黒部信一のブログ

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不機嫌な太陽―気候変動のもう一つのシナリオ― No.5

2022-09-13 10:11:24 | 地球温暖化

      不機嫌な太陽 ―気候変動のもう一つのシナリオ―  No.5

§6.太陽は躁とうつを繰り返しているのか

太陽の動きは変動している。ちょうど人間でいえば、機嫌のよい時と悪い時のように。 (1節の最初は、今後続く、地球の年代測定法の解説が主の為、スペンダー説を支持するところなので重要なのですが、我々には必要ないので、そこは飛ばして読んで下さい。)

1章 不機嫌な太陽は氷山多発期を生む

気候変動は、太陽活動の変動と同期して起こることが多く、宇宙線によって生成された奇妙な放射性原子(ミューオン)の増減は気候変動を示している。その放射性原子(ミューオン)の生成が増えた時は、世界は寒冷であった。

 マンによる最近1,000年間の気候変動 (ホッケースティックのグラフの誤り)

  中世の温暖期と小氷期の存在が不都合である「産業革命以前に起こった自然の気候変動を無視したい」人たちは、この時期の気温の経年変化を水平にさせた。マンは1000~1900年の間世界は涼しい状態を維持し、それ以降気温が急上昇している「ホッケースティック」として知られているグラフを作った。しかし、中世に温暖期と小氷期があった実例は、東アジア、オーストラリア、南アフリカからも出ている。ホッケースティックのグラフの誤りは統計学者の検証に任せることにする。

1節 小氷期における太陽黒点の消失

 宇宙線による大気の変化 (放射性同位元素による年代測定法の進歩)

 宇宙線は地球の大気に到来した印を、放射性原子という形態で置いていく。それは大気中の窒素から作られた「放射性炭素原子14C(炭素14)」で、年代測定に使われている。 [注: 14Cは放射性同位元素炭素14のことで、通常の炭素原子Cは12Cである]

 生成された14Cは、酸化されて炭酸ガス(14CO2)となり、植物に吸収され、その植物やそれを食べた動物に移行し、それらの遺体である木材、木炭、骨、革、および他の残存物に残る。その遺体中の炭素の比率(14C/12C)は、その生物が遺体となった時期の大気中に含まれる炭素の14Cの比率に一致している。それから数千年を経過するとその14Cはその間に徐々に崩壊して窒素に戻る。それで年代を測定し、その誤差を補正するために、大気中の14Cの生成率が、時代によって違っていることを見いだし、樹齢の古い木の正確な年代が分かる年輪ごとに14Cを測定し、それで年代の座標を補正した。 それにより、宇宙線の侵入を防ぐ太陽の働きが、数千年の間に変化した様子を見ることができた。宇宙線を太陽の磁場が跳ね返すことで14Cの生成率を低くしていた。太陽の活動が不活発になると、宇宙線がより多く到達し、14Cの生成率が上昇した。

[注:放射性同位元素とは、ラジオアイソトープ(略称RI)という。原子番号が同じで質量数の異なる元素を同位元素 (同位体)という。原子核は陽子と中性子からなり,陽子の数が原子番号を、陽子と中性子の数の和が質量数を表すので,同位元素の間では原子核を構成する中性子の数のみが異なり化学的性質は同じである。同位元素が存在するため、原子番号と質量数によって規定される原子核を核種といい、質量数を左肩に付して14Cのように表す。 同位元素には安定なものと不安定なものがあり、不安定なものは時間と共に崩壊して放射線を発する。それを放射性同位元素と言い、宇宙に自然に存在し、時間と共に崩壊し、年代によって生成率が異なるので、放射性同位元素の比率を測定することによって年代を測定する方法が開発された。]

太陽活動と気候変動との関連付け

ニュージーランド科学工業研究部のブレイは、紀元前527年以降の太陽活動を追跡し、宇宙線による放射性炭素原子14Cの生成の増加を太陽の磁気活動の低下と関係づけることができた。ブレイは太陽活動の低下と宇宙線強度の上昇を、記録された歴史的な氷河の前進と結びつけたのである。この氷河が前進した証拠は、小氷期の最も寒い期間がまたがっている17世紀と18世紀には、極めて多数にのぼった。その10年後、気候学者のエディは17世紀末における太陽の特異的な黒点極小状態に対して「マウンダー極小期」と名づけた。

1000~1300年の中世の温暖期、その後1300~1360年、1450~1540年、1645~1715年(マウンダー極小期)、1790~1820年と太陽活動が低下した4つの(黒点)極小期の時期を生じた。この時期は短い回復期により分断された。しかし、この(黒点)極小期の寒冷期に氷河が前進して村が押しつぶされたことや、夏が極めて短かったことや、各地で飢饉が起きたことが記録されている。

