みなさま、BCGに続き、1990年に大阪で出した論文です。BCGと共にどこに出しても、医師が反論できないものをと書きました。ただ、当時は表をパソコンに載せられなかったので、コピーして貼り付けました。そこの部分が抜けています。その内に載せますが、取り敢えず論文の部分だけ載せます。
この論文のあと、誰も反論しないまま、学会も厚生省からも無視されていましたが、元感染症情報センター長の岡部信彦さんが彼の編集する特集号に載せてくれた初めて医学雑誌に載せてもらった論文も、追加して載せます。岡部信彦さんは、もう定年なので今の研究所をやめると思いますので、ここに明らかにしますが、私のはとこで、若い時は私の意見に賛同してくれたのですが、その後変わってしまいました。
体制にとりこまれてしまったのだと思います。彼の唯一の好意で載せてくれたのです。
日 本 脳 炎 ワ ク チ ン の 1990.9.
強 制 接 種 を 廃 止 さ せ よ う
§1.日本脳炎とは
日本脳炎は、日本人によって日本で確認されたウィルスによる病気なので、日本脳炎と命名されました。この脳と脊髄に炎症が起きる疾病は、実際は、極東全域に見られる病気で、バイカル湖の東部あたりから、朝鮮、中国本土、台湾、グァム島に至る太平洋の島々、東南アジア、インドネシア、タイ、ミャンマー、インド、ネパールにおよび、いまだに一部の国で流行している病気なのです。
§2.どんな病気か
(1)日本脳炎はコガタアカイエカ(家蚊)が主に媒介します。また鳥、馬や豚など温血動物なら皆媒介すると言われます。ヒトと馬に脳炎を起こしますが、鳥や豚には病気を起こさないようですが、種豚の妊娠中にかかりますと子豚が死産します。
◇ 毎年横浜で蚊を採集しての調査では、日本脳炎ウィルスが現在まで続いて見つかっているといいます。
◇ 日本脳炎ウィルスは、脳や神経系で増殖するウィルスで、現在は特効薬はなく、死亡率が18%と高く、なおっても後遺症が30%と、残り易いことです。尚脳炎症状のほかに、胃腸の出血や穿孔もあります。潜伏期間は 7~20日。
◇ 死亡率は1934年までは60~70%前後で、1935~1939年は50%、戦後は1947、1949年は90%前後でしたが、それ以外は大体40%前後で、1955年以降は30%前後、1965年には26%で、以後低下し20~30%、1982年は19%、1984~1987年合計では18%に減少
しています。後遺症は1984~1987年合計では45%でした。
この傾向はどこの国でも同じで、流行の始めは死亡率が高く、しだいに減少し、流行がおさまる頃には大幅に低下しています。これはウィルスと人間との適応関係で、共存の道をたどっているのです。
◇ 日本国内での発生は、ほとんど関西以西の西日本で特に九州、近畿地方に多く、1970年以降は関東甲信越以北は5~7%(年平均1.5~2.2人)です。
しかも熊本、福岡、長崎、佐賀、愛媛、山口、和歌山に患者発生が集中し、この7県で70%を占めています。また広島、高知、兵庫、大阪に隔年程度に発生し、他は散発的です。
表1 日本脳炎患者発生地域(1980~1988年合計)総数 272名
九州 中国 四国 近畿 東海北陸 関東甲信越以北
地区別患者数 137 24 24 59 8 20
うち訳は 熊本71 山口12 愛媛14 和歌山31 愛知 3 東京 7
福岡31 広島 9 高知 6 兵庫 9 石川 3 栃木 5
長崎21 大阪 8 千葉 4
佐賀10 (厚生の指標より作製)
◇60才以上の高齢者が多いのが特徴です。
流行時は小児(4~9才)が多かったのですが、今は発病するのは老人に多く、死亡するのも殆どが老人です。1984~1987年合計では40才以上では75%、60才以上で45%でした。 5才以下16人で12%、 6~19才は1名でした。特に死亡者のうち60才以
上が78%で、50才台を含めると87%でした。
表2(今川より)
(ここに表が入ります。)
◇ 発生時期は6月から9月までの夏場だけです。また臨床的に日本脳炎と診断された人のうち真性(抗体陽性)になるのは流行期以外は通常30%にすぎないといいます。
尚日本脳炎は北海道には存在しません。
(2) 不顕性感染-かかっても発病しないこと
厚生省は流行予測事業の一環として血清の中和抗体を測っていました。その結果を見ると、1966年から1980年までの間で、年齢が高くなるに連れて陽性率は50~90%としだいに上昇し、各年齢毎の率は15年間の間にほとんど変化していません。
高齢者で抗体が90%前後あることは、多くの人は知らない間にかかっていて発病していないことを示しているのです。特に後年はワクチン未接種者を対象にしていますのでその信頼性はあると思います。
図1 中和抗体保有率
1966~1980年
(緒方より)
(ここに表が入ります)
このことから一般には、かかっても大多数の人は発病せずに免疫ができ、発病率は現在の日本では0.05%(2000人に1人)以下と言われています。
更に1981年の厚生省の感受性調査の成績では、ワクチン接種対象の年令層である0~9才では、ワクチン歴の無いものでも抗体陽性率が40%以上あり、15才以上はワクチン歴の無いものでも抗体陽性率が60%以上になっています。
ワクチン歴の有る無しを問わず 図2 (吉岡より)
60才以上では80~90%の人が抗体を保有しており、ほとんどの人は
一生の間のどこかで、か自然に感染し、発病せずに終わり(不顕性感染)、抗体をもつようになっているのです。
日本脳炎ウィルス保有蚊に刺されることによって感染が成立し、これが感染率で、さらに感染した人が発病する発病率は、その時代と地域で異なるようで、流行時には高く流行がおさまると低くなるようです。ですから0.2~0.3%ととか、 0.1~4%とか、いろいろな数字がでますが、今流行しているインドの低所得階層では20~30人に1人が発病し、現在の日本では2000人に1人が発病すると云われています。
