地球の歴史の1つの相(phase)から別の相に移ると、13Cの変動の激しさが変化するのである。それには何か別の要因に基づいている部分が存在するのである。

 13Cのバラツキの変化

 2005年にスベンスマルクは、13Cのバラツキが、18Oで測定された海水温度のバラツキと、密接に結びついていることに気がついた。過去5億年の間では、生物の生産性が頻繫に大きく変動する時期は、気候の頻繫な変動を伴っていた。この生物圏の生産性のバラツキは、時々はるかに大きくなっていることに気がついた。そのバラツキが24億~20億年前に頂点に達していた。その時期は、最初の全球凍結期の頃で、天の川銀河においてスターバーストが起こったために、宇宙線が最も強くなった時であった。スベンスマルクは、36億年間を4億年ごとに分割して、各区間ごとに、13Cのバラツキと宇宙線強度の計算値を求めて変化を比較して、その両者が信じられない程よく一致し、相関係数は92%であった。

 宇宙線強度が高い時には、かなり温暖な時とかなり寒冷な時との間で、気候がより大きく振れることを意味している。それは太陽と地球が、この天の川銀河の渦状腕の中に入った時に、腕本態の時と腕内部の裂け目の時との差異が、はるかに大きくなるからである。

 4億年ごとの生物生産性のバラツキ

 およそ34億年前には、若い太陽の磁気作用が宇宙線の侵入を退け、低いレベルに抑えられていたので、(13Cにより示された)生物の生産性のバラツキは比較的小さかった。 32億~28億年前の間では、星の生成率は今日と同じくらいで、海洋での生物の生産性のバラツキも同じくらいだった。これはなぜだろうか。当時はバクテリアしかいなかったが、現在は、人間を中心とする生物群がいて、魚と鯨を頂点とする食物連鎖が支えている。当時のバクテリア群と現代の生態系では、成長の為に必要とする二酸化炭素を固定化する平均速度からのずれで判断すると、気候変動への総合的な対応性は、ほとんど変わっていないのである。

 ほぼ28億年前に、宇宙線強度は高いレベルに上昇し、気候のバラツキと生物生産性のバラツキは大きくなった。

 24億~20億年前には、最初の2回の全球凍結をもたらしたスターバーストのピーク時であり、宇宙線はさらに強くなり、そして(13Cは)つまり生物の生産性のバラツキも大きくなった。

 20億~12億年前には、宇宙線の強度は非常に低くなり、生物圏の生産性のバラツキも非常に小さくなった。

 12億~8億年前には宇宙線は増加し、生物圏の生産性のバラツキは復活した。この時期に多細胞の真核生物が誕生した。進化の「ビッグバン」の時代であった。

 その直後の7.5億年前には、星のべビーブームとなり宇宙線の強度は著しく上昇し、3回の全球凍結期に入った。

 8億~4億年前には、生物圏の生産性のバラツキは比較的高かったが、その時から後は低下した。 4億年前以降には、30億年前の状態に戻った。

 疑問点

 13Cのデータを、天文学から解釈して、地球の生物圏の歴史が語られたが、その単純性が不思議であり、議論の余地がある。例えば、13Cのレベルは、生物の成長により完全に決定されるものではない。生物体が海底中に埋め込まれる率が高い時と、生物の死体が海水中に溶け出してしまう方が多い時とでは、13Cの率は変わるし、大気中の二酸化炭素も関係する。

生物に革新的進化をもたらす条件

しかし、宇宙線の変化に対応した生物圏の生産性のバラツキが、生物の歴史の扉を開くことになると考えられる。最後の全球凍結期における気候のぶれの後に、動物が出現してきたことは、単なる寒冷化ということではなく、寒冷化と温暖化の間で大きくバラツいた気候が、生物の進化のきっかけになったのかも知れない。

他方、バラツキの少ない気候条件では、多くの場合、急進的ではないが、ちみつな洗練化が起こり、その時の気候によく適合するように、色どり豊富な多様性に富んだ種が生みだされている。高度に適合した生物は、その後の気候変動では死滅しやすいのである。星の生成率と太陽の磁気活動という物理的な要因が、宇宙線に影響を及ぼすことによって、地球の気候や生物の生存条件を支配していることが明らかになった。それより因果関係は不明確で微妙であるが、今では、より寒冷な気候条件により、生物の生産性がより大きくぶれるようにも見える。13Cと宇宙線について見出だしたことについて、スベンスマルクは、「もしも、この結びつきが確認されたら、地球上の生物の進化は、天の川銀河の進化に深く結びついていることになる」と言う。これは生物学者に検討材料を与えることになろう。

 

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不機嫌な太陽―気候変動のもう一つのシナリオ―  No.3

2022-09-12 09:47:21 | 地球温暖化

    不機嫌な太陽―気候変動のもう一つのシナリオ―  No.3

§4.雲の形成を左右する宇宙線は、どこから発生しているのか。どうして変動するのか。

概説より再掲

天の川銀河内での太陽系の周回

宇宙線が、爆発した星から放出されて地球に到達し、地球の3つの遮蔽層をくぐりぬけて地球の低空の大気迄到達して雲を作り、気候に影響を及ぼしていたのである。宇宙線の変動によって、地球にいろいろな気候の変化を生じていた。 地球への宇宙線の流入量は、太陽の状態によって変化するだけでなく、太陽系が天の川銀河のどの位置にいるかによっても変化している。 太陽は地球を伴って、天の川銀河の中心の周りを周回する軌道に乗って、星の間を通過している。その時に、時々暗黒領域に入ることがある。そこは熱くて明るい爆発性の星が少なく宇宙線が少ないので、地球の気候は温暖になる。この時期を温室相と呼ぶ。逆に、星の光が明るく宇宙線が強い時には、地球は氷室相(氷河期)に入る。

〇天の川銀河の明るい「渦状腕」を太陽が通過することにより、地球の大きな気候変動が.起きることがこれで説明された。地球上に動物が生存した5億年の歴史の間に4つの腕を通過し、温室相から氷室相への切り替えが4回起こっている。  [腕(スパイラル・アーム)とは、銀河系公転運動において『恒星系および星間ガスの渋滞』によるらせん腕型の偏在部分が生じる。ウィキペディアより] (図参照)

それでその時にいた恐竜の一部の小さな恐竜が、体温を保持するために羽をはやして、その後、鳥に進化したという。

 スターバースト

 約23億年前と7億年前の2回、「全球凍結」が起こった。これは熱帯までも氷河や氷山であふれ、地球全体が凍結したのである。これは、天の川銀河が他の銀河と軽く接触することにより、天の川銀河でスターバースト(星の誕生や死が頻発したすさまじい状態)が誘発された時期と同じ時期に起こった。宇宙線が極めて多くなり、雲が地球を覆い、世界を暗くしたために、地球全体が凍結したのである。〇これに対して、その度に生物が緊急の適応をして、大きな進化をし、最後の全球凍結期に動物が出現した。

 他方、地球が誕生した初期の頃は太陽も若く、光量も少なく、地球も温暖だった。太陽は宇宙線を払いのける能力が今よりはるかに強かった。〇それで38億年前のグリーンランドの岩石から、最古の生物が発見されている。生物が棲みやすい条件が創り出され、それ以来生物は、常に変化する気候に耐えて適応してきた。生物の歴史は、宇宙線の強烈な時と少ない時との間で、生物圏は拡大と縮小との間を揺れ動いていた。

近くで超新星爆発 (二足歩行の人類の登場)

 最近では過去300万年前からの間に、数個の星団が超新星爆発を続いて起こし、すぐ近くにいた太陽と地球を奇襲し、宇宙線が強くなった。この大異変が、アフリカの乾燥化を引き起こし、それにより石器の製作人間の初舞台(二足歩行の人類の登場)が誘発された可能性がある。(日経サイエンス2022年8月号の「気候が形作った人類進化」参照)                                                             天の川銀河

                          日経サイエンスより

2章 宇宙線の冒険

宇宙線は、太陽の磁場と地球の磁場によっても一部しか遮蔽できないが、宇宙線に含有される高エネルギーの原子核以外はすべて地球の大気によって食い止められる。気候変動を引き起こす宇宙線は地球磁場の変動を受けない

1節 宇宙線の概要

宇宙線の発見と命名

 1912年ウィーンのヘスは熱気球により、空気の伝導性は上空ほど高くなるということを確認し、それを高空の放射線によると考えた。それをシカゴのミリカンは宇宙線という名前を付けた。すぐにそれは未知のものを含む荷電粒子であることが判った。

 研究方法と成果

 その後、粒子加速器によって研究され、宇宙線が「灼熱の発生源(超新星の爆発)を出発してから、空気中を通過し、我々の体の中を通り抜け、そして地面の岩石の中に消滅するまで」の全過程はようやく明らかになった。

2節 宇宙線の発生源のつきとめ

 発生源の確認

 2003年ナミビアの観測所で、爆発した超新星の残骸の中から宇宙線が作られて、ガンマ線、つまり宇宙線やってくることが確認された。

 宇宙線の発生源の確認方法

 宇宙線が、宇宙空間で原子と衝突した際に発生するものの中にガンマ線がある。宇宙線の生成場所には、宇宙線の濃度が高いのでガンマ線も強い。ガンマ線は光と同じ形態なので、光と同じように発生源から直線状にやってくる。ガンマ線は人工衛星で確認でき、宇宙線の生成している場所からの放射されるガンマ線は約1000倍程度に強力である。その強力なガンマ線は、空気中で放射光をとらえることのできる大きな望遠鏡で検出できる。この原理で1989年アリゾナの天文台で超新星の残骸からの高エネルギーのガンマ線を初めて確認した。

 改良した望遠鏡による観測

 8カ国の科学者の協力で作られた、ヘスという名前の望遠鏡を使ったナミビアの観測所で、超新星の残骸を10時間にわたり観測した。非常に高いガンマ線により、未知の星が初めて明らかにされた。見つかった超新星の残骸物の星は、誕生して千年しかたっていないので、宇宙線の発生を始めたばかりであった。

3節 星の燃えかすから出るもの

 宇宙線を生成する超新星

 新星は、それまであった星が突然極めて明るくなり夜空で確認できるようになったものである。超新星は大異変が起こって1つの星が爆発したものである。宇宙線を生成するのは特に大きく、太陽より大きい星が爆発して超新星になったものである。

 星の一生

 太陽内部では、核融合が起き、水素をヘリウムに融合してエネルギーを生み、それが地球の生命を育んでいる。水素が使いつくされてヘリウムになると、それが燃焼して炭素と酸素を作る。燃焼はここで終わり、その後次第に冷めて死んでいく。これを白色矮星(わいせい=小さい星)という。 太陽より大きい星は、原子核の燃焼は続き、炭素と酸素が燃焼して、最終的にケイ素(シリコン)が融合して鉄を作れば、核の燃焼によるエネルギーは止まる。熱が無くなると鉄の中心核はつぶれ、その星は崩落する。その崩落により超新星爆発が起こり、星の上部の大部分を宇宙空間に吹き飛ばす。それにより解放されたエネルギーにより核反応が起こり、鉄より重い金やウラン (ウラニウム)などを生じる。 この超新星は数週間、10億個の太陽と同じくらいの明るさに輝く。あとに残った死んだ星は白色矮星よりずっと密度の高い中性子星になる。空には太陽より大きな星が死んだ中性子星が点在している。

 爆発で飛散した原子状物質

 星の爆発で飛散した原子状物質は、光速の1/30の速度で宇宙空間に広がり、膨大な運動エネルギーを持っているので、その1/5が光速に近い速さで飛ぶ宇宙線に変換していく。 このように飛散した残骸が存在する領域内に、宇宙線の生成工場が散在する。 宇宙線とは、宇宙に存在する物質(水素、ヘリウム、炭素、酸素、他)が非常に高速で飛行しているものである。その中で遅いものは光速の90%で、速いものは光速に近い。それ以上早くならず、運動のエネルギーは質量の増加になる。

 爆発後に起こる各種の変化

 ウィーンの天文学者ドルフィは、「超新星の爆発後しだいに宇宙線を生成し、膨張が減速し始めるのは200年後である」という。宇宙線のピークは10万年後で、それが数十万年間宇宙線を作り続ける。約100万年後にはエネルギーを使い果たして中性子星となり、宇宙をさまよう。それまでの間、宇宙線を出し続ける。数千もの超新星の残骸が宇宙線を放射し、天の川銀河に銀河宇宙線を放射している。

 宇宙線の種類

 銀河で生じる宇宙線を銀河宇宙線と呼ぶが、ここでは単に宇宙線と呼ぶ。超高エネルギー宇宙線は他の銀河で生じるものである。太陽の宇宙線は弱く地上には影響しない。また(一次)宇宙線とそれに他の爆発した星からやってくる(一次)宇宙線がぶつかって二次宇宙線ができるが、地上にはこの二次宇宙線が届き、1秒間に2個ほど人体を通過している。

4節 宇宙線はあってもなくても良いものではない

 宇宙線に対する見方の変化

 2001年フランスのミディピレネー天文台のカティア・フェリエ―ルは宇宙の見方についてのマニフェスト(宣言書)を出し、宇宙の成り立ちの上で宇宙線を位置付けた。 「天の川銀河の各星は、希薄な媒体(星間物質)の中にある。この星間物質は、①宇宙に存在する通常の物質、②宇宙線(相対論的荷電粒子)、③磁場、が含まれている。この3つの要素は同じ圧力をもち、電磁力により緊密に連結している」という。(宇宙線は、光速に近い速度で運動していて、相対性理論で補正が必要な粒子であるため、こう呼ぶ)

 天の川銀河内を飛び回る宇宙線

 超新星の残骸中から発生した宇宙線は、一部の高エネルギーのものは天の川銀河を出て広大な宇宙へ出ていくが、多くの宇宙線は数百万年の間、この天の川銀河内を飛び回る。 天の川銀河は円盤状で、横から見ると天の川として見える。重力によって両側から強く押し付けられている。円盤の中を縫うように磁場の力線は走り、その磁力は弱いが数千光年の長い距離の間、作用し続けるので、宇宙線は円盤内の磁力線に沿って飛んで行く。磁場の強さと宇宙線の数は、天の川銀河の場所によって違う。太陽と地球は、銀河内を絶えず移動しているので、地球が受ける宇宙線の強さと数(カウント又は強度)も変化している。 宇宙線の平均寿命は1000~2000万年であり、地球の46億年前の誕生から数百回更新されている。宇宙線の銀河内の量は一定ではなく、爆発性の星の生成率が変化していて、その爆発星のベビーブームの時期は、地球の歴史の中での極端な気候変動が起きた時期と結びついている。

 銀河に対する宇宙線の作用

 星間ガスと磁場と宇宙線が、相互に作用して滑りやすくなり、そこへ重力が作用して磁場は局所的に形が変わり、宇宙線の経路が変わる。星間ガスは半分に圧縮され、更に宇宙線と磁場の力を受け、高密度化し星が生成される