◎バイオリン製作者ストラディバリが生存したのは、このマウンダー極小期にあたり、この時期の欧州の木は成長が悪く、年輪の間隔が過去500年のうちで最も狭い。それでこの時期のトウヒ材は年輪の間隔が狭く、ことのほか強くて密度の高いものであるので、ストラディバリによってその時のトウヒ材で作られた、約千本のストラディバリウスに匹敵するバイオリンはその後決して作れないという。(それで2022年のオークションでは1534万ドル、20億円で落札された。)

2節 太陽風の送風機の調子と気候変動

 太陽類似星の観測

 宇宙物理学者は、太陽に類似している星(太陽類似星)を25年以上のあいだ観測して、300年前の太陽と同じようにそれが磁気活動を停止することがあることに気がついた。さらにシカゴの物理学者ユージン・パーカーは、小氷期に黒点が消失していたことに気がつき、また、太陽風の理論を生み出し、太陽風により太陽が磁気遮断層を作り、それにより外からの宇宙線の侵入を防いでいるということを明らかにした。

 黒点極小期に寒冷化する理由

パーカーは、太陽の黒点数が減少した時に起こる太陽光度の減少が、小氷期の寒冷化を引き起こしたと考えた。また、気候の変動に影響を及ぼすものは、太陽からの可視光か非可視光の両方かどちらか一方と考えた。1996年にスべンスマルクたちは、太陽光度は小さな要因でしかなく、太陽の黒点の減少は、宇宙線の侵入を増加させ、それが雲量の世界的増加をもたらし、より強力な寒冷化を引き起こすと考えた。

3節 氷山多発期

間氷期に起こった寒冷期

 300年前の小氷期には、アイスランドやグリーンランドは氷が海岸まで迫り、そこにいたバイキングたち入植者はいなくなり、先住民だけが生き残った。陸上の氷河が南方へ拡大し、大西洋に入ると、海洋上を漂流し、氷がとけて陸上で削り取った岩石の屑を海中に落とし、今でもそれが見つけられている。海底の地層コアーを採取して、直近の小氷期と、それより前に1500年の間隔で寒冷期が起こっていた。

[注:1990年頃から、地層コアーからの温暖期と寒冷期の年代測定方法ができたが省略する。地層コアーとは、長い円筒状のパイプでボーリングして、その中に入った地層を採取したもの。その長さは地質によって異なるが、堆積物だと600m以上は掘削できる。]

 北大西洋の海底に堆積した地層から、一般的には10万年ごとにおこる氷(河)期と、比較的短周期の気候変動が重なって起こることも判った。10万年周期の変動は、地球の公転軌道のふらつきによりもたらされ、比較的短周期の気候変動は宇宙線に影響を及ぼす太陽活動の変動によるものである。

 直近の氷期における氷山多発期

 海底地層コアーの研究で、気候の激しい変動が起こっていたことが判った。ドイツ水路測量研究所のハインリッヒたちは、北大西洋の欧州側の地層から、北カナダに由来する白い炭酸塩岩の粒子を見つけた。その粒子から、気候変動で知られていなかった厳寒期が何回も存在していたことを突き止めた。ハインリッヒ氷山多発期と呼ばれるこの時期は、人の生涯にあたる短い期間中に数℃の平均気温の低下があった可能性があるという。海底地層コアーの最大のコレクションは、コロンビア大ラモント地球観測所にあり、同地球観測所の地質学者ボンドは、北大西洋の地層コアーをmm単位で調査した。

 ボンドによる氷期の最後以降の調査

 ボンドは間氷期の調査をし、氷期を終わらせた大きな温暖化は、約1万3000年前の「ヤンガー・ドライアス寒冷期」と呼ばれる厳しい寒冷期によって中断された。その時期にやはりハインリッヒ型の氷山多発期を示す白い粒子が見つかった。海底地層コアーには、寒冷期も記録していた。

◎その時、紀元前1300年に頂点に達した寒冷期は、東地中海周辺の国々を干ばつで苦しめた。ギリシャのミケーネ人とトルコのアナトリアのヒッタイト人の都市文明は崩壊した。ユダヤ人がエジプトを脱出したのは、ナイル河の水位が低くなっていた時である。また、海賊により錫貿易は途絶え、その替わりに、鉄の使用がキプロスで始まった。

4節躁うつ病の太陽

 太陽活動の変化と気候変動

 寒冷化が起こった時期と、太陽活動が低下し宇宙線が増加した時期とが、すべて同時に起こった。スべンスマルクのこの主張は、世間から疑問視されていたが、(彼の説を支持する)ボンドのチームにスイス連邦科学研究所のベーアが加わったことで変わった。

 ベーアの10Be (Beの放射性同位元素10)による研究

 ベーアは、南極とグリーンランドの両極地の氷層コアーを掘削し、それから宇宙線により大気中に生成された放射性ベリリウム10Be量の変化を測定した。半減期は10Beの151万年、14Cは5730年で、10Beは生物や炭酸ガスによる影響を受けることはなく、南極やグリーンランドの氷の上には10Be原子が次々と落下して、氷の中に閉じ込められた10Beは、10万年以上にわたる過去の太陽活動状況を明らかにした。

 突然の温暖化と寒冷化

 コペンハーゲンのダンスガールとベルンのエシュガーは、グリーンランドの氷層コアーの調査で、氷山多発期群の突然の寒冷化の間に、突然の温暖化が起こっていることを発見した。氷中の重い酸素原子(同位体17Oと18O、普通は16O)の割合の変化が、温度変化の指標である。最後の氷期の真っ最中である4万5千年から1万5千年の間に形成された表層に、強い温暖期が、突発的に12回も起こり、その各々が数百年間続いたことを見出した。現在の間氷期の間にも温暖期が繰り返し起こり、それでアルプス越えの近道も発見された。

 現在の地球の温暖化は、氷期の間に起こった強烈な温暖化よりも強いものであろうか。

 最も最近に起こった温暖化は、中世の温暖期と20世紀の地球温暖化の時期である。中世の西暦1000年から1300年頃の温暖期は、バイキングやイスラム文化の絶頂期であった。

太陽活動が活発で宇宙線の侵入を阻止した時期は、中世の温暖期と20世紀の温暖化時期の両方に明確に見られる。過去1万2千年の間氷期の間に、温暖期が8回起こり、その時にはいつも宇宙線は少なかった。間氷期と氷期の双方における寒冷期と温暖期は、太陽活動によって起こっていることは疑う余地がない。

5節氷期における気候の良い時と悪い時

クロマニヨン人の移動

 クロマニヨン人がアフリカから西ヨーロッパに移動したのは、ダンスガール・エシュガー温暖期の約3万5千年の頃であった。西欧にいたネアンデルタール人はクロマニヨン人にとって代わられた。

 1万3千年前のヤンガー・ドライアス寒冷期には、アフリカの降雨は突然ほとんどなくなり、多くの地域を苦しめた。その時期にシリアのユーフラテス川の流域では、穀類の栽培の証拠が見つけられた。背の高い人間の出現は、宇宙線が増加した結果の賜物である。氷期の間、現代の人間は徐々にシベリアまで広がり、そして最後にアメリカ大陸へ渡った。 (約1万2千年頃にはベーリング海峡は氷で覆われており、ここを渡ったモンゴロイドたちは、寒冷化に追われて南米の先端のフェゴ島まで行った)。

 7万4千年前頃の寒冷化

 人類が大きく拡散する前に、気候が初めて氷期の最も寒い時期に入ったのは、7万3500年前頃であった。7万4500年前頃にスマトラ島のトバ火山の爆発でインドまで灰をまきちらしたという程で、空を火山灰が覆えば短期の寒冷化が起きるが、それがあっても宇宙線の強度の方が強かった。

 ボンドとベーアの業績

 ボンドのデータによると、産業革命のかなり前から、自然は劇的な気候変動を起こす能力を持っていた。ベーアの12Beのデータと組み合わせると、小氷期から21世紀初頭にかけての温度上昇の大部分の気候変動に太陽が重要な役割を演じていたことは否定できない事実である。ベーアは、地球の磁場が低下している時には、太陽活動の低下があっても、気候変動は起きていないという証拠を見出していた。

6節 雲形成仮説を否定するベーアのデータ

 地球磁場の変動

 ハレーは彗星を発見しただけではなく、地球磁気学でも変動を知っていた。2000年にオランダのチームは、磁場はあと千年すると消失するという計算をしていた。地球は、磁場の南極と北極を交換する体制に入ったのではないかと懸念されている。磁極の反転(地磁気逆転現象)は、歴史では頻繁に不規則に起こっていて、2千年以上かけて起きるという。

 地球磁場の変化と気候変動

 磁極の逆転は、日本の松山基範とフランスのブリュンヌによって別々に発見された。

しかし、磁気逆転によってもたらされた影響は残っていない。紀元前5千年頃の青銅器時代にも地磁気が弱まったが、気候変動は起きていない。

イルカ様運動をする太陽              太陽風とその途切れるところ

宇宙線の電子から始まって、雲ができるまで


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