アレルギー疾患の精神身体医学
説得療法
説得療法とは
はじめに
私はこの言葉を九大の故池見酉次郎教授の文献から知りました。でも私はそんなことを知らずにしていたことでした。ただ私は、患者数が多く、一人ひとり違うので、個別にしていましたが、花粉症の時だけは、待合室を使って集団で行ないました。
池見酉次郎教授の論文はその内にブログにのせますが、取り敢えずそこに書かれていた「説得療法」の説明を載せます。
「心理的脱感作の第一段階として、先ず説得療法を行なった。これは被験者たちを一堂に集めて、心身相関についての全般的なことをいろいろ話したり、われわれがやった心身相関の実験をスライドなどで見せたりした後で、自由に質疑応答させ、さらに個人面接までおこなって、問題の症状が起きた時の条件などを細かく聞き、各人がなっとくが出来る状態にまで、再教育する方法である。」
しかし、それだけでうまく治癒する人もいるが、出来ない人に本格的に心理的脱感作療法をするというのです。私はそこまでできませんでした。そこまでの準備と時間が無かったからです。次に載せる「自己暗示」に書かれている、思い込みの激しい人を、うまく誘導するには催眠療法を使わないとできないからです。
「自己暗示」はフランスの薬剤師エミール・クーエの自己暗示法で集団で集めて、自己体験の話をさせたりしてから、自己暗示で病気を治すように話をし、病気を治していたというのです。
私のした説明療法は、必ず思い出してもらうために、詳しい説明をプリントして渡すことでした。ある雑誌に70枚作っている医師がいると書かれていたので、私は100種類以上作って渡していました。一度聞いても忘れてしまいますから、文書にして渡して、繰り返し読んでもらいます。それで安心してもらうことが狙いです。
当初は小児科専門でしたから、主に感染症と脱水とアレルギー疾患でした。感染症はアメリカの感染症の本からとりました。アメリカの医学書は実践的なので、私は誰にも習わずに、アメリカの医学書で静脈切開を覚えました。読んだ通りにして行けば、出来ました。
今でも手元にあります。これは先輩の松尾慶応小児科教授から薦められて買い求めた本です。私は陰に日向にいろいろな先生方から応援してもらい、今があります。慶応だけでもなく、医学だけでもなく、いろいろな分野にわたります。感謝しています。
アメリカの医学書は実践的で、いろいろな日本の医学書に書かれていないことを学びました。例えば麻疹と風疹の見分け方や、水痘の水疱の鑑別、解熱剤による麻疹の内攻や脳症の発病、インフルエンザや水痘以外でも解熱剤で脳症になること、アセトアミノフェンでもライ症候群になることなど、あまたにのぼります。
日本の医学書は書いた人を知らないと、信用できません。大学を問わずそういう医師は少数です。例えば、名古屋市立医大小児科教授だった小川先生は、弟子たちに「信頼できると思ったら、電話してでも患者の治療法の教えを請いなさい。教えてくれなければ二度と聞くことはない。自分の患者を助けてくれるなら、救急車でも、ヘリコプターでも呼んで、連れて行きなさい。」と教えていたと浜松医療センターの新生児科医長から聞きました。残念ながら、その弟子であった小川助教授は教授になれずに、埼玉医大の中山喜弘教授に呼ばれて埼玉医大総合医療センター教授になりました。その小川教授は病床で、自分の後任に東大出身で長野県立こども病院にいた田村正徳教授を指名しました。良い医師は、良い医師を知っているのです。
中山教授は私の父(千葉大卒)の同級生の弟で、慶応を卒業して千葉大の医局へ行きました。田村教授は小児科医師連合での友人でした。皆、腕の良い患者さん思いの小児科医で人を使うのも上手で、信頼できました。いずれも私を支えてくれた人たちです。
大学闘争や青医連運動、小児科医師連合運動をしたおかげで私は多くの医師たちと知り合い、教えを受け、支援を受けました。あの頃はみんなあつく医学や医師のあり方を語りましたが、今は過去の話になりました。それだけの想いで医者になってはいないと思います。
外来診療でする場合には、よほどの信頼関係ができていないと難しいです。評判を聞いて来てくれる人は、信頼関係が作りやすいのでうまく効果が出ることも多いです。