 星の誕生に対する宇宙線の役割

 暗黒星雲は、星間ガスが蓄積して、石質状、氷状、タール状の粒子群になったもので、新しい星の誕生地となる。銀河内の空間では様々な化学反応が起き、紫外線により多くの物質が作られ、そして分解されている。しかし、暗黒星雲の中では化学反応は続き、紫外線で始まり、宇宙線に引き継がれ、化学反応は数万年かかって一酸化炭素を製造する。 宇宙線は太陽と地球とを創造する仕事と、水や炭素化合物を作り地球を肥沃にする仕事に関わっている。

 5節 母なる太陽はいかにして我々を守るのか

 概要 大群でやってくる宇宙線は、太陽系の周りの部分に強い力でぶつかるが、太陽系を取り巻く巨大な磁場の内側のシェルターで、宇宙線の半分がはじき返されて、太陽系の惑星は守られている。

 太陽風

 太陽風が発見され、太陽が地球を守る方法が分かった。太陽風は、太陽から放出された荷電粒子の絶え間ない流れであり、太陽と地球を結び付けている。太陽の大気は、太陽の磁場で広い範囲に広がり、その内側に我々は住んでいる。 太陽は主に水素から構成されているが、太陽風は陽子が主だが、他の元素も、さらにそれを中和する原子も含んでいるので、電気的に中性を保っている。太陽風はそれと共に太陽の磁場を引きずっていて、太陽系の空間は磁気で満たされ、宇宙線に対抗している。 太陽風は風速350~750km/秒の間で変化し、太陽を出てから2~3日で地球を横切り、1~2年後に太陽圏から出て星間空間中に入って行く。

 太陽圏

 外側の星間ガスが太陽風を止めるところが太陽圏の境界で、そこから宇宙線が地球に届くのには約20時間かかるが、太陽からの光は8分しかかからない。 太陽圏の大きさは、太陽風の吹き方の強さで変化する。太陽表面の黒点が少ない時は、太陽活動は静かであり、太陽風の密度は低下するが、風速は増加し太陽圏の外側の境界を広げる。太陽は4週間周期で自転している。外からやってくる宇宙線を押し返したり、屈折させる太陽圏の仕事は、磁場の強力で小規模な不規則性によってなされる。これを生み出すのは、衝撃波である。衝撃波の出る原因は、一つは太陽の異なる部分から出る速い太陽風と遅い太陽風の衝突であり、もう一つは太陽の磁気爆発である。その爆発により巨大なガスの塊の放出が起こり、強烈な太陽風の噴出が起こる。太陽が激しく活性化すると、磁気活性の強い領域が存在して黒点を作り、衝撃波は強力になる。太陽圏で宇宙線は半分になるが、黒点数の多い期間の後には、さらに宇宙線が約30%減少することも判った。

6節 最後の2つの防衛線

 地球の磁場圏 (1つ目)

 太陽圏内に入った宇宙線は、太陽風による磁気衝撃を1~2日かけてジグザグ状に通り抜けた一部だけが地球に接近する。次にその宇宙線をはばむのは、地球が創り出す磁気遮蔽である。地球の液状の鉄芯内の発電装置が地磁気を作り出し、この地磁気が地球の周囲に磁気圏を作る。 オーロラは、太陽風が高速で来て磁気圏に当たり、磁気圏が変形して磁気嵐を起こし、磁石の針はふらつき、極地の空に輝かしたものである。 1868年から英国のグリニッジと豪州のメルボルンで開始された地球の反対側同士での磁気変動の監視は、無意識に太陽風の活発度を測定していた。太陽で起こった大きな質量放出は、地球の近くへ来て磁気の傘のようになり、宇宙線は1日以内に20%も減少し、回復には数週間かかる。宇宙線はばらついた軌道で到達するが、高エネルギーの宇宙線は地球のどこへでも到達する。低エネルギーの宇宙線は地球に接近できないが磁極の近くには落ちる。

 地球の大気 (2つ目)

 星空から来る一次宇宙線は、地球の大気に衝突して終る。厚さ25kmの空気層は大切な役割を果たしている。一次宇宙線は大気に衝突して停止するが、それに変わって現れる二次宇宙線は互いに衝突し合い、高エネルギーになる。二次宇宙線は地表から15kmでピークに達し、その後大気により減弱し、海面につく時には1/20までに弱められる。 旅客機は海抜10~12kmを飛行し、特に極地は磁場が高いので、北極横断航路を通過すると搭乗員特に女性(特に妊娠中の)は影響を受けやすい。  高地で生活している人もまた、高レベルの宇宙線放射を受けている。世界で最も海抜の高い首都であるボリビアのラパスは3600mあり、海抜150mのペルーのリマより、宇宙線の強度は12倍も高い。アンデス山脈の高高度の高原には800万人も住んでおり、インカ人とその祖先は数千年間繁栄した。したがってこの高い宇宙線放射レベルをうけることは致命的ではない。(だが、高地のボリビア人は速く老化してしまう)。 宇宙線は、自然の放射能に加えて発熱や化学物質の影響と共に、奇形や癌を引き起こす遺伝子変異を助長する。しかし、宇宙線はまた気候の変動と共に、種の進化を起こしうるものである。

7 地球に到達するミューオン

 大気の上層部で起こる宇宙線の原子破壊で生じるもので、地球に大量に到達し、エネルギーの損失が少ない荷電粒子は1種類しかない。それをミューオンという。

 ミューオンに関連する粒子

 ミューオンは電子の200倍質量が重く、不安定であるが、それ以外は電子と同じである。宇宙線が大気と衝突した時に、初めに核力粒子であるパイオンが大量に生産され、それが崩壊する時にミューオンが生じる。ミューオンは、ニュートリノを2つ放出して、1つの通常の電子になるが、寿命は200万分の1秒である。

 星の情報を盗み出す工作員としての素質

 大気を通過する粒子の中で電子は地上まで届かず、陽子や中性子は各分子中で相互作用をし、エネルギーを放出して上空に1500個あっても、海面に届くのは1個だけである。 大気への侵入者で、①いかなる物とも反応しにくく、②軽量で、③空気分子の中をかいくぐり、何も奪われずに通り抜け、大きな運動量を保有しているという粒子は、ミューオンしかない。ミューオンは地上に届くと、炭素原子、水素結合、水分子と結合して化合物群を生み出す。ミューオンは光速に近いので、内部時計は遅れ、寿命は伸ばされ、アインシュタインの相対性理論のお蔭で海面の高さまで到達し、二次宇宙線の98%を占める。ミューオンは水中や岩石の中にも入り込む。それを避けるために実験装置を深い鉱山(日本のカミオカンデなど)やトンネルの中に作られる。それでも雑音として現れることがある。

スべンスマルクにとってのミューオン    スべンスマルクにとってミューオンは、気候に最も影響を及ぼす宇宙線である。ミューオンは大気の最も低いレベルに到達し、世界を寒冷化させる低い雲の形成に影響を及ぼす。

8節 直感の裏付け

 ベーアの反論     1章でのユルク・ベーアの反論は、「14Cや10Beの生成率によって、宇宙線の大量流入が示されたにもかかわらず、気候の著しい寒冷化を伴わなかった」という、4万年前のラシャンプ期のことである。

 スベンスマルクの対応    2005年までに、アルゼンチンのピエール・オージュ観測所で、天の川銀河またはその向こうからの超高エネルギーの粒子によって、広範囲にわたる二次粒子のシャワーを生じ、大気中を雨のように降りそそぐことを観測した。これがスベンスマルクの予想を証明した。

 ドイツの宇宙線模擬プログラム

 ドイツに作られたカスケードと呼ばれる観測施設で、コルシカ(CORSIKA)と呼ばれるプログラムが作られ、コルシカはどの粒子が最終的に地表の検出器に到達するかを計算して、気象の問題とも関連した。コルシカは、高エネルギーのミューオンを大量に含む二次粒子の大規模なシャワーが生じることを相対性理論で証明した。

 スベンスマルクによるプログラムの実行

 標高2000m以下の大気中の宇宙線の活動に焦点を当てコルシカに計算させたら、ミューオン生成量の60%は、高エネルギーを持って天の川銀河外からやって来た宇宙線の生成物なので、太陽の磁場でも阻止できない宇宙線に由来した。それ故、これは数世紀の間は一定なので、太陽活動の変動に起因する気候変動には関係しないものであった。 

〇寒冷化を引き起こす低い雲の形成に影響を及ぼすミューオン生成量の残りの40%だけが、太陽の磁気活動の変動により変化する。気候変動を起こすミューオンは、地球磁場が消失しても3%しか増加しない。だが地球磁場が減少するとベーアが測定した10Beと36Cl(塩素)の原子は50%以上も上昇した。スベンスマルクの予想は正しかった。

9節 ラシャンプ磁極周回期への再移行  

 再移行の理由  コルシカで得たのは計算上で、ラシャンプ期の頃の宇宙線と気候の関係を再調査する必要があると考えられた。

 ラシャンプ期の状況

 この時期には、太陽の磁気が強くなったため、低い高度まで届く宇宙線が遮蔽されて雲が減少し、それと同時に、地磁気が弱くなったために14C、10Beその他の放射性原子が増加したのだろう。もちろん雲が減少したので温暖化が起こった。 これは氷床コアの測定から、この時の温暖化は、最後の氷期の間に繰り返し劇的な温度上昇が起こったダンスガール・エシュガー温暖期群の1つで、この温暖化は太陽活動が活発化した結果であった。

 年代の修正  年代の決定に14Cを用いる場合、地磁気が弱くなった時は、14Cの生成が増加しているので補正が必要である。当時の誤差は5千年にものぼった。2004年にマサチューセッツにある海洋学研究所のヒューヘンらは海底調査の結果を基に、修正された14Cデータを出版し、その後はそれによって修正された。

 考察  1996年スベンスマルクが「宇宙線が気候に直接影響を及ぼす」ことを提唱して以来、ベーアの反論が最も説得力があったが、それを論破できたことは進歩である。 もう1つの主役は「雲についての発見」である。

(注:これは、この書の要約と解説とまとめを、多くは原文の引用ですが、一部は短くまとめたり、書き直したりしています。詳しくは原著をお読み頂きたい。図は後ほど掲載します。  黒部信一)

 

 

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不機嫌な太陽―気候変動のもう一つのシナリオ― 2

2022-09-12 09:15:21 | 地球温暖化

        不機嫌な太陽 ―気候変動のもう一つのシナリオ―  No.2

§3 雲による気候変動

 気候変動を起こす原因は雲の存在にあることの説明。雲量の変動は、宇宙線強度の変化に応じて起こる。その宇宙線の強度は、太陽の磁気遮蔽が強いか弱いかによって変化し、地球上の変化には影響されない。気候変動に最も重要なの種類が何かも特定できている。雲の増加は、地球の北半球を中心とした大部分の寒冷化をもたらし、南極大陸の雪原では温暖化をもたらすことから、雲が実際に気候を左右している。

3章 光輝く地球は冷えている

人工衛星による観測結果は、雲量が宇宙線の増減に応じて増減していることを示している。気候変動に最も影響を及ぼすのは低い雲で、それが地球を寒冷化させる。そのことは、逆にその雲が雪原の南極を温暖化させている事実により確認できる。

1 判っていなかった雲

 気候モデルにおいて

 2004年に米国大気研究センターのトレンバースは、「気候モデルは、雲を正しく扱っていない。・・」と言い、2005年には、それまでの気候モデルが正しくなかったことが明らかになった。1983~2002年の実際の雲の衛星観測と比較し、その違いは数百%にも達した。

 人工衛星での初めての観測

 雲の実態を観測するために、2006年に米仏のカリプソ衛星とNASAのクラウドサット衛星が一緒に飛んで、同じ雲を15分以内ずつ、一方はレーザー光レーダーで、他方はmm波レーダーで磁場観測を3年間続けた。これにより、厚い雲内の異なる各層の識別、小滴の粒径の測定、および雨として落下する小滴かどうかの区別などの多くが解明された。

 将来の気候予測

 この時期に「炭酸ガスの排出による気候の温暖化」問題が始まった。まだ「気候変動における雲の役割」は認められていない。自然の温室効果は主に水蒸気によっており、地球の表面を生物に適する状態にするのに不可欠である。炭酸ガスも同様に作用する。現在の議論は、炭酸ガスが増加し続けると、その温暖化効果はどれだけ大きくなるかである。雲の実際の役割からは、極度の温暖化は起きないだろうと予測される。

2節 雲による熱の出入りの抑制

 気温に及ぼす雲の影響

 雲には冷却効果がある。太陽光は、その雲がなければ雲の下にある地球の表面を温めるが、雲があると、雲に当たった光の半分が宇宙空間に跳ね返される。さらに雲に当たった太陽光の一部は雲の内部に吸収される。  雲は、地球の表面から熱が逃げるのを阻止するので、それ自身が温室効果をもたらす。雲もまた宇宙空間へ赤外線を放射するが、雲の上空は地表より温度が低いので,雲が存在する時の方が熱の損失が少ない。1990年代のNASAの地球放射収支実験では、全地球的な測定で、地球を覆う雲の加温効果と冷却効果の収支は、総合すると雲は強力なクーラーである。薄い雲は例外で、加温効果を持っている。高度の高い上層にある羽毛状巻雲は、-40℃近辺で冷たいので、雲から宇宙へ放射する熱は少なく、地球からの放射を阻止する熱の方がずっと多い。中間の高さの厚い雲は、もっとも効率の高いクーラーである。しかし、それはどの時間帯でも地球の約7%を覆う分しか生じない。低い雲は、そのほぼ4倍(30%弱)の面積を覆い、地球冷却の60%を占める。太陽光を遮ると共にその雲の比較的暖かい上面から高い効率で宇宙空間へ熱を放出するからである。低い雲の中で、広くて平らな毛布状の積層雲は、地球上の約20%を覆い、主に海洋上に生じる重要なクーラーである。 全般的に見れば、雲は入射太陽光の加温効果を8%削減する。雲が無いと地球の平均温度は約10℃上昇し、低い雲が数%増えるだけで地球は寒冷化してしまう。

 雲の分布状況の把握

 雲が空を覆う平均量は、年ごとに変化する。気象衛星により、雲を地球全体の視野で見ることが可能となった。国際衛星雲気候計画は、全世界の民間の気象衛星から入ってくるデータを蓄積した。NASAのゴダード研究所のウイリアム・ロソーの立案で、地球表面を一辺が約250kmの正方形で分割し、月毎のチャートを作成して、モンスーンやエルニーニョと雲の動きをとらえた。それは、地球全体の雲量と太陽のリズムとの間のつながりがあることを示した。