このことは、日本人の栄養状態や体力が向上したことと、長年日本脳炎ウィルスにさらされてきたことにより日本脳炎ウィルスと適応してきたことが、理由として考えられます。緒方氏によれば、①豚が人間の密集地から離れた場所で飼育され、人間が有毒蚊に刺される機会が減少した、②家庭に網戸が普及した影響、③蚊の多発時期に、水田に殺虫剤の使用や水を入れ替える中干しが行われるようになり、蚊の発生が抑られた、といいます。それに湿地や沼地が減少したともいいます。しかしこれらの環境の変化はあくまで副次的なもので、主になるのは人間と日本脳炎ウィルスとの適応が進んだ為ではないでしょうか。
(3)日本以外の国での発生状況は、
中国では1957年から1971年まで大流行があり、1966年から全土で独自の不活化ワクチンを接種していましたが、1978年には患者18,082名(死者2,578名)の大流行があり、以後しだいに発生率は1/4 から1/20に減少し、、罹患率が人口10万人当たり20から、2に低下したと云います。韓国では、1955~1968年の大流行のおさまった1971年から日本と同じ不活化ワクチンを小児に接種していますが、なぜか1982年に大流行がありました。台湾では1960年代に多く、その後はしだいに減少しています。1965年から日本製ワクチンの野外実験をした後、1970年頃から接種開始しましたが、一時有効性が問題になり、中止したとの情報もありましたが、現在は不活化ワクチンを定期接種しているようです。
ベトナムでは1970年代に発生し、1980年代に流行が始まっています。タイでは1969年の流行以後流行し、毎年1000名規模の患者が出ていて、1980年代にはさらに大きな流行を繰り返しています。インドでは、それまでは南部で12月から3月に年20名前後だったのが、1973年から流行が始まり北部で5月から10月に爆発的に流行し、1980年代にも大流行が続いています。しかも低所得階層の発病率が20~30人に1人と高率なのです。ネパールでは、1978年以来流行し、1982年に大流行があったようです。ミャンマーでは、1974年から少しづつ散発的に発生し、まだ流行はないようです。インドネシア、マレーシアでは年間を通じて小規模に散発しているといいます。
(4)日本での発生状況
日本では1923年の大流行以来発生が続き、戦後も大流行し、1967年頃から急激に減少し、1972年以後は二桁以下の発生になっています。
日本脳炎の患者数、罹患率、死亡率 (「日本の日本脳炎の疫学」緒方より)
(今川によると1946年指定伝染病、1954年法定伝染病になる。)
(ここに表が入ります)
$3.日本脳炎ワクチン
(1)どんなワクチンか?
◇ 日本脳炎ワクチンは、不活化ワクチンと言って日本脳炎ウィルスを殺して作ったものなので、確実に発病を抑える効果は少なく、効果があるとしても発病する率が 1/4程度に減るだけです。ですから生ワクチンに比べて有効性に問題があり、予防注射をしてもかかることがあるのです。また初めて注射した後、効果を期待できるのは1~2週間隔で2回接種した人だけ(1回だけの人は無効)で、時期は第1回接種後
の1ヵ月後からです。免疫の持続については、臨床的には確かめられておらず、1コース(初年度2回、翌年1回追加)の予防接種により過半数の人には少なくとも3~4年後にも中和抗体が証明されるので、その間免疫が残っていると考えられています。
でも免疫の主役はあくまで細胞免疫であり、抗体(液性免疫)ではなく、抗体があるからといっても細胞免疫があるかどうかは分からないので、中和抗体があるから発病を予防できるかどうかについては推論に過ぎません。もちろん自然感染の場合は、抗体があれば細胞免疫もあることが確実ですから、二度とかからないのです。
◇ 現在種豚には日本脳炎生ワクチンを接種していますが、豚には、不活化ワクチンより生ワクチンの方が効果が良いので、生ワクチンを用いているのです。人間には生ワクチンは副作用が怖いので用いられていません。
(2)日本脳炎ワクチンの有効性が証明されていません。
◇ 不思議なことに日本におけるきちんとしたデータはないのです。ワクチンの接種による中和抗体の上昇効果については多くの報告がありますが、予防効果についてはデータがありません。
◇ 更に前記の1981年の厚生省の感受性調査の成績では、ワクチン歴の無いもので、ワクチン接種対象の年令層である0~9才で抗体陽性率が40%以上あり、15才以上は60%以上になっています。またワクチン歴の有る無しを問わず60才以上では80~90%の人が抗体を保有しており、その半面ワクチン接種歴のある人でも、いずれの年令層でも抗体保有者は 100%にはならないのです。即ち実際に使用されていたワクチンは、中和抗体で見ても効果が確認されなかったのです。
◇ ほとんどの人は成長する間に、いつのまにか自然に感染し、そのまま発病せずに終わり、抗体を保有しているのです。だから、ワクチン接種の効果判定がなおさら難しいわけで、日本脳炎患者が減ったのはワクチン接種の効果とは言えないのです。
◇ 日本脳炎ワクチンの唯一の有効例として報告されているのが、1965年の台湾での日本が寄贈したワクチンによる野外実験です。
日本脳炎ワクチン接種群 の発病率 6人/13万 4千人
対照群(破傷風ワクチン接種)の発病率 24人/13万 2千人
対照群(未接種) の発病率 35人/14万 1千人
これを根拠にしているのです。
ところがこれに基ずいて台湾政府が1966年から2才児を対象にワクチンの接種を行っていますが、その効果が期待される2才児の患者数が全く減少の気配がなかったのです。
(三浦より) 1961~65年(ワクチン前) 8.1% (218/2695)
1966~70年(ワクチン後) 10.8% (363/3355)
1971~75年(ワクチン後) 8.5% ( 92/1078)
こうして有効性が否定されてしまいましたが、その後は患者数が減少したようです。最近の情報では、台湾では現在、定期接種をしているといいます。
(3)臨時接種という名で半強制
臨時接種という名目で強制接種になっていますが、実施については都道府県に任されている為、都道府県の対応もバラバラでこれ程各地で違うやり方をしている予防接種はないと云われる位です。、もちろん北海道は実施していませんし、東日本は基礎免疫の1ヵ月おいての2回と1年後の追加をしてその後はしない所が多く、熊本のようにその後も隔年に追加している所もあります。日本全体の接種率は30%前後に落ちているようです。
またインフルエンザ・ワクチンと同じように、もっとも発病率や死亡率の低い幼稚園児や学童を接種対象としているのです。(予防接種の初めの頃は老人や、慢性疾患のある人を対象にしていたのですが。)
(4)ワクチンの副作用
神経親和性のウィルスの為 、発熱、接種後脳炎、脳症、急死、てんかんなどの神経障害があります。
§4.病気の予防は何をすべきなのか。
(1)ワクチンは病気の予防の一つの方法にしかすぎません。
◇ 日本脳炎の予防は、人間を防波堤として予防接種で防ぐよりも、蚊の防除をすることが第一で、その為には湿地帯や家の周辺の水たまり、特に小さい水たまり、空き缶や水のたまった容器、屋根のといなどで繁殖しますので、それらをなくすことが第一なのです。過去にヨーロッパでも湿地帯をなくすことによってマラリヤを消滅させています。
◇ 石垣島はかってマラリアの濃厚汚染地域でしたが、マラリアを媒介する蚊の撲滅に全島民が努力した結果、マラリアの撲滅を達成した歴史があり、それとともに日本脳炎の流行も終息したとみられています。実際に、マラリアの撲滅以後に生れた小児の日本脳炎に対する抗体が、ほとんどないのです。
(2)日本脳炎ウィルス流行予測は、豚の血清を調べれば分ります。屠場豚は一夏しか越えない豚なので流行予測に使われます。屠場豚の血清の中和抗体試験では、1989年には、北は秋田県、新潟県、栃木県、茨城県辺りまで、豚の50%以上が9月までに日本脳炎ウィルスの感染を受けていました。緒方によると、豚の抗体保有率が7月中に50%をこえると、人間の日本脳炎が流行するおそれがあります。この様に流行予測は豚の血清調査でできるのです。ここ数年は、抗体保有豚が半数をこえる月が西日本で8月で、東日本では9月かまたは半数に達せずに終わります。また7月に抗体保有豚が半数をこえるのが西日本で10年に3~4回あります。現在は夏になると九州から始り次第に北上し、福島を越える辺りで秋になり、北海道には届かずに終ります。
§5.最後に
◇ 日本脳炎ワクチンはインフルエンザ・ワクチンよりも、もっとデータが少ないのにまかり通っているワクチンです。BCGと共に強制接種を廃止させるべきでしょう。◇東南アジアでの日本脳炎の流行は、日本→韓国、台湾、中国→タイ、インド、ミャンマー→ベトナム、ネパールとうつってきています。これを見るとその国の社会経済の一定の発展段階で大流行を起こし、その後社会経済の発展と共に人間とウィルスと
の適応ができて、しだいに流行が衰えているのです。
結核と同じように、その社会と日本脳炎ウィルスとの適応が出来上がっていくと、発病率も、死亡率も低くなり、ウィルスと人間の共存が成立し、まれにしか発病しない病気になっていくのです。
なぜ社会のある発展段階で、大流行するかというと、まだ日本脳炎ではわかっていませんが、なんらかの自然の生態系が変化して、蚊などの媒介生物の繁殖に変化があったと考えられます。例えば、アフリカでは森林には猿につく蚊がすんでいますが、焼畑農業のために森を焼き払うと、草原になり、ヒトにつく蚊が増え、マラリアが広がります。ツエツエ蠅も草原に住み、森を焼き払うと増えます。日本脳炎でもなんらかの生態系の変化で大流行し、人間との適応関係を作って流行が終わるのです。
◇ 病気の最良の治療法は予防です。
予防の第一は、健康を保つことです。健康とは、WHOの定義にあるように「病気でないだけでなく、身体的にも精神的にも、さらに社会的にも調和のとれて完全に良好な状態をいう」のです。
人間は本当に健康であれば、決して病気になりません。沖縄の百歳の長寿の人を調査した報告では、ほとんどの人が医者にかかるような病気をめったにせず、病気をしないから長寿なのです。悟りをひらいた宗教者たちも病気をしません。こころおだやかであれば、病気をしないのです。身体とこころの健康を保つことが大切でそれは、社会的に形成されるのです。
病気は人間が環境に適応できない時になるのです。現代では、多くは社会的環境に適応できなくて病気にかかるのです。ですから病気は常に、社会の中の弱者に多く現われます。だから低所得階層に病気が多くなるのです。でも経済的に豊かになっても、こころ豊かにならないとまた病気になります。ストレスが病気を招きます。こころ豊かな生活をおくることが病気を防ぎ、予防接種よりも大切なのです。
そしてそれは社会によって左右されますから、こころ豊かな生活のおくれる社会を作ることが最大の病気の予防なのです。(私の疾病論についての詳細は略します。)
◇ 第二は蚊の住みにくい環境にすることです。しかし自然の生態系を乱すと、違う生物やウィルスが繁殖したりしますので、注意が必要です。現代では余り環境を変え ない方が日本人にとっては都合がよいのではないでしょうか。
文献
1.三浦悌二(帝京大衛生学教授)「日本脳炎-現状の理解と将来への展望-」
Medical Tribune,1980.5.8.
