黒部信一のブログ

病気の話、ワクチンの話、病気の予防の話など。ワクチンに批判的な立場です。現代医療にも批判的で、他の医師と違った見解です。

不機嫌な太陽 ―気候変動のもう一つのシナリオ― No.9

2022-09-14 17:49:53 | 地球温暖化

             不機嫌な太陽

     ー気候変動のもう一つのシナリオ―  No.9

§10.炭酸ガスによる地球温暖化説は、確かに温暖化を早めてはいるが、その効果は小さい。

 コロナが明らかにした、世界の現実。

 しかし、消費社会は止めなくてはならないし、先進国だけが文化を享受し、発展途上国を取り残してはいけない。私(黒部)は、炭酸ガス地球温暖化説は、電気自動車をはじめとして、新たな投資先を作り出す資本家たちの画策ではないかと考える。さらにクリーンな電力として原発を推進する魂胆もあると思う。コロナウイルスの騒ぎは、一つは資本家たちがその流行の土壌を作り出した結果である。世界のすべてに高額所得者と貧困層の格差社会が生じており、福祉社会は切り崩されていたのである。その典型がイタリアとイギリスであった。 日本も、伝染病棟を無くして、一般病院の病床稼働率を上げさせていたために、対応ができなかった。伝染病(流行する感染症)は都道府県の仕事であり、一般病院はその責を問われないはずなのに、行き詰って厚労省官僚は病院のせいにしている。これは、自民党一党支配のためであり、官僚の安倍派への忖度もあるだろう。政権が変わらないので、官僚は内閣の顔色を伺うからである。それを安倍元首相は作ったのである。

9章 2008年における追記 

炭酸ガスの温室効果は微弱である

 宇宙線の詰まった空間領域に太陽系が入ったことが、我々の先祖の運命を決めてしまったのだろうか。ガンマ線は天の川銀河内で爆発性の星の多い渦状腕を浮かび上がらせる。太陽が昔から継続して果たしている気候変動への役割を否定しようとする試みは、失敗に帰した。今では、炭酸ガスの気候への影響は明らかに小さいことが分かっている。地球が寒冷化すれば、この論争に勝つことになるが、それは最悪の事態である。

1節 新しい実験と局所泡への取り組み

 スベンスマルクの実験

 自然に到来する宇宙線が、厚さ1kmの岩の層により断ち切られた場合には、化学反応が起こらないことを確認するために、SKY反応箱を英国のボウルビーの鉱山の中に作った。またドイツのカールスルーエ研究センターで、コペンハーゲンの10倍も大きい反応室での実験を計画した。

 275万年前の寒冷化を起こした原因

 地球の気候と生物の歴史が、星の爆発から響く太鼓の音と、祖先のDNAに魔法をかける宇宙線からの呼びかけと、いかに一緒に歩調を合わせて進行したかを、宇宙のシナリオは教えてくれた。 アフリカの森の喪失と、道具を作り肉を食べる二足歩行動物の出現とを引き起こした275万年前の寒冷化を宇宙線で説明できたことは、「輝かしい業績」であろう。 しかし、これはニューヨーク市にあるNASA気候モデル作成集団によって嘲笑された。その後2つの進展があったので、それは時代遅れとなった。

 第1に、太平洋の海底から得た物質中に、近くの超新星の痕跡が存在することを発見したミュンヘン工科大学のコルシネックのチームは、2004年に我々を支援するように、その出来事に対して約280万年前という、彼らの最初の年代に再び戻したのである。コルシネックのチームは、この年代から閃めいて、宇宙線、気候の寒冷化、および人間の進化、という3者につながっている可能性があると、提案したのである。(その時に本書は出ていなかった)

 第2に、個々の出来事の年代は、当時の一般的な気候とのつながりを追跡するためには、予想に反して、それ程重要でないことが分かったのである。2007年に、グールドベルトに属する爆発性の星の間を太陽系が現在通過中なので、強い宇宙線にさらされているのである。

 星の爆発は、熱くて希薄なガスを局所泡に吹き込んでいる。局所泡の殻は、衝撃波と強力な磁場を含んでおり、太陽自身を保護する、いわば太陽圏の境界の殻を巨大化したものに似ている。この局所泡の殻は、宇宙線を跳ね返す傾向にある。また逆にこの泡は、局所泡内に起こった超新星の発する宇宙線を外側に逃げられないようにしている。この泡は、宇宙線の詰まった「瓶」のようなものであり、それゆえ、個々の星の爆発した年代と場所には関係なく、そこは寒い場所なのである。

 局所泡による過去500万年の気候変動の説明

 100万年ごとに約6つの巨星が爆発して死に至るとすると、局所泡内の宇宙線の強度は、泡の外側の周辺より、20%は高いだろうと推定した。地球の気候にとって、この局所泡の出現と成長の時刻表、そして太陽と地球がそれに遭遇したのはいつかといった経緯が重要である。これらのことを単純に推定すると、過去500万年の間に地球が宇宙空間で遭遇した出来事の歴史が、気候の記録に驚くほど一致していた。

 450~400万年前までの温暖期は、太陽と地球がこの局所泡の殻を通過している時であった。殻の部分は宇宙線は少なかったのだろう。殻の内部へ入ると宇宙線は強力になり、寒冷化が起こった。それが275万年前の寒冷化で、氷が北大西洋で広がり、アフリカが乾燥化し始めた。コルシネックの見つけた超新星は280万年前なので、この寒冷化を強めた。 それからの寒冷化は遅くなる。地球は局所泡の中に閉じ込められ、気候は宇宙線の放射と平衡状態に入ったのである。地球は現在、この状況にあり、長期間の氷室条件が続き、これ以上悪化することはないようである。この局所泡は、熱いガスを銀河のハロー(銀河の外側を包む星間物質の領域)中へ放出する煙突の役割を果たすので、将来は宇宙線は減少し、氷室気候は少し和らぐであろう。

2節 天の川銀河における宇宙線分布図の作成

 天の川銀河の構造

 宇宙気候学は、シャバイブが地球の歴史における氷期への突入と、天の川銀河の渦状腕への地球の侵入との間の結びつきを見出して大きな一歩を踏み出した。 宇宙線が地球大気に衝突した時に生成される放射性原子は、その寿命の長さ上、天の川銀河内で起こった出来事に結び付けることにより、過去に遡れる年代が100倍も拡大された。

 銀河内にある宇宙線の強い発生源

 シャバイブは自分の推論を裏付けを、宇宙線にさらされた古代鉄隕石中に見つけた。しかし、宇宙線はその発生源を教えてくれなかった。だが宇宙線は、はるか彼方で星間ガスと相互作用した時に発せられる高エネルギーのガンマ線である。光と同類のガンマ線は、極めて長い距離を一直線に進める。 1991年に打ち上げられた、NASAのコンプトンガンマ線観測衛星は、搭載した高性能のガンマ線望遠鏡で、近くの月から遠くの爆発している銀河の星まで、多くの発生源を見つけ、宇宙線により作られたガンマ線からなる背景放射の強い領域の方向分布を明らかにし、それが天の川銀河の至る所に存在することを明らかにした。 高エネルギーの領域は、いずれかの渦状腕の方向とよく一致した。その中で最もエネルギーレベルの高いものは、オリオン腕からのガンマ線であった。

 注目すべき2つの最新情報

 2007年の天文学上の2つの報告に引き付けられた。 1つは、地球の全球凍結と関係するスターバーストのこと。もう1つは、天の川銀河における星の生成率の変動性に関するものであった。大小のマゼラン星雲が近くに到来するかも知れないということであった。 24~20億年前の天の川銀河の星のベビーブームと小マゼラン星雲の接近は、同時発生かも知れないのである。この天の川銀河は、他の大半の渦巻状銀河に比べて、星の生成が異常に少なく平穏すぎる歴史であるというものであった。以下略。

3節  “以前とは全く異なる手合わせをしている”

 気候科学者による予言

 本書が提案したことは、化石燃料の消費により悲惨な気候災害が怒る、という予言に対して疑問符を投げかけることであった。本書の出版されたのと同じ月に、「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の作業部会Ⅰは、2007年版の「気候変動の政策立案者用最新概要」を発行した。それは21世紀中に気温が数℃上昇するというもので、太陽の効果は、炭酸ガスの効果の約7%でしかないとされた。

 ロックウッドらの論文

 ロックウッドはスベンスマルクへの支持をやめて、スイスのダボスの世界放射線センターのフレーリッヒの方へ行った。それは、太陽は現在の気候変動に関与していないことを確証したものであった。「太陽の気候に対する強制効果と地球全体の平均表面気温の変動に見られる最近の逆向き傾向」という表題で、ロックウッドとフレーリッヒは、数千年にわたる気候変動には、多くの場合太陽が関係しているという。また20世紀の間における気候温暖化に、太陽がある程度関係しているともいう。それに続く1985年頃に太陽活動の活発化は終了したという。その後太陽活動は低下しているので、現在の地球全体の平均気温の上昇は、太陽活動では説明できないと主張した。 二人が間違ったのは、ここである。 なぜなら、地球温暖化は、太陽の”機嫌 (mood)”の変化に対応して、既に止まっており、温室効果による予想に逆らっている。

 ロックウッドらが間違った認識をした理由

 スベンスマルクは、クリステンセンと共に文書で反論した。第1に、ロックウッドらが表面気温のデータを用いていることに疑問を表明した。なぜなら、「表面気温が太陽の周期に対応していない」というが、上空の温度と海洋の水面下の温度は、双方とも、太陽周期に対応して明白に上昇し、下降していた。重要なのは、ロックウッドたちは9~13年という長期間の平均を用いたので、21世紀の初頭においても、まだ急激に上昇しているという幻想を生み出した。その一つは、1998年から2002年までの間に0.1℃上昇したという。 実際にはその時には気温は横ばいで、気球で測定された上層の気温は、はっきり、より長い期間地球温暖化が休止していたのである。 スベンスマルクらは、「過去10~15年間に二酸化炭素の濃度は、急激な上昇を続けているが、温度を上げることができずに平坦化している。これは、太陽の時期活動が高いレベルに落ち着いており、それ以上、上昇せずにいるからである」という。これは、宇宙線を太陽圏から追い出す役割を太陽が怠り始めたためであった。

 記録映画「雲の不思議」

 デンマークの映画製作者のモーテンセンは、1990年代末以来、スベンスマルクに寄り添って、「雲の不思議」という記録映画を2008年に完成させた。この出演者の中に、ヴァイツァーやシャバイブが入っていた。最後に、批判家からの忠告を扱いたいと言い出した。そこで、海洋の水深50mにおける水の温度を示したグラフを用いることにした。それは宇宙線が少ない時には上昇し、多い時には下降していいた。1990年以降、このデータは全般的に寒冷化傾向を示していた。地球の温暖化は休止しただけではなく、逆の寒冷化に入った可能性があると述べた。

4 破綻した炭酸ガス原因説

 CO2説に対するスベンスマルクの考え

 二人の著者は、できるだけ地球温暖化という政治問題を避けてきた。人々が燃料消費で生じた炭酸ガスは、現在の気候変動を引き起こしていると信じて、石油、石炭、天然ガスの消費を節約しているなら、それは間違った考えに基づく害のない結果である。 スベンスマルクは、南極大陸だけが逆の気候変動をすることを説明できた時が、気候変動の新しい地域地理学が始まったと考えている。この気候変動の地域地理学では、雲と温室効果ガスが、地域ごとにそれぞれ独特の役割を果たすのである。 各種の温室ガスの温暖化効果は、炭酸ガスよりも水蒸気の方を重視すべきであると考えた。

 炭酸ガスと気温との関係

  • 過去5億年の間には、気候と炭酸ガス濃度との間に相関関係は存在しない。
  • 過去100万年の間には、炭酸ガスと温度とのつながりがあった。しかし、そのつながりは主客転倒であった。なぜなら、炭酸ガスの変化が、温度変化より先行するのではなく、温度変化の後を追っているからである。
  • 過去1万年の間には、炭酸ガスと温度との間に相関関係は存在しない。
  • 過去100年の間には、炭酸ガスの増加と温度の上昇との間に、全般的に見れば大まかなつながりがあった。

 しかし、この100年間のデータを検討すると、

  • 20世紀の温暖化の半分は、1905~1940年の間に起こった。この間の炭酸ガスの濃度は、まだ低いものであった。
  • しばしの地球寒冷化が、1950年代と1960年代に起こった。この間の炭酸ガス濃度は、上昇中であった。
  • 21世紀初頭には、炭酸ガス濃度が急激な上昇を続けているにもかかわらず、地球温暖化は、再び中断した。
  • もしも、炭酸ガスによる温室作用が、温暖化を起こすなら、上空の空気は表面の空気よりも速く温まらなければならない。しかし、観測結果は、その反対であることを示している。

 宇宙線と気温との関係

  • 過去5億年の間の温度変化には、4つの絶頂期と4つの谷底期が存在するが、それらは、鉄隕石中に観察された宇宙線の変動に一致するし、また、太陽系が銀河内を周回中に4本の腕と遭遇したことに一致したのである。
  • 数千年の間のリズミカルな気候変動は、宇宙線により放射性炭素や他の放射性核種が生成される量の変動と一致している。
  • 過去100年間の温暖化率の変化も、宇宙線強度の変動と一致している。
  • 宇宙線が気候に影響を及ぼす作用機構の検証は、低い雲が宇宙線の変動に合わせて変動することを観測することによってなされたし、また、宇宙線が雲の凝集核の形成を加速する微細な物理機構が存在することを実験で証明することによってなされた。

5節 小氷期の再来は御免だ

 小氷期再来の可能性

 地球は再び小氷期に向かっているのであろうか。 20世紀の後半における太陽の活動は、非常に活発だったので、1990年以降は、上昇に転じるよりも、下降を続ける可能性が大きいからである。 太陽と炭酸ガスとのどちらが、地球の気候温暖化を取り仕切っているかという問題は、自然の寒冷化ということで解答が与えられるであろう。

 本書の読者の質問

 スベンスマルクは、読者へこう語った。

 できれば政治のことは忘れて下さい。その代わり、次のことは忘れないで頂きたい。発見が行なわれるような最先端の領域では、そこで実際に起こっていることについては、科学者でも、一般の人々と同じように、正確には判らないということです。 ですから、しばしばこの新しい発見者は、学術上の手続きを省略して、その発見を一般社会にできるだけ迅速に、しかもできるだけ直接的に、知らせるのです。ガリレオ、ダーウィン、アインシュタインは、すべてそうしたのです。読者が科学者であろうとなかろうと、この議論を検討して、自分自身の意見を持ってもらえれば、それで充分満足なのです。

 (私の医学医療の理論-ネオヒポクラテス学派∔精神神経免疫学-も同じで、つまり世界の少数派であり、医学界からは認められていないが、実践的には有効であり、医学で因果関係不明とか、原因不明とか、特発性と言われるものをすべて説明できるのです。同じ立場なのでよく分ります。 2013年12月に位置天文学用の宇宙望遠鏡ガイアは、ソユーズロケットで打ち上げられた。2016年から2年ごとに送られてくるデータが公開され、2022年6月にも公開されているが、まだ帰還していないし、データの持つ意味は解析されていない。帰還して、すべてのデータが公開され、それをどう解析するかが期待される。黒部信一)

局所泡の図

地球温暖化は、停止したのだろうか。

上図は、地表気温

中図は、高度1500mの気温

下図は、海面下52.5mの海水温

 


不機嫌な太陽 ―気候変動のもう一つのシナリオ― No.8

2022-09-14 16:41:44 | 地球温暖化

           不機嫌な太陽 

   -気候変動のもう一つのシナリオ―  No.8

§9.人文社会科学と自然科学の統合

 すべての科学は、統合すべきである。自然科学の中でも、気候学も地質学も、天文学から遺伝子学、医学まで、すべての分野の科学が統合されねばならない時代に来ている。医学は社会科学であると、シゲリストや白木博次たちが言ったが、医学だけでなく、気候学も同じであったのである。私は、若い時は、WHOを信頼し、その健康の定義、「健康とは、肉体的、精神的、社会的に良好な状態であって、単に疾病や虚弱のないことではない」を信条にし、WHOの委員にも「ネオヒポクラテス学派」の人がいるのではないかと思っていました。その後シゲリストの「医学は社会科学であり、病気は社会によって起きる。医学は、社会が病気と闘うための道具の一つに過ぎない」との言葉に出会い、さらにルネ・デュボスの言う「生体論的で環境的な医学」を目指すべく研究してきました。そして実践的なアメリカ医学を指針とし、アメリカ小児科学会のリコメンデーションに従い、アメリカの医学書で勉強してきました。しかし、1990年代後半からアメリカ医学も怪しくなり、2000年代には信頼できなくなりました。2009年には、WHOの新型インフルエンザのパンデミックの判定が、ヨーロッパの2人の委員の主張を入れて2段階も上げられました。その後その委員の利益相反が明らかになり糾弾されたのです。それに前後して、地球温暖化問題が登場したのですが、気候学も医学と同じ構造にあるとは思わなかったのです。その後、薬学も遺伝学も同じであることも分かりました。今は、何が正しいか、何を喜寿にしてよいかわからない時代です。アメリカのCDCもFDAも、IAEAもすべて信頼できない状況です。

8章 宇宙気候学の為の行動計画

 気候変動の歴史は、高エネルギーの宇宙線により説明できる。今後、我々の天の川銀河の歴史を、より明確にする必要がある。それに、地球における気候変動の年代記も、より完全なものにする必要がある。我々が太陽に依存している現状を調査すれば、異星生物の探査に有効な情報が与えられる。気候科学は、将来の気候変動に対して対策を立てるのに役立つ情報を提供せねばならず、予言的なものであってはならない。

1節 宇宙線による気候変動の説明

 特別な場合のミューオン量の変化

 2006年、ドイツのコルシカ(CORSIKA)プログラムで計算し、地球大気中で宇宙線は、地球磁場が弱くなっても、気候に顕著な影響を及ぼさないことを説明できた。宇宙線の中で、大気の最も低い高度まで届くミューオンを生じるものは、エネルギーが高いので、地球磁場の影響を受けず、しかもミューオンは気候へたった3%しか影響しないのである。 また、コルシカ(CORSIKA)での計算により、宇宙線と気候を左右する地球以外の天体や太陽の活動過程が新たに解明された。 近くの超新星が爆発して発せられた宇宙線は高エネルギー粒子の比率が高いので、地球に届く前に銀河の外へ飛び出し、地球に届く時には、通常時と比べて、宇宙線量はそれほど変わらないが、ミューオンは3倍に増加する。したがって、10Beや他の原子が記録した宇宙線量から気候を推定する方法は、近くの超新星が気候に及ぼす影響を軽視することになる。 太陽磁場は、地球磁場よりもはるかに強い。太陽の11年周期の間に、高度2kmまで届くミューオンは、10%変化することが予想される。それは海面近くのミューオンの数値と一致しており、そのため太陽の1周期の間、地球を覆う雲の面積が3~4%変化する。

 もう一つの問題は、フォービッシュ減少と呼ばれるもので、太陽表面での大爆発により生じた磁気衝撃波はしばしば、地球に届く宇宙線のカウントを、5~10%、時にはそれ以上、突然減少させる。この現象により、地球を覆う雲が大量に減少するはずなのに起きなかった。 これが、宇宙線が雲の形成に影響を及ぼすという理論を否定する根拠になった。 しかし、この場合もCORSIKAの計算により、太陽からの衝撃波が、通常の宇宙線の影響に比べて、ミューオンを生成する宇宙線に及ぼす影響は小さいことが確認された。このためフォービッシュ減少時に、雲の減少が期待できないのである。それでも1991年には、太陽の表面で数回起こった時に、僅かに雲の量は減少したことがある。

 スベンスマルクの研究態勢   2006年には、宇宙線と気候に関する研究は、急成長する科学の一分野となり、「宇宙気候学」と命名し、宇宙気候学研究センターを創設した。 

2節 雲の分子機構の研究(クラウドCLOUD)

 巨大科学としての取り組み   ジュネーブにある2節欧州原子核研究機構(CERN)が、宇宙線と雲の繋がりを研究するために、クラウド(CLOUD)を作った。これは米英露など17の各種研究所から選抜された50名の研究者集団であった。

 熱心な研究者集団      スベンスマルクのSKY実験装置をコペンハーゲンから、ジュネーブへ移して再実験を行った後の、2010年にはより精巧なクラウド(CLOUD)の設備が稼働することになる。

 時間編              これは、1秒の数分の1から数時間、数日間まで、電子や分子が起こす変化を追跡できる。しかもこの装置は、古代の大気組成を再現して宇宙線の作用を調べることもできる。それで数十億年の時間枠の荷中に入って研究できる。

将来の研究課題  今後は、気球や研究用航空機を用いて、極微細粒子の計測をして、大気の理論と雲の形成の分子機構を精緻化させねばならない。

3節 この天の川銀河をもっと良く知るために

 宇宙線の発生源

 宇宙線の発生源から始めて、宇宙線の生成は、星の爆発から10万年後に強くなると考えられている。ナミビアのヘス高感度望遠鏡は、新たに数個のガンマ線天体を発見した。 今後人工衛星新たな望遠鏡によって、さらなる発見が期待される。

 天の川銀河の磁場

 銀河には腕に沿って磁場が組み込まれているので、宇宙線は、その方向に導かれる。その為、地球が渦状腕の中か外を通るごとに、宇宙線の流入量は増加したり、減少したりする。 地球が受けた宇宙線の流入量を過去に遡って調べるためには、銀河内における磁場の強弱を示したチャートを改善する必要がある。それには電波望遠鏡群を1km平方に配列した観測装置が良いと考え、南アフリカに準備している。また太陽が天の川銀河の円盤の上から下に、下から上に、3200万年の間隔で斜めに横切ることを繰り返すが、この円盤内の宇宙線の濃度も不明確である。

 星間ガス

 太陽が天の川銀河内を周回中に、星間ガスの比較的濃度の高い雲の中に入った時には、いつも、その雲により太陽圏と太陽の磁場は締め付けられる。これはグリーンランドと南極の6万年前と3万3千年前の氷中の10Beに高い宇宙線の強度が記録されていることから考え出されたものである。星間ガスの研究をしているシカゴ大学のフリッシュは、現在、太陽がある領域は、星間ガスが非常に薄い。だが「太陽の気道は、少なくとも数百万年以上は、大きくて濃いガス雲には遭遇しないであろう」という。

 星の分布地図の作成

 ヒッパルコス計画で、最も明るい星について、以前よりも正確な星の地図を作製できた。しかし、不正確さが残り、星生成の歴史は、未完成で、各星の誕生を4億年の間隔でしか把握できなかった。それを引き継いだガイア計画は、完成すれば、100億年にわたる星生成全体の歴史を語れるようになるが、まだ完成していない。また太陽の気道が、円形か楕円形かにも明確な答えが出る。そうすると太陽系が渦状腕を通過した時期をより正確に計算できる。その時期が氷室期に対応するのである。

 他の銀河から得られる情報

 ガイア計画での、宇宙探査機は打ち上げられて5年はかかる。ガイアは2015年に打ち上げられたので、それによって多くの知見が得られる見込みである。

 4節 不可解なリズムで揺れる惑星

 気候に及ぼす各種要因

 今まで述べたのは、地球の気候の直接的調査とその地質学上の歴史的調査から、宇宙線が気候に数十億年にわたって強い影響を及ぼしてきたことを示す証拠についての概要でしかない。宇宙線にたいする評価を完全なものにするには、気候に影響を及ぼす他の多くの要因を把握しなければならない。それは、大陸の成長、山の形成、火山の一斉爆発、海流と極周辺の氷床に影響を及ぼす大陸の移動、大気組成の変化、生物の地球化学的作用、および彗星と小惑星の長期にわたる一連の衝突などである。

 ミランコビッチ効果の実在性

 セルビアの気候研究のアマチュアであったミランコビッチが1920年代に、それまでに氷期を説明するのに出されていたアイデアを精緻化した。それは、「世界の各地域における季節ごとの太陽光の当たり方が、数千年の間に、どのように変化するのかということを説明した。その根拠は、太陽系の他の天体から受ける引力が、宇宙空間に対する地球の姿勢に影響を及ぼし、太陽の周りを回る地球の軌道を変えるというものである」。  天文学者は、この変化を計算できる。地軸はふらついているコマのようにゆっくりと旋回するので、それにより北方領域における季節ごとの太陽光の当たり方が2万年のリズムで変化するのである。また地軸は、横揺れも起こすので、それにより空に昇る太陽の高さが、4万年の周期で変化する。そして10万年の周期で地球の公転軌道の形状が変化するので、これにより、季節ごとに地球は太陽に近づいたり、遠ざかったりする。 1970年代に、海底コアー中の重い酸素原子の含量の変化、気候変動の尺度に、ミランコビッチのリズムが明確に存在することを検出した。 1976年に英米の科学者は、地球軌道の変動を、氷期のペースメーカーと呼んでいた。その後、数億年前という、進行中の氷期が存在しなかった時代にまで遡った古代の堆積物中にも、このミランコビッチ・リズムが見つかった。それどころか地質学者は、堆積物に年代の目盛りをつけるのに、このリズムを用いている。

 氷期における宇宙線の影響

 他方、最近の氷期においては、このミランコビッチ効果の役割は、当てにならなくなった。過去100万年の気候の記録では、一般的な凍結状態から、比較的短い温暖な期間に切り替わった後、再び氷期に戻るということは、ほぼ10万年ごとに繰り返していることであった。 地球の気道の変化では説明できない。 気候の記録上に宇宙線の記録を重ねると、急激な温暖化または寒冷化した非常に短い期間は、宇宙線流入量の大きい変化を伴った。したがって、これらの気候変動は、空にのぼる太陽の高さよりも、むしろ太陽の磁気作用に結びつけられた。宇宙線の増減が気候に及ぼす影響は、現在の温暖な一時期よりも、一般的な氷期の方がずっと顕著であった。これはミランコビッチ効果以外の何らかの要因が、気候変動を起こし、地球の応答感度が変えられている可能性がある。 この謎を解くには、気候におよぼす感度を変える原因を見つけられるかにかかっている。氷期の間には膨大な量の水が、海から陸上の氷床に引き上げられて、海面は非常に非常に低くなっていることが、1つの要因である。寒冷期に広大な面積の大陸棚が露出されるのは、①欧州の北海、英仏海峡、アイルランド海、アドリア海、②ベーリング海峡とシベリア北方の広大な領域(ベリンジア)、③南シナ海、そしてインドネシアの島々の間、が干上がって海流を塞いでしまう。氷期の海面が低いことから、気候変動力に対する感度は、氷期の方が高いことが理解できる。しかし、温暖な間氷期の状態に急速に切り替わることについては、ミランコビッチ効果では説明できない。

 今後の課題     ミランコビッチの意味は、過去200万年前までは、よく理解されるが、時間をさらに遡ると、気候変動の概要とそれを引き起こしたと考えられる理由が、ずっとあいまいになる。

5節 地球の過去の気候をもっと良く知るために

最近分かった過去の気候    2003年に、1億4000年前の白亜紀に氷河が存在していた証拠が発見された。さらに1990年代以降に、その白亜紀よりさらに古い年代に、全球凍結期が存在していた証拠も出てきたのである。これらの大きな発見がごく最近になされた。

 掘削調査

 過去の気候の説明は、1960年代以降に行われた海底掘削と氷床掘削の膨大な実績に基づいている。しかし、最も古いものは、1億8000万年前の海底堆積物でしかない。氷床コアーは、もっと新しいものでしかない。地球の歴史の残り95%を追求するには、最も古い岩石の形成が38億年前に起こっているので、それを探索するしかない。しかし、今までの古い岩石は、偶然見つけられたものでしかない。2004年に米国国立科学財団により組織された「過去の気候に関する学術会議」は、海洋の掘削経験をモデルにした大陸掘削計画を要請した。

 気候変動モデルの作成

 さしあたり、宇宙線の推定値を、他のいくつかの実働要因に関する知識と組み合わせて、単純な計算モデルを試みることは可能である。デンマークでは既に過去200万年よりはるかに古い時代にまで伸ばそうという提案がなされている。① 銀河の渦巻を横切ったこととの関連がよく理解されている5億万年前の顕生代まで、② 全球凍結が起こった25億年前の原生代まで、そして③ 最古の46億年前の冥王代や、比較的弱い太陽光の下での生命活動が始まった38億年前の始生代まで、と言うようである。気候に影響を及ぼした可能性のある全ての実働要因のうちで、数十億年前から数カ月までの総ての時間幅で、明確な足跡を残しているものは、宇宙線のみである。

6節 荒れ狂う宇宙における生物

異星生物の探査計画

 21世紀初頭に研究者が目指す目標の中で、上位に占めるのが、他の星に生存する生物の探査である。欧州宇宙機構(ESA)とNASAが、他の惑星の大気中に、生物生存の可能性を示す水蒸気や他のガスが存在しないかを調べるために、赤外線を検出できるように設計することになっている。

 生物の出現に必要な条件

 地球そのものは、微惑星同士が高速で衝突することにより作られた。そして、海洋は、彗星の氷からもたらされたものであろう。その後、微惑星や彗星が地球に衝突する割合は、ずっと減少したが、それでも引き続いて起きており、時々、大規模な生物の死滅と環境破壊をもたらし続けている。 2005年にイタリアの宇宙物理学者ビグナミは、「宇宙構想: 2015~2025年の欧州のための宇宙科学」という報告書の作成を指導した。これには宇宙における生物の出現に必要な物理的条件を理解することの必要性から書き始められ、そして、1つの恒星とその惑星系との間に磁気結合が必要であると強調している。 「地球の居住性は、特に、ゆっくり進化している太陽により維持されている。というのは、この太陽は、ほぼ一定の日照を与え、また、銀河内の超新星からやってくる粒子群から、我々を守っているからである。高温の太陽コロナから発している太陽風は、太陽圏全体に広がり、荒れ狂う時期を太陽系末端の外まで運ぶことにより、宇宙線の流入量を劇的に減少させている。それ故、我々は、生命―特に進化した形態をした生物の生命―の維持に必要とされる条件を完全に明らかにするために、① 太陽の磁気体系、② その変動、③ 大規模な太陽爆発におけるフレア(太陽面爆発)の噴出、④ 太陽圏、各惑星の磁気圏及び大気の相互作用、を理解せねばならない」。

 したがって、宇宙気候学は、星生成率が高い期間には、強い宇宙線により、太陽の磁気遮蔽圏が押し潰されてしまうことを示している。しかし、それにより、地球が全球凍結になった時でも、生物はしがみついて耐え忍んでいれば生き延びられるのである。我々の惑星は、太陽によって作られた宇宙線防護の太陽圏の内側で、特定の位置と環境にあることから、生物の棲み処として長い間、寄与してこられたのであろうか。その点で地球は、どれだけ特異的なのであろうか。そして地球上の生物の出現は、若い太陽からの強い太陽風により、強い宇宙線が存在しなかっただけで可能となったのであろうか。この疑問が異星生物を探索する鍵となろう。

 生物の隆盛、多様化、および進化をもたらす条件

 もう一つの発見は、生物存在のための条件について、何か重大なことを我々に語り掛けている。それは、強力な宇宙線強度と生物の生産性の極端なバラツキとが、驚くほど密接に結び付いていることである。この生物の生産性のバラツキが大きいことは、13C(炭素13)原子のカウントにより示された記録上に、最も高い生産性と最も低い生産性とが混在しているのである。このことから強力な宇宙線というストレスは、生物圏の生産性に有害な影響だけでなく、有益な影響も、もたらしていることは明らかである。 もしも、生物の生産性が気候変動に関係しているのなら、生物の多様性―全ての生物種の数―についてはどうであろうか。生物の多様性は、生物圏の良好さのもう一つの、しかし全く異なる尺度である。 変化した環境に古い生物種よりうまく適合した新しい生物種が出現し、古い生物種が絶滅する時には、気候の変化が進化を推し進めることができる。このことは古生物学者ははるか以前から認識していた。宇宙線に関係付けて語られた生物の歴史は、彗星や小惑星の衝突で、その時の気候状態に関係なく、生物の多様性を最も多く失わせ、大量の絶滅を引き起こすことは間違いない。このような絶滅の後には、多数の新しい生物種が出現して絶滅分の穴埋めがなされ、生物の生産性は、かえって以前にも増して急速に回復する。この生物の復元力は、ある意味で荒れ狂う宇宙の危機に対するために、あらかじめプログラム化されていることを暗示させる。 宇宙線は、直接的に、遺伝子の突然変異を引き起こすことにより、進化の速度に影響を及ぼしたのかもしれない。遺伝子の非連続的な(突然)変異に基づいている。その変異を見出すのである。比較遺伝子学によって、宇宙気候学は生物学の最先端に出会う。

7節 太陽活動の盛衰を読み取る

 気候に及ぼす太陽の影響

 ESA(欧州宇宙機構)は、太陽の幅広い研究を推進した。ESAのプロジェクトは、太陽が自分の存在を示すものとして3つの作用を評価している。それは、① 可視光と不可視光の放射作用、② 太陽風が地球磁場に影響を及ぼす作用、③ 宇宙線を制御する作用。

 大気の低いレベルまで到達できる宇宙線が、気候変動に対して最も大きい影響を及ぼすが、それと比較して、① 太陽活動によると考えられている他の作用、② 火山爆発や、東太平洋と世界全体を温暖化させるエルニーニョ現象を含む、地球のいかなる他の自然現象から来る気候への強制は、気候に対して小さな影響しか及ぼさない。 宇宙線、雲、および気候間のつながりは、数十億年を対象にした場合に重要であるように、現代でも重要である。数年先や数十年先を予測するような短い期間では、銀河内の環境は変わらないので、気候変動に重要な宇宙線の変動は、太陽の磁気活動の変化に依存することになる。

 黒点数の変化の影響

 太陽の黒点数の予測はできない。黒点数とフレア(太陽面における爆発現象)発生頻度との間に関連性があるが、おおよそでしかない。宇宙線もまた、太陽の黒点との関連性も余り強くない。一般的には、宇宙線の流入量は、黒点少ない時には高く、多い時には低いが、関連性は少ない。

 太陽の磁気活動の予測

 放射性原子による宇宙線の記録は、太陽活動に長い期間が存在し、それに伴って、時期による宇宙線の遮蔽圏が、約200年と1400年との間隔で、強化と弱体化を繰り返すことを示している。しかし、太陽の磁気活動は誰も予測できていない。

 星の磁気の観測

 パーカーは、太陽類似星の数を10から1000へと増やすべきであるという。それによって、稀にしか起こらない現象を検出する機会が増えるから。 太陽の将来を予測することはまだできていないし、太陽の極の一方はまだ見えていない。

 太陽活動の予報

 21世紀の間には、予報された太陽活動と宇宙線の値を基礎に用いて、気候変動を本格的に予測できることが期待されている。しかし、太陽の物理学は現時点では不明確なので、宇宙気候学者は、21世紀に起こることについて、いかなる結論も出すべきでないだろう。

8節 今日の気候変動についての建設的な見解

予報士による長期気候予報の問題点

 宇宙線が気候変動を引き起こす重要な要因なのに、その予測ができない現時点では、数十年先の気候予報をすることは科学的にはできない。1970年代にプリンストンのスマゴリンスキーは、「間違った気候予報を出すくらいなら、全く出さない方がましである」と警鐘を鳴らしたが、いまでも真実である。気候モデルはまだ仮定や簡略化が用いられているので、まだ疑わしい。 地球の気温への炭酸ガスの影響の可能性は、今でも、気候モデル作成者の自由裁量によって決まり、幅広い範囲内から選ばれた予測値に依存している。21世紀の間にやってくる温暖化の予測値は、今では0.5~6℃近辺にまで及んでおり、多い予測値は3~4℃あたりである。

 この炭酸ガスの温暖化効果の明らかな過大評価を下方修正することは、炭酸ガスを生成することとなる化石燃料の無駄遣いを推奨することではない。気候とは関係なく、化石燃料消費の節約を要請する理由は、他にいくらでもある。例えば、① 健康を害するスモッグをできるだけ削減するため、② 地球の限られた燃料資源を長持ちさせるため、③ 貧しい国のためにエネルギー価格を低く維持するため、などである。

 宇宙線の変化により雲の形成量が変化するという因果関係は、現在の気候変動を10年ごとに見た場合の重要な特徴を今でも説明している。炭酸ガスの影響は、予想値よりもはるかに小さいように思われることが度々あるのはなぜか、説明することが気候科学において緊急の課題である。 20世紀末の気候モデル作成者にとって、炭酸ガスに焦点を当てたことによって、長期の気候予側が実現可能に見えたのであろう。しかし、当分の間、長期の気候予測は原理的に不可能である。なぜなら太陽は今後、どのように変わっていくのか、また地球の雲量に今後どれだけ影響を及ぼすか、ということに誰も答えられないからである。 地球温暖化を警告している大部分の予測が、大げさすぎるようだということが分かっただけではない。世界の貧困地域の人々にとって、気候変動は貧困や餓死を意味するが、気候変動の機構が正しく理解されれば、より有意義な忠告がその人たちにすることができ、それが活用されることになるだろう。 破壊的な、洪水、渇水、防風に対処している人にとって、それは地球温暖化による災害だと言っても何の役にも立たない。それは建設的な行動を起こすことに何も貢献しないからである。

宇宙気候学者が貢献できること

 宇宙気候学は、長期の気候予報はできないにしても、地域ごとの気候変動の理由とパターンに関しては、深い見識を提供できるはずである。それにより、被災民は助けられ、為政者は最悪の結果を回避できるだろう。 地球を覆う雲量が変化するパーセント(%)を特定することにより、各緯度帯に地表の気温が温暖化か、それとも寒冷化することを示す利点がある。南極だけは他の地点とは逆の変動をすると示せるのも、その一つの例である。 アジア・モンスーンは、熱帯および亜熱帯地域を照射する夏の太陽と、広大な領域を覆う雲の塊を、動力源としており、数十億の人々はモンスーンの雨に依存して繁栄している。過去にモンスーンが発生しなかった時には、大規模な飢饉が度々起こり、時には文明が崩壊している。反対に雨が多すぎた時には、インド、バングラデシュ、中国に大洪水が起こっている。

 2005年に南京師範大学のワン・ヨンチンのチームは、南中国の洞窟から得た石灰質の層状石(石筍)を調査し、過去9000年の間に、太陽活動が雨季の雨量に繰り返し影響を及ぼしていること示して、太陽の明るさが原因であると推定した。 しかし、そのデータそのものは、別の原因、つまり、宇宙線流入量が多い時には、モンスーンが弱められて降雨量が少なくなり、宇宙線流入量が少ない時には、モンスーンが強められて降雨量が多くなっている。 その理由は、宇宙線量が少なくて熱帯海域上の雲が少ないと、海水の表面温度は高く温められ、余分な水分が風の中に供給されるので、水分の多い風が、数日後に陸上のモンスーン地帯に雨をもたらすからである。 同じ関係が、太陽の活動と夏の雨との間にも存在することが、過去50年の間に、アジアだけでなく、アフリカのサヘル(サハラの南縁の半乾燥草原地帯)でも確認されている。

 インド宇宙物理学研究所の太陽物理学者のヒレマスは、インド・モンスーンの過去130年にわたる変動を調査し、2006年の「太陽圏と地球環境に及ぼす太陽の影響に関する国際宇宙科学研究会議」で、スベンスマルクの理論を引用して、「降雨量の変動幅、太陽活動、および銀河宇宙線の間に因果関係が存在するように思われる」と語った。それは① モンスーンの発生、② 太陽活動の活発化、③ 赤道直下の太平洋における海水温を上昇させるエルニーニョ現象の発生、という3者のつながりに関してのパズルである。 エルニーニョが発生すると、その後にはいつもではないが時々、インドで厳しい干ばつが起こる。そして季節予報に太平洋のデータしか用いないと、干ばつ警報を出しても起こらなかったり、出さないのに干ばつが起こることがある。それに対し、予報士が太陽活動をも考慮に入れると、ずっとよく当たるのである。 そしてヒレマスが示唆しているように、もしも、雨期の雨量が多くなったり、少なくなったりする周期が、太陽の磁気活動の22年周期に結び付いているなら、それに合わせて計画を立てることができる。そうすれば、農民は、現在の宇宙線強度に合わせて、彼らの収穫量、および灌漑用水の排水量を加減することができるだろう。食料援助を担う救助機関にとっては、これは重要である。

 予言の戒め  気候科学は、対策を立てるのに役立つものでなければならない。太陽活動の全貌を充分に理解できていないうちに、将来を予言することは邪道である。当たる確率は低く、世間を惑わせることでしかないからである。

 

 

 


不機嫌な太陽 ―気候変動のもう一つのシナリオ― No.7

2022-09-14 05:49:02 | 地球温暖化

        不機嫌な太陽

        ―気候変動のもう一つのシナリオ―  No.7

§8.  300万年前からの気候変動、寒冷化が、人間を登場させたのか。

7章 人間は超新星の子どもか

  気候の変動と人間の出現は、密接に関係していた。人間の出現は、現在の氷期が始まった時期と一致していた。その頃に、地球に極めて近い星の1つが爆発し、それで生じた「宇宙線による冬」が、生物の進化を起こさせたのであろう。天文学者は、地球を奇襲した超新星を探している。

1節 概説

 275万年前に近傍で爆発した星

 その星の候補地は、南十字星の近くで輝いていたか、北方のプレアデス星団(かってはスバルと呼ばれていた七つ星)の星の間にいたか、論争されている。200万年以前の時代に、地球ではまだ類人猿の時代に起こったことである。 爆発してから数十万年の間、その超新星の残骸が地球に吹き付けた宇宙線は増加したに違いない。その星からエネルギーの弱い別の種類の飛沫、それは星の爆発中の核反応で生じた地球には存在しない原子核が、地球に届いたのである。それが届いたのは、その超新星がわずか100光年程度しか地球から離れていなかったからである。ドイツの物理学者が、それがその地球には珍しい原子核であったことから、その超新星の爆発を突き止めた。 275年前に厳しい寒冷化が起こったことと、人間の作り出した道具や人間特有の遺伝子が初めて出現するのに都合のよい環境に変化したこととの関連性をしている。

 275万年前の寒冷化の原因

 1400万年前までに、南極の大部分は氷で覆われて、その後グリーンランドも氷で覆われてるようになった。そして世界全体は地形の変化中であった。この地形の変化が275万年前の寒冷化の舞台を整えた。 それは、アフリカ大陸では、東部の大地溝帯の両側が隆起し、高台のドームが沢山出来、東アフリカは雨が少なくなった。 インド大陸は、アジア大陸の底部に入り込み、ヒマラヤとチベット高原を押し上げた。このため、亜熱帯に寒気の停留地帯が生じた。 オーストラリア大陸が、アジア大陸と衝突し熱帯海流のルートをふさいだ。 北アメリカ大陸と南アメリカ大陸は別々に漂流し、300万年前に、パナマ地峡が完成して両大陸はつながった。大西洋と太平洋は断ち切られ、海流の流れが変わった。地形の変化の 大陸の漂流する速度は爪の延びる程度なので、500万年前から先行期間が始まり、その頃は暖かく、海面は10~20m高く、気温は数度高かったのである。

 これは、宇宙線による気候変動で説明できる。 6000万年前に太陽系は地球を伴って、天の川銀河のオリオン腕の中に入った。そこは5章に書いたように、短命の星が多く存在し、通過するのに3000年前まで続いた。それで6000~3000年前の間、地球全体は寒冷化した。その後、過去数百万年の間、太陽系の各惑星は、宇宙線という風によって揺られたのである。

2節 アフリカのサヘルが埃っぽくなった時

 海底地層の調査

 1995年イギリスの西側の大西洋の海中の、地下1kmの深さまで堆積物の試料コアーを掘削した。ドイツのブレーメン大学のバウマンらは、その堆積物の中の、色の変化した部分を診て、寒冷気候の始まった印と直感した。氷山が運んだ岩屑がその場所に到着して、それが地球の気候変動の歴史における現在の寒冷相が開始したことを示していた。それ以来氷床は、たびたび拡大して行った。他の地の岩屑が、この地にもたらされたのは、275万年前であった。 この試料コアーを調べたら、ある時点から海水中の重い酸素原子の比率がはね上がり、同時に凍結の形跡が示された。その時点からさらにさかのぼった270万年前まで、かなりの氷床がユーラシア大陸と北米にあったことが判った。 

 熱帯地方の気候変動の結果を示す為に、南下した。 サハラ砂漠の南端のサヘル(サハラ砂漠の南縁部に東西に帯状に広がる半乾燥地帯)周辺は、季節的降雨がなく、飢饉が続いていた。乾期の北東の風は、砂塵を沖合へ運ぶ。 1986年にその風の通り道で、1500km沖合の大西洋の海底を掘削した。そこで採取した堆積物から判ったことは、風で運ばれた大量の砂塵が、そこの海底に最初に現れたのは約280年前であった。その時から乾燥化が始まった。

 他の海底掘削地は、西アフリカの海岸に近い場所と、アラビアの沖でアフリカの東の地点であった。そこでは、砂塵はさらにさかのぼった時代にも普通に存在していた。その頃には世界の各地に砂漠が存在していた。その変わり目の280万年前のあとは、砂塵の値は増加した。

 アフリカの乾燥化の影響

 このアフリカの乾燥化の研究は、ニューヨーク市の近くにあるラモントドハティ地球観測研究所のデメノカルが行なった。1995年最初の報告書を書き、その後海洋のデータを、アフリカの陸上生物の化石の記録と比較したのち、「これらの結果は、気候変動が、生物の起源に重要な役割を演じていることを示している。」と語った。 アフリカにはほとんど雨が降らなかった。その為に大きな森林地帯は縮小し、類人猿は果実の実を見つけにくくなった。類人猿は、アフリカの草原で生活をするようになり、草原には大きな動物たちがいた。肉を食べるためにあごが進化し、硬い生肉を切る為に、石器が作られた。

3節 石包丁と新しいあごの筋肉

 猿型生物から人間の出現まで

 600万年頃に二足で走り動き回っていた猿に似た生物の化石骨が、2000年と2001年に、ケニア、エチオピア、チャドで発見された。この時に発見された女性たちの化石は、後ろ足で立てることを示しているだけだった。 発見されたこれらの初期の猿人への進化は、数百万年強もかかった。猿人は、その従兄弟である通常の類人猿と比較すると、希少な存在であり、脳は小さく、習性と食生活はまだ類人猿のようであり、まだ自然が生んだ実験的な二足歩行動物であり、足の長いチンパンジーのようであった。 エチオピアのオモ川下流域(エチオピア最南部の山岳からケニアのトゥルカナ湖にそそぐ川)は、前人間、および初期の人間の数百万年にわたる化石(人骨)が残っているが、そこで出土した動物の化石の全数調査により、その地は、以前は木々の茂った林や森で覆われていたことが示された。(オモ川下流域で最古の打製石器も発見された) 350万年前から、そこの森林は木々が減り始めた。 280万年前以降に、世界が強烈に寒冷化した時には、草原に適応した動物の比率が著しく増加し始め、それから40万年以内には、草原に適応した動物が森林性動物を上回ることとなった。その間に人間が最初の足跡を残した。

 草原への適応

 アフリカは草原が拡大し、生物はそれに適応していった。アンテロープ(カモシカの仲間)という新種がおびただしい数になったので、大きな猫科の動物や他の肉食動物の恰好な獲物になった。しかし、類人猿や猿人は採食用のあごや骨格のために、生存の為に生肉を食べるためには、鋭い歯か、鋭い刃物が必要であった。 生物が作ったもので最古のものは、1990年代にエチオピアで発掘された石器であり、ほぼ260年前のものである。それはこぶし大の丸石を素材にした鋭い肉切り包丁であった。 エチオピアの道具研究者のセマウは、2000年の報告に、「形を整えた石を使うことは、技術上の大きな突破口であった。動物から肉や骨髄などの食料を効率よく利用できるようになり、生存を可能にした。切った痕跡や骨破砕の証拠があり、250万年前という時代にヒト科の動物の食事の中に肉が取り入れられた証拠である」という。

 人間の脳の発達

 なぜ人間の脳は、類人猿の脳より大きくなったのであろうか。 ペンシルベニア大学のステッドマンらは、すべてのサルと類人猿の、あごを咀嚼筋肉の熱さと強さを決定しているmyth16と(命名された)いう遺伝子を同定した。その筋肉は、頭蓋骨を完全に取り囲み、脳の成長を制限していた。 現代人は、その遺伝子の突然変異型を持ち、弱体化した咀嚼筋を持っている。この人間のあごの弱体化に伴って顔は平たく、歯は小さく、そして頭蓋骨は丸くなった。この突然変異が起こったのは、約240万年前であった。この遺伝子の変化した年代は正確ではないので、最初に道具を作ったのは誰かということで、議論は二つに分かれている。

 一つは、当時エチオピアに住んでいたアウストラロピテクス・ガルヒと呼ばれる猿人が関与しているというもので、遺伝子の突然変異は彼らに定着していたから。彼らは小さい脳で、既に石包丁を使っていたから、弱いあごでも生き延びられた。 もう一つは、突然変異が最初に起こり、それで賢くなった人類の祖先が丸石を加工したというものである。

4 ハエ取り紙に捕らえられた超新星の原子

 海底の調査

 1870年代に、海底調査船HMSチャレンジャーに乗り組んでいた英国の海洋学者は、平らな鉱床や丸い団塊状のマンガン鉄の堆積物を発見した。それは地球で成長した金属原鉱石の塊で、その塊の中に重い鉄原子の形で異星の遺物(超新星の証拠)として保存されていた。 その100年後に海底からそのマンガンを採掘しようとした。 1976年にドイツの研究船が、深い太平洋の海底からその沈殿していた資料を救いあげた。このマンガン鉄の堆積物は、ハエ取り紙のように、星が吹き飛ばした原子を捕まえており、遠くの宇宙で起こったことを記録していた。それが判ったのは1990年代後半にミュンヘン工科大学のコルシネックたちで、過去数百万年前に地球の近くで起こった超新星爆発を探し始めていた時だった。

 超新星からの飛来物の探索

 爆発している星では、核反応が大規模に起こり、1つの元素を別の元素に変換し、惑星と生物の為の、新しい原材料を作り出す。それで生じた原子は、四方八方に飛び散り、その一部は偶然にでも地球の一部に届くであろう。 しかし、爆発した星から飛び散った材料が、宇宙空間のほんの1点である地球に届く量は極めて微量になる。超新星がかなり近い時でさえ、極く僅かしか届かない。 その上、地球と地球上のすべての物は、同様の起源で生じているので、太陽と太陽系の星たちと同様に、生存して死に至った星たちから得られた元素からなっている。したがって、最近の超新星から普通の鉄原子が届いても、それがこの地球の始まった時から存在していたものと区別できない。 それで、爆発した超新星からの原子のうち、この地球に存在しない原子を見つけ出すしかない。したがってそれらは地球の年令よりずっと短い放射性元素でなければならない。 たとえ同じ原子が地球上に存在していても、それははるか前に他の原子に変化しているからである。また寿命が短かすぎても、地球に到達するまでに寿命が尽きているので、それを見つけることができない。それで寿命が中間の長さの原子を、調査対象にした。 そこで最適の候補になったのは、通常の鉄原子56Feよりかなり重い60Feであった。これが放射線を出して崩壊し半減する速度は、150万年かかる。従って、1000万年以上経ったら微量しか残らない。

 これを検出する技術を、ミュンヘンの研究所のコルシネックは持っていた。それは加速型質量分析器と呼ばれる大型の装置で、試料を高速に加速し、強力な磁石でその進行方向を急に曲げることにより、各種の原子をその質量に応じて分類することができる。この方法で、分子量がほとんど同じ原子同士の混同を最小限に食い止めることができる。これにより、100万×100万×1万個の中のたった1個の特別な鉄原子を見つけることが可能であった。 2004年に、コルシネックたちは世界で初めて、近くの超新星から届いた原子を見つけた。 ハワイの南東の海底の掘削基地で、ほぼ5000mの深さの海底から取ってからでも約30年経過していた。その場所は(237kdと命名された)マンガン鉱床で、そこから採取された試料から60Feが検出された。 既にコルシネックたちは1999年に太平洋の別の場所から得た数百万年前のマンガン鉄鉱床中に60Fe(鉄60という放射性同位元素)を見つけていたが、その鉱床は証拠が少なくデータとしての確実性に欠けていた。しかし、それを裏付けたこの研究で太平洋の遠く離れた場所で見つけられた証拠として重要であった。 その鉱床237kdは、その後詳細に分析された。ハワイ沖の海底では地層の成長が遅く、1cm成長するのに400万年かかった。それで28の異なる層の各年代を測定でき、1300万年前まで遡ることができた。 各層中の60Fe の原子を質量分析器でカウントし、280万年前あたりの隣接する3つの層だけが高い濃度であった。

 宇宙の60Fe が放出するガンマ(γ)線の検出

 理論上は、古代の隕石中に60Fe が存在することは判っていたが、検出したのは初めてであった。同じ頃にNASAの人工衛星の高エネルギー太陽分光撮像装置は、宇宙空間中に60Fe を見つけていた。それらの60Fe が放射性崩壊する時に出すガンマ線により、天の川銀河で最近起きた星の爆発により生じた原子と混在していることが判った。2006年までに、欧州宇宙機構のインテグラル衛星により、60Fe を天文学的に特定する体制が確立された。

4節 宇宙線による冬

 60Fe 発見の意義

 イリノイ大学のフィールズは、コルシネックたちの発見に対して、「60Feを検出できたことは、深海での放射性物質に対して他の調査をすれば、それぞれの超新星の性質を解明できる、という希望を与えてくれる。観察された各種の放射性物質の比率を用いて、超新星の核燃焼後の灰を研究すれば、爆発している星の原動力である核の火を究明することができる」。

 超新星と宇宙線

 コルシネックらは、「この超新星が、気候変動を引き起こし、それがおそらく、ヒト科の進化を著しく発展させたのであろう」と報告書を締めくくった。 コルシネックらは、また宇宙線、雲、および気候がつながっている可能性があるというスベンスマルクの説を引用した。スベンスマルクは、数年前から近傍の超新星についての推測をしていた。 イリノイ大学のフィールズは、CERN原子核研究機構のエリスと組んで、その超新星の出来事が、「宇宙線による冬」を引き起こしうると提案した。CERNの物理学者カークビーは、宇宙線が雲に影響を及ぼす可能性があることをコールダーから聞いて、エリスに伝えた。カークビーはクラウド(CLOUD=雲)という実験を提案し、仲間に支援を要請していた。

 ミュンヘンの超新星

 ミュンヘンのコルシネックのチームは、超新星の60Fe が信号を出した地層の年代を、特定しようとし、宇宙線による冬というアイデアを検討し、ウィーンの天文学研究所のドルフィに相談した。ドルフィは、計算により、爆発した星の膨張中の残骸における自然の粒子加速器が、超新星爆発後の数十万年の間、宇宙線を量産し続け、それにより地球への宇宙線の流入量が、通常より15%高くなると予測した。 60Fe の原子に関する2004年報告書の主筆クラウス・ニーは、「超新星爆発に伴う宇宙線が、地球大気を照射すると、それと同時期の地球は寒冷化を引き起こし、これが引き金となって、人間への進化が大きく前進したのだろう」と明言した。 この超新星は、その年代が280万年前だったので、275万年前から始まった氷期を伴う大きな寒冷化は、その超新星に誘発されたと思われた。

 しかし、別の技術で、このコルシネックの見つけたマンガン鉱床の別の部分を分析し、それより後の年代にたどり着いた(9章1節)。このことは超新星は、210万年前に激しくなった後期の寒冷化に結び付いているかもしれないが、初期の氷期には遅すぎた(7節)。そうすると人類の進化には寄与していないことになる。

 今後の課題

 宇宙線による冬というアイデアは、その後も生き延びた。地球の近傍で生じた超新星は、それだけではなかったからである。未だ他にあるはずであった。

6節 ミュンヘンの超新星の候補

 100光年の速さと近さ    その超新星は100光年しか離れていない所から、60Fe を届けたが、それに対してもっと本格的な超新星で爆発しそうな大質量の星は、すべて100光年をよりも遠くにあった。

 近くで超新星が生じやすい領域

 約400光年先にあるオリオン座のペテルギウスとその一群の「オリオンOB1アソシエーション」の星団の中にある。アソシエーションと呼ばれる一群は、すべて同じ時に生まれ、夜空で近くに集まって見える星団のことである。OB星の多くは太陽の10~50倍の質量と3000万年~1億年の寿命であり、この星たちが超新星爆発を起こす可能性が最も高い。 NASAのコンプトン衛星はオリオンOB1星群内で、過去100万年以内に起こった星の爆発によって作られた26Al(アルミニウム放射性同位体26)が、ガンマ線を出していることを観測した。 1870年代にアルゼンチンで研究中の米国の天文学者グールドが、巨人オリオンのベルトの位置にOBアソシエーションたちがあるので、グールドベルトと名づけられた。

 グールドベルトは、それを構成する数個のOBアソシエーションが、縦2400光年、横1500光年の楕円形で、太陽系の星はグールドベルトの内側にいるので、爆発性の可能性の高いOB星たちは、地球の周りをぐるりと取り囲むように点在している。 このOB星は、連鎖反応を起こす。①同一世代の星々から出る風と衝撃が、星同士間の空間に充満していた薄いガスを強く押し付ける。②それにより圧縮されたガスは、新たなOB星を誕生させる。③それらは寿命が尽きると爆発し、再び①に戻り、同じことを繰り返す。

 天の川銀河のオリオン腕内にいる地球の周辺領域は、星間ガスは、超新星の爆発により、希薄なプラズマという帯電した原子に置き換えられており、それは高温なのでX線を放っている。この領域は、天の川銀河の円盤全体からはみだしているので、熱いプラズマが天の川銀河の外の空間へ噴出しているので、天文学者は局所泡とか局所煙突と呼んでいる。

 ミュンヘンの超新星の候補

 コルシネックたちの発見した超新星はどれであろうか。60Fe を同定できる程の量を、地球にまき散らせるほど、近くで爆発した星は、いろいろと探索されている。1つの候補は、ほぼ南十字星の方向にある星。 もう1つの候補は、牡牛座内のプレアデス星団(かってはスバルと呼ばれた七つ星) しかし、決着はついていない。またこの星以外かも知れない。

7節 超新星の残骸の探査

 超新星の研究方向

 多くの超新星を探しだすことに向井、南極の古代の氷や海底の地層の調査は続いている。

 グールドベルトの星の統計は、過去300万年間に数回、星の爆発による宇宙線の急増をもたらしていることを示唆し、その度に宇宙線による冬が起きたであろう。

 海底の微化石中の重い酸素原子のカウントから得られる気候変動の記録は、270、210、130、70、50万年前に急冷期が起こったことを示している。それを起こした特定の超新星を探している。

 超新星の残骸の探査

 一片の雲として見える超新星の残骸は、全天 で250個見つけられている。しかし、この方法では星の歴史を数千年しか遡れない。 星の爆発した時の放射性原子をさがすことは、それぞれ特定のエネルギーのガンマ線を出しているので、人工衛星に載っているガンマ線望遠鏡で見つけられる。 地球外物理研究所のディールたちは、NASAのコンプトン衛星(1991~2000)で26Al(アルミニウム放射性同位体26)の散乱を見つけた。またディールは、欧州のインテグラル衛星(2002~2010)ガンマ線と26Alを測定した。 3種類目の証拠は、中性子星からもたらされた。中性子星は、大質量の星の爆発の跡で、高度に圧縮された中心部分の遺物である。これは当初、脈動星として発見され、1000個以上見つかっている。それでいくつもの最低20個以上見つかっているが、まだ決められていない。今後の人工衛星のデータが待たれる。

 超新星による寒冷化と生物への影響

 ディールはガンマ線天文学者として、超新星と生物が密接に結びついていると考えている。「生物学者は、暴風雨や火山等が、次いで小惑星や彗星が、種の多様性や障害に影響及ぼすと考えている。しかし、星からの宇宙線については論じられていない。宇宙線が及ぼす正確な影響はまだ確認されていないが、それでも宇宙線が地球上の生物の歴史に、たびたび関与していることは間違いない。天文学と地質学と化石学とを我々は結び付けている。」

8節 新しい知識の連鎖

 本書で問い訪ねた広範囲の分野

 本章ではアフリカ沖の海底や南十字星に近い星を訪ねた。生物の歴史の1万分の1である40万年(280~240万年前)にわたって続いた気候変動を追跡した。 新しい知識は、宇宙線という糸でつながれた人つづりの連鎖である。

 研究の細分化の問題点

 19世紀から今まで、自然科学は、範囲の狭い多くの専門分野に細分化されてきた。 研究者は、自分たちの扱いやすいように、明らかにする分野に分割するので、自然が互いに関連しあっていることに、ほとんど気がつかない。

 幅広い知識の融合の必要性

 21世紀には、自然科学は、自然の世界に残っている謎を解こうと務めている人は、極端に異なる種類の手がかりを数多く組み合わせねばならない。

 スベンスマルクの研究の仕方

 スベンスマルクは、宇宙線が雲量に影響を及ぼしうることから始まって、① 大気中の硫酸の物理化学から、② 天の川銀河の運動力学、③南極気候の異常、④ 生物圏の生産性が常に変動していること、にまで至っている。 宇宙線、雲、および気候がつながった連鎖の輪は完成しているが、まだ新しいことが判る可能性が残されている。

北半球と南極における気温の平均値を、

20世紀の100年間にわたりプロットした図

宇宙線流入量の比率と生物圏の生産性の類似

 


不機嫌な太陽―気候変動のもう一つのシナリオ― No.6

2022-09-14 05:00:16 | 地球温暖化

       不機嫌な太陽

   ― 気候変動のもう一つのシナリオ―  No.6

§7.地球の気候の歴史と宇宙線との関係

 気候変動は、天の川銀河の渦巻きの中を周回する太陽の位置によって決まるようだ。 そして小惑星の衝突も気候変動の一因であった。恐竜はそのために絶滅した。しかし、小さい恐竜だけが羽をはやして寒さをしのぎ、鳥へと進化した。毛のある動物たちは、そのまま進化した。鳥は、始めは飛べず、飛ぶのは滑空する動物から始まったという。炭酸ガスの影響は小さいだろう。

5 恐竜が天の川銀河を案内する

気候は、数百万年の間にリズミカルに切り替わる。氷期は、太陽系が天の川銀河内の明るい腕を進行中に起こる。気候の寒冷化は、たとえば、鳥を出現させたように生物の進化に影響を及ぼす。炭酸ガスによる温暖化は、世間で騒がれているよりも小さいだろう。現在では、気候変動のデータから、天の川銀河についての正確な情報が得られる。

1節 押し曲げられた石灰層

 押し曲げられた石灰層

 デンマークのコペンハーゲンの南東にあるモンス(ミュン)島の海蝕断崖にあるモンス(ミュン)クリントにそびえる白い石灰岩は、約7000万年前にできた。巨大な恐竜が世界を支配していた時代である。当時の気候は非常に暖かく、両極地に氷が無く、南極大陸にも恐竜が棲んでいた。海面は非常に高く、微細藻類の外套であった炭酸カルシウムの板は、藻類が死んで海底に蓄積された。バルティック海ではそれが厚さ100mの石灰岩になった。  当時同じことが世界各地で起こった。それでその地質年代が白亜紀と名づけられた。白亜とは白色の石灰岩のことである。南イングランドのドーバー海峡にも白い断崖があるが、モンスクリントとは大きく違った。デンマークの地質学者プガールは、「(ミュン島の)石灰岩の地層は、ねじられ、曲げられ、へし折られている。S字状、Z字状、半円状、またはあぶみ状になっていて、更にそこへ深い裂け目が入っている」と記した。

 石灰層の押し曲げと気候変動

 欧州の各地で見られる他の石灰岩層はそれ程ゆがんでいず、その理由は、約7万年前に始まった直近の氷期中に、大きな氷河がバルティック海を横切って西方に進み、氷河の先端が石灰岩の表面をはぎ取って前に持っていき、温室期(間氷期)が来て、氷河が残した荷物「末端堆積」としてミュン島ができた。  約5000万年前に、温度は著しく低下した。南極にはその後3000万年の間、氷床が存在した。275万年前に北大西洋は寒冷状態になり、世界は氷室期となった。氷河と氷床が常に景色の一部となった。

☆ミュン島の石灰岩を生み出した温室期から、それをめちゃくちゃに押しつぶした氷室期に切り替わったことに対する説明として、

〇1つの説は、大陸移動により地形が変化して気候変動が起こったからと考えた。この頃オーストラリア大陸は南極から離れ、南極は南極大陸のみとなり、南極の周りに環南極海流が生じ、それが暖かい海流を遮断して、その時から南極は孤立し氷床が続いている。インド大陸とアジア大陸が衝突し、ヒマラヤを高く押し上げ、熱帯地方に寒気のプールを作った。

〇第二の説は、大気中の炭酸ガス量が低下したので、それが原因で寒冷化したというもの。

〇第三の説は、イスラエルのラカー物理学研究所の天体物理学者シャヴィブは、太陽系が、天の川銀河の中の「射手―竜骨腕」と呼ばれている非常に明るい領域内に、入ったためであるという。

 天の川銀河の渦状腕との遭遇による寒冷化

 約6000万年前に、地球を伴った太陽は、(現在と同様に当時も)明るくて短命の星が多く存在していた腕(射手―竜骨腕)の領域に入ったのである。太陽系は、その明るい腕の遠い方の後端部に入り、約3000万年前には、その近い方の前端部に現れた。その前端部では、爆発している星の数が頂点に達したので、そこから発する宇宙線の強度も頂点に達していた。シャヴィブは、スベンスマルクの「宇宙線が地球を覆う低い雲を増やすことにより地球を冷却しうる」という理論を採用した。この解釈により、約6000万年前から3000万年前の間に、地球全体の温度が低下し、南極大陸は氷床を作り出した。「射手―竜骨腕」から遠ざかるにつれ、寒冷化は弱まった。 そして気候は逆転して温暖期に入るはずだったが、太陽系が天の川銀河の中を放浪して「オリオン腕」と呼ばれる明るい星の集まった特別の分岐腕の中に突入したので、再び寒冷化した。この「オリオン腕」が今我々のいる所である。したがって、現在氷期と氷期の間の比較的暖かい期間にいるが、まだ氷室期の深部にいて、氷河作用は小休止しているだけなのである。 2002年に発表されたシャヴィブの解析は、5億年前の地球上に動物の存在が初めて認められるようになった頃より、更に少し遡った時から起こった4回の氷室期をすべて説明した。

 考察

 今まで述べてきたことは、天文学的時間または地質学的時間としては非常に短いので、この間には、天の川銀河から太陽系への宇宙線の流入は、ほとんど変わらなかった。従って過去10万年の間には、太陽活動の変化が、地球大気の最も低い位置まで到達する宇宙線の強度を変化させる第一の理由であった。地球が太陽と一緒の時間を過ごして、数百万光年や数千光年を移動する時には、宇宙線の流入量はその変化幅がより大きく、周期がより長くなる。  (太陽活動の変化を、「不機嫌な太陽」と著者は評したのではないか。)

2節 鉄隕石に託された伝言

 渦巻状銀河の形状

 銀河には各種の形があるが、渦巻状銀河が最も美しい天体である。渦巻状銀河は、数十億の星からなっており、中央部分では、古くて赤みがかった星が球状または棒状に分布しており、その外周部分では、中央部分から放射状に出て弯曲して伸びる数本の腕に沿った部分に、最も明るくて青い星が主に点在している。重力が渦巻状銀河を平板化し、横から見ると目玉焼きのように中央部が膨らんでいる。

 天の川銀河について

 我々の居る天の川銀河は、我々がその内側にいるために、全天に伸びた光の帯のように見える。その為に天の川と名づけられた。その後、夜空一面に散らばっている星たちと同じように、これは「島宇宙」であると認められた。1950年代以前にオランダの電波望遠鏡が、水素ガスの分布をチャート化したことにより、アンドロメダ銀河などと同じように渦巻状銀河の形であることが判った。 星同士の間に働く重力は、物質の密度の高い所と低い所からなる波動を生じる。それにより渦巻の構造ができる。その渦は天の川の中心の周りをゆっくり周回する。

 この密度波は、星間ガスをかき乱し、密度の高い雲を生じ、その雲からこの銀河を活性化させる新しい星が生まれる。その結果、質量が大きくて明るい青い星が生まれて、天の川の腕の部分を飾る。しかし、それらの星は余りにも短命なので、その星が生まれた所から遠く離れた所まで行きつく前に爆発して宇宙線を吐き出す。 太陽のような小さい星は寿命が長いので、銀河の中心の周りを何回も周回することができる。しかし、渦状腕が回転する速度と太陽の速度が違うので、太陽は渦の腕の中に一方から入り、その腕の反対側から出ていくということを繰り返す。 太陽と太陽系の星たちは、渦状腕を出る時に宇宙線を受ける量は頂点に達する。それは大きな星の多くが渦巻の先頭部分で作られ、爆発する前にはその渦巻の少し前方を周回しているからである。(これが気候に大きく影響している)

 シャヴィブは、「宇宙線の中で、地球の低空をイオン化させることができる高エネルギーの宇宙線が、天の川銀河内での太陽の周回によって、「腕」との位置関係で増減する変化は、太陽活動の強弱によって増減する変化よりも10倍も大きい。 太陽が世界の気候を1℃変化させるなら、「渦状腕」を通過することによる変化は約10℃となろう。この10℃の変化は地球の極地迄が温室の気候である温室相から、現在の両極地方に氷床がある氷室相にまで変化させるよりも、もっと影響が大きい。事実「渦状腕」の影響が、1億年の期間にわたる気候変動の最も大きな駆動要因と予想されている」。 天の川銀河の4つの主要「腕」、および数本の分岐「腕」は、太陽と地球が天の川銀河の中を周回する軌道と交差している。(主要腕は、ペルセウス腕、定規腕、楯―南十字腕、射手―竜骨腕)

 我々が現在居るところは、ペルセウス腕から枝分かれした、オリオン腕という明るい星々からなる分岐腕の部分である。(肉眼で見える星のうち、アンドロメダ星雲、大・小のマゼラン星雲以外は、すべて天の川銀河の星である) 銀河内の太陽の軌道における周回速度には異論がないが、渦状腕の圧力波が回転する速度に関しては、論争されている。渦状腕との遭遇と気候変動を結び付けるには、太陽と渦状腕との相対速度が重要である。そこが論争中である。

 太陽系の周回に伴う宇宙線の増減周期

 シャヴィブは、鉄隕石中の放射性元素に関するドイツの研究者のデータを解析し直すことにより、宇宙線増減のリズムを見出した。 小惑星同士が太陽系内の遠くで衝突した時に、空間に放出された破片に鉄の塊が含まれていることがある。それらは数億年の間、太陽の周りを公転し続ける。公転している間に宇宙線の衝撃を受けて放射性元素を作る。最終的にその破片のいくつかが、鉄の隕石として地球上に落下する。それに含まれる放射性のカリウム原子の量を、安定な原子に対する比率で、鉄隕石がどれだけ放浪したかの時間を測定できる。しかし、太陽系が受けた宇宙線の強度が変化していると違ってくる。 鉄隕石の見かけ上の年令が不自然なものを除外して、残った約10億年の間に広がる50個の鉄隕石の年令を推定して、それらの年令から、太陽系が繰り返し銀河の渦状腕の中を通過することにより、宇宙線の強度が増減する周期は、1億4300万年±1000万年であると推定した。この結果は、気候変動の長期の記録と不思議なほど一致した。

 以降の内容

 シャヴィブの解析は、過去10億年に広げられた。その周期の最初の部分は、宇宙と気候の他の種類のできごとを含んでいるので、6章に述べる。 5億4200万年前から始まったカンブリア紀に、初めて多くの種類の動物が化石として保存されていた。その5億4200万年前から現在までの全期間は、顕生代と呼ばれる。

3節 各腕との遭遇による気候と生物の変化

 射手―竜骨腕からの脱出

 カンブリア紀の初めは、(太陽系が天の川銀河の射手―竜骨腕を通り抜けた後で)、厳しい氷室気候から逃れたばかりであった。厳しい気候は、生物に生き残りのための進化上の革新を誘発することができた。 このことは1970年代に、カリフォルニア大バークレー校のヴァレンタインにより指摘されていた。その指摘通りに、海底に潜伏していた虫が大量発生した初期の段階に、動物の新体制が始まった。 季節ごとの気候変化や長期にわたる気候変動は、動物たちを飢餓状態に追いやっても、虫たちには小さな影響しか与えなかった。

 温室相がカンブリア紀として始まった時に、動物たちの主要な「門」(分類学では、動物はすべてどこかの「門」に分類されている)の全ての先祖が出現した。(太陽と地球は、天の川銀河の渦状腕の間にあったので、宇宙線の強度は低く、海面は高い位置にあった)。それで、生物は、大陸棚で繁栄した。無脊椎動物の中で早熟で繁殖できるようなオタマジャクシのような「幼生」がいた。(幼生とは、幼児のままに成熟して、繁殖できるようになること) それが魚や背骨を持った他の動物すべての先祖になったのである。

 ペルセウス腕への移行

 温暖な気候は、オルドビス紀にも続いたが、約4億5千万年前に終了し、急激な氷室相に入って、氷河が来て海面は低下した。これはその時、太陽系が天の川銀河のペルセウス腕を通過したからであった。ペルセウス腕を出て、宇宙線の強度が頂点に達した時であった。 この寒冷な期間の直後の温暖なシルル紀では、陸上で生きる最初の植物と動物が現れた。骨のある魚も現れた。それが背骨を持つ動物の端緒となった。次のデボン紀も温室期だった。

 定規腕(じょうぎわん)への侵入

 宇宙線に関する隕石のデータと石炭紀が終わった約3億年前の最大の寒冷期と一致した。 石炭―二畳(ペルム)紀の氷室期は短くはなかった。石炭紀の名前は、沼地の森に大量の石炭が埋蔵されたことに由来する。この氷期に、もっぱら陸上で生活できる背骨を持った動物として爬虫類が出現した。この時は、大陸は一つでパンゲアと呼ばれた超大陸であった。二畳紀の終わりの2億5千万年前に大異変が起こって、大量の種が絶滅した。(これはおそらく偶然侵入した彗星か小惑星が地球に衝突したためであろう)それがきっかけで中生代に入る。この時代に恐竜が出現した。二畳紀後期と三畳紀は温室気候が続いた。

 楯―南十字腕への侵入

 楯―南十字腕を通過したので、ジュラ紀と白亜紀の初期は寒冷期になった。この時現れた生物は、花を咲かす最初の植物や最初の鳥がいた。

 以降の内容  特筆すべきことは、鳥の起源に関することである。

4節 小さい恐竜を寒冷気候から守る羽根

 小さな恐竜の活躍した時代

 最初の小さな恐竜と哺乳動物が登場したのは、約2億3千万年前である。そのときの太陽と地球の位置は今と同じであった。その時から太陽系は天の川銀河の周りを一周し、それには5億年以上かかった。恐竜は地球を支配し、哺乳動物をおとなしくさせていたが、一周しない6500万年前に絶滅した。

 宇宙線から予想された寒冷な中世代中期

 シャバイブは、中世代中期(ジュラ紀)はその前後の三畳紀と白亜紀よりも寒かった、と書かれている本を見つけた。シャバイブの理論では、三畳紀は温暖であったが、太陽系はその後、楯―南十字腕のそばを通り、ジュラ紀と白亜紀は氷室期となった。

 寒冷な中世代中期を示す証拠

 2002年にシャバイブが、渦状腕を通過することによる寒冷化するという説を裏付ける証拠が、氷山が海底に落とした岩屑からもたらされた。 1988年アデレード大学のフレイクスは、浮氷がそれに含まれていた砂を亜寒帯の海上で落としていたことを示した。さらに2003年にフレイクたちは、白亜紀の陸上の地層に氷の存在を示す証拠を見つけた。それは南オーストラリアのアデレードの北方にあるフリンダース山脈の近くに、氷河によって押しつぶされた粘土、小さな丸石、それに石英粒が存在することを見つけたのである。それが始まったのは、白亜紀初期の約1億4000万年前で、恐竜は気候の激変に遭遇していた。

 寒冷期に小さい恐竜は、体が小さいために大きい恐竜より早く体温を奪われるために、鱗状の皮膚しかなく、それを羽毛や羽根に変形させることにより体温を保ったのである。 オーストラリアでの発見と同じ頃、中国の遼寧省の湖の跡の底の、1億2000万年前の白亜紀初期の氷室期の地層から、① 羽毛をつけた小さな恐竜、および② 恐竜の一部が鳥に進化したもの、の化石が発見された。 これによって、羽根は鳥に特有なものではないこと、飛行は木立に棲む生物が滑空することから進化したかもしれないことを、などを示唆した。

 天体との衝突

 その後充分時間があったので、羽根を付けた鳥の先祖は鳥へと進化した。約7500万年前の氷室期が小さな恐竜の羽根のジャケットで保温性を実証し、その羽根でできる別の生き方を見つけさせた(それで飛ぶようになったのではないか)。6500万年前の小惑星がメキシコに衝突した時には、インドから噴出した大量の火山性溶岩が地球の反対側まで押し寄せて、生物の大量絶滅が起こったが、多くの鳥と哺乳動物は生き残った。

 1980年にイタリア中央の山脈中のグッビオにある渓谷の石灰岩層を横切る赤い粘土層の中から地球外に起源をもつ希元素(イリジウム?)が見つけられた。このことから恐竜を絶滅させた小惑星の衝突の最初の証拠となった。一般的には、彗星や小惑星が衝突した後には、短期間の気候の混乱は起きるが、その後は、衝突する前の気候状態(氷室相または温室相)に戻るのである。

5節 炭酸ガスについての議論

 シャバイブの研究

 銀河と気候との結びつきに関するシャバイブの研究は、雑誌”Discover”の2003年の科学上の発見の上位100選に選ばれた。他人の研究分野を侵すことのない、全く未踏の分野に踏み込んだ研究として高く評価された。

 ヴァイツァーの研究

 ヴァイツァーはドイツのルール大学の研究室で、過去5億5000万年前までの、熱帯の海洋に生息している生物の化石貝殻中に含まれる重い酸素原子(17O、18O)の比率を調べ、大量のデータを蓄積していた。そのデータは、温室気候と氷室気候を交互に繰り返すことと、ほぼ歩調を合わせて、熱帯の温度が、約4℃の上昇と下降を繰り返すことを示した。 ヴァイツァーは、このデータから、大気中の炭酸ガス濃度の変化から温度変化を求めるための「係数」が間違っていると結論付けた。海の温度が合わなかったからである。 貝殻の示す温度変化の歴史は、約1億3500万年という周期をしめし、シャバイブが銀河の渦状腕との交差から予測した1億4300万年に近い値となった。

 2人の共同研究

 この時、この天文学者シャバイブと地質学者ヴァイツァーは、相互に協力して、気候変動における宇宙線の有効性を評価できると考えた。そこで二人は米国の地質学会の学会誌「GAS today」に「顕生代の気候変動を起こしたのは天体か」という論文を載せ、そこに二人のデータと共に宇宙線と雲に関するスベンスマルクの研究成果の説明を載せた。 二人は、顕生代の気候は、宇宙線と結びついているが、他方、気候に及ぼす炭酸ガスの影響は、一般に言われるよりずっと小さいと結論した。地質学的に記録されている炭酸ガスの濃度と海水温度との関係は、現在信じられている関係と一致しないことから、将来炭酸ガスの濃度が2倍に増加した時の温度変化は「気候変動に関する政府間パネル(ICCP)の予想よりずっと低いと判断した。

 その論文に対する反論

 気候への影響を研究するポツダム研究所のラームストルフの反論(略)。 ペンシルベニア州立大のローヤーの反論。(推定された温度を海水中の酸性度に対して補正すべきだ。補正すると温度の変化と炭酸ガスの変化が一致するという。)

 温度に影響する炭酸ガスと宇宙線

 過去5億5000万年の間に、炭酸ガスの濃度は2回の上昇と2回の下降を示したのに対して、宇宙線量は4回の上昇と4回の下降を示している。そして気候変動には4回の温室期と4回の氷室期が存在する。このパターンはシャバイブとヴァイツァーの説を支持している。 しかし、氷室期の厳しさが違っているのは、何かが関与しているのだろう。

 キールのゲオマール研究センターのウォールマンは、宇宙線と炭酸ガスのどちらが重要かの論争に対して、「温暖期(カンブリア紀、デボン紀、三畳紀、白亜紀)は、少ない宇宙線量によって特徴づけられ、寒冷期(石炭期後期~二畳紀初期、および新生代後期(現在)―)は、多い宇宙線量と低い炭酸ガス濃度によって特徴づけられる。・・・オルドビス紀~シルル紀の間、ジュラ紀~白亜紀初期の間、という2つの冷却期間は高い炭酸ガス濃度と多い宇宙線量により、炭酸ガスの温室効果が、低い雲の冷却効果を保証した結果であると特徴づけられる」とした。

 炭酸ガスの温度に及ぼす影響

 太古における炭酸ガスの影響は・・・。空気中の炭酸ガスの濃度は、温度の低下した各時期、3億年前および現在の氷室期には数百ppmであったが、温度の上昇した各時期には2000ppmとか5000ppmであった。 これを気候感受性と呼ばれている「炭酸ガスの濃度が280から560ppmに増加した場合、つまり工業化される前の値が2倍になった場合、温度上昇はどのくらいになるのか」については、「気候変動に関する政府間パネル」は、おそらく1.5~4.5℃であろうと考えた。 これに対してシャバイブとヴァイツァーの二人が5億年の気候の研究から出した最初の答えは、0.5℃でしかないというものであった。その後、酸性度に対する補正が必要であることを認めて約1.1℃という推定値を出した。これはマサチューセッツ工科大学の気象学者リンツェンによる大気の評価と一致している。リンツェンが2005年に英国貴族院に提出した文書では、「もしも主な温室効果物質である水蒸気と雲が一定なら、CO2が2倍になると、世界的に平均約1℃の温度上昇を招くこととなる」とした。 スベンスマルクは炭酸ガスの温暖化効果に対する数値を出すことを拒んでいる。それはその数値が地質学上のどの地点でも同じか、また炭酸ガスの濃度が変化した時にどうなるかに疑問を抱いている。 21世紀における人間活動による地球温暖化に対して予想されている数値より、シャバイブとヴァイツァーの出した結果はずっと低い。これはスベンスマルクの宇宙線説から、大きな温暖化は起こらないとの説とほぼ一致している。

6節 天体望遠鏡の役割を果たす貝殻

 スベンスマルクの古代への取り組み

 SKYの実験から最初の一連の結果が出揃い、それを解釈できてからは、スベンスマルクは星と岩石とが、太古から現代まで相互に同じ対応関係を維持してきたという真実に取り組むようになった。

 貝殻のデータによる天の川銀河の調査

 スベンスマルクは、天の川銀河のことや、天の川銀河の渦状腕と遭遇する時期についての天文学者の間の意見の対立に悩まされた。それでヴァイツァーの化石による海の温度の記録を用いて、天文学をすることにした。 海に棲む貝の殻は、自然の検出器として作用し、変化していく星の環境を測定し記録している。貝が生きている時に、海水中と同じ比率の重い酸素を取り入れているので、宇宙線の強度を記録した「天体望遠鏡」であった。

 イルカ様運動を伴う太陽の周回

 化石に記録された気候変動は、地球が渦状腕を通過することによる計算上の気候変動よりも速いリズムを持ち、比較的短い周期を示している。その理由は太陽が遊び好きのイルカのように振る舞うからである。(詳細は略)  太陽は天の川銀河の円盤の中を周回しながら、円盤のふくらみの中で上へ行ったり下へ行ったりしている。地球上の宇宙線の強度は、太陽が上から下でもその逆でも、中央の円盤を横切る時に強くなる。中央を横切るのは約3400万年の間隔で起こる。これは海の温度変化の分析により、太陽系が円盤と交差するタイミングが規定されていることが、地質学者によって確定されている。

 数学手法の利用

 スベンスマルクは、過去2億年にわたるヴァイツァーのデータから天の川銀河と太陽の動きを関係づける最適の組み合わせをたった一つ見つけたのが、イルカ様運動であった。

 得られた情報 

ベンスマルクの解析によって得られたのは、太陽と回転している渦状腕のパターンとの相対速度は、12km/秒(光速30万km/秒の2万5千分の1)である。楯―南十字腕への到達は1億4200万年に起こり、射手―竜骨腕への到達は、3400万年前に起こった。

 考察 これらの数値は、以前に天文学で示唆されていたことで、化石がどの数値が正しいかを教えてくれたのである。「気候から天文学へ」という推論の逆転が成功し、天の川銀河内の動きが地球の気候を支配していることを確実にした。

(今回、今までの載せた図がダウンロードするとうまく入らなかったのが判ったで、縮小して書き直しました。)