3節 太陽と気候との間の見落とされていたつながり

 宇宙線量と雲量との関係の調査結果

 気象衛星は国によっても異なるので、赤道上空を飛行している米国、欧州、日本の静止衛星によって観測された海洋上の雲の月間記録のみを使用し、宇宙線に関してはコロラド州のクライマックス観測所の中性子の月間平均数を選んだ。両者の変化は著しく一致していた。そのデータは1984~1987年までの間の太陽活動が徐々に静かになると共に、地球に届く宇宙線は増加した。その間に海洋上の雲量は徐々に約3%増加した。1988~1990年までの間の宇宙線は減少し、雲もまた4%減少した。この結果は、宇宙線による雲量の変動が、太陽からの光の強度の変動よりも地球の温度にずっと大きな影響を及ぼしていることを明らかにした。雲量は、宇宙線量の変化に忠実に従い、この相関は並外れて高かった。

4節 炭酸ガスによる温暖化説

 1990年に「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は地球の過熱が目前に迫っているという警告を発表した。20世紀の間に地球の温度が穏やかに上昇したのは、空気中の炭酸ガスの量が人工的に増加している為との考えであった。太陽活動のような自然要因がそれに大きく関与しているという説は歓迎されなかった。1992年にデンマーク代表団は、気候に及ぼす太陽の影響を研究課題に追加すべきと提案したが却下された。1996年デンマークの新聞社が、IPCCの議長にスベンスマルクらの宇宙線と雲の関係についての研究に意見を求めたら、「科学的に信頼できるものではない」と答えた。  スベンスマルクは、デンマークの公的機関は研究費を出さず、その代わりにカールスバーグ財団からの援助を受けられた。彼の発見した気候変動機構により、クヌード・ホフガール記念研究賞とエネルギーE2研究賞の二つの賞を受賞したが報道されなかった。

5節 低い雲に驚くほどの一致

 再調査に用いた新しいデータ

 国際衛星雲気候計画は1983~1994年のデータを発表した。そのデータを再調査した結果、スベンスマルクは2000年までに「太陽活動の変動の影響は、低い雲に最も強く現れる」と報告した。これは高度の異なる3種類の雲が、各地域を覆う面積比率(%)月間平均値の変化を、太陽活動の変化に応じて変化する宇宙線量の月間平均値と比較したものである。

 この調査で得られた結果

 地表から約3000m以下の高度に生じる雲が、宇宙線の増減に最も敏感に応答する。この高度は宇宙線がもっとも少量しか存在しない。既に地球の冷却の60%は、低い雲であることが確認されていた。低い雲が主役であることは、最も重要なものが最もエネルギーの高い宇宙線の強度だからである。なぜなら高エネルギーの宇宙線しか、最も低い高度まで到達できない。 この調査で、1年ごとに平均した低い雲の量と宇宙線の強度との一致度は、92%であった。予想に反して、高度が中間の雲と高度が高い雲は、宇宙線の変動とは無関係に見える。その理由は、宇宙線は高い高度にはいつも大量に存在するが、低い高度の空には宇宙線は少量しか存在せず、その総量が少ないから変動が大きく反映されるのである。

 太平洋とインド洋の2つの領域と、グリーンランドとスカンジナビアとの間の北大西洋の領域は、低い雲と宇宙線とのつながりが最も強いことを示している。 低い雲の上部温度を調べると、熱帯地方を中心として地球を取り巻いたベルト状の領域の雲の変化は、宇宙線の変化に忠実に追従した。この雲の影響は、地球冷却の30%を超えることは確実である。宇宙線が増えた時には、この低い雲の上部温度がより温かくなり、そのために宇宙空間への放熱が増加し、冷却効果が強まるのである。

 低い雲の上部温度についての考察

 どうしてその領域なのか。それは水の小滴が凝縮できるための表面を提供する小さな極微細粒子が、その領域の空気中にはより多く存在するからである。つまり極微細粒子が多いので、そこへ宇宙線が多くなると、小滴は小さいが数が多くなり、凝縮した水の合計量が少ないので、雲は霧状になる。その結果、この雲は地表からの熱を上方へ通過しやすくなり、雲の上部の温度が高くなる。衛星から観察すると、海洋上の雲の少なくとも3分の2はこの奇妙な形態の雲に属している。海上の船の航跡に沿って現れる直線状の雲は、このことを示している。1987年にワシントン大学の研究用航空機が、2隻の船の航跡に沿って形成された雲の中を飛行し、検証した。

6節 太陽活動が活発化した時

 20世紀の気温の変化

 宇宙線強度の平均値は、この100年間に著しく低下した。このことは地球を覆う雲量が減少し、地球は温暖化していることを意味する。 温度の記録は、この20世紀中に地球全体が、徐々に約0.6℃温暖化していることを示している。この温暖化の半分(+0.3℃)は、1945年以前に起こった。この期間には、太陽が活発化の真っ最中で、宇宙線は減少中であった。1960年代と1970年代の初期には、著しい寒冷化の期間に切り替わった。この時は太陽の磁気活動が一時的に弱まり、宇宙線が増加していた。1975年以降は、太陽活動の上昇が再び始まり、宇宙線は再び減少し、そして地球の温暖化が再開した。IPCCが1988年に創設され、炭酸ガスに関して関心が高まったのはこの時期である。

 20世紀の宇宙線の変化

 宇宙線の流入量の系統的測定値は1937年から存在している。1999年にオックスフォードの研究所のロックウッドたちは、それ以前に宇宙線が流入していた量を見つけ出せる方法を見出し、その結果は、惑星間空間では太陽の磁場はこの20世紀の間に2倍以上強くなったという。これにより20世紀全体の磁場の変化と、温度の変化がよく一致していることが示された。それは欧州米国宇宙探査機ユリシースによって、太陽の磁場強度がすべての方向で同じであることを発見した為である。宇宙探査機は1964年以来磁場強度が40%増加したことを直接測定した。ロックウッドは、それ以前の段階でさらに大きく増加し131%に達したと推定し、1901年と比べて1995年の太陽の磁場強度が2.3倍になったという。 1995年以降には磁場が強くなり、それで低い雲の高さまで届く高エネルギーの宇宙線が減少していることを、ペルーのワンカヨ測定器は示した。スベンスマルクたちは、そこから「20世紀の100年間における低い雲の放射性強制力(地球のエネルギー収支の変化)の概算値は、1.4W(ワット)/平米の温暖化である」との結論を出した。この概算値に対する批判の一つは、火山爆発やエルニーニョによるというもので、別の批判は、国際衛星雲気候計画を信用していなかった。IPCCは宇宙線と気候の変動とのつながりを認めなかった。

7節 南極だけは雲で温暖化する

 概説  専門家は、南極と他の大陸とは気温の傾向にずれがあると気がついていた。

 南極を隔離するもの

 風の回転特性が南極を他の地域の気象から隔離していた。風は上から見て右回りに流れ、それが環南極海流を引き起こす。南極はその環南極海流によって、メキシコ湾流や黒潮などの熱帯流から隔離されていた。南極の成層圏にも同様の右回りの風が吹いていた。この成層圏南極渦は、これに対をなす成層圏北極渦よりずっと強く持続性が高い。

 南北の氷床コアー・データの比較

 南極以外は世界の気候変動に従っているというデータが出た。 1999年にコペンハーゲンのボーア研究所のダールージャンセンらは、グリーンランドのGRIP掘削孔と、南極のロードーム掘削孔の中の氷の温度を比較した。埋まっていた氷は、熱の貯蔵性と絶縁性が高いので、その生成当時の局所温度を数千年もの間保存していたので、それを温度測定装置で、氷の各層が形成された時代における温度を測定、記録した。その結果は、過去の6000年間の北と南の温度を比較すると、「南極の気温は、グリーンランドの気温が平年より寒い時には、平年より暖かい傾向にあり、グリーンランドが暖かい時には寒い傾向にある」であった。ダールージャンセンの結果は、最近の小氷期の間、グリーンランドでは著しく寒かったが、南極では比較的暖かかったことを示した。

 南極のもう一つの掘削場所であるサイプルドームでは、ペンシルべニア州立大学のアレイらが特徴的な層を見出した。その層は、それが存在した時代に夏が異常に暑くて氷が溶解していた。その溶解の起きた頻度の変化が、気候の変動を示していた。2000年にそれが発表され、「溶解が最も頻繁に起こった300~450年の間で、溶解を経験した年が8%にも達した。それは、南極ではこの期間の夏の温度が高かったことを示しているのだろう。この150年間は、北半球で温度の低い小氷期と一致している」とした。アレイらはさらに1万年前まで追跡した。そしてサイプルドームの氷床で、約7000年前における2000年間、氷の溶解が全く起こらなかった期間を見つけた。その期間は南極では寒冷であったが、グリーンランドでは異常に温暖だった。グリーンランドでの掘削地から採取した同じ期間の氷は、過去1万年の間で、夏の溶解が最も頻繁に起こった期間であったことを示した。

 北と南の気候変動の境界と時間差

 地球全体の気候は、孤立した南極とそれ以外の世界との間で、不均等に分配されており、その2つの領域は、風と海流により、それぞれの領域の固有の気候変動の傾向を共有していた。オーストラリアとその周辺、南アフリカ、南アメリカを含む地域、つまり南半球の大部分は、気候変動に関して共通性が高いのは、南極ではなく、ユーラシアと北アメリカであった。その境は南緯60度の所にあった。つまり「南極気候の異常」である。南極とそれ以外の世界とでの気候の応答速度は、違ったとしてもそれは数年であると考えられた。

 20世紀における南極気候の異常

 1900年以降の100年間の気温の記録は、全地球と南極の双方とも、全般的に温暖化を示しているが、その途中の段階では一致していない。1920年代と1940年代には、南極で大きく寒冷化し、全地球は温暖化が急上昇した。 それとは反対に、1950年代と1960年代には、南極は劇的に温暖化したが、他の世界は一時的に寒冷化を経験した。1970年以降は、地球の温暖化が再開している間、南極の気温は横ばい状態となる。しかし、南極のハリー湾基地では、気温は著しく低下した。

8 南極気候の異常を起こす要因候補

 南極気候の異常の説明は、炭酸ガスでは説明できない。炭酸ガスは全世界に均一に広がっているからである。オゾン・ホールも同じである。オゾン・ホールの拡大はフロンガスを放出したことによるものではない。なぜなら、それでは有史時代にも先史時代にも起こっている南極気候の異常を説明できない。また天文学的要因、つまりミランコヴィッチ・サイクルの説でも説明がつかない。 それは地球の軌道の変化や姿勢の変化で、南極へ降り注ぐ太陽光の強度は、数千年の間に変化する。これはダールージャンセンの説明には役立つが、南極と北方の気温の違いを説明できない。雲量の変化が、南極気候の異常を直接予測できる唯一の要因である。雲量が減少すると、地球は温暖化し、南極は寒冷化する雲量が増加すると、南極は温暖化し、残りの地球の部分は寒冷化する

 雪原における雲の効果

 南極の雪原は、地球の最も白い部分を作り出している。北極の雪よりも、雲の上面よりも白い。その結果、南極では雲がない時に雪原が太陽から直接吸収するエネルギーよりも、雲がある時にその雲が一旦太陽のエネルギーを吸収し、その熱を雪原に再放射するエネルギーの方が多い。衛星により観測されたこの南極の雲の温暖化効果は、南極点における地上観測により確認された。それは、2003年に「雲は、1年のどの月においても、南極大陸の雪原を温める効果を持っていることが判明した」と発表された。 グリーンランドの氷床でも、雲により暖められることが知られていたし、長年にわたって観測もされていた。衛星による観測からも、雲の減少は局所的に寒冷化させることが示されていた。グリーンランドの氷床は南極ほど白く輝いていない。グリーンランドの気候は、風と海流によって、北大西洋や世界全般の気候と一体化されている。局所的な雲による温暖化効果は、大部分が打ち消されている。

 南極気候の異常についての考察

 雲の少しの増減での気温の変動を、衛星データを使って計算すると、雲量が4%増加した時には、気温は赤道では約1℃低下し、南極では0.5℃上昇する。雲量が4%減少すると赤道では1℃上昇し、南極では0.5℃低下する。 それでは地球の温暖化が雲量の減少によって起きるなら、南極において、1900年頃より2000年頃の方の温度が高くなったのはなぜか。スベンスマルクは、南極は孤立しているが、その大気中の水蒸気が自然に増加したために、温暖化を共有できたという。 地球の大気が暖かくなると、水は蒸発しやすくなる。水蒸気は最も重要な温暖化ガスなので、水蒸気があると宇宙空間へ放出される熱の一部が地表に戻されるので、全般的な温暖化を増幅する。余分の水蒸気は南極上の空気の中にも入ってくるので、その温暖化効果が、雲の減少による寒冷化効果を上回ったのであるという。

 南極気候の異常は、寒冷化と温暖化が交互に起こっている時には保持されるが、世界の一方的な温度上昇時には破綻することとなる。これは2006年に言われた。南極気候の異常は、「雲量の変化が地球の気候変動を起こす」ということを立証している。

 21世紀における南極の寒冷化 英国南極観測隊のハリー観測所は、44年間で初めて2002年に船が海氷にとじこめられた。南極は寒冷化しているのだ。

9節 氷期における南極気候の異常

 過去1万年前に遡っても、20世紀と同じことが起きている。1章で述べた、厳寒のハインリッヒ期と、ずっと暖かいダンスガール・エシュガー期との間で気候がふらつき、気候の交代がより劇的に起こっているが、これらの寒冷期と温暖期による温度変化は北半球のもので、南半球の南極の温度変化とは違っている。 グリーンランドのGIPS2地点の氷床と、南極のバード地点の両方の氷の掘削で得られた試料を比較し、メタンガス濃度の測定で双方の年代が対応していることを確認した上、この氷床の氷そのものに存在する重い酸素原子をカウントして、その古代の温度を測定した。

 2001年にブリンストン大のブルニアーたちは、過去9万年の間にわたって記録された主な温暖期と寒冷期について報告した。「南極では、この9万年の間に千年規模の温暖期が7回起こったが、それらの各開始時期は、グリーンランドでの各温暖期の開始時期よりも、それぞれ1500~3000年だけ先行した。一般的に、南極の温度が徐々に上昇した時は、グリーンランドの温度は低下中か、それとも一定しているかであり、南極の温暖化が終了した時期は、グリーンランドの急激な温暖化が開始した時期と一致しているようだ。」これは海流の変化では説明できない。

 スベンスマルクの説明

 「雲の形成により気候が変動する」という説明として、1つ目は「南極が氷床で覆われているために、雲が通常とは異なる温暖化効果を及ぼす」―氷床の影響。2つ目は、「太陽が『躁』または『うつ』の状態になることにより、宇宙線の量が変化した」―太陽活動の影響。これは雲量の変化つまり、氷期以来の温暖期と寒冷期の双方に太陽が明確に関わっていると説明。3つ目は、「数百万年、数十億年にわたる長期の気候変動も、宇宙線と雲との間の仕組みで説明できる」―宇宙線発生源の影響。

10 20世紀の温暖化の説明 には2つの説がある。

〇一つは、太陽活動の変化によるもの(スベンスマルクの説)

〇もう一つは、大気中の人工の温室効果ガス―特に炭酸ガス―の蓄積によるもの

 この2つの説のうち、どちらでも1900~2000年の間に約0.6℃の温度上昇を説明できる。炭酸ガスによる地球温暖化説は、①炭酸ガスがその気候変動の大部分を起こした主要原因であるという仮説と、②地球は今、温暖化の危機に直面しているという仮説の双方を主張している。

 スベンスマルク説では、1900年以前に起きた古代の気候変動は、現代よりはるかに激しかったが、それも宇宙線の変動によって引き起こされたものであるという。20世紀の温暖化は、太陽の磁場が2倍になり、その結果宇宙線が減ったことがその原因の大部分を占めなければ、他の時代に起こった現在よりも大きな温度変化を説明できないとした。

 20世紀における宇宙線と気温との関係の調査

 1998年には宇宙線強度の全ての体系的な記録と、最も古い時代まで遡れるものが利用できた。ニューメキシコ大学のアールワリアは、宇宙線研究者フォービッシュが建設したメリーランド州とバージニア州の2つの観測所から、1937年までさかのぼる古いデータを回収し、それらをシベリアのヤクーツクにおける同様のデータと組み合わせて、1937~1994年までの一連のデータを作成した。 スベンスマルクは、このアールワリアのデータを用いて、宇宙線の変化を北半球の温度変化と比較した。宇宙線の減少、雲量の減少、温度の上昇を、経年変化のグラフを作り、比較した。その結果、最初の数十年間は小刻みに上下し、1960~1975年の間には、低下し、それからは1990年代の温暖期に向かって一緒に上昇した。

 1980年以降の温暖化の原因

 一部の科学者は、太陽要因説は排除できると説明している。しかし太陽活動と温度変化の実態は、20世紀の期間中の上昇傾向が1980年頃に終了したが、その後の25年間に降下したわけではなく、宇宙線の強度は、太陽活動のサイクル中にリズミカルに変化し続けている。そしてそれと同じ小刻みの温度変化が、大きな温度変化傾向の上に重なっていることが記録されている。太陽が引き続いて気候変動を起こしているというこの証拠は、特に、気球や衛星により測定された海洋の表面と準表面(水深50m)の水温、および海面上の気温においても明白であった。 1985年の温度上昇傾向は、北半球の陸上の表面上の温度で、その勾配は最も急である。しかし、海面下50mでは、あたかも地球温暖化が停止しているかのように、宇宙線の増加と減少に合わせて、水の温度が上昇と下降するだけだった。

◎  二酸化炭素地球温暖化説の難問は2つで、1つは「現在、陸地、海洋、および空気によって温められる速さは、北半球の陸地の表面上の温度の方が、残りの世界よりも速いように見えるのはどうしてか」というもの。もう一つは、「増加中の炭酸ガスや他の人工の温室効果ガスの温暖化効果は、地球の大部分において、予想されているよりずっと少ないように見えるのはどうしてか」ということである。例えば南極では、雲の減少による寒冷化の影響を温室効果ガスは打ち消すことができないし、人工の温室効果ガスにより急激に温暖化していると特定されていた期間の1978~2005年の間に、海氷の領域が8%増加している。

 炭酸ガスの温室効果

 海洋における準表面(水深50m)の温度変化の程度は、宇宙線と雲に関するスベンスマルク説では当然のことである。ノーウィッチ気候研究部隊のヒューバート・ラムが1977年に書いた意見は、「放射収支上、増加した炭酸ガスが気候に及ぼす影響が、温暖化する方向にあることはほぼ間違いのないことであるが、一般的に受け入れられている推定値よりも、おそらくずっと小さいであろう。」1980年代の末迄、太陽の変動が数世紀にわたる気候変動を引き起こす最も有力な要因として知られていたが、宇宙線との関係は知られていなかった。

 気候変動を起こすと考えられる候補は、①大きな火山の爆発やエルニーニョ温暖化が起こった頻度、②空気中のちりや煙の量の変化、③オゾン、メタン、および他の温室効果ガスの変動、④陸地の用途変更、⑤増加した炭酸ガス全てにより繁茂した植物による陸地の全般的な暗色化、それと炭酸ガスによる温室効果、⑥スベンスマルクの宇宙線と雲と太陽の変動による説、である。

 衛星のデータは、宇宙線と雲の減少により、約0.6℃の温暖化が起こったと推定できた。また南極気候の異常も、雲が担っていることで説明できた。しかし、炭酸ガスの温室効果により引き上げられた温度は、衛星データで検証できなかった。 大気中の炭酸ガスを2倍に増やした時の温室効果を、どう計算しても0.5~5℃の間になり、一致していない。炭酸ガスだけでは温度上昇を説明できない。 スベンスマルクは、「余分の炭酸ガスの効果を、より精密で科学的に評価することが必要である」と考えている。どう計算しても、「21世紀における地球温暖化は、起こったとしても、現在予測されている3~4℃よりははるかに小さいであろう」という。

(注:これは、この書の要約と解説とまとめを、多くは原文の引用ですが、分かりやすくする為に、一部は短くまとめたり、順序を変えたり、書き直したりしています。詳しくは原著をお読み頂きたい。図は後ほど掲載します。  黒部信一) 

 

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不機嫌な太陽―気候変動のもう一つのシナリオ―1

2022-09-10 15:33:34 | 地球温暖化

        不機嫌な太陽 ―気候変動のもう一つのシナリオ―  No.1

                                           2008 スべンスマルク&コールダー

§0 この本の概説

 この概説が、著者が書いたこの本のまとめです。

0 概説

 温暖期と寒冷期の繰り返し

気候変動は過去から繰り返し起こっている。過去数千年の間に温暖期と寒冷期が、交互に起こっていることから「宇宙線が気候に関与していそうだ」と考えた。最後の寒冷化の頂点の「小氷期」の後、現在の温暖期になった。この「小氷期」は「マウンダー極小期」と呼ばれる太陽の黒点が異常に少なかった時期、すなわち太陽の磁気活動が弱い時期と一致した。

 地球は、太陽の磁場が宇宙線を跳ね返すことにより守られている。この磁場が弱くなった時に、宇宙線が多く地球に到達する。最後の「氷期」が1万1500年前に終わった後にも、このような小氷期(寒冷期)が9回起こっている。その時に、歴史では冷害による食糧難が起こっている。

気候変動には太陽が大きな役割を果たしている。スべンスマルクは「宇宙線が世界の雲の量に影響を及ぼすことにより、気候を直接左右している」という。

宇宙線について

宇宙線粒子は1秒間に2回ほど、我々のからだ(身体)を通過している。宇宙線は上空へ行くとずっと多くなる。

宇宙線の遮断層は、1)太陽の磁気、2)地球の磁場地磁気)、3)空気(大気)である。これにより、宇宙線は遮られているが、宇宙線の中で最もエネルギーの高い荷電粒子ミューオンという電子は地磁気の影響を受けない。そのため地磁気が減っても、低空でのミューオンは増えず、低い雲が増加せず、寒冷化は起きない。

雲について

気候変動を起こすのは、地球の巨大な領域を覆うであり、特に海洋上のが重要である。地球の全周は約4万kmである。高い雲の一部は温暖化効果をもたらすが、海抜3000m以下の低い雲は地球を寒冷化させる。宇宙線が少ない時は低い雲は少なくなり、地球は温暖化する。20世紀の100年の間に、太陽の磁気遮断層が2倍以上強くなった。それにより宇宙線と雲が減少したことで、地球温暖化が説明できる。雲は宇宙線を介して太陽に左右されるので、太陽が気候変動の主要原因である。炭酸ガスの影響は極めて小さい。

雲の形成実験

大気中に浮遊する「極微細粒子」が存在すると、それが凝集して雲凝縮核ができ、その表面上に水の小滴を作り、水分が凝縮して雲を作る。その極微細粒子は、硫酸と水の数分子からなる小滴である。1996年その極微細粒子が急速に生成されることが発見され、2005年に実験で実証された。それは、「宇宙線が空気中に電子を放出させ、その電子が分子の凝集を促進し、極微細粒子を生成し、それが集まって大きな極微細粒子となり、それが雲を形成する。電子がこれらの仕事をする時に速い速度と高い効率でされている」。

天の川銀河内での太陽系の周回

宇宙線が、爆発した星から放出されて地球に到達し、地球の3つの遮蔽層をくぐりぬけて地球の低空の大気迄到達して雲を作り、気候に影響を及ぼしていたのである。宇宙線の変動によって、地球にいろいろな気候の変化を生じていた。

 地球への宇宙線の流入量は、太陽の状態によって変化するだけでなく、太陽系が天の川銀河のどの位置にいるかによっても変化している。

 太陽は地球を伴って、天の川銀河の中心の周りを周回する軌道に乗って、星の間を通過している。その時に、時々暗黒領域に入ることがある。そこは熱くて明るい爆発性の星が少なく宇宙線が少ないので、地球の気候は温暖になる。この時期を温室相と呼ぶ。

逆に、星の光が明るく宇宙線が強い時には、地球は氷室相(氷河期)に入る。

〇天の川銀河の明るい「渦状腕」を太陽が通過することにより、地球の大きな気候変動が起きることがこれで説明された。地球上に動物が生存した5億年の歴史の間に4つの腕を通過し、温室相から氷室相への切り替えが4回起こっている。

[腕(スパイラル・アーム)とは、銀河系公転運動において『恒星系および星間ガスの渋滞』によるらせん腕型の偏在部分が生じる。ウィキペディアより] (図参照)

〇それでその時にいた恐竜の一部の小さな恐竜が、体温を保持するために羽をはやして、その後、鳥に進化したという。

 スターバースト

 約23億年前と7億年前の2回、「全球凍結」が起こった。これは熱帯までも氷河や氷山であふれ、地球全体が凍結したのである。これは、天の川銀河が他の銀河と軽く接触することにより、天の川銀河でスターバースト(星の誕生や死が頻発したすさまじい状態)が誘発された時期と同じ時期に起こった。宇宙線が極めて多くなり、雲が地球を覆い、世界を暗くしたために、地球全体が凍結したのである。〇これに対して、その度に生物が緊急の適応をして、大きな進化をし、最後の全球凍結期に動物が出現した。

 他方、地球が誕生した初期の頃は太陽も若く、光量も少なく、地球も温暖だった。太陽は宇宙線を払いのける能力が今よりはるかに強かった。〇それで38億年前のグリーンランドの岩石から、最古の生物が発見されている。生物が棲みやすい条件が創り出され、それ以来生物は、常に変化する気候に耐えて適応してきた。生物の歴史は、宇宙線の強烈な時と少ない時との間で、生物圏は拡大と縮小との間を揺れ動いていた。

近くで超新星爆発 (二足歩行の人類の登場)

 最近では過去300万年前からの間に、数個の星団が超新星爆発を続いて起こし、すぐ近くにいた太陽と地球を奇襲し、宇宙線が強くなった。この大異変が、アフリカの乾燥化を引き起こし、それにより石器の製作人間の初舞台(二足歩行の人類の登場)が誘発された可能性がある。(日経サイエンス2022年8月号の「気候が形作った人類進化」参照)

 

§1 雲の形成

 雲はどのように形成されているのか

 概説では、地球の気候変動は宇宙線によって左右されているという。それは、宇宙線によって地球の下層の雲の形成が左右され、下層の雲が増えると大地の寒冷化をもたらし、南極だけは温暖化をもたらす。下層の雲が減ると温暖化し、南極だけは寒冷化するという。 そこでまず雲はどのように形成されるかについて取り組む。本書の順を変えて説明します。(黒部)

4章(原文) 雲の形成を呼び込む原因は何か

雲は、水蒸気が冷えて凝縮した時に形成される。水蒸気は、空気中に浮遊している極微細粒子の表面上に凝縮する。最も重要な極微細粒子は、硫酸の小滴である。硫酸の小滴が形成されるメカニズムは完全には解明されていないが、輪郭が分かり、宇宙線により促進されることが分かった。

1節 霧や雲の過去の形成実験

 エイトケンの雲の研究で、「空気中に漂流する極微細粒子の表面上に、水蒸気が凝縮して小滴となるので、もしも極微細粒子が存在しないなら、地球は雲や霧を作ることができない」という結論を出した。

 ウィルソンの霧箱の研究

 ケンブリッジの物理学者ウィルソンは、容器中の空気を急に膨張させて高い過飽和の状態にすると、水の小滴が僅かに生じることから、この凝縮を促進したのは電荷ではないかと考えてX線照射をした。X線照射は電荷の大軍を生じるからである。実験用の霧箱内にX線を照射すると、小滴の雨で満たされた。さらに、個々の粒子が霧箱内をヒューと飛ぶと、その背後に電荷の軌跡を残し、それにより小滴の飛跡が生じることを見出した。

 スベンスマルクの研究

 スベンスマルクはウイルソンの研究を知らなかった。しかし、地球の大気は巨大な霧箱のように作用し、宇宙線が増加するとそれに応じて、凝縮して雲となる量が増加すると考えた。

 用語について  空気中に浮遊する小さな対象を、エアロゾルまたは粒子と呼ばれるが、粒子では紛らわしいし、粉塵は個体を表すもので、雲凝縮核は主に液体の微細の滴である。それで極微細粒子を用いることとした。

§2  雲の核または種(シード)になる極微細粒子の形成

 固体状の極微細粒子

 粉塵は、乾燥した土地、砂漠や海岸から風が吹き上げて、自然由来の固体状の極微細粒子の大部分を占める。半乾燥地帯や乾燥地帯では、農業がこの粉塵を増やす。これはアジア、アフリカでは常に起きている。同様のものに、雷や火山の噴火や自然発火による森や草原の火災による煤煙もある。人による山焼きや野焼きは先史時代から土地運用の為に行われてきた。南アジアの乾季に木材や石炭の燃焼により「褐色の煙霧」が生じ、アラビア海からベンガル湾に広がっている。

隕石のような宇宙塵、花粉症を誘発する花粉粒子、バクテリアや菌類の胞子も豊富に存在し、かなり高い高度まで上昇する。空気中で際限なく起こる化学反応は、多くの元素や化合物を巻き込み、最後は極微細粒子になる。靄(もや)は、樹木から放出された炭化水素の水蒸気が、日光によりスモッグ状物質に変換されたもので、車の排気ガス中の炭化水素から作られる都市の光化学スモッグと同じである。

 火山爆発に由来する極微細粒子

 火山は、鉱物灰および硫黄ガスを放出する。鉱物灰はすぐ落下するが、硫黄ガスは硫酸の微細な小滴や、他の化学物質の細片に変換される。火山爆発による硫黄の大部分は、高い成層圏に入り、そこからゆっくり降下し、世界中に拡散する。ムンクの「叫び」に描かれている赤色の夕日は、1883年にインドネシアのクラカタウ火山(ジャワ島とスマトラ島の間にある火山島)の爆発によって、遠く離れたノルウェーの大気まで汚染し、引き起こされたものである。1991年にフィリピンのピナツボ火山が爆発した後、地上からのレーザー光線で調べたら、成層圏から戻ってくる散乱光が100倍も増加していた。その後徐々に減少して1996年に正常値に戻った。この火山の爆発で成層圏中に排出された硫黄の量は、約1000万トンと言われた。

 液状極微細粒子

 海洋は、硫黄の生成の巨大な水性火山である。海洋は低い空気中に大量の硫黄を放出する。最初は、硫化ジメチルと呼ばれる化合物[(CH₃)₂S]で、水蒸気として海面上に浮上する。その発生源は、海水の表面を漂流している藻類からなる微細な植物プランクトンで、それを小魚などが捕食して細胞をつぶし、その内容物が微生物に分解されて、硫化ジメチルが排出される。硫化ジメチルの水蒸気は、硫黄に近い悪臭がする。多くの海鳥にとっては、硫化ジメチルの臭いは餌を意味し、朝にその臭いがする方向へ行くと、小魚などが沢山ある所にたどり着くことができる。硫化ジメチルは日光によって空気中で化学反応し、硫酸の微細な小滴に変換されて、その臭いは日中には消失してしまう。 窒素酸化物は、雷の放電の中で作られたり、土中の微生物によって放出されて、化学変化により硝酸の小滴となる。窒素は、多くの生物によりアンモニアとして放出され、アンモニアは硫酸と組みやすく、硫酸アンモニウムの極微細粒子を作る。

2節  雲凝集核の補給の必要性

 極微細粒子の重要度

 水蒸気やガスから作られた超微細粒子は小さ過ぎる。それで水蒸気などから作られた超微細粒子が凝集して100倍くらいになると、理想的な雲凝集核になる。 硫酸の小滴は、雲形成に最も重要である。海上では硫化ジメチルだが、陸上の硫黄の発生源は、人間活動(主に化石燃料の燃焼)により生ずる亜硫酸ガスである。硫黄の産出量は、発展途上国の経済成長により約1億トン/年に近い。それは工業地域に集中し、風下の数千km先まで拡散されるが、世界の大部分は影響を受けない。

 地球の表面の半分以上は大海原で、その上空の雲は、硫化ジメチルから作られた硫酸の小滴により形成される。海洋上の硫黄の総量は、陸上の半分以下かも知れないが、雲凝集核の最大の自然発生源は海洋上にある。 その硫黄のライバルは、海の塩である。暴風雨の波により跳ね上げられた細かい水しぶきに由来する、適当な大きさの塩化ナトリウムの粒子は、雲凝集核の約10%しか供給できないが、硫酸小滴が凝集している期間には、利用しうる水を硫酸の雲凝集核と張り合って奪ってしまう程である。

 

 水である雲の小滴が、積雲(わた雲)の上昇気流により冷たい空気の流域に運ばれると、凍結して雪片やあられ(霰)状の粒となる。また水蒸気が高い高度に運ばれると、液体をとびこして直接氷の結晶になることもある。それが高い位置に形成される巻き雲である。どちらの場合も、多種類の極微細粒子が、氷の核となり、その表面上に水が結晶化する。 氷の基となる氷の核は、放浪している水分子を取り込んでいく。自然には粘土に由来するカオリンの微細片が氷の核になる。それは冷たい雲が氷粒子を作るのを促進し、氷の粒子になると水の小滴よりも落下しやすくなる。通常は雪片もあられの粒子も、地上に着くまでに溶解する。

 雲凝集核

 雲を形成する極微細粒子は、次第に消失してしまう。それは①雨、あられ、または雪により、空気から洗い落とされるか、②最も高い雷雲(積乱雲)中の上昇気流により成層圏内に吹き上げられるか、③重力により地表にゆっくり降下するかである。従って、雲を形成する極微細粒子は連続的に補給しなければならない

 高性能の検出器により数nm(ナノメートル=100万分の1mm)しかない超微細粒子の数を記録することができ、新しい雲凝集核の大群が創造されていることが判った。これを雲凝集核の爆発的生成という。 ヘルシンキ森林研究所のクルマーラらが、この雲凝集核の爆発的生成をずっと監視してきて、それによると、例えば春の日には極微細粒子の数は、夜の間に徐々に減少し、朝の10時に突然上昇しはじめ、真昼までにほぼ10倍まで上昇し、それから数時間は横ばい状態であるが、その間に成長してサイズが大きくなり、日没時から数が減少し始める。 陸上の大気の雲形成領域における1リットルの空気には、数百万個の雲凝集核が含まれている。外洋上でも1リットルに10万個存在する。このため気象学者は極微細粒子は常に大量に存在すると考えて、宇宙線が雲の形成量を変化させていることを考えない。

3節 パナマ沖の低空での超微細粒子群の大量形成

 雲のシードのシード

 雲を形成する今までの理論によると、雲を形成するには硫酸シードが必要であり、それには蒸気の形態をした硫酸分子が高い濃度で存在し、そして個々の硫酸分子は、必要な水分子を数個取り入れて、硫酸分子を1つずつゆっくり集めて小滴となる。 ところがある日、余りにも大量もの極微細粒子が太平洋上で見つかった。そこは人工の大気汚染と混同されないから、雲の形成から消滅までの全過程を研究するのにうってつけだった

 パナマ沖での極微細粒子生成の調査

 1996年のある日、NASAの研究用哨戒機オリオンはガス、水蒸気、および小さな極微細粒子を検出できる計器を取り付けて、パナマの南側の太平洋の海面上を低空飛行し、ハワイ大学のクラークたちは、空気中の硫化ジメチルの化学変化を追跡した。哨戒機が高度160m迄降下し、予想通り硫化ジメチルが大量に存在することが検出された。硫化ジメチルが、水蒸気と太陽の紫外線が関与する反応で、最初は亜硫酸ガスに、次に硫酸の蒸気に変換されることが判った。この硫酸分子の数は、凝集するには少な過ぎた。 ところが午後2時になると、大量の超微細粒子に遭遇し、2分間に1リットル当たりほぼ0から3000万個へと急上昇したが、同時に測定した硫酸分子の数は低いままだった。 この超微細粒子の爆発的発生も、地球の半分以上を占める海洋上での雲凝縮核の主な発生源が、このように短時間に生成することも説明できなかった。

 新しい理論による説明(イオン・シーディング説)

 空気中で帯電した分子、原子、および電子(まとめてイオンという)は、雲凝縮核を形成するためのシードとなっているというイオン関与説は、1960年代からあった。1980年代カリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)の大気物理化学者レーズは、硫酸の微細小滴のイオン・シーディングが、実現可能であることを計算していた。そこで1998年に公表されたパナマ沖での発見に飛びついた。このイオン・シーディング説は、宇宙線を雲形成のメカニズムの中に持ち込むことになった。宇宙線はイオンの主な発生源であった。

 飛行機雲の研究

ロサンゼルスのユウ・ファンクンとリチャード・ターコは、飛行機雲を研究した。航空機の航跡の雲凝縮核の形成は、従来の理論よりずっと速く、燃料の燃焼によって生じた荷電した原子や分子が、極微細粒子の生成と成長を助けていることが明らかである。ユウとターコは、2000年には、宇宙線によって生成されたイオンは、雲凝縮核の形成、それを基にした雲の形成を助けることができると認めた。硫酸の蒸気分子は、電荷が存在するとより低い濃度において凝集できるようになる。イオンは、イオンによって生じた初期の極微細粒子を安定化し、さらに凝集してより大きな微細片になる。パナマ沖での超微細粒子群の大量の形成が証明されたのである。

4節 CERNでのカークビーの実験計画

 カークビーの構想

 ジュネーブのCERN(欧州原子核研究機構)の素粒子物理学者カークビーは、スベンスマルクの発見に関心を持ち、宇宙線の増加と雲の増加の因果関係を証明しようとした。実験では、特別な箱の中に大気と雲の条件を再現し、そこにCERNのビームを当て、その影響を測定する計画を立てた。この実験にクラウド(CLOUD=雲)と名づけた。(Cosmic Leading OUtdoor Droplets―宇宙線が通った後の屋外に残された小滴―)

 実施への準備

 CERNの陽子シンクロトロンの実験ホール内で、シンクロトロンの装置が、所定数量に制御された高速粒子を実験用の霧箱に供給し、それを霧箱の周囲に配置した計器が、加速器から出た粒子ビームにより引き起こされた現象を監視し、この霧箱内に形成される液体の小滴は、光の散乱によりその存在が検出される。3Dカメラによる高速度撮影装置で監視した。 そして、宇宙線が雲凝縮核の形成に役割を演じていることを裏付ける結果が出た。この時期にパナマ沖でのデータが公表され、ユウとターコがそれを説明し、それを含めて、この研究チームは2000年4月に提案をまとめ、それはスベンスマルクの考えと一致していた。

 CERNの方針決定の推移

 CERN(欧州原子核研究機構)の内部委員会は、結論を出すことを迷った。2001年に、欧州地球物理学会、欧州物理学会、欧州科学財団らがワークショップを開き50人の専門家で、「イオン、エアロゾル、および雲の間の相互作用」を概観し、「宇宙線によるイオン化が気候に重要な役割を果たしているか」への賛成は半数で、カークビーの研究プロジェクトへは満場一致で支持されたが、別の研究に巨費を投じる決定をしたので3年間研究は凍結され、2005年に再開することができた。

5節 空気箱の地下室への設置

 スベンスマルクのSKY構想

 スベンスマルクはデンマーク国立宇宙センターで、ユウとターコの超微細粒子群の大量発生を説明できる理論を使ってSKY実験を始めた。SKYはデンマーク語の雲である。 宇宙線粒子の中で最も重い電子であるミューオンは、建物も人体も通り抜けて地殻中に消失していくが、その一部が地下室にある大きな実験箱に入り、中をヒューと飛び、窒素分子と酸素分子から電子をたたき出してイオンを生成する。地下での実験は、宇宙線以外の影響を避けるためである。クラウドの実験が凍結されて、SKYの実験が立てられた。

6節 瞬間に起こった極微細粒子の生成

 最初の実験

 デンマーク国立宇宙研究センターのSKY実験装置の中にろ過された空気と微量の亜硫酸ガスとオゾンが入れられ、紫外線が照射された。そこでパナマ沖の太平洋上で発見された自然現象と同様の超微細粒子の発生が再現された。紫外線は硫酸の急速な発生を促進し、少ない分子数で急速に集まって凝集塊になった。形成された極微細粒子群は15分以内に最大数に達した。その数は、1リットル中に2000個で、連続的に計測していたので、累計1リットル中に数千万個となり、太平洋上で計測した数に匹敵する。

 ガンマ(γ)線照射した実験

 次にガンマ(γ)線源を箱内に入れてイオンを増やすと、極微細粒子の大量の生成を誘発した。しかも箱内に入れた直後に大量に検出された。 そこで箱内全体を均一に照射できるガンマ線源で照射した。その結果、空気中に解放された荷電粒子の数が多いほど超微細粒子の生成数も多いことが明確になった。イオン数を増やせば、極微細粒子も増える(イオン密度の平方根に比例する)。このことは、宇宙線数が少ない時の方が、極微細粒子の生成に大きい影響を及ぼすことを意味していた。イオン・シーディングは実際に起こった。

7節 雲を作る種(シード)の種は電子である

 新しい生成機構

 極微細粒子からなるクラスター(群れ)は電子が中心となって生成される。1つの酸素分子に1つの電子がくっついて、その酸素分子が水分子を引き付ける強さを持つことができる。その酸素分子の周りに数個の水分子が集まって、1つの水クラスター(群れ)を作る。この水クラスターは、オゾンにより活性化され、それに亜硫酸ガスが加わると硫酸を作り出し、その硫酸を蓄積していく。 電子はクラスターの接着剤であり、消費されずに次々と移っていき、数個の硫酸分子を集めたクラスターができると、そのクラスターはどんなに小さくても安定した状態になる。そのクラスター上の電子は、別の酸素分子に移って水の分子を集め、新しいクラスターを作る。電子は消費されずに触媒として作用する。

 このクラスター生成過程は非常に速く進行する。瞬時に作られた大量の分子クラスターは、紫外線を点灯することで増加した硫酸分子を取り込んで大きくなり、70個の硫酸分子を集めると約3ナノメートル(nm)になり、超微細粒子として認識されるようになる。 これが大気中で起きると、この超微細粒子は成長して、雲の凝集核になり、それがシード(種)の働きをして雲が形成される。雲のシードのシードは電子であった。それも宇宙線によって空気中に解放された電子であった。 2007年にデンマーク国立宇宙センター所長のクリステンセンは、「多くの気候科学者は、宇宙線と雲と気候のつながりは無いと考えていた。SKYの実験により、宇宙線が気候に影響を及ぼす機構が示された。これを根拠に、宇宙線と気候の繋がりを、国際的な研究課題の中に組み込むべきである。」と解説した。

 まとめ  雲に関するスベンスマルクの説は、次のようになる。

 気象衛星の観測により、地球を覆う雲の量が、数年間の間にリズミカルに増えたり減ったりする変化は、太陽の黒点数が減ったり増えたりする変化、つまり、正確には太陽風の影響が減ったり増えたりする変化と一致することが明らかとなった。これは太陽風の変動により、星間空間からやってきて地球に到達する宇宙線の数が、増えたり減ったりするからである。

 このSKY実験により、宇宙線により解放された電子は、硫酸分子同士が凝集するのを促進する触媒的作用をすることが分かった。この硫酸分子が凝集したものが、雲凝縮核の最も重要な供給源である。星から雲雲から気候という一連の説明は完成した。 SKYの実験は、宇宙線強度の変化が、明確に雲量変化をもたらすという低い高度での大気の状況を再現することに成功した。雲はこの世に水をもたらすが、寒冷化をもたらす能力を持っている。

(注:これは、この書の要約と解説とまとめを、多くは原文の引用ですが、一部は短くまとめたり、書き直したりしています。詳しくは原著をお読み頂きたい。図は後ほど掲載します。黒部)

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地球温暖化は、宇宙線と雲によるもの―不機嫌な太陽―はじめに

2022-09-10 15:17:59 | 地球温暖化

地球温暖化は、人間活動による炭酸ガスによるものか。それは疑問である。

不機嫌な太陽―気候変動のもう一つのシナリオ―

はじめに

   地球温暖化は、人間活動による炭酸ガスによるものか   ―批判的グループの形成を呼びかける

 

 二酸化炭素(炭酸ガス)地球温暖化説はおかしい。これもコロナウイルスの流行から学んだこと。

私が疑問に思う訳は、一つは、地球は昔から氷期と間氷期を繰り返して来たはずでした。

だからちっぽけな人間が環境を変えることができるのは、核(原爆、原発など)しかないと思っていました。それでも、IPCCという専門家たちが言うのだからと、何も知らずに言われれるままに、地球温暖化はよくないと思い込んでいました。

 でもSGDsは麻薬だという斎藤浩平さんの意見を聞き、なるほどと思いました。新しい社会主義が必要だと思います。なぜなら、マルクスの社会民主党を引き継いできた北欧諸国の政治は、今一番人にやさしい社会ですから。

 そこで「人新世」という言葉を調べ、「人新世とは何か」という書を読みました。

 そこには人文社会科学と自然科学が分断されてきており、それは私が提唱する医学は社会科学であるということと同じことでした。気候学も社会学と分断されていたのです。すべての分野の科学を統合して判断すべなのでした。

 環境問題は、1972年の国連人間環境会議(ストックホルム)以後、環境問題は棚上げされ、リオデジャネイロ会議は開発会議であり、1997年の京都議定書は、国連気候変動枠組み条約の締結国会議でしかなかったのです。人間環境会議はどこへ行ってしまったのでしょうか。

 人間の環境問題は、主に福祉社会を追求する北欧諸国の提起であり、私の今の考えに進んだきっかけのロックフェラー大学の環境医学教授であったルネ・デュボスが議長でした。

 その後は、国連人間環境会議は開かれていません。

 気候変動は炭酸ガスによるものとの説は、突然出てきました。元々先進国は、炭酸ガスを出し続け、ロンドンの黒い霧から、アメリカの沈黙の春、ドイツの黒い森、日本も川崎と四日市の公害、東京も一時は都心部が排気ガスであふれ、光化学スモッグもあったのが、今はようやくそこから抜け出しました。しかし、原爆被害者も、その後の水俣病、カネミ油症などの被害者たちは、一部だけの救済で、多くの被害者は救済から外されています。

 福島第一原発事故も、いまだに原発事故緊急事態宣言が解除されていないのに、避難地区の一部が解除され、住民の復帰を促しています。

 しかし、世界の資本家たちは、第二次世界大戦(日本では15年戦争)で労働者の協力を得る為に譲った利益の分配を取り戻すべく、小さい社会を提唱し、新自由主義として、福祉社会を崩して、資本への利益を増やしていった。その一つが消費税であり、公営企業の民営化

であった。それが分かったのは、斉藤幸平さんの「人新世の資本主義」でした。

それで人新世を勉強しました。そこでアメリカの公衆衛生学者シゲリストや、全共闘時代の東大医学部長白木博次が提唱した、「医学は社会科学である」ということを、「人新世とは何か」では、分断された人文社会科学と自然科学の統合が必要であると、その歴史を明らかにしたのです。私の立ち位置は、そこでは「世界の周縁に追いやられた、ネオヒポクラテス学派」であったのです。確かにルネ・デュボスはヒポクラテスへ帰れと提唱していました。

私は、小児科医師連合の運動から、森永ヒ素ミルク中毒被害者の救援活動や、未熟児網膜症の被害者の救援から始まって、ワクチンの被害者救済、医療事故被害者の救済、そこからチェルノブイリ原発事故の被害者である子どもたちの救援に取り組んでいました。私がしてきた安保闘争などの運動は、私の子どもたちが若者になったら、継承してくれると信じていたら、その世代は氷河期世代で、正規雇用されず、労働組合にも無縁で、若くてもホームレスになってしまう世代でした。それを生み出したのは新自由主義です。それは国鉄民営化から始まったのです。その後の大きなことは郵政の民営化でした。それで新自由主義は大学や公務員まで派遣労働者だらけにして、所得税の累進性を廃止して上限をなくし、法人税も減税し、企業は内部留保をたっぷりとし、経営者たちは高額給与をとっています。

 私は、地球温暖化はよくないと思わされ、しかし、それに対してのSDGsやグリーンニューディールは、まやかしだと思っていました。確かに、消費社会はやめる必要がありました。日本の「もったいない」精神を生かすべきでした。

それもコロナ禍の社会が必然的にその方向へ進んだし、発展途上国の人々や先進国の貧困層がすべて文化的水準な生活を送ることを求めることは必然でした。

 ところが広瀬隆さんが、季刊「季節」で地球温暖化の炭酸ガス説は間違いとの論説を出して気が付きました。そこで広瀬隆さんの論文に出ていた本を読みあさりました。

 「二酸化炭素CO2によって地球が温暖化しているという説は科学的に全く根拠がないデマである」広瀬隆、講演録パンフ

 「地球温暖化説はSF小説だった」広瀬隆、八月書館

 「『地球温暖化』狂騒曲」渡辺正、丸善出版

 「気候変動の真実」S.E.クーニン、日経BP

 「地球46億年気候大変動」横山祐典、講談社ブルーバックス

 「異常気象が変えた人類の歴史」田家康、日経プレミアシリーズ

 「不機嫌な太陽」スベンスマルク/コールダー、恒星社厚生閣

 そこでやっとわかりました。「気候変動の真実」というクーニンの本では、アメリカやイギリスでは、Red グループという、地球温暖化二酸化炭素原因説に批判的なグループが形成されているというのです。日本ではそれがないようです。これから作る必要があると思います。

それで、私が一番説得的だと思った「不機嫌な太陽」を、あまりにも難しいので、私なりに書き直して、ブログに載せることにしました。翻訳もうまくありません。私すら読み続けるのが困難でしたから。順を変え、一部は文を書き直しました。

 宇宙線が雲を作り、雲が地球の温暖化と寒冷化の主因である。その宇宙線の変動は太陽と銀河系とさらに数十の銀河をもつ天空にあるというものです。前半だけでもお読みください。宇宙の話は、その説の裏付けにしか過ぎませんから。ただ、寒冷化が生物の進化や人間の登場を生んだという考えも納得しました。 「不機嫌な太陽」は、9章まであり、一度に載せられないので、少しずつ書き直した順に載せていきます。 

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がん性格-――人はなぜがんになるのか

2022-07-31 08:28:57 | がんの話

               がん性格 ( タイプC症候群 )

                人はなぜがんになるのか。ならない人がいるのか。違いはどこか。

         その答えは、こころにあるのです。

   がん性格(タイプC症候群)

 私は常々、がんになるタイプの性格があると考えてきました。それは、私の病原環境論からすると、がんになるのは、遺伝的素因(または遺伝子)とそれを発現させる発癌物質などの自然境と社会環境(それに伴う情緒的環境も)があると考えてきたからです。それを近年発達してきた精神神経免疫学が裏付けをしてくれています。

 今までに、多くの発癌物質や放射線、紫外線などの発がん性が指摘され、見つかってきました。しかし、原爆被爆77年後の現在でも、被爆者の問題は解消されていません。それは生存者がいて、その医療と補償の問題があるからです。

 また私は「チェルノブイリ子ども基金」にかかわり、ウクライナやベラルーシの甲状腺がんや白血病の子どもの支援をしてきました。その中で判ったことは、多くの発病した子どもたちは、家庭や地域社会の環境が恵まれない子どもたちでした。都市から離れた片田舎に住む農民の子や、片親の子どもたちでした。片親になる原因には、もちろん原発の被爆もあり、その為父親が働けないなどの事情も多いようでした。

 以前、小中学校の放射線被曝を減らす運動をしていて、判ったことは、「低線量放射線被曝は、発がんの確率の積み重ねであること。また、発がん性は若いほど高く、55歳を過ぎたら放射線以外の発がん物質による発がん率を上回らなくなること。もちろん被曝の影響も無くなる訳ではありませんが、他の原因と見分けがつかなくなること」でした。

 また、ヒトゲノム計画による遺伝子研究の進歩からも、発がん遺伝子もありますが、発がん抑制遺伝子や、発がん阻止の身体のシステムも人には存在することも判ってきました。

 さらにその後エピジェネティクスという、遺伝子の発現(遺伝子の持っている働きを実現させること)に多くの要因が関与していて、遺伝子があるだけでは必ずしも病気になるとは限らないのです。そこにその人の置かれている、環境やこころが影響しているのです。それは約30年前から、ハーバード大学精神科から始まった「精神神経免疫学」と動物実験から証明されましたが、人間では実験ができないし、研究費がもらえず、世界の片隅に追いやられています。

 昔東大の生物学者が、昆虫の研究で、昆虫には抗生物質様の物質や抗がん作用のある物質を体内で合成しているらしいとの研究結果を発表したことを聞いていました。進化論からすれば、昆虫より進化した動物や人も持っている筈であるとのことでした。

 そこで、疑問がわいてきました。なぜがんになる人と、ならずに生きる人がいるのでしょうか。確かにまだがんになりやすい遺伝子はかなりの数が見つかってきています。

 またアメリカに渡った日系移民の多くは、世代が進むにつれて、アメリカ人の発がん率になっていくし、アメリカ型のがんになっていくことが判っています。現代の日本も、社会のアメリカ化が進むにつれて病気のアメリカ化が進んでいます。

 その原因を、私は社会的環境から来るものと考え、変化してきた社会に対する適応の問題としてとらえています。そこにその人の性格が関与して来ると考えます。

 最新の医学では、なりやすい遺伝子を持っている家系とそうでない家系があることも判ってきています。しかも、同じ遺伝子を持っていても、遺伝子が発現するかどうかは、環境に左右されるようで、現実に遺伝子にスイッチが入るか入らないかで、病気になったりならなかったりすることがあることが判り、その一つの例に性同一性障害の一部があると言われています。病気もいろいろな種類の病気で、スイッチが入るか入らないかで、発病するかしないかが左右されていることも判って来ました。

 今までは、漠然と、我慢強い人ががんになるのではないかと考えていましたが、どこかに違いがないか探していた所、テモショックの本に出ていることを知り、その内容の一部を紹介します。

( )内は私の考えで、他は著者からの引用です。

タイプC症候群

1.怒りを表出しない。過去においても、現在においても、怒りの感情に気づかないことが多い。

2.他のネガティブな感情、すなわち不安、恐れ、悲しみも経験したり、(例え経験しても)表出しない。

3.仕事や人付き合い、家族関係において、忍耐強く、控えめで、協力的で譲歩を厭わない。権威に対して従順である。

4.他人の要求を満たそうと気をつかいすぎ、自分の要求は十分に満たそうとしない。極端に自己犠牲的になることが多い。

(テモショックによるとタイプC症候群は、がんになりやすい性格傾向であると言います。)

(それに対し)

タイプA症候群(ローゼンマンによる)

1.敵対心、競争心、功名心のレベルが高く、病的な程の「性急病」を患っている。緊張性が高く、闘争的なタイプ。

2.闘争心むき出しで、仕事でも人間関係でも常にトップに立とうと猛烈に奮闘している。

3.たいてい不安、敵対心、怒りに満ちている。

4.自己中心的で、絶えず自分の要求とそれを満たすにはどうすればよいかを考えている。

(これが虚血性心疾患つまり心筋梗塞や狭心症などの心臓病になる可能性の高いタイプであると言います。)

タイプB症候群(ローゼンマンによる)

1.心からくつろいでおり、競争的でなく、一度もかんしゃくを起こしたり、敵対したことがない。自分自身とも周りの人々ともうまくやっている。

2.健康的なタイプ

 (これが健康で長生きするタイプであると言います。)

  • 心―からだ―がんのつながりは、はっきりしてきました。

 どのようにストレスに対処するかという一人一人に特徴的な行動は、がんに対する生物学的防御機構に影響を与えうるのです。

 ・患者の行動変容能力

 ・柔軟性

 ・抑圧(抑制とは異なる)

 抑圧における「無感覚」は、ベータ・エンドルフィンという脳内化学物質の増加による可能性があります。(モルヒネに相当する物質)シュワルツ博士は、「抑圧する人の体内では、この鎮痛剤的化学物質のレベルが異常に高く、これがネガティブな感情を麻痺させるだけでなく、免疫系、つまりがんに対する防御機構をも抑制する可能性がある」との結論を出しました。

 

  • 対処行動スケール

タイプA  外在化(自己の内部構造を外界に転嫁する)

      敵対心と競争心でものごとに対処

      自己中心的

      緊張

タイプB  怒りなどの感情を適切に表現する

      自分の要求にも他人の要求にも応えられる

      リラックス

タイプC  内在化(外界の構造を自己の内部に取り込むこと)

      譲歩や、感情の抑圧でものごとに対処

      自己犠牲的

      受動的

  • 感情表現とがん防御機構

感情表現と、腫瘍の成長と防御に関する三つの指標(①腫瘍の厚さ、②がん細胞の細胞分裂の速さ、③腫瘍に侵入したリンパ球の数)との関係

 *感情を表現する患者ほど、腫瘍は薄く、がん細胞の分裂が遅い。

 *感情を表現する患者ほど、腫瘍の基部に侵入しているリンパ球の数が多い。すなわち、がん防御システムが効果的に働いている。

 *対照的に、感情を表現しない患者ほど、腫瘍は分厚く、がん細胞が急速に分裂している。また腫瘍が深い所まで侵入している。

 *感情を表現しない患者ほど、腫瘍の基部に侵入しているリンパ球の数が少ない。すなわち、がん防御システムがあまり効果的に働いていない。

  • 患者の対処スタイル(グリアによる)

1.ファイティング・スピリット――がんの診断を全面的に受け入れ、楽観的な態度をとり、がんの情報を求め、がんと闘おうと決意している。例えば、「がんなんかに負けてたまるものですか。良くなる為なら何でもやるよ・・・」

2.否認――がんの診断を拒否するか、その深刻さを否定したり、軽視したりする。例えば「医者は、用心のため乳房をとっただけよ・・・」

3.禁欲的な受け入れ――診断を受け入れるが、それ以上の情報を求めようとせず、宿命論者的態度をとる。例えば、「がんってことは知っているよ。でも普段通りにしていなくちゃ、私にできることなんてないんだもの・・・」

4.無力感、絶望――診断に打ちのめされ、がんと死のことばかり考えて日常生活にも支障を来たす。例えば「医者もなすすべがないんだ、私はもう終わりだよ・・・」

  5年後の生存率は、1は80%、2は70%、3は37%、4は20%でした。さらに追跡調査の結果、10年後、15年後でも1と2は、3と4の二倍以上の生存率でした。

  • がんの自然退縮があることは判っています。

   それは、オレゴン博士の3500例のデータの集積があると言います。

  • イメージ療法

 健康な免疫系が弱いがん細胞を破壊する様子を思い浮かべるイメージ療法は、従来のがん療法と並行して行えば、有益な手法となり得ます。これが免疫機能の一部に好影響を与えるのは明白です。しかし、がんそのものをくつがえす力があるかどうかについては疑問が残っています。

  • 心身セラピー

 特に、グループセラピーには免疫系を高める効果と延命効果があると言います。いくつかの研究で、ナチュラルキラー細胞の力を強めることができるという証拠が出ています。

  • タイプC変容技法(テモショック)

 セラピーを受けなくても始められるプログラム

1.あなたの要求に気づく。

2.あなたの内なるガイドを見つける。

3.あなたの感情についての考えを再構成する。

4.医者、看護婦、友人、そして家族に対して感情を表現する技術を習得する。

5.医療ケアを管理する。

6.必要な社会的サポートを受ける。

7.正当な権利を確保する。

8.絶望感を乗り越える。

9.ファイティング・スピリットを養う。

  • 乗り越えるべきハードル

愛情とサポートを失わずに、自分の要求を知り、それを主張できることに気づくこと。自分の悪い点を見つけるのではなく、良い点を自分自身で見つけること。

  • がんになっているあなたへの質問

 見舞客の相手をするには疲れすぎてはいませんか?

 検査のスケジュールは、あなたの要求に合わせて変えてくれるでしょうか?

 あなたは医者の説明で納得がいったでしょうか、それともあなたはまだ混乱して不安なままでしょうか?

 体のどこかの部分が痛くて、この痛みを和らげるにはどうしたらよいのでしょうか?

 用意された食事と違うものが欲しいですか?

 あなたの気分を高めてくれる友達は誰ですか?

 あなたは誰に胸の内を打ち明けられますか?

こうした質問への答えが、健康的な対処法の出発点になるでしょう。まず、気づくこと、そして実行することです。

☆ 変容のための内なるガイド

*あなたのガイドは、絶えず「私は今どんなふうに感じるか」と問う内なる声なのです。

*あなたのガイドは、病気に関わる試練の間じゅう、あなたにとって最大の利益になることを求めています。

*あなたのガイドは、本当の自分に背く声を聞くと、いつでも穏やかに疑問を投げかけます。

  「 看護婦にもう一枚毛布を持ってきてもらっては申し訳ない」とか「医者に余り質問するものではない」というような声を聞きつけたなら、ガイドはすぐに乗り出してきます。

 「ちょっと待て。私は今重病人なんだ。そうする権利はあるだろう」と。

*あなたのガイドは、いろいろな声音を持っています。愛情のこもったものや、腹を立てているもの、穏当な物や用心深いもの、そして時には従順なものなどです。

 しかし、それはいつでも最も深い自己の側にしっかり立っています。

☆ 自分の感情に対する考え方を改めること

  抑圧を強化する考え方は、

1.私はいつも勇気を見せなくてはならない。

2.抑うつ、不安、そして怒りは、私をますます不健康にする。

3.医者のすることや出す薬に、疑問を持ってはならない。

4.どんなネガティブな考え方もしてはならない。

5.私は恐怖を克服しなくてはならない。

6.私は家族のため強くあらねばならない。

7.私は自分の痛みのことで、友人に負担をかけてはいけない。

8.私は非の打ちどころのない患者になろう。

9.みんな私によくしてくれるから、文句など言えない。

10.早く良くならなければならない。私の病状がみんなを左右するのだから。

11.もし痛みや悲しみを表現したら、人は私を感傷的なやつだと思うだろう。

 これらの考えを、次の様な肯定的主張に置き換えてみましょう。

「私の病気は重い。私の心も体もできる限りの休息とリラックスを必要としている。 良くなるためには、ほかの何ものにも増して自分の要求に注意を払わなくてはならない。これは自己中心的に見えるかもしれないが、私はずっと与える人間だったわけだし、今は少々甘えることも必要だと感じている。

 回復の可能性をできるだけ高くするためには、自分のことは自分で管理しなくてはならない。いつも勇敢で他人の前で強く振舞おうとすると、元の行動様式に戻ってしまう。その役回りを演じることは疲れることだとわかった。

 回復するだろうと楽観しているが、ネガティブな考えをすべて追い払うことはできない。だから、悲しみ、不機嫌になり、おびえてもいいことにしよう。こうした感情を他人の前でも出せるとほっとする。いつも隠しているのは重荷だった。私は良い「患者」でいたいとは思うが、「非のうちどころのない患者」にはなれない。

 回復するためには、いくらでも時間をかけるつもりである。こういったことは自分へのプレゼントであり、そのおかげで私は自分自身と自分の回復に満足できる。」

  • 自分の気持ちを書くことで、自分の感情を自分自身が客観的に認めることができます。書くことを薦めます。
  • 医者への基本的な質問(フィオーレ博士による)(主治医に聞くことのリスト)

1.先生、私の病気は何ですか?

2.もしがんなら、どんな種類のがんですか?

3.もしがんなら、転移していますか?

4.どのような治療法を勧めますか?

5.代替療法にはどんなものがありますか?(日本では代替療法はありません)

6.何もしないで様子を見るなら、どんなリスクがありますか?

7.この治療法の副作用、リスク、そして効果は何ですか?

8.なぜ手術をするのですか? あるいは、なぜ先に手術をするのですか? また、なぜ化学療法、あるいは放射線療法なのですか?

9.この検査で何が判るのですか? この検査を受けることによるリスクにはどんなものがありますか?

10.この薬の目的は何ですか? 副作用や注意しなくてはいけないことは?

11.セカンド・オピニオンを聞くには、誰を推薦してくれますか?

12.治療を助け、回復を促すのに、私にできることは何ですか?

  • 回復のためのあなた自身の計画

*どの医者と専門家に診てもらうのが良いかを決めること。

*その治療法が一番良くて、あなた個人にもふさわしいセカンド・オピニオンを得ること。

*自分のがんのタイプと段階、そしてよく用いられる治療法について、自分なりに研究して、医者と自分の病気について話し合ったり、決めたりする時に、知識があるようにしておく。

*従来の治療法と並行して利用できる健康へのアプローチには、他にどんなものがあるか調べてみる。食事療法、心理療法、心身セラピーなどがある。(日本では難しい)

*あなたにとって、全体的な健康に必要なものは何かを見定め、それを満たすこと。その為にがん予防食事療法、リラックスするための瞑想、身体的、情緒的健康なためのエクササイズなどを始めることになるかもしれない。(これらも日本では難しい)

  • 医者とのコミュニケーション技術

*あなたが医者に望むこと、そして医者から聞きたいことは何かをはっきりと、率直に言いましょう。その時、「私は・・・したいのです」「私は・・・が必要なのです」という言い方をするとよいです。

*医者を批判するのは避けましょう。医者も普通の人間と同じように、判断よりも感情に反応しやすいからです。本当に良い医者は、言っても良いのですが少数です。

*もし医者が協力的でなかったり、侮辱的だったとしても、無神経だと非難しないようにしましょう。その代わりに、医者のその行為によってあなたがどんな気持ちになったかを話しましょう。例えば「質問が多すぎるとあなたに言われた時、腹が立ちました」とか、「あんな統計を見せられ、怖くなりました」、「話し合いを途中で打ち切られ、傷つきました」というように。「私の言うことにはかまってくれないじゃないですか」というような非難より、感情を言葉にした発言の方が、ずっと聞いてもらいやすいし、理解されやすいです。

*医者の言うことには注意深く耳を傾け、相手の発言と感情も認めましょう。両方向の関係を築いた方がよいのです。

☆ がんの治療の厳しさ

 従来のがん治療の三本柱は、手術、放射線治療、化学療法です。本や主治医から、予想され得る詳しい情報を調べておくとよいです。

☆主人公になりましょう

自分でこの医療ドラマの主人公となれば、それはあなたの精神と免疫系の治癒力に利益をもたらします。そこで、あなたにできることは、例えば、

*主治医があなたの手術について十分な説明をし、あなたの要求に敬意を表していることを確かめます。あなたの要求とは、治療に参加している実感、心の準備、そして主治医をはじめとする医療担当者からのサポートを必要だと感じる気持ちです。

*手術の良い結果を、心に描きましょう。

*手術に対する恐れを、愛する人に表現しましょう。愛する人に手術まで必要なだけそばにいてもらい、意識を回復した時に真っ先に見たい顔を想像します。あなたを一番慰めてくれるのは誰の存在ですか。その人たちに来てもらうように頼んでおきましょう。

*化学療法や放射線療法で心配な点をはっきりさせ、それを口に出しましょう。例えば、もし髪の毛が抜けることを心配しているなら、回復した他の患者にどう対処したか助言してもらうとよいです。そうすれば、こうした人たちの髪の毛が元通りになっていることに気づくでしょう。

 そのことは、あなたもそうなるという、目に見える証拠ともなります。何と言っても彼らは、がんは克服できると言う現実の証拠です。

*痛みへの対処について主治医に聞くこと。そうすれば、心配な心づもりをしたり、実際に感じている痛みに対処しやすくなります。病院にペインクリニックがあるかどうか調べておきましょう。そこではいつも新しい、良い薬が使われている筈です。

また、薬を使わない痛みの対処法として、催眠療法、リラクゼーションなどの行動療法があります。(日本ではありません)

*その病院でグループ・セラピーや個人的なカウンセリングが利用できるかどうかを調べます。精神病的な症状がないとサポートやカウンセリングで得ることはないなどと思わないように。大抵の患者は、グループの場で感情を表現すると楽になります。(これもないです)

*がん治療の副作用や痛みに対処する方法として、瞑想やイメージ療法も考慮に入れよう。例えば、薬が体内で自分のために勇ましく闘っている光景を想い浮かべるといった手法に効果があることは実証されており、コントロール感を高めるのにも役立つ。

☆ 以上ですが、残念ながら、この面では遅れていて、日本では心理療法やグループ・セラピーをしている所は見つかっていません。瞑想やイメージ療法、催眠療法、自己暗示法、リラクゼーション、自律訓練法などは、私も多少心得があり、実際に治療したこともあります。しかし、本人の努力がないとできないことが多く、できる人は少ないです。私はがんの人にしたことはありません。 

 以上は、テモショック「がん性格」の引用と、私の考えを加えて書いたものです。必要なら原文「がん性格」テモショックら、及び「内なる治癒力」、「こころと体の対話―精神免疫学の世界―」をお読み下さい。私が探した範囲では、このくらいしか見つかりませんでした。   

 

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食物アレルギー

2022-06-23 16:18:40 | アレルギー疾患の精神身体医学

         食物アレルギー

ストレスからのアレルギー

 

食物アレルギー

 食物アレルギーは、人為的につくられたものであると考えます。飢餓状態の子どもには生じなくて、豊かな国、食べるものが豊富にある国で生ずるからです。

 私は、食物アレルギーは乳幼児の母親または保育者によって生まれると考えています。それは、乳幼児への食事の強制が主因であるようです。

 最近、クルミアレルギーが増えてきたと聞きますが、クルミの入った食品、ケーキなどを母親が好んで食べているのではないでしょうか。それを子どもには与えてはいけません。必須食品ではないですから。

 そして最大の根拠は、説得療法、自己暗示法、催眠療法で治すことができるからです。また、成長と共に自然に治ることもあります。現代医学では、それを説明できません。

 

食物アレルギーを予防するには

 第一は、アレルギーを起こしやすい食べ物を3歳までは与えてはいけないことです。

 親の好みで、食べているものを与えたりします。また無理に食べさせようとします。これらが食べ物アレルギーの原因です。

 皆さんは、嫌いな食品や食べられない物はありませんか。私は、食べられないものはありませんが、好きでないものはあります。それは昔、私の子ども時代に、そればっかり食べさせられて嫌になったり、その後若い時にやはり家の都合で沢山食べさせられたりして、その後に嫌になったものです。蛇の生血とか、マムシなどは食べられませんが、少しなら、一般的な食べ物は何でも食べられます。絶対食べられないものは殆どありません。

 つまり、子どもに食べ物を強制するから好き嫌いが生じるし、無理に食べさせようとすると、アレルギー反応が起きるのです。これが精神神経免疫学です。

 嫌がったら、すぐやめれば、嫌いな物にはなるかも知れませんが、アレルギー反応は起こしません。

 だから子ども時代にあった食べ物アレルギーも、成長と共に、単なる嫌いな物へと変化することが多いものです。

 

よくある食物アレルギー対策

 〇卵アレルギーは、鶏卵の白身によって起きます。特に、加熱していない「生」または「半生」で与えられた時に生じることが多いです。しかも二回目に与えた時に症状が発生することから、一回目で嫌な思いをし、それを体が覚えていて、二回目に拒否反応を起こすと考えられます。

 〇大体、乳幼児に生の蛋白質を与えることがおかしいのです。しかも欲しがらないのに食べさせようとすることに問題があります。

〇乳幼児で多い食物アレルギーの原因の卵と牛乳や乳製品は、元々人間の自然な食べ物ではなかったのです。さらに特に生の蛋白質が原因であることが多く、完全に加熱したものでは少ない。

 〇実際に、混じっていることを知らずに食べると起きないこともあります。

 催眠実験でも、暗示効果が強く出て、入っていると暗示をかけると、実際には入っていなくてもほとんどの人が反応します。

 また、血液検査でも、皮膚のスクラッチテストやパッチテストでも、100% の相関は得られません。そこには心と免疫の関連があるからで、精神神経免疫学では説明できます。

 〇実際に私の診た幼児で、母親から離れて養護施設に入ったら、アレルギーの出る食べ物が沢山あったはずなのに、何でも食べている子どもがいました。

 〇また私が若い時に16年間、国立病院に勤務していましたが、当時はわざわざアレルギーの調査もしなかったし、アレルギー食も作ってはいなかったのです。ただ好き嫌いはありましたが、入院した子どもたちに「嫌いなものは食べなくて良い」としていましたが、外から食べ物をもち込めなかったので、おなかが空くので、その内に嫌いなものでもみんな食べてしまいました。しかし、家に帰るとまた食べなくなったと言います。

 〇子どもの「好き嫌い」を治そうとすることはありません。何でも食べさせようとすることには無理があります。動物は片寄ったものしか食べない種類もいますし、体に不足するものを美味しく感じるようです。プランクトンしか食べない、蟻しか食べない蟻食いなどが典型です。内陸の動物たちは、塩が不足し、岩塩のあるところへ食べに行ったりします。

〇人間でも体に不足するものを美味しく感じるようです。私は栄養学に疑問を持っていましたが、特にアメリカ主導の栄養学、国際基準の必要栄養量にも本当にそうか疑問に思っています。これは昔、神奈川大教授の故中山茂先生の科学史研究会に2年ほど参加していました。その時に教えられたことです。

〇嗜好食品は3歳を過ぎるまでは味を教えてはいけません(与えてはいけません)。

 

☆もっと自然体で生きていきましょう。「栄養があるから」とか「体に良いから」と食べたり飲んだりすることはよしましょう。基本的に必要な食品の中から、欲しがるものを食べさせていれば良いです。 フィリピンの山中で一人、30年間も戦争していた小野田さんが帰国後に語ったことは、「体のことは、体が知っていると思っていたから、何を食べるかは体に聞いてみた。それで30年間病気をしなかったのだと思う。」と言っていました。現代でもそうですが、ストレスがあるとそれが狂ってきますし、思い込みもありますから、100%そうとは言えませんが。

食べたい時に、食べたいだけ与えることが基本です。ある程度の満足感が得られたら、それこそ「腹八分目」でやめましょう。

 

アレルギーを避ける実践的な方法

〇早期の離乳食はアレルギーを作るということは、間違いです。昔のアメリカでの小児科医の実験では、果汁を始めるのは生後2週間では早過ぎて、生後2か月過ぎからとなりました。穀類は生後4カ月からです。

アレルギーの家系では、卵は与えてはいけません。1歳から固ゆでの黄身だけ与えます。成長しても、卵アレルギーの出やすい人は、白身を美味しいとは感じないようです。

牛乳は完全に加熱して冷ましたものを与えます。刺身類やイクラなどの生の食品を3歳までは与えないことです。ヨーグルトやチーズなどは嗜好食品です。ピーナッツは誤嚥すると危険な食品ですから、乳児がいる家では食べないようにしましょう。そばも子どもが食べる食品ではありません。

以上を守れば、小麦アレルギー以外は避けられます。小麦アレルギーも、小麦製品の強制が疑われます。必須食品では、小麦だけですし、乳幼児では食べなくてはいけない食品ではありません。

牛乳は、しばしば乳糖不耐症で飲めない人がいます。哺乳類の多くは、離乳期になると乳糖分解酵素の産生が出来なくなり、母乳が飲めなくなるので離乳します。人間と一部の動物たちでは、母乳を飲み続けたり、牛乳を飲めるようになったりしますが、それは適応と考えられています。しかし、人間でも遺伝子の働きが止まってしまい、乳糖分解酵素が産生できず、乳糖を分解できなくなるので牛乳を飲むとそのまま出て下痢状になる人がいます。世界的に農耕民族に多いと言います。これはアレルギーではありません。

 

☆実際に、食物アレルギーはどのくらいあるのか。

〇厚労省科学研究報告書2005全国調査(国立医薬品食品衛生研 穐山)

 鶏卵40%、牛乳、乳製品18%、小麦9%、いくら5%、落花生4%、えび3%、そば3%、キウイフルーツ2%。

〇2002年4月省令、7品目表示 卵、牛乳、小麦、そば、落花生、えび、かに。

 準ずる18品目 あわび、いか、いくら、オレンジ、牛肉、くるみ、さけ、さば、大豆、キウイフルーツ、鶏肉、バナナ、豚肉、まつたけ、桃、山芋、リンゴ、ゼラチン。

 鶏卵の60%OVA 加熱で低下。鶏卵、牛乳(ベータ・ラクトグロブリン)も年齢依存。ベータ・ラクトグロブリンは、牛、羊、ヤギ、犬、豚、鹿、馬、いるかの母乳中にあり。人の胃液に分解されない。

 小麦ー 成人に多い。食物依存性運動誘発性アナフィラキシーで最も頻度が高い。

 落花生ー 米国の煎ることで上昇、中国のゆでる、揚げることで下がる。

 そばー 微量でも危険あり、(アナフィラキシー)、えんどう、大豆と相同性あり。

  • 大豆(豆乳) クルミ、ピーカン、ヘーゼルナッツ、ブラジルナッツ、ごま
  • 果実ー キウイ(口腔アレルギー重篤、多い)、

    バラ科果物 リンゴ、桃、サクランボ、梨、いちご

    カバノキ花粉

○魚介類 魚ー  タラ類、スケトウタラ、コイ、タイセイヨウサケ、まあじ、うなぎ、めばち、まさば  も同じアレルゲン

     甲殻類ー えび、かに、(ブラウンシュリンプ、ブラックタイガー)

     軟体動物、するめいか、いくら(日本特有)、(タラコは相動性があるがみられない)

その他 コキニール色素(雌のエンジムシ)赤色色素の含有成分、はちと相同性あり、

☆アレルギー症状から見た交差反応(宇理須)

 大豆アレルギーに醤油、味噌は安全。

交差反応性

 ピーナッツ 他の豆科 5%  桃   リンゴ、梅、サクランボ、梨、いちご  55%

 牛乳    牛肉 10%   えび  かに、ロブスター75%いか、たこ、貝類20~30%

 小麦    他の穀類 20% 

 魚     他の魚 50%  メロン スイカ、バナナ、アボガド 92%

 牛乳  山羊乳 92%

即時型アレルギーⅠ 60分以内に症状出現、かつ医療機関を受診したもの

  2歳まで60%、3歳までに66%、8歳までに80%(20歳以上で9%)が出現する。5歳以前に出ることが多く、5歳以降は初めて出るという出現率は低下する。

皮膚症状  88.6%

呼吸器症状 26.8% くしゃみ、鼻水、咳、喘鳴、呼吸困難

粘膜症状  23.8% 口唇、眼瞼、球結膜、はれ、かゆみ

 気道粘膜症状、嗄声、犬吠様咳嗽、閉塞感、嚥下困難、胸がつかえる、口腔・咽頭・喉頭の違和感

消化器症状 13.4% 腹痛、嘔気、嘔吐、下痢

ショック症状 10.9% アナフィラキシー

☆即時型アレルギーⅡ(2時間以内) (今井による)

 0歳で30%、1歳で20%、2~6歳で30%発症。

 鶏卵(30%)、乳製品、小麦(以上3種で60%)、甲殻類、果実類、そば各5%、魚類4%、イクラ3%、ピーナッツ、大豆、木の実類が各2%、

6歳までは、鶏卵、乳製品が主。乳児では鶏卵、乳製品、小麦で89%。

7歳以上は甲殻類が第一、次いで果実類、そば、魚類。

1~3歳にイクラが多い。

 

☆食物依存性運動誘発性アナフィラキシー

運動誘発性  アスピリン、NSAIDs(解熱剤)の吸収上昇で 15%が関与、男女比1.5:1、

初発年齢 10~20代

  皮膚症状 全身のじんましん、血管性浮腫、紅斑、 ほぼ全例

  呼吸器症状 咳、喘鳴、呼吸困難         約70%

  ショック症状 血圧低下、意識レベル低下     約50%

 回数 2回以上、70%にアレルギー疾患の既往または有病

  小麦製品60%、エビ、カニ、甲殻類 30%

 種目 サッカーなど球技やランニング、

 食後から運動開始まで120分未満約90%、運動開始後発症まで60分未満80%以上。  80%が昼食後、

☆食物依存性運動誘発アナフィラキシー  (相原による)

 1万2千人に一人、男女比4:1、発症10歳で喘息、花粉症などの有病者。

 小麦製品、エビ、カニなどの甲殻類が大部分、野菜、果物もある。

 食後2時間以内の運動をさける。

じんましん、アナフィラキシー  (海老沢による)

 乳幼児 鶏卵、牛乳、小麦、そば、魚類、大豆、 鶏卵、牛乳、小麦、大豆は治る。

 学童~ 成人 甲殻類(エビ、イカ)、魚類、小麦、果物類、そば、ピーナッツで治りにくい。

3歳頃までに50~60%、6歳までに70~80%が治る。(山口による)

 

仮性アレルゲン(直接の原因ではないが、アレルギーが起きている時に食べると長引く原因になることがある)    (中村、飯倉らによる)

 ヒスタミン なす、ほうれん草、トマト、エノキ茸、鶏肉、牛肉、馬肉、サバ、パン酵母、塩づけニシン、ドライソーセージ、キャベツの酢づけ。

 ヒスチジン チーズ類、鹿肉、ピーナッツ、アボガド。

 チラミン  チーズ類、ニシン塩づけ、パン酵母。

 フェニルチラミン チョコレート、チーズ類。

 セロトニン トマト、キウイ、バナナ、パイナップル。

 ドパミン  豆類、長いも。

 アセチルコリン なす、トマト、たけのこ、さといも、山いも、くわい、松茸、そば、ピーナッツ。

 ノイリン  さんま、冷凍タラ、塩サケ。

 トリメチルアミンオキサイド カレイ、タラ、スズキ、たこ、あさり、はまぐり、カニ、エビ。

 

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ウクライナ緊急支援カテリーナチャリティコンサート

2022-06-20 18:02:22 | 未来の福島こど基金

                ウクライナ緊急支援

カテリーナ チャリティーコンサート

   未来の福島こども基金活動報告   2022/7/9

今回、私たちは以前からチェルノブイリ(ベラルーシとウクライナ)の子どもたちを支援していたこともあり、世界の平和を守り、戦争を非難する立場から、 どちらの政府を支援することではなく、被害を受けているウクライナの人々を支援するために、今回チャリティーコンサートを開きます。会場とオンラインの両方で開催します。オンラインでの参加は、登録したら、3日間は見ることができます。遠方の方は是非オンラインで参加をお願いします。

 是非、カテリーナのパンドゥーラと歌声をお聞き下さい。参加費1,500円

会場・オンライン共に Peatixサイトから申し込み

    https:/kateryna.peatix.com

ただし、会場参加の場合には直接主催者への申し込みも受け付けます。

主催 未来の福島こども基金  Tel 090-3539-7611 向井方

会場 新横浜スペースオルタ

         

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アレルギー疾患の精神神経免疫医学

2022-06-02 10:15:31 | アレルギー疾患の精神身体医学

                              蕁麻疹(じんましん)

  じんましんは、よく見られる病気ですが、他のアレルギー疾患と共に医者の儲けになる病気です。今は、ほとんどの病気が儲けの対象になっていますが、アレルギー疾患はなぜ起きるかが、本人のせいになっていますから。これも「こころ」から来る病気ですから、治すことができます。しかし、ちょっと薬を飲めばよくなるというものではありません。

       じんましん  (蕁麻疹)

 1.じんましんは、アレルギー性の病気で、気管支喘息、花粉症、アレルギー性鼻炎、アトピー性皮膚炎などにかかったことがあるか、家族にあることが多い病気である。

  • 2症状と特徴

 自然に治る病気だから、かゆみ以外は治療の必要はないが、かゆみで悩まされる。

 かゆみで始まり、蚊に刺されたようにプクッと盛り上がり、かゆくてかくと次第に大きく広がっていき、アメーバの偽足のようになる。時間がたつとだんだん小さくなるか、または盛り上がりが低くなり、赤味もしだいにうすくなって消えていく。

できても必ず5~6時間で消える。(これが、じんましんの特徴)

 消えてもすぐ隣にできたりして、1日中どこかにできていて長びく場合や、毎日同じ時間に繰り返し出てくることがある。

◎かくとじんましんが出てくる。だからじんましんのできていない皮膚に字や絵を書くと、その通りにはれてくる。(陽性描画症という。)

 

  • 3.治療

 第一は抗ヒスタミン剤と鎮静剤。第二は食事療法。第三はストレス対策。

 急性期には早いと1晩でおさまり、長いと7日間位続きますから、一応おさまる迄は食事療法をして、薬を飲むことを薦める。

 かゆみは、ぬり薬ではとれず、冷やすと少しは楽になりますが(寒冷じんましんの場合はだめ)、薬を飲まないとおさまらない。

 急性期のかゆみには、ボスミン皮下注射が有効で、30分以内に楽になるが、副作用として心臓がドキドキしてしまうので、こどもかそれが気にならない人しかできない。

 食事療法は、すれば 100%効いてじんましんがおさまる訳ではないが、皮膚が過敏になっているので、皮膚を刺激して、じんましんが長引くのをさけるため、アレルギーを起こしやすい食物(卵、牛乳、青身の魚)や今回原因として疑われる食品などを避ける。(食品着色剤、食品添加物も考えられますが・・)

 丸2日間じんましんが出なければ、食事制限はやめてよいし、薬もやめる。

 日光じんましんには日除けスクリーンを使うしかない。

 軟膏は皮膚のかゆい時にぬるのだが、それ程有効ではなく、ぬると気持ちが落ち着くくらいなので、小さいこどもと欲しい人にだけ出します。

 とりあえず薬は5~7日分出しますから、薬がなくなってもじんましんが続く場合は来て下さい。

 2週間以上長引く場合は、食事療法は中止し、抗アレルギー剤を試みる。抗アレルギー剤は2~4週間続けないと効果が期待できないので、長引く場合に使用する。

 6ケ月以上続く慢性の場合には、食事療法を2週間位続けてみる価値はある。

  • 4.原因(アレルゲン)は

☆原因を探し、分かったら食べないこと。

 原因は、飲食物や薬が大部分ですが、食品添加物や、温熱や寒冷などの物理的刺激、吸入抗原、感染、虫刺されからくることもある。

 慢性じんましんの場合は、ストレスや物理的刺激が誘因になることが多く、なかなか原因を見つけることが難しい。

 1)原因を探す為に、食事日記をつけて下さい。

 じんましんができた第1日目の朝から、じんましんに気付くまでの飲んだり、食べたりしたすべての物を、時間毎にメモしておくこと。何日続いても、初めの1日分でよい。

 次にじんましんができた時にまた食事日記をつけ、共通する食物を探す。1回では偶然があり、2回では可能性が強く、3回では確実になる。

 2)いつも食べているものでも出ることがある。

 ◇同じ食物でも、新鮮だと出にくく、鮮度が落ちていると出やすい。

  例-さばによるじんましんは、とって30分以内に食べるとまずできない。

 ◇同じ食物でも、身体の調子が良いとできず、かぜをひいたり精神的に落ち込んだりして、調子の悪い時にできる。

 ◇原因食品を食べてからじんましんが出来るまでに、早いと20分から2時間位で、(早発反応-これが大部分)、遅いと6~8時間(遅発反応)かかる。まれに24時間以上してから出る(遅延反応)ことがありますが、その場合はまず原因は分からない。

 ◇また初めて食べた時には出ず、2度目から出るか、繰り返し食べている内に、出きる。

 3)物理的刺激によって起きることもある。

 寒冷、温熱、日光、水性、機械的刺激、ストレス等によるものも少なくない。じんましんが出ている時に、きついジーパンをはいたりすると、その刺激で、出ることがある。

  • 5.慢性じんましん

☆3~6ヵ月以上続くものを、慢性じんましんと云います。慢性タイプのじんましんには、物理的刺激やストレスによって起きるものが多い。じんましんが始まった頃にあった、ストレスを探し、それを無くすことが第一。割に長引くじんましんは、かゆみが、それ程ひどくないので、がまんしているとおさまってしまうことが多い。でも繰り返し出る。かゆくなければ、上手につきあって下さい。必ずその内におさまります。もちろんストレスがなくなれば、じんましんが出なくなる。

 ストレスの原因を見つけるのが大変です。子どもは見つけやすいですが、大人は難しいし、それが夫や妻とか両親とか身内だと、判っても解決しません。

 

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