薬だけくれればよいという患者さんは難しいです。
吹上共立診療所時代には、黒部教信者と言われるほど信頼してくれる患者さん、というより母親たちがいました。そうすると子どもたちが病気をしないか、しても軽く済んだり、兄弟が同じ病気にかかると受診せずに治ってしまったりして、患者数が減少してしまい、常に新患を増やす努力をしていました。それでも今の医療制度では経済的に成り立たず、乳幼児健診や予防接種、住民基本健診や特定健診などの内科の健診で稼ぐしかありませんでした。
ウイルス疾患では、解熱剤と抗生物質を出さなければ、使う薬が無いし、胃腸炎は食事療法で済むし、嘔吐症の場合は絶飲食の時間をおくとか、診断がポイントであり、治療ではお金をとれず、説明だけになったのです。
それで説得療法は、主にアレルギー疾患が対象でした。アトピー性皮膚炎なども一度新聞に取り上げられて何人か来られましたが、子どもはみな1か月以内に治ってしまいました。
気管支喘息も発作を起こさなくなるし、蕁麻疹、食事アレルギーも軽快し、スギ花粉症とアレルギー性鼻炎だけが、軽くなるが完全に治癒とはなりませんでした。ストレスが何かをつかむことが難しく、ストレスを無くすことができなかったからです。乳幼児の喘息様気管支炎も難しいケースでも1年で治りました。
大人は難しいのは、思い込みが大きく、それを変えさせることが難し野です。その内に載せますクーエの「自己暗示」に詳しく書かれています。それで集団で、教育と暗示をし、それを強化するための自己暗示を教えることで改善を図るのです。
これから順次私の持っている文献や、私の作ったプリントをブログに載せていきます。資料に基づいて書いたものですが、昔作ったものの中には時代と共に変わってしまったものもあるかも知れません。できるだけ直して載せますが、出来ていないものもあることはお許しください。日本は医療が標準化されていませんから、最先端医療を除いたら、十分対応できると思います。
説得療法
説得療法とは
はじめに
私はこの言葉を九大の故池見酉次郎教授の文献から知りました。でも私はそんなことを知らずにしていたことでした。ただ私は、患者数が多く、一人ひとり違うので、個別にしていましたが、花粉症の時だけは、待合室を使って集団で行ないました。
池見酉次郎教授の論文はその内にブログにのせますが、取り敢えずそこに書かれていた「説得療法」の説明を載せます。
「心理的脱感作の第一段階として、先ず説得療法を行なった。これは被験者たちを一堂に集めて、心身相関についての全般的なことをいろいろ話したり、われわれがやった心身相関の実験をスライドなどで見せたりした後で、自由に質疑応答させ、さらに個人面接までおこなって、問題の症状が起きた時の条件などを細かく聞き、各人がなっとくが出来る状態にまで、再教育する方法である。」
しかし、それだけでうまく治癒する人もいるが、出来ない人に本格的に心理的脱感作療法をするというのです。私はそこまでできませんでした。そこまでの準備と時間が無かったからです。次に載せる「自己暗示」に書かれている、思い込みの激しい人を、うまく誘導するには催眠療法を使わないとできないからです。
「自己暗示」はフランスの薬剤師エミール・クーエの自己暗示法で集団で集めて、自己体験の話をさせたりしてから、自己暗示で病気を治すように話をし、病気を治していたというのです。
私のした説明療法は、必ず思い出してもらうために、詳しい説明をプリントして渡すことでした。ある雑誌に70枚作っている医師がいると書かれていたので、私は100種類以上作って渡していました。一度聞いても忘れてしまいますから、文書にして渡して、繰り返し読んでもらいます。それで安心してもらうことが狙いです。
当初は小児科専門でしたから、主に感染症と脱水とアレルギー疾患でした。感染症はアメリカの感染症の本からとりました。アメリカの医学書は実践的なので、私は誰にも習わずに、アメリカの医学書で静脈切開を覚えました。読んだ通りにして行けば、出来ました。
今でも手元にあります。これは先輩の松尾慶応小児科教授から薦められて買い求めた本です。私は陰に日向にいろいろな先生方から応援してもらい、今があります。慶応だけでもなく、医学だけでもなく、いろいろな分野にわたります。感謝しています。
アメリカの医学書は実践的で、いろいろな日本の医学書に書かれていないことを学びました。例えば麻疹と風疹の見分け方や、水痘の水疱の鑑別、解熱剤による麻疹の内攻や脳症の発病、インフルエンザや水痘以外でも解熱剤で脳症になること、アセトアミノフェンでもライ症候群になることなど、あまたにのぼります。
日本の医学書は書いた人を知らないと、信用できません。大学を問わずそういう医師は少数です。例えば、名古屋市立医大小児科教授だった小川先生は、弟子たちに「信頼できると思ったら、電話してでも患者の治療法の教えを請いなさい。教えてくれなければ二度と聞くことはない。自分の患者を助けてくれるなら、救急車でも、ヘリコプターでも呼んで、連れて行きなさい。」と教えていたと浜松医療センターの新生児科医長から聞きました。残念ながら、その弟子であった小川助教授は教授になれずに、埼玉医大の中山喜弘教授に呼ばれて埼玉医大総合医療センター教授になりました。その小川教授は病床で、自分の後任に東大出身で長野県立こども病院にいた田村正徳教授を指名しました。良い医師は、良い医師を知っているのです。
中山教授は私の父(千葉大卒)の同級生の弟で、慶応を卒業して千葉大の医局へ行きました。田村教授は小児科医師連合での友人でした。皆、腕の良い患者さん思いの小児科医で人を使うのも上手で、信頼できました。いずれも私を支えてくれた人たちです。
大学闘争や青医連運動、小児科医師連合運動をしたおかげで私は多くの医師たちと知り合い、教えを受け、支援を受けました。あの頃はみんなあつく医学や医師のあり方を語りましたが、今は過去の話になりました。それだけの想いで医者になってはいないと思います。
外来診療でする場合には、よほどの信頼関係ができていないと難しいです。評判を聞いて来てくれる人は、信頼関係が作りやすいのでうまく効果が出ることも多いです。
薬だけくれればよいという患者さんは難しいです。
吹上共立診療所時代には、黒部教信者と言われるほど信頼してくれる患者さん、というより母親たちがいました。そうすると子どもたちが病気をしないか、しても軽く済んだり、兄弟が同じ病気にかかると受診せずに治ってしまったりして、患者数が減少してしまい、常に新患を増やす努力をしていました。それでも今の医療制度では経済的に成り立たず、乳幼児健診や予防接種、住民基本健診や特定健診などの内科の健診で稼ぐしかありませんでした。
ウイルス疾患では、解熱剤と抗生物質を出さなければ、使う薬が無いし、胃腸炎は食事療法で済むし、嘔吐症の場合は絶飲食の時間をおくとか、診断がポイントであり、治療ではお金をとれず、説明だけになったのです。
それで説得療法は、主にアレルギー疾患が対象でした。アトピー性皮膚炎なども一度新聞に取り上げられて何人か来られましたが、子どもはみな1か月以内に治ってしまいました。
気管支喘息も発作を起こさなくなるし、蕁麻疹、食事アレルギーも軽快し、スギ花粉症とアレルギー性鼻炎だけが、軽くなるが完全に治癒とはなりませんでした。ストレスが何かをつかむことが難しく、ストレスを無くすことができなかったからです。乳幼児の喘息様気管支炎も難しいケースでも1年で治りました。
大人は難しいのは、思い込みが大きく、それを変えさせることが難し野です。その内に載せますクーエの「自己暗示」に詳しく書かれています。それで集団で、教育と暗示をし、それを強化するための自己暗示を教えることで改善を図るのです。
これから順次私の持っている文献や、私の作ったプリントをブログに載せていきます。資料に基づいて書いたものですが、昔作ったものの中には時代と共に変わってしまったものもあるかも知れません。できるだけ直して載せますが、出来ていないものもあることはお許しください。日本は医療が標準化されていませんから、最先端医療を除いたら、十分対応できると思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます