誰も書かない「ハリウッド・ハワイ・米国」の本音トーク

Information about Hollywood, Hawaii and the U.S. 

クリント・イーストウッド(俳優・映画監督・映画プロデューサー)/ Clint Eastwood

2022-07-20 | ハリウッド

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「兼高かおる女史」にあこがれて、1967年に Los Angeles City College に留学したと以前ブログで書いた。
【参照ブログ: ①『兼高かおる&米国の大学』(2017・3・24) ②『兼高かおる女史』(2019・1・9)】

入学当時から、卒業生の1人に映画俳優のクリント・イーストウッドがいるとは聞いていた。大学が映画の都・ハリウッドに近かったせいか卒業生には、ジェームズ・コバーン、モーガン・フリーマン、ドナ・リード、ロバート・ボーン、他多数がいたと後に知った。




ジェームズ・コバーン(James Coburn 1928~2002)
      「荒野の七人 (The Magnificent Seven) 」(1960)
      「大脱走 (The Great Escape) 」(1963) 
      「白い刻印 (Affliction) 」(1998) など、多数の映画に出演。
モーガン・フリーマン(Morgan Freeman 1937~ )
      「ドライビングMISSデイジー (Driving Miss Daisy) 」(1989) 
      「許されざる者 (Unforgiven) 」(1992) 
      「ショーシャンクの空に (The Shawshank Redemption) 」(1994) 
      「ミリオンダラー・ベイビー (Million Dollar Baby) 」(2004) など、
       多数の映画出演。
ドナ・リード(Donna Reed 1921~1986)
      映画「地上より永遠に (From Here To Eternity)」(1953) 
      人気テレビ番組「うちのママは世界一   (The Donna Reed Show) 」
      (1958~1966) 
      テレビ番組「ダラス (Dallas) 」(1984~1985)など、
       数多くの映画・テレビに出演。
ロバート・ボーン(Robert Vaughn 1932~2016)
      映画「荒野の七人 (The Magnificent Seven) 」(1960) 
      人気テレビ番組「001 ナポレオン・ソロ   (The Man from U.N.C.L.E.) 」
      (1964~1968)など、多くの映画・テレビに出演。




俳優クリント・イーストウッド(Clint Eastwood 1930~ ) のフアンになったのは、中学生の頃に見ていた日本のウエスタンTVシリーズ『ローハイド(Rawhide)』(1959~1966)からで、とくに後に彼を世界的に有名にしたマカロニ・ウエスタン(米国ではスパゲティ・ウエスタンと言う)の3本は大好きだった。米国ではなく、ヨーロッパ(イタリア・スペイン・西ドイツ)で製作されたその3本の西部劇は大ヒットした。①『荒野の用心棒 (A Fistful of Dollars) 』(1964)、②『夕陽のガンマン (For A Few Dollars More) 』(1965)、そして③『続・夕陽のガンマン (The Good, the Bad and the Ugly) 』(1966)。

その後、現代アクション映画「ダーティハリー (Dirty Harry)」シリーズ(1971~1988に計5作品)も大ヒットし、イーストウッドの地位を不動のものとした。またその間、カリフォルニア州カーメル市の市長(1986~1988)も歴任している。監督(兼)主演の作品で、「許されざる者 (Unforgiven) 」(1992)と「ミリオンダラー・ベイビー (Million Dollar Baby) 」(2004)はアカデミー賞作品賞と監督賞をW受賞している。また、「マディソン郡の橋 (The Bridge of Madison County) 」(1995)、「グラン・トリノ (Gran Torino) 」(2008)、「運び屋 (The Mule) 」(2018)など有名作品を監督、そして主演をしている。

92歳になった現在も、積極的に映画製作に携わっている。日本の寿司が大好きで、今も頻繁に寿司レストランに出入りしていると知人から聞いている。何事も健康一番、"Good health is the most important thing in our life!" でイーストウッドの増々の活躍に期待する!
■YS



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懐かしのハリウッドスター:ダイアン・マクベイン&ヴァン・ウィリアムズ / Nostalgia: Diane McBain & Van Williams

2021-05-25 | ハリウッド
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映画とテレビ好き(「好き」というよりは「狂」! As a film and TV addict)の人間にとって、最近の映画・テレビ(ドラマ)番組の内容がいまいち(a little bit less than what I hoped for) で、胸がときめかない(I'm not excited) 。理由を色々考えてみるのだが... たぶん現代、未来に合わせて内容をかなり複雑にし、カメラワーク・CGなどを駆使し凝りに凝った映像にして、過去との「差」を出そうとしているのでは、とも思える。男女・家族・友人関係、職場・社会環境などなど色々と複雑そうに思えるが、しかし所詮、すべてが「人間ドラマ」(But it's a just human drama) 。元を正していけば非常に簡単なプロット(= plots 筋)ですべておさまる。また、トム・クルーズ(Tom Cruise 1962~ ) などは、職人気質(しょくにんかたぎ =the artisan spirit) で代役を使わず危険なシーンや面白い映像を求めて自分自身で役をこなそうとするが、今はスタントマンやCGを駆使しどんな場面でも簡単に作れる。そういう実情を知らない観客にとって残念ながらクルーズの行為は無駄に思える。

それでは今、何が欠けているのか?

★一つは女優・男優の容姿(顔だちと体つき = looks) 。一般人があこがれるようなカリスマ的な、雲の上の存在な(= a person beyond our reach) かっこうよさ(= neat and tidy / really neat) 。
★もう一つは演技力(= acting skills) 。プロ中のプロで、人々に感動を与えられる演技をする人。

この2つに集約できると、思えるこの頃である。

100数年の映画作りの歴史のあるハリウッドで変化が起きたのは、1960年代後半から1970年代前半、ちょうどベトナム戦争が終焉をむかえる頃、人々の価値観が急激に変わり、主演が今までの美女・美男(beautiful actresses and handsome actors)から、どこでも居そうな「となりの女性・男性」が映像の主役になる風潮が出てきた。学校の学園祭・学芸会でするような演技で「よし」とする制作が許されてきて、それらが現在の主流となっている。筆者としては、そこに「夢を失った最大の原因」があると思っている。



また、日米の大物スターの中でまったく私生活を明かさない(隠し通す)人たちがいる。そうすることによって「スクリーン上のイメージ」を保ち、人々に「夢」を与えることが出来る。また一方では、自身のカリスマ的な地位を確立することになるからだ。

ここに筆者が大好きだった1960年代に脚光を浴びた典型的なハリウッド・スーパースター男女を紹介する:


(A photograph I had sent was returned by Ms. Diane McBain with her own handwriting letter on the back. But unfortunately the ink disappeared after 60 years!)(日本から送った写真の裏にマクベイン女史の手書きの手紙が書かれていた。残念ながら手紙のインクは60年経った今、消えてしまった!)







  
(An autographed picture sent by Mr. Van Williams)(ハリウッドからウィリアムズ氏のサイン入りブロマイドが送られてきた!)


■ダイアン・マクベイン(Diane J. McBain 1941~2022 ) は、超有名なABCテレビシリーズ『サーフサイド6(Surfside 6) 』【1960~1962 ABC-TV】で5人の主役(トロイ・ドナヒュー Troy Donahue 、ヴァン・ウィリアムズ Van Williams など)のうちの1人だった。また、他のヒットシリーズ『サンセット77 (77 Sunset Strip) 』【1958~1964 ABC-TV】 や『ハワイアンアイ(Hawaiian Eye) 』 【1959~1963 ABC-TV / Warner Brothers】 でも主役級の役をつとめた。また映画でも、1959年ジェームズ・ガーナー(James Garner) 、1960年リチャード・バートン(Richard Burton) 、1966年エルビス・プレスリー(Elvis Presley) などのトップスターとの共演もしている。【また近年、作家として本を3冊出版している。① "Famous Enough: A Hollywood Memoir" (2014) ② "The Laughing Bear" (2020) ③ The Color of Hope (2021) 】

■ヴァン・ウィリアムズ(Van Zandt Jarvis Williams 1934~2016) は、マクベイン女史と『サーフサイド6』で共演し人気を得た。またABCテレビで大ヒットした『グリーン・ホーネット(The Green Hornet) 』【1966~1967 ABC-TV】で主役。若くして亡くなった伝説のブルース・リー(Bruce Lee) もこの脇役で有名になった。2人の目のまわりを隠すマスクで話題となった人気テレビシリーズ。■YS



Diane McBain
ダイアン・マクベイン



Diane McBain



Diane McBain



Diane McBain



Diane McBain







Diane McBain with Elvis Presley and Shelley Fabares in the 1966 MGM movie "Spinout"
映画『カリフォルニア万才(="Spinout") 』のダイアン・マクベイン と エルヴィス・プレスリー & シェリー・フェブレー


Diane McBain with Suzanne Pleshette in the 1964 Warner Brothers movie "A Distant Trumpet"
映画『遠い喇叭(ラッパ)(="A Distant Trumpet") 』のダイアン・マクベイン と スザンヌ・プレシェット



(From left) Margarita Sierra, Troy Donahue, Lee Patterson, Diane McBain and Van Williams in the TV Series "Surfside 6" (1960~1962)  人気TVシリーズ『サーフサイド6(="Surfside 6") 』の(左から)マーガリタ・シエラ、トロイ・ドナヒュー、リー・パターソン、ダイアン・マクベインヴァン・ウィリアムズ





Van Williams with Bruce Lee in the TV Series "The Green Hornet" (1966~1967)  人気TVシリーズ『グリーン・ホーネット(="The Green Hornet") 』のヴァン・ウィリアムズ と ブルース・リー



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ハリウッド・人種差別・早川雪洲/ A Long-term Racial Segregation in Hollywood (Sessue Hayakawa)

2020-10-01 | ハリウッド

「健全な民主主義の先頭に立つアメリカ合衆国でありながら、いまだに人種差別問題が解決できず苦悩していることが、なげかわしい!」

米国の大学で映像・映画の歴史を勉強すると必ず「ハリウッドで初めてトップスター・セックスシンボルになった俳優ラドルフ・ヴァレンティーノ (イタリア人 Rudolph Valentino 1985~1926) は… 」という記述が出てくる。ところが、ハリウッド草創期のスーパースター・セックスシンボル(silent-screen superstar & sex symbol) は セッシュー・ハヤカワ(日本人 Sessue Hayakawa / 早川雪洲 1889~1973)で、 1910 年代、1920 年代に数々の映画で主演しヒットさせ、フランスでも映画に、英国でも舞台に出演し、ドイツを含めた国々で超有名だった事実を知っている人は、今ほとんどいない。喜劇王チャーリー・チャップリン(英国人 Charlie Chaplin 1889~1977)と当時、世界映画の人気を二分していた。それを象徴するかのように、雪洲のハリウッドの豪邸で頻繁に行われていた華麗な夕食会・大パーティにはヴァレンティーノやチャップリンがたびたび招待され出席していた。

数々の書物・参考書にはサイレント・フィルム時代のトップスターとして、ヴァレンティーノ、チャップリンの他、ダグラス・フェア―バンクス(米国人 Douglas Fairbanks 1883~1939) 、西部劇のウィリアム・S・ハート(米国人 William S. Hart 1864~1946) 、喜劇のバスター・キートン(米国人 Buster Keaton 1895~1966) 、喜劇のハロルド・ロイド(米国人 Harold Lloyd 1893~1971)  などが明記されている。そこには雪洲の名前はない。そして、彼らと共演した有名女優も全員が白人(Caucasians) であった。

なぜ Sessue の名前が何処にも出てこないのか?初期の米国映画産業界でスーパースