黒部信一のブログ

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不機嫌な太陽―気候変動のもう一つのシナリオ― No.5

2022-09-13 10:11:24 | 地球温暖化

      不機嫌な太陽 ―気候変動のもう一つのシナリオ―  No.5

§6.太陽は躁とうつを繰り返しているのか

太陽の動きは変動している。ちょうど人間でいえば、機嫌のよい時と悪い時のように。 (1節の最初は、今後続く、地球の年代測定法の解説が主の為、スペンダー説を支持するところなので重要なのですが、我々には必要ないので、そこは飛ばして読んで下さい。)

1章 不機嫌な太陽は氷山多発期を生む

気候変動は、太陽活動の変動と同期して起こることが多く、宇宙線によって生成された奇妙な放射性原子(ミューオン)の増減は気候変動を示している。その放射性原子(ミューオン)の生成が増えた時は、世界は寒冷であった。

 マンによる最近1,000年間の気候変動 (ホッケースティックのグラフの誤り)

  中世の温暖期と小氷期の存在が不都合である「産業革命以前に起こった自然の気候変動を無視したい」人たちは、この時期の気温の経年変化を水平にさせた。マンは1000~1900年の間世界は涼しい状態を維持し、それ以降気温が急上昇している「ホッケースティック」として知られているグラフを作った。しかし、中世に温暖期と小氷期があった実例は、東アジア、オーストラリア、南アフリカからも出ている。ホッケースティックのグラフの誤りは統計学者の検証に任せることにする。

1節 小氷期における太陽黒点の消失

 宇宙線による大気の変化 (放射性同位元素による年代測定法の進歩)

 宇宙線は地球の大気に到来した印を、放射性原子という形態で置いていく。それは大気中の窒素から作られた「放射性炭素原子14C(炭素14)」で、年代測定に使われている。 [注: 14Cは放射性同位元素炭素14のことで、通常の炭素原子Cは12Cである]

 生成された14Cは、酸化されて炭酸ガス(14CO2)となり、植物に吸収され、その植物やそれを食べた動物に移行し、それらの遺体である木材、木炭、骨、革、および他の残存物に残る。その遺体中の炭素の比率(14C/12C)は、その生物が遺体となった時期の大気中に含まれる炭素の14Cの比率に一致している。それから数千年を経過するとその14Cはその間に徐々に崩壊して窒素に戻る。それで年代を測定し、その誤差を補正するために、大気中の14Cの生成率が、時代によって違っていることを見いだし、樹齢の古い木の正確な年代が分かる年輪ごとに14Cを測定し、それで年代の座標を補正した。 それにより、宇宙線の侵入を防ぐ太陽の働きが、数千年の間に変化した様子を見ることができた。宇宙線を太陽の磁場が跳ね返すことで14Cの生成率を低くしていた。太陽の活動が不活発になると、宇宙線がより多く到達し、14Cの生成率が上昇した。

[注:放射性同位元素とは、ラジオアイソトープ(略称RI)という。原子番号が同じで質量数の異なる元素を同位元素 (同位体)という。原子核は陽子と中性子からなり,陽子の数が原子番号を、陽子と中性子の数の和が質量数を表すので,同位元素の間では原子核を構成する中性子の数のみが異なり化学的性質は同じである。同位元素が存在するため、原子番号と質量数によって規定される原子核を核種といい、質量数を左肩に付して14Cのように表す。 同位元素には安定なものと不安定なものがあり、不安定なものは時間と共に崩壊して放射線を発する。それを放射性同位元素と言い、宇宙に自然に存在し、時間と共に崩壊し、年代によって生成率が異なるので、放射性同位元素の比率を測定することによって年代を測定する方法が開発された。]

太陽活動と気候変動との関連付け

ニュージーランド科学工業研究部のブレイは、紀元前527年以降の太陽活動を追跡し、宇宙線による放射性炭素原子14Cの生成の増加を太陽の磁気活動の低下と関係づけることができた。ブレイは太陽活動の低下と宇宙線強度の上昇を、記録された歴史的な氷河の前進と結びつけたのである。この氷河が前進した証拠は、小氷期の最も寒い期間がまたがっている17世紀と18世紀には、極めて多数にのぼった。その10年後、気候学者のエディは17世紀末における太陽の特異的な黒点極小状態に対して「マウンダー極小期」と名づけた。

1000~1300年の中世の温暖期、その後1300~1360年、1450~1540年、1645~1715年(マウンダー極小期)、1790~1820年と太陽活動が低下した4つの(黒点)極小期の時期を生じた。この時期は短い回復期により分断された。しかし、この(黒点)極小期の寒冷期に氷河が前進して村が押しつぶされたことや、夏が極めて短かったことや、各地で飢饉が起きたことが記録されている。

◎バイオリン製作者ストラディバリが生存したのは、このマウンダー極小期にあたり、この時期の欧州の木は成長が悪く、年輪の間隔が過去500年のうちで最も狭い。それでこの時期のトウヒ材は年輪の間隔が狭く、ことのほか強くて密度の高いものであるので、ストラディバリによってその時のトウヒ材で作られた、約千本のストラディバリウスに匹敵するバイオリンはその後決して作れないという。(それで2022年のオークションでは1534万ドル、20億円で落札された。)

2節 太陽風の送風機の調子と気候変動

 太陽類似星の観測

 宇宙物理学者は、太陽に類似している星(太陽類似星)を25年以上のあいだ観測して、300年前の太陽と同じようにそれが磁気活動を停止することがあることに気がついた。さらにシカゴの物理学者ユージン・パーカーは、小氷期に黒点が消失していたことに気がつき、また、太陽風の理論を生み出し、太陽風により太陽が磁気遮断層を作り、それにより外からの宇宙線の侵入を防いでいるということを明らかにした。

 黒点極小期に寒冷化する理由

パーカーは、太陽の黒点数が減少した時に起こる太陽光度の減少が、小氷期の寒冷化を引き起こしたと考えた。また、気候の変動に影響を及ぼすものは、太陽からの可視光か非可視光の両方かどちらか一方と考えた。1996年にスべンスマルクたちは、太陽光度は小さな要因でしかなく、太陽の黒点の減少は、宇宙線の侵入を増加させ、それが雲量の世界的増加をもたらし、より強力な寒冷化を引き起こすと考えた。

3節 氷山多発期

間氷期に起こった寒冷期

 300年前の小氷期には、アイスランドやグリーンランドは氷が海岸まで迫り、そこにいたバイキングたち入植者はいなくなり、先住民だけが生き残った。陸上の氷河が南方へ拡大し、大西洋に入ると、海洋上を漂流し、氷がとけて陸上で削り取った岩石の屑を海中に落とし、今でもそれが見つけられている。海底の地層コアーを採取して、直近の小氷期と、それより前に1500年の間隔で寒冷期が起こっていた。

[注:1990年頃から、地層コアーからの温暖期と寒冷期の年代測定方法ができたが省略する。地層コアーとは、長い円筒状のパイプでボーリングして、その中に入った地層を採取したもの。その長さは地質によって異なるが、堆積物だと600m以上は掘削できる。]

 北大西洋の海底に堆積した地層から、一般的には10万年ごとにおこる氷(河)期と、比較的短周期の気候変動が重なって起こることも判った。10万年周期の変動は、地球の公転軌道のふらつきによりもたらされ、比較的短周期の気候変動は宇宙線に影響を及ぼす太陽活動の変動によるものである。

 直近の氷期における氷山多発期

 海底地層コアーの研究で、気候の激しい変動が起こっていたことが判った。ドイツ水路測量研究所のハインリッヒたちは、北大西洋の欧州側の地層から、北カナダに由来する白い炭酸塩岩の粒子を見つけた。その粒子から、気候変動で知られていなかった厳寒期が何回も存在していたことを突き止めた。ハインリッヒ氷山多発期と呼ばれるこの時期は、人の生涯にあたる短い期間中に数℃の平均気温の低下があった可能性があるという。海底地層コアーの最大のコレクションは、コロンビア大ラモント地球観測所にあり、同地球観測所の地質学者ボンドは、北大西洋の地層コアーをmm単位で調査した。

 ボンドによる氷期の最後以降の調査

 ボンドは間氷期の調査をし、氷期を終わらせた大きな温暖化は、約1万3000年前の「ヤンガー・ドライアス寒冷期」と呼ばれる厳しい寒冷期によって中断された。その時期にやはりハインリッヒ型の氷山多発期を示す白い粒子が見つかった。海底地層コアーには、寒冷期も記録していた。

◎その時、紀元前1300年に頂点に達した寒冷期は、東地中海周辺の国々を干ばつで苦しめた。ギリシャのミケーネ人とトルコのアナトリアのヒッタイト人の都市文明は崩壊した。ユダヤ人がエジプトを脱出したのは、ナイル河の水位が低くなっていた時である。また、海賊により錫貿易は途絶え、その替わりに、鉄の使用がキプロスで始まった。

4節躁うつ病の太陽

 太陽活動の変化と気候変動

 寒冷化が起こった時期と、太陽活動が低下し宇宙線が増加した時期とが、すべて同時に起こった。スべンスマルクのこの主張は、世間から疑問視されていたが、(彼の説を支持する)ボンドのチームにスイス連邦科学研究所のベーアが加わったことで変わった。

 ベーアの10Be (Beの放射性同位元素10)による研究

 ベーアは、南極とグリーンランドの両極地の氷層コアーを掘削し、それから宇宙線により大気中に生成された放射性ベリリウム10Be量の変化を測定した。半減期は10Beの151万年、14Cは5730年で、10Beは生物や炭酸ガスによる影響を受けることはなく、南極やグリーンランドの氷の上には10Be原子が次々と落下して、氷の中に閉じ込められた10Beは、10万年以上にわたる過去の太陽活動状況を明らかにした。

 突然の温暖化と寒冷化

 コペンハーゲンのダンスガールとベルンのエシュガーは、グリーンランドの氷層コアーの調査で、氷山多発期群の突然の寒冷化の間に、突然の温暖化が起こっていることを発見した。氷中の重い酸素原子(同位体17Oと18O、普通は16O)の割合の変化が、温度変化の指標である。最後の氷期の真っ最中である4万5千年から1万5千年の間に形成された表層に、強い温暖期が、突発的に12回も起こり、その各々が数百年間続いたことを見出した。現在の間氷期の間にも温暖期が繰り返し起こり、それでアルプス越えの近道も発見された。

 現在の地球の温暖化は、氷期の間に起こった強烈な温暖化よりも強いものであろうか。

 最も最近に起こった温暖化は、中世の温暖期と20世紀の地球温暖化の時期である。中世の西暦1000年から1300年頃の温暖期は、バイキングやイスラム文化の絶頂期であった。

太陽活動が活発で宇宙線の侵入を阻止した時期は、中世の温暖期と20世紀の温暖化時期の両方に明確に見られる。過去1万2千年の間氷期の間に、温暖期が8回起こり、その時にはいつも宇宙線は少なかった。間氷期と氷期の双方における寒冷期と温暖期は、太陽活動によって起こっていることは疑う余地がない。

5節氷期における気候の良い時と悪い時

クロマニヨン人の移動

 クロマニヨン人がアフリカから西ヨーロッパに移動したのは、ダンスガール・エシュガー温暖期の約3万5千年の頃であった。西欧にいたネアンデルタール人はクロマニヨン人にとって代わられた。

 1万3千年前のヤンガー・ドライアス寒冷期には、アフリカの降雨は突然ほとんどなくなり、多くの地域を苦しめた。その時期にシリアのユーフラテス川の流域では、穀類の栽培の証拠が見つけられた。背の高い人間の出現は、宇宙線が増加した結果の賜物である。氷期の間、現代の人間は徐々にシベリアまで広がり、そして最後にアメリカ大陸へ渡った。 (約1万2千年頃にはベーリング海峡は氷で覆われており、ここを渡ったモンゴロイドたちは、寒冷化に追われて南米の先端のフェゴ島まで行った)。

 7万4千年前頃の寒冷化

 人類が大きく拡散する前に、気候が初めて氷期の最も寒い時期に入ったのは、7万3500年前頃であった。7万4500年前頃にスマトラ島のトバ火山の爆発でインドまで灰をまきちらしたという程で、空を火山灰が覆えば短期の寒冷化が起きるが、それがあっても宇宙線の強度の方が強かった。

 ボンドとベーアの業績

 ボンドのデータによると、産業革命のかなり前から、自然は劇的な気候変動を起こす能力を持っていた。ベーアの12Beのデータと組み合わせると、小氷期から21世紀初頭にかけての温度上昇の大部分の気候変動に太陽が重要な役割を演じていたことは否定できない事実である。ベーアは、地球の磁場が低下している時には、太陽活動の低下があっても、気候変動は起きていないという証拠を見出していた。

6節 雲形成仮説を否定するベーアのデータ

 地球磁場の変動

 ハレーは彗星を発見しただけではなく、地球磁気学でも変動を知っていた。2000年にオランダのチームは、磁場はあと千年すると消失するという計算をしていた。地球は、磁場の南極と北極を交換する体制に入ったのではないかと懸念されている。磁極の反転(地磁気逆転現象)は、歴史では頻繁に不規則に起こっていて、2千年以上かけて起きるという。

 地球磁場の変化と気候変動

 磁極の逆転は、日本の松山基範とフランスのブリュンヌによって別々に発見された。

しかし、磁気逆転によってもたらされた影響は残っていない。紀元前5千年頃の青銅器時代にも地磁気が弱まったが、気候変動は起きていない。

イルカ様運動をする太陽              太陽風とその途切れるところ

宇宙線の電子から始まって、雲ができるまで


不機嫌な太陽―気候変動のもう一つのシナリオ― No.4

2022-09-13 09:48:48 | 地球温暖化

      不機嫌な太陽 ―気候変動のもう一つのシナリオ―  No.4

§5.地球の歴史と宇宙線

 そして全球凍結などの寒冷期の生物の進化の解明へ。生命の誕生のもう一つの説の登場と、生物の進化の条件は寒冷化であった。(ここからは難しいところは、飛ばし読みして下さい。省略した個所は、主に学術的に説明しているところです。)

6章 スターバースト、熱帯の氷、生命が進化するという幸運

地球全体が氷で覆われた全球凍結が数回あったことは、地質学者を驚かせた。その全球凍結が起こったのは、天の川銀河で星の「生成率」が最も高くなった時で、その時以外は起こっていない。その星のベビーブーム期には、宇宙線が強くなった。若い太陽の強い磁気作用が、地球を守って暖かくし、生物の出現を早めた。全球凍結期には、生物圏の生産性が高い時の繁栄と低い時の衰退の間で大きく振れた。

1節 全球凍結

 氷に覆われた星

 地球外生物の発見を夢見る人にとっては、昔は火星だったが、今は木星の衛星の一つのエウロパである。エウロパは氷で完全に覆われていて、その下には液体の海洋(と生命体)が隠れていると考えられている。

 全球凍結の証拠

1960年代にケンブリッジ大学のハーランドは、約6億年前の堆積物中に、氷河作用の痕跡が、あたかも当時は世界全体が氷で覆われていたかのように、地球の広範囲に広がっていたことに気がついたのである。大陸がどこに横たわっていたかは、岩石に残された地磁気の記録からもたらされている。 1986年オーストラリアのウイリアムスらは、古代に氷から海中に落とされた酸化鉄粒子による地磁気の痕跡から、それらの落とされた場所が赤道から数度以内の領域であったことを突き止めた。その数年後、カリフォルニア工科大学のカーシュヴィンクは、その鉄粒子を伴っていた他の岩石が、7億年前と正確に判っている氷河の作用により、オーストラリアで形成されたものであることを確認した。彼は「これらの広範囲にわたって存在する海水面からの沈殿物が、赤道から数度以内に広範囲に広がって存在する大陸の氷河によって形成されたことは、現在では明らかである。これらのデータは、赤道付近に広大に広がった氷河が存在していたとしなければ説明がつかない」とした。カーシュヴィンクはこの状態に対して「全球凍結」という名前をつけた。そこからは赤道付近でも氷床、氷河や凍結した海が存在したことになるが、赤道近辺の海の凍結度については、完全な凍結か、氷山が流れる半凍結かは、まだ議論の対象である。

 全球凍結が起こった時期

 全世界の大陸から得られた証拠は、7億5000万年から5億8000万年の間に、全球凍結がほぼ3回起こったことを示している。その間、虫類は海底の岩屑をあさることにより生き延び、体制(body-plans)を進化させた。それで5億4200年前に始まったカンブリア紀に入って世界が再び暖かくなった時に、動物種の爆発的発生が可能になった。凍結と生物進化を伴ったこのような急進的な出来事が起こったのは、この時の原生代後期だけではなく、原生代前期の24億年前と22億年前の間に、2回の全球凍結期が存在したことを示す証拠が、20世紀末までに、南アフリカ、カナダ、フィンランドから地質学者によって収集された。

 全球凍結時の地質と生物の変化

 世界最大の鉄マンガン鉱床は、原生代前期が残したもので、海水中に溶解していた鉄とマンガンが、酸素が作用して生成されたものである。地球がさび付いたのである。バクテリアの多くは一層されたが、真核生物は生き延びた。この新しい生物は、遺伝子をカプセル化した細胞核を有することを特徴とし、単細胞の菌類、藻類、および動物に似た草食性生物であった。18億年前までに、一部の真核生物は、酸素を処理するバクテリアを体内に取り込み、それをエネルギー(ATP)の発生装置として利用した。現在では、すべての植物と動物の細胞内に見いだされる。この寄生性のバクテリアの子孫は、人間の体内にミトコンドリアとして存在している。性別が分かれる前にこのバクテリアの取り込みが行なわれたので、現代人はそれを母親のみから受け継いでいる。

 全球凍結を起こした原因

 全球凍結を起こした原因と結果について論争が起きた。 しかし、地球の長い歴史の中で、ほぼ23億年前と7億年前における比較的短い2つの「時間の窓」ともいうべき特定の時期に起こった理由を明らかにすることである。またこの2つの出来事同士の間では、10億年以上もの間、氷が全く無かった理由も説明できるものでなければならない。 シャバイブは、過去5億年間における温室期と氷室期の気候変動を、天の川銀河の渦状腕への運行により説明した。そこから、星のベビーブーム期には、宇宙線が途方もない高いレベルにまで増加したので、地球は雲が多くなり、太陽光が遮られて全面凍結したと説明したのである。

2節 星のベビーブーム

 スターバースト

 地質学者は全球凍結の証拠に驚き、それに対して天文学者は予想よりずっと温かい銀河が多数存在することに驚いていた。

 1983年に、オランダ・アメリカ・イギリスの赤外線天文衛星が、これらの銀河が強い非可視光線を発していることを検出した。1998年に欧州の赤外線天文衛星が、極めて強い赤外線を発する数百個の天体の調査を終了し、ドイツのマックス・プランク地球外物理学研究所のゲンツェルは、天文学者たちの結論を発表した。「極めて強い赤外線を発する大多数の銀河の光度は、その大部分が星の誕生に由来していることを立証する。このような活発な星の誕生が、どのようにして、どれだけ長い期間これらの銀河で起こりうるのかは、課題である。」 これらの活発な活動をしている銀河は、現在、スターバースト銀河と呼ばれている。強い赤外線は、大質量で短命の星が、多数爆発することにより生じた温かい宇宙塵に由来している。スターバーストは、その大部分が銀河同士の衝突によって起こっている。

 2つの銀河が衝突しても、各々の銀河に含まれる星が数十億個と多い場合でも、星間の空間は広いので、2つの星同士が直接衝突することは少ない。それよりも銀河によって運ばれてくるガス同士が高速で衝突して衝撃波を生じるので、ガスが圧縮されてそのガスの崩壊が誘発され、新しい星たちが誕生する。天の川銀河では、それよりも穏やかに作用して、明るい渦状腕を生み出しており、1年に2つ程度の新しい星を誕生させている。スターバーストでは、星の生成率がそれより50~100倍高いこともありうる。

 クラスター内での銀河同士の衝突

 大部分の銀河は、大きなクラスター内で複数の銀河が共に動き回っているが、我々は宇宙という空間内のある瞬間しか見ることができない。それはその運動のステップを1つ刻むのに、数億年要するからである。この運動を決めるのは重力であり、この重力は、銀河を作っている星たちとブラックホールの各質量同士が相互に引き合うものだけでなく、クラスター同士を結び付ける未解明の暗黒物質の大きな重力も含んでいる。(以下、クラスター内の銀河同士の衝突は略。)

 局所銀河群での近接遭遇

 天の川銀河は幸運であった。約500万光年以内の近くには、大部分は非常に小さい「局所銀河群」と呼ばれる30個以上の銀河が見える。近くの銀河としては、大マゼラン星雲と小マゼラン星雲とアンドロメダ星雲の3つの銀河だけが肉眼でも見える。(以下略。)  星の生成を誘発するには2つの銀河が衝突するだけでなく、2つの銀河が近接遭遇した時にも、双方の銀河で、重力により潮汐と圧力波が誘発されて、星のつまった領域がかき乱され、スターバーストを誘発されると考えられる。(以下略。)

 天の川銀河での星のベビーブーム年代

 多くの星の距離は、1997年に欧州の人工衛星「ヒッパルコス」の測定データが公開され、以前より正確に判るようになった。―途中省略―。 さらに2015年に打ち上げられたガイアのデータが待たれている。その結果を待つ間の 不確かな状態でも、約23億年前に起こった最初の2回の全球凍結と、ロシャーピントーが24億年から20億年前の間に起こったと推定したスターバーストとは、時期が一致していることは明らかである。この2つの出来事は、地球がさらされた異常に高い宇宙線に結びついていたと考えることができる。 20億年から10億年前までの長い期間に、氷河作用が起こったことは判っていない。その期間は星の生成率が著しく低い時期と一致している。 ほぼ7億5000万年前に始まった後の3回の全球凍結は、また別の星のベビーブームに結び付いていなければならない。 2004年にマドリッドのサフォーク大学のマルコスたちは、天文学者たちによって「散開星団」と呼ばれている星のグループのデータを使って、約7億5000年前にスターバーストが存在したと推論し、その時期が一致していることを指摘した。

3節 若い太陽は暗かったのに温暖だった矛盾

 若い太陽の活発な磁気活動

 太古においては、宇宙線を遮蔽する太陽の磁気は、現在よりずっと強かった。そうでなかったら、7億5000万年前のスターバーストの時に地球に侵入してきた宇宙線の流入量は、仮に今の時代に同じスターバーストが起こったとした時の宇宙線の流入量よりも、数%少なかったはずで、それは当時の太陽風は今より強かったからである。それで24億年前には、宇宙線の流入量を20%削減できるほど、太陽の遮蔽層は強かったのである。 さらに時代をさかのぼると、太陽は現在のものとは非常に異なっていた。太陽が、約46億年前に、ほこりっぽいガス星雲の中から、その家族である惑星と一緒に初めて誕生した時には、少なくとも現在よりも10倍の速度で自転していた。その磁気活動は活発で、太陽風の密度もはるかに高かった。その結果、宇宙線は生まれたばかりの地球の近くに全く接近できなかった。

 太古における暖かい気候

 若い太陽は、現在よりも温度が低く、放出する太陽光の量がかなり少なかったから、気候の為には幸いした。太陽の中心の熱い場所における核反応が、ヘリウムを生じ、それが膨張中の中心部を満たすので、数十億年かけて徐々にしか明るくならなかった。太陽は、その初めの頃は、現在の太陽光の70%しか放射していなかった。

 初期の地球の地殻は、衝突してくる彗星や小惑星の激しい衝撃により、完全に破壊されると共に、衝突した星を構成する原材料の残骸により、繰り返し再生された。この時代は「冥王代」と呼ばれ、38億年前までの8億年間続いた。地球の非常に若い時代のものとしては、ほんの少量の鉱物粒子しか残っていない。代表的なものが、オーストラリアで見つけられたジルコンである。この破片が44億年前のものであることが、2001年に確認された。ジルコンは通常花崗岩を伴うが、花崗岩の形成には水が必要である。またこのジルコン中には、重い酸素原子の比率が高いことが、それが形成された時に液体状の水が存在した直接的な証拠でもある。 38億年前に始まる「始生代」に形成された岩石は、はるかに多く残っている。その時までに太陽光は現在の75%までに増加していた。 「原生代」の始まりの25億年前でも、太陽光はまだ83%と低く、世界平均気温は-5℃しか期待できない。

 地球が暖かかった理由は?

  1972年にアメリカのセ―ガンらが「太陽が若い時は光が弱かったのに地球が温暖だった矛盾」に注目した。しかし、なかなか答えは出なかった。

 宇宙線の減少による温暖化

 太陽が若かった時に、光が弱かったにもかかわらず、地上には液体状の水が存在していたことだけははっきりしている。 この矛盾に対する唯一の回答は、宇宙線と雲である。すなわち、太陽の若い時は、磁気活動が活発だったために、低い大気層の下まで届く宇宙線が非常に少なくなり、そのため地球を冷やす低い下層雲が極めて少なくなって温暖化したのである。 イスラエルのニール・シャヴァイブはこの説を2003年にまとめた。「太陽の標準的モデルでは、太陽の光度は、過去45億年のあいだに徐々に、約30%の増加をしたと予測している。光の弱い太陽の下では、地球に存在する水の大部分が凍結したはずである。しかし、地球の歴史の極めて初期の段階から、流動する水が存在していたことが観察されている。・・・今回の謎は、宇宙線が地球に到達するのを、より効果的に阻止できるほど、若い太陽が非常に強い太陽風を送り出していたに違いないと考えると解くことができる」。

4節 炭素原子が示す生物生産性の拡大期と縮小期

 38億年前に生物と生物圏が存在した証拠

 グリーンランドの西海岸のゴッドホープ(自治州の首都ヌークの別名)の近くで、氷床と海の間に露出していて見つかった厚い粘土層の遺構の中に、38億年前の古い岩石の中に見いだされた炭素の黒い斑点は、地球上に棲息した生物群の痕跡であった。粘土の中には、黒鉛(炭素のみで形成された鉱物)の微細な小球が極めて大量に存在していた。それは地球が若かった頃に、バクテリアが水中で繁栄していた名残りと考えられる。 コペンハーゲンの地質博物館のロージングは、この小球が、生物の主要構成元素である炭素の各種の同位元素に対して、生物の選択性を示していたことを見つけた。

 海面のプランクトンであるバクテリアや藻類は、水中に溶けている二酸化炭素を取り入れる時に、普通の12Cの原子を含んだ分子の方を好んで受け入れている。重たい13Cは一般の二酸化炭素の分子の90個に1個の割合で存在するが、その分子を拒絶することが多い。その結果、生物の体内における13Cの比率は、自然界の標準的な比率よりも低いのである。ロージングが採取した黒い小球は、ちょうどそのように13Cが排除されているので、かっての生物由来と考えて、「黒鉛の小球を形成した原始生物体の堆積物は、海面からほぼ連続的に沈降したプランクトン様生物に由来したものであろう」と1999年に発表した。

更に彼は仲間のフライと2004年までに、放射性重元素の崩壊により生じた原子量の異なる鉛の同位元素の分析値から得られた手がかりから、水が明らかに遊離の酸素を含んでいることを示した。その鉛の各種同位元素の比率は、38億年前の海水中にウラニウムは存在していたが、トリウムは存在していなかったことを示したのである。(ウラニウムとトリウムは酸素が存在しない時には、固く結びついているが、酸素が存在するとウラニウムだけが水溶性になるのである)。

 このことは高度の能力を持ったバクテリアが、すでに存在していたことを示した。38億年前にバクテリアの一部は、光合成を用いて、日光のエネルギーを使って水分子を水素と酸素に分離していた。水素は、生きている細胞を動かし構築するのに必要な炭素化合物に組み込まれる。酸素は環境中に排出される それまでは、生命の誕生は、海底の噴火口の周辺に見られるように、初期の生物も太陽光ではなく、地球内部のエネルギーに寄っていたと推測されていた。

 しかし、生物に関して、グリーンランドから得られた実態は、生物圏と言える本格的な大規模な生物系からなっていたのである。このことはロージングが言うように、37億年以前に、機能する生物圏を持っていたのである。 若い太陽は、光量が少なかったにも関わらず、その光は、生物系に大量のエネルギーを供給していたのである。そのことは、同じグリーンランドに大陸の花崗岩の最初の兆候が見出されていたことも偶然ではない。

 生物圏の生産性を示す13Cの比率

 そうすると今度は、宇宙線と生物の盛衰との間の繋がりを見出した。 13C(炭素Cの同位体)の原子は、生物が成長する時に広がるので、生物の繁栄と衰退の歴史が地質年代を調べている者には、説明できる。 グリーンランドの小球は、13Cの排除特性を示した。それは周囲の水から13Cの二酸化炭素を取り入れて成長する微細な海洋植物、バクテリア、および藻類の特徴である。この生物たちが豊富な時には、水は、そこから排除された13Cを著しく含むことになる。この13Cは、その時の二酸化炭素から作られた石灰岩に保存されている。貝殻を作る時には、12Cにこだわらずに13Cも取り込むからである。石灰岩の13Cの比率は、水中に残っている比率に従っているので、海中生物の活発さの盛衰を示している。 地球物理学者たちは、炭酸塩の堆積物中の重い酸素18Oと一緒に、13Cも一緒に、半世紀前から分析していた。18Oは過去の温度を探る為にしていた。だが13Cは、地球上の生物全体の状態が、過去にどのように変化したかを示すことに気がついた。

 寒冷期に生物の生産性が高い理由

 13Cが頂点に達した時から判ったことは、過去5億年の間に、生物の生産性が最も高かったのは、石炭紀の後半の3億2000万年から3億年前の間であった。それは地球が天の川銀河の定規腕を通過した結果、宇宙線が強く、巨大な氷床が南方の諸大陸を覆った時である。

 どうして生物は、そのような寒冷期に繁栄したのであろうか。 その理由は、今の地球が氷室期にあるのと同じ理由ではないだろうか。

 人工衛星から見ると、地球の気候様式を見ることができる。温かい熱帯と凍結している極地との間で、温度の違いから、強い風と激しい海流が生じている。海面における生産性は、海面に含まれるクロロフィルの豊富さで測定することで判るが、1㎢当たりの生物体量は、亜熱帯では非常に少ないが、中緯度や亜寒帯の海では、表面の水にリンのような不可欠の栄養素がより多量に補給されるのでずっと多い、と人工衛星は観測している。地球歴史の中で穏やかな時代は、栄養素が欠乏する領域が広がるので、生物は中程度の繁栄に限定される。

 極寒を含む期間の生物の生産性

 23億年前と7億年前に起こった全球凍結を含む期間には、時々炭酸塩中の13Cが極端に低いレベルに落ちていることがあるが、それは光合成が停止し、死んだ生物が12Cを環境中に戻したからである。しかし、その13Cが大きく低下した期間中に、生物生産性の爆発的上昇が散発的に起きている。極端な凍結の期間中に、いくらか緩和した時には、海中の生物は急激に生産性を回復するからである。解き放たれた栄養素に加えて、生物体中に組み込むのに利用できる二酸化炭素が、異常に高いレベルに上昇していたことが、全球凍結の合間に生物の成長を促進した可能性がある。

 炭素原子が語る生物のドラマから、スベンスマルクは、数十億年間にわたる生物群の盛衰に関して、「海洋生物の生産性が低い時の食糧不足と、高い時の豊作との振れが、小さいか大きいかは、天の川銀河内の地球の周辺の星の状況により決定される」ことが分かったのである。

5節 生物の変動性と宇宙線強度

 概説 13Cの値が絶えず変動するのは、地質、気候および生物との間の関係が、本来変わりやすく、地球の歴史の1つの相(phase)から別の相に移ると、13Cの変動の激しさが変化するのである。それには何か別の要因に基づいている部分が存在するのである。

 13Cのバラツキの変化

 2005年にスベンスマルクは、13Cのバラツキが、18Oで測定された海水温度のバラツキと、密接に結びついていることに気がついた。過去5億年の間では、生物の生産性が頻繫に大きく変動する時期は、気候の頻繫な変動を伴っていた。この生物圏の生産性のバラツキは、時々はるかに大きくなっていることに気がついた。そのバラツキが24億~20億年前に頂点に達していた。その時期は、最初の全球凍結期の頃で、天の川銀河においてスターバーストが起こったために、宇宙線が最も強くなった時であった。スベンスマルクは、36億年間を4億年ごとに分割して、各区間ごとに、13Cのバラツキと宇宙線強度の計算値を求めて変化を比較して、その両者が信じられない程よく一致し、相関係数は92%であった。

 宇宙線強度が高い時には、かなり温暖な時とかなり寒冷な時との間で、気候がより大きく振れることを意味している。それは太陽と地球が、この天の川銀河の渦状腕の中に入った時に、腕本態の時と腕内部の裂け目の時との差異が、はるかに大きくなるからである。

 4億年ごとの生物生産性のバラツキ

 およそ34億年前には、若い太陽の磁気作用が宇宙線の侵入を退け、低いレベルに抑えられていたので、(13Cにより示された)生物の生産性のバラツキは比較的小さかった。 32億~28億年前の間では、星の生成率は今日と同じくらいで、海洋での生物の生産性のバラツキも同じくらいだった。これはなぜだろうか。当時はバクテリアしかいなかったが、現在は、人間を中心とする生物群がいて、魚と鯨を頂点とする食物連鎖が支えている。当時のバクテリア群と現代の生態系では、成長の為に必要とする二酸化炭素を固定化する平均速度からのずれで判断すると、気候変動への総合的な対応性は、ほとんど変わっていないのである。

 ほぼ28億年前に、宇宙線強度は高いレベルに上昇し、気候のバラツキと生物生産性のバラツキは大きくなった。

 24億~20億年前には、最初の2回の全球凍結をもたらしたスターバーストのピーク時であり、宇宙線はさらに強くなり、そして(13Cは)つまり生物の生産性のバラツキも大きくなった。

 20億~12億年前には、宇宙線の強度は非常に低くなり、生物圏の生産性のバラツキも非常に小さくなった。

 12億~8億年前には宇宙線は増加し、生物圏の生産性のバラツキは復活した。この時期に多細胞の真核生物が誕生した。進化の「ビッグバン」の時代であった。

 その直後の7.5億年前には、星のべビーブームとなり宇宙線の強度は著しく上昇し、3回の全球凍結期に入った。

 8億~4億年前には、生物圏の生産性のバラツキは比較的高かったが、その時から後は低下した。 4億年前以降には、30億年前の状態に戻った。

 疑問点

 13Cのデータを、天文学から解釈して、地球の生物圏の歴史が語られたが、その単純性が不思議であり、議論の余地がある。例えば、13Cのレベルは、生物の成長により完全に決定されるものではない。生物体が海底中に埋め込まれる率が高い時と、生物の死体が海水中に溶け出してしまう方が多い時とでは、13Cの率は変わるし、大気中の二酸化炭素も関係する。

生物に革新的進化をもたらす条件

しかし、宇宙線の変化に対応した生物圏の生産性のバラツキが、生物の歴史の扉を開くことになると考えられる。最後の全球凍結期における気候のぶれの後に、動物が出現してきたことは、単なる寒冷化ということではなく、寒冷化と温暖化の間で大きくバラツいた気候が、生物の進化のきっかけになったのかも知れない。

他方、バラツキの少ない気候条件では、多くの場合、急進的ではないが、ちみつな洗練化が起こり、その時の気候によく適合するように、色どり豊富な多様性に富んだ種が生みだされている。高度に適合した生物は、その後の気候変動では死滅しやすいのである。星の生成率と太陽の磁気活動という物理的な要因が、宇宙線に影響を及ぼすことによって、地球の気候や生物の生存条件を支配していることが明らかになった。それより因果関係は不明確で微妙であるが、今では、より寒冷な気候条件により、生物の生産性がより大きくぶれるようにも見える。13Cと宇宙線について見出だしたことについて、スベンスマルクは、「もしも、この結びつきが確認されたら、地球上の生物の進化は、天の川銀河の進化に深く結びついていることになる」と言う。これは生物学者に検討材料を与えることになろう。