☆ワクチンの効果
1948に6万2千頭のウマに接種したら、20万頭の非接種対照群に比べ発病を3分 の1以下に減らしたと言う。
ヒトでは1954年から実施されている。しかし1965年の台湾での野外試験が唯一の 有効例として報告されているほかには、ヒトで有効と判定された野外試験の成績が ない。
台湾ではその結果にもとづいて1966年から2歳児にワクチンの接種を行なっている。(しかしその後の10年の間に全日本脳炎患者のうちの2歳児の占める割合に変化がなかった。)
厚生省の感受性調査の成績では、ワクチンを最も頻回に接種されていた0~9歳の年齢層では、ワクチン歴のある者の方が、ない者よりも中和抗体陽性率が低かったと発表されている。これによれば、実際に使用していたワクチンでは、中和抗体でみても効果が確認されなかったことになる。
診断基準--最近は患者のHI抗体によって確認される患者が30%をこえることは少ない。
2. 桑島謙夫「ワクチンとは-理論と実際-」医歯薬出版1975
3.木村三生夫、平山宗宏編著「予防接種の手びき」近代出版、第四版1983
4.厚生統計協会「厚生の指標」臨時増刊「国民衛生の動向」1980~1990
5.C.F.サムス「DDT革命」(1962)岩波書店1986
6.緒方隆幸(元国立予防衛生研究所)「日本脳炎の脅威はまだ消えていない」科学朝
日、July 1990
7.顧 佩韋(中国国立ワクチン・血清研究所副所長)「中国におけるウイルスワクチ
ンの現状」臨床とウイルス Vol.11,No.4,1983.12
8.対談「日本脳炎研究の回顧-北岡先生との対談-」北岡正見(故・元国立予研副所
長)緒方隆幸(帝京大衛生)、徐 慶一郎、吉岡勇雄ほか
9. 北岡正見「日本脳炎ワクチンについて」日本公衆衛生雑誌4(7):335-340,1952
10. 五十嵐 章(長崎大学熱帯医学研究所ウイルス学部門教授)「日本脳炎ワクチン」
最新医学Vol.43,No.3:508-513,1988
11. 吉岡勇雄(北里研)「日本脳炎」免疫と疾患Vol.8,No.2:267-271,1984
12. 大谷 明(国立予研部長)「日本脳炎ウイルス」からだの科学増刊19:171-174,
1987
13. 大谷 明(国立予研部長)「日本脳炎ワクチンの効果と反省」臨床とウイルス
Vol.10,No.1:14-16,1982
14. 小林 譲(愛媛大学第一内科)「日本脳炎」臨床とウイルス Vol.10,No.1:
14-22,1982
15. 吉岡勇雄(北里研)「日本脳炎ワクチン」総合臨床Vol.33,No.11:2501-2505,
1984
16. 今川八束(都立荏原病院副院長)「日本脳炎」総合臨床Vol.38,No.2:277-281,
1989,
17. 中山哲夫(済生会中央病院小児科)「東京都心部住民における日本脳炎ウイルス
中和抗体保有状況」感染症学雑誌Vol.61,No.7:802-809,1987
18. 福永利彦(琉球大学医学部ウイルス学)「東南アジアにおける日本脳炎の疫学」
臨床とウイルスVol.13,No.2:135-143,1985
19. 石井慶蔵(国立予研)「東南アジアにおける日本脳炎」臨床とウイルスVol.13,
No.2:144-149,1985
20. 緒方隆幸(帝京大学衛生学)「日本の日本脳炎の疫学」臨床とウイルスVol.13,
No.2 :150-155,1985
21. 林 薫 (長崎大学名誉教授)「日本脳炎ウイルスの抗原構造」臨床とウイルス
Vol.13,No.2:156-161,1985
22. 五十嵐 章(長崎大学熱帯医学研究所ウイルス学部門教授)「新しい日本脳炎ワ
クチン」臨床とウイルスVol.13,No.2:162-165,1985
23. 小林 譲(愛媛大学第一内科)「日本脳炎の臨床」臨床とウイルスVol.13,No.
2:166-172,1985
24. 臨床とウイルスVol.13,No.2:177-184,1985
この論文のあと、誰も反論しないまま、学会も厚生省からも無視されていましたが、元感染症情報センター長の岡部信彦さんが彼の編集する特集号に載せてくれた初めて医学雑誌に載せてもらった論文も、追加して載せます。岡部信彦さんは、もう定年なので今の研究所をやめると思いますので、ここに明らかにしますが、私のはとこで、若い時は私の意見に賛同してくれたのですが、その後変わってしまいました。
体制にとりこまれてしまったのだと思います。彼の唯一の好意で載せてくれたのです。
日 本 脳 炎 ワ ク チ ン の 1990.9.
強 制 接 種 を 廃 止 さ せ よ う
§1.日本脳炎とは
日本脳炎は、日本人によって日本で確認されたウィルスによる病気なので、日本脳炎と命名されました。この脳と脊髄に炎症が起きる疾病は、実際は、極東全域に見られる病気で、バイカル湖の東部あたりから、朝鮮、中国本土、台湾、グァム島に至る太平洋の島々、東南アジア、インドネシア、タイ、ミャンマー、インド、ネパールにおよび、いまだに一部の国で流行している病気なのです。
§2.どんな病気か
(1)日本脳炎はコガタアカイエカ(家蚊)が主に媒介します。また鳥、馬や豚など温血動物なら皆媒介すると言われます。ヒトと馬に脳炎を起こしますが、鳥や豚には病気を起こさないようですが、種豚の妊娠中にかかりますと子豚が死産します。
◇ 毎年横浜で蚊を採集しての調査では、日本脳炎ウィルスが現在まで続いて見つかっているといいます。
◇ 日本脳炎ウィルスは、脳や神経系で増殖するウィルスで、現在は特効薬はなく、死亡率が18%と高く、なおっても後遺症が30%と、残り易いことです。尚脳炎症状のほかに、胃腸の出血や穿孔もあります。潜伏期間は 7~20日。
◇ 死亡率は1934年までは60~70%前後で、1935~1939年は50%、戦後は1947、1949年は90%前後でしたが、それ以外は大体40%前後で、1955年以降は30%前後、1965年には26%で、以後低下し20~30%、1982年は19%、1984~1987年合計では18%に減少
しています。後遺症は1984~1987年合計では45%でした。
この傾向はどこの国でも同じで、流行の始めは死亡率が高く、しだいに減少し、流行がおさまる頃には大幅に低下しています。これはウィルスと人間との適応関係で、共存の道をたどっているのです。
◇ 日本国内での発生は、ほとんど関西以西の西日本で特に九州、近畿地方に多く、1970年以降は関東甲信越以北は5~7%(年平均1.5~2.2人)です。
しかも熊本、福岡、長崎、佐賀、愛媛、山口、和歌山に患者発生が集中し、この7県で70%を占めています。また広島、高知、兵庫、大阪に隔年程度に発生し、他は散発的です。
表1 日本脳炎患者発生地域(1980~1988年合計)総数 272名
九州 中国 四国 近畿 東海北陸 関東甲信越以北
地区別患者数 137 24 24 59 8 20
うち訳は 熊本71 山口12 愛媛14 和歌山31 愛知 3 東京 7
福岡31 広島 9 高知 6 兵庫 9 石川 3 栃木 5
長崎21 大阪 8 千葉 4
佐賀10 (厚生の指標より作製)
◇60才以上の高齢者が多いのが特徴です。
流行時は小児(4~9才)が多かったのですが、今は発病するのは老人に多く、死亡するのも殆どが老人です。1984~1987年合計では40才以上では75%、60才以上で45%でした。 5才以下16人で12%、 6~19才は1名でした。特に死亡者のうち60才以
上が78%で、50才台を含めると87%でした。
表2(今川より)
(ここに表が入ります。)
◇ 発生時期は6月から9月までの夏場だけです。また臨床的に日本脳炎と診断された人のうち真性(抗体陽性)になるのは流行期以外は通常30%にすぎないといいます。
尚日本脳炎は北海道には存在しません。
(2) 不顕性感染-かかっても発病しないこと
厚生省は流行予測事業の一環として血清の中和抗体を測っていました。その結果を見ると、1966年から1980年までの間で、年齢が高くなるに連れて陽性率は50~90%としだいに上昇し、各年齢毎の率は15年間の間にほとんど変化していません。
高齢者で抗体が90%前後あることは、多くの人は知らない間にかかっていて発病していないことを示しているのです。特に後年はワクチン未接種者を対象にしていますのでその信頼性はあると思います。
図1 中和抗体保有率
1966~1980年
(緒方より)
(ここに表が入ります)
このことから一般には、かかっても大多数の人は発病せずに免疫ができ、発病率は現在の日本では0.05%(2000人に1人)以下と言われています。
更に1981年の厚生省の感受性調査の成績では、ワクチン接種対象の年令層である0~9才では、ワクチン歴の無いものでも抗体陽性率が40%以上あり、15才以上はワクチン歴の無いものでも抗体陽性率が60%以上になっています。
ワクチン歴の有る無しを問わず 図2 (吉岡より)
60才以上では80~90%の人が抗体を保有しており、ほとんどの人は
一生の間のどこかで、か自然に感染し、発病せずに終わり(不顕性感染)、抗体をもつようになっているのです。
日本脳炎ウィルス保有蚊に刺されることによって感染が成立し、これが感染率で、さらに感染した人が発病する発病率は、その時代と地域で異なるようで、流行時には高く流行がおさまると低くなるようです。ですから0.2~0.3%ととか、 0.1~4%とか、いろいろな数字がでますが、今流行しているインドの低所得階層では20~30人に1人が発病し、現在の日本では2000人に1人が発病すると云われています。
このことは、日本人の栄養状態や体力が向上したことと、長年日本脳炎ウィルスにさらされてきたことにより日本脳炎ウィルスと適応してきたことが、理由として考えられます。緒方氏によれば、①豚が人間の密集地から離れた場所で飼育され、人間が有毒蚊に刺される機会が減少した、②家庭に網戸が普及した影響、③蚊の多発時期に、水田に殺虫剤の使用や水を入れ替える中干しが行われるようになり、蚊の発生が抑られた、といいます。それに湿地や沼地が減少したともいいます。しかしこれらの環境の変化はあくまで副次的なもので、主になるのは人間と日本脳炎ウィルスとの適応が進んだ為ではないでしょうか。
(3)日本以外の国での発生状況は、
中国では1957年から1971年まで大流行があり、1966年から全土で独自の不活化ワクチンを接種していましたが、1978年には患者18,082名(死者2,578名)の大流行があり、以後しだいに発生率は1/4 から1/20に減少し、、罹患率が人口10万人当たり20から、2に低下したと云います。韓国では、1955~1968年の大流行のおさまった1971年から日本と同じ不活化ワクチンを小児に接種していますが、なぜか1982年に大流行がありました。台湾では1960年代に多く、その後はしだいに減少しています。1965年から日本製ワクチンの野外実験をした後、1970年頃から接種開始しましたが、一時有効性が問題になり、中止したとの情報もありましたが、現在は不活化ワクチンを定期接種しているようです。
ベトナムでは1970年代に発生し、1980年代に流行が始まっています。タイでは1969年の流行以後流行し、毎年1000名規模の患者が出ていて、1980年代にはさらに大きな流行を繰り返しています。インドでは、それまでは南部で12月から3月に年20名前後だったのが、1973年から流行が始まり北部で5月から10月に爆発的に流行し、1980年代にも大流行が続いています。しかも低所得階層の発病率が20~30人に1人と高率なのです。ネパールでは、1978年以来流行し、1982年に大流行があったようです。ミャンマーでは、1974年から少しづつ散発的に発生し、まだ流行はないようです。インドネシア、マレーシアでは年間を通じて小規模に散発しているといいます。
(4)日本での発生状況
日本では1923年の大流行以来発生が続き、戦後も大流行し、1967年頃から急激に減少し、1972年以後は二桁以下の発生になっています。
日本脳炎の患者数、罹患率、死亡率 (「日本の日本脳炎の疫学」緒方より)
(今川によると1946年指定伝染病、1954年法定伝染病になる。)
(ここに表が入ります)
$3.日本脳炎ワクチン
(1)どんなワクチンか?
◇ 日本脳炎ワクチンは、不活化ワクチンと言って日本脳炎ウィルスを殺して作ったものなので、確実に発病を抑える効果は少なく、効果があるとしても発病する率が 1/4程度に減るだけです。ですから生ワクチンに比べて有効性に問題があり、予防注射をしてもかかることがあるのです。また初めて注射した後、効果を期待できるのは1~2週間隔で2回接種した人だけ(1回だけの人は無効)で、時期は第1回接種後
の1ヵ月後からです。免疫の持続については、臨床的には確かめられておらず、1コース(初年度2回、翌年1回追加)の予防接種により過半数の人には少なくとも3~4年後にも中和抗体が証明されるので、その間免疫が残っていると考えられています。
でも免疫の主役はあくまで細胞免疫であり、抗体(液性免疫)ではなく、抗体があるからといっても細胞免疫があるかどうかは分からないので、中和抗体があるから発病を予防できるかどうかについては推論に過ぎません。もちろん自然感染の場合は、抗体があれば細胞免疫もあることが確実ですから、二度とかからないのです。
◇ 現在種豚には日本脳炎生ワクチンを接種していますが、豚には、不活化ワクチンより生ワクチンの方が効果が良いので、生ワクチンを用いているのです。人間には生ワクチンは副作用が怖いので用いられていません。
(2)日本脳炎ワクチンの有効性が証明されていません。
◇ 不思議なことに日本におけるきちんとしたデータはないのです。ワクチンの接種による中和抗体の上昇効果については多くの報告がありますが、予防効果についてはデータがありません。
◇ 更に前記の1981年の厚生省の感受性調査の成績では、ワクチン歴の無いもので、ワクチン接種対象の年令層である0~9才で抗体陽性率が40%以上あり、15才以上は60%以上になっています。またワクチン歴の有る無しを問わず60才以上では80~90%の人が抗体を保有しており、その半面ワクチン接種歴のある人でも、いずれの年令層でも抗体保有者は 100%にはならないのです。即ち実際に使用されていたワクチンは、中和抗体で見ても効果が確認されなかったのです。
◇ ほとんどの人は成長する間に、いつのまにか自然に感染し、そのまま発病せずに終わり、抗体を保有しているのです。だから、ワクチン接種の効果判定がなおさら難しいわけで、日本脳炎患者が減ったのはワクチン接種の効果とは言えないのです。
◇ 日本脳炎ワクチンの唯一の有効例として報告されているのが、1965年の台湾での日本が寄贈したワクチンによる野外実験です。
日本脳炎ワクチン接種群 の発病率 6人/13万 4千人
対照群(破傷風ワクチン接種)の発病率 24人/13万 2千人
対照群(未接種) の発病率 35人/14万 1千人
これを根拠にしているのです。
ところがこれに基ずいて台湾政府が1966年から2才児を対象にワクチンの接種を行っていますが、その効果が期待される2才児の患者数が全く減少の気配がなかったのです。
(三浦より) 1961~65年(ワクチン前) 8.1% (218/2695)
1966~70年(ワクチン後) 10.8% (363/3355)
1971~75年(ワクチン後) 8.5% ( 92/1078)
こうして有効性が否定されてしまいましたが、その後は患者数が減少したようです。最近の情報では、台湾では現在、定期接種をしているといいます。
(3)臨時接種という名で半強制
臨時接種という名目で強制接種になっていますが、実施については都道府県に任されている為、都道府県の対応もバラバラでこれ程各地で違うやり方をしている予防接種はないと云われる位です。、もちろん北海道は実施していませんし、東日本は基礎免疫の1ヵ月おいての2回と1年後の追加をしてその後はしない所が多く、熊本のようにその後も隔年に追加している所もあります。日本全体の接種率は30%前後に落ちているようです。
またインフルエンザ・ワクチンと同じように、もっとも発病率や死亡率の低い幼稚園児や学童を接種対象としているのです。(予防接種の初めの頃は老人や、慢性疾患のある人を対象にしていたのですが。)
(4)ワクチンの副作用
神経親和性のウィルスの為 、発熱、接種後脳炎、脳症、急死、てんかんなどの神経障害があります。
§4.病気の予防は何をすべきなのか。
(1)ワクチンは病気の予防の一つの方法にしかすぎません。
◇ 日本脳炎の予防は、人間を防波堤として予防接種で防ぐよりも、蚊の防除をすることが第一で、その為には湿地帯や家の周辺の水たまり、特に小さい水たまり、空き缶や水のたまった容器、屋根のといなどで繁殖しますので、それらをなくすことが第一なのです。過去にヨーロッパでも湿地帯をなくすことによってマラリヤを消滅させています。
◇ 石垣島はかってマラリアの濃厚汚染地域でしたが、マラリアを媒介する蚊の撲滅に全島民が努力した結果、マラリアの撲滅を達成した歴史があり、それとともに日本脳炎の流行も終息したとみられています。実際に、マラリアの撲滅以後に生れた小児の日本脳炎に対する抗体が、ほとんどないのです。
(2)日本脳炎ウィルス流行予測は、豚の血清を調べれば分ります。屠場豚は一夏しか越えない豚なので流行予測に使われます。屠場豚の血清の中和抗体試験では、1989年には、北は秋田県、新潟県、栃木県、茨城県辺りまで、豚の50%以上が9月までに日本脳炎ウィルスの感染を受けていました。緒方によると、豚の抗体保有率が7月中に50%をこえると、人間の日本脳炎が流行するおそれがあります。この様に流行予測は豚の血清調査でできるのです。ここ数年は、抗体保有豚が半数をこえる月が西日本で8月で、東日本では9月かまたは半数に達せずに終わります。また7月に抗体保有豚が半数をこえるのが西日本で10年に3~4回あります。現在は夏になると九州から始り次第に北上し、福島を越える辺りで秋になり、北海道には届かずに終ります。
§5.最後に
◇ 日本脳炎ワクチンはインフルエンザ・ワクチンよりも、もっとデータが少ないのにまかり通っているワクチンです。BCGと共に強制接種を廃止させるべきでしょう。◇東南アジアでの日本脳炎の流行は、日本→韓国、台湾、中国→タイ、インド、ミャンマー→ベトナム、ネパールとうつってきています。これを見るとその国の社会経済の一定の発展段階で大流行を起こし、その後社会経済の発展と共に人間とウィルスと
の適応ができて、しだいに流行が衰えているのです。
結核と同じように、その社会と日本脳炎ウィルスとの適応が出来上がっていくと、発病率も、死亡率も低くなり、ウィルスと人間の共存が成立し、まれにしか発病しない病気になっていくのです。
なぜ社会のある発展段階で、大流行するかというと、まだ日本脳炎ではわかっていませんが、なんらかの自然の生態系が変化して、蚊などの媒介生物の繁殖に変化があったと考えられます。例えば、アフリカでは森林には猿につく蚊がすんでいますが、焼畑農業のために森を焼き払うと、草原になり、ヒトにつく蚊が増え、マラリアが広がります。ツエツエ蠅も草原に住み、森を焼き払うと増えます。日本脳炎でもなんらかの生態系の変化で大流行し、人間との適応関係を作って流行が終わるのです。
◇ 病気の最良の治療法は予防です。
予防の第一は、健康を保つことです。健康とは、WHOの定義にあるように「病気でないだけでなく、身体的にも精神的にも、さらに社会的にも調和のとれて完全に良好な状態をいう」のです。
人間は本当に健康であれば、決して病気になりません。沖縄の百歳の長寿の人を調査した報告では、ほとんどの人が医者にかかるような病気をめったにせず、病気をしないから長寿なのです。悟りをひらいた宗教者たちも病気をしません。こころおだやかであれば、病気をしないのです。身体とこころの健康を保つことが大切でそれは、社会的に形成されるのです。
病気は人間が環境に適応できない時になるのです。現代では、多くは社会的環境に適応できなくて病気にかかるのです。ですから病気は常に、社会の中の弱者に多く現われます。だから低所得階層に病気が多くなるのです。でも経済的に豊かになっても、こころ豊かにならないとまた病気になります。ストレスが病気を招きます。こころ豊かな生活をおくることが病気を防ぎ、予防接種よりも大切なのです。
そしてそれは社会によって左右されますから、こころ豊かな生活のおくれる社会を作ることが最大の病気の予防なのです。(私の疾病論についての詳細は略します。)
◇ 第二は蚊の住みにくい環境にすることです。しかし自然の生態系を乱すと、違う生物やウィルスが繁殖したりしますので、注意が必要です。現代では余り環境を変え ない方が日本人にとっては都合がよいのではないでしょうか。
文献
1.三浦悌二(帝京大衛生学教授)「日本脳炎-現状の理解と将来への展望-」
Medical Tribune,1980.5.8.
☆ワクチンの効果
1948に6万2千頭のウマに接種したら、20万頭の非接種対照群に比べ発病を3分 の1以下に減らしたと言う。
ヒトでは1954年から実施されている。しかし1965年の台湾での野外試験が唯一の 有効例として報告されているほかには、ヒトで有効と判定された野外試験の成績が ない。
台湾ではその結果にもとづいて1966年から2歳児にワクチンの接種を行なっている。(しかしその後の10年の間に全日本脳炎患者のうちの2歳児の占める割合に変化がなかった。)
厚生省の感受性調査の成績では、ワクチンを最も頻回に接種されていた0~9歳の年齢層では、ワクチン歴のある者の方が、ない者よりも中和抗体陽性率が低かったと発表されている。これによれば、実際に使用していたワクチンでは、中和抗体でみても効果が確認されなかったことになる。
診断基準--最近は患者のHI抗体によって確認される患者が30%をこえることは少ない。
2. 桑島謙夫「ワクチンとは-理論と実際-」医歯薬出版1975
3.木村三生夫、平山宗宏編著「予防接種の手びき」近代出版、第四版1983
4.厚生統計協会「厚生の指標」臨時増刊「国民衛生の動向」1980~1990
5.C.F.サムス「DDT革命」(1962)岩波書店1986
6.緒方隆幸(元国立予防衛生研究所)「日本脳炎の脅威はまだ消えていない」科学朝
日、July 1990
7.顧 佩韋(中国国立ワクチン・血清研究所副所長)「中国におけるウイルスワクチ
ンの現状」臨床とウイルス Vol.11,No.4,1983.12
8.対談「日本脳炎研究の回顧-北岡先生との対談-」北岡正見(故・元国立予研副所
長)緒方隆幸(帝京大衛生)、徐 慶一郎、吉岡勇雄ほか
9. 北岡正見「日本脳炎ワクチンについて」日本公衆衛生雑誌4(7):335-340,1952
10. 五十嵐 章(長崎大学熱帯医学研究所ウイルス学部門教授)「日本脳炎ワクチン」
最新医学Vol.43,No.3:508-513,1988
11. 吉岡勇雄(北里研)「日本脳炎」免疫と疾患Vol.8,No.2:267-271,1984
12. 大谷 明(国立予研部長)「日本脳炎ウイルス」からだの科学増刊19:171-174,
1987
13. 大谷 明(国立予研部長)「日本脳炎ワクチンの効果と反省」臨床とウイルス
Vol.10,No.1:14-16,1982
14. 小林 譲(愛媛大学第一内科)「日本脳炎」臨床とウイルス Vol.10,No.1:
14-22,1982
15. 吉岡勇雄(北里研)「日本脳炎ワクチン」総合臨床Vol.33,No.11:2501-2505,
1984
16. 今川八束(都立荏原病院副院長)「日本脳炎」総合臨床Vol.38,No.2:277-281,
1989,
17. 中山哲夫(済生会中央病院小児科)「東京都心部住民における日本脳炎ウイルス
中和抗体保有状況」感染症学雑誌Vol.61,No.7:802-809,1987
18. 福永利彦(琉球大学医学部ウイルス学)「東南アジアにおける日本脳炎の疫学」
臨床とウイルスVol.13,No.2:135-143,1985
19. 石井慶蔵(国立予研)「東南アジアにおける日本脳炎」臨床とウイルスVol.13,
No.2:144-149,1985
20. 緒方隆幸(帝京大学衛生学)「日本の日本脳炎の疫学」臨床とウイルスVol.13,
No.2 :150-155,1985
21. 林 薫 (長崎大学名誉教授)「日本脳炎ウイルスの抗原構造」臨床とウイルス
Vol.13,No.2:156-161,1985
22. 五十嵐 章(長崎大学熱帯医学研究所ウイルス学部門教授)「新しい日本脳炎ワ
クチン」臨床とウイルスVol.13,No.2:162-165,1985
23. 小林 譲(愛媛大学第一内科)「日本脳炎の臨床」臨床とウイルスVol.13,No.
2:166-172,1985
24. 臨床とウイルスVol.13,No.2:177-184,1985
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます