昭和時代に言われていて、死語になりつつある言葉を記します。
分を弁える (ぶをわきまえる)
自分の身のほど、身分や地位を自覚して、それにふさわしい節度ある行動をとること。「出過ぎたことをしない」の意味で使うことが普通と言う意味です。
いわば、 封建思想の名残ともいえるような言葉だが、それほど昔は、忠・孝・仁・義・信、などと並ぶぐらいの大切な徳目とされていた。
分不相応は「弁える」の反対で経済状態や身分に不釣り合いなこと。「分不相応な家を建てた」などと言う。こうゆうことをする人を「分別がない」と言われた、分別は物事を弁える思慮のことです。
早起きは三文の徳 (はやおきはさんもんのとく)
誰も彼もが口にした言葉で、早起きするといいことがあると、昔は灯火のために使うお金も馬鹿に出来なかった、夜更かししないで早起きすれば明りを節約できるから「早起きは三文の徳」と言う言葉に現実味があった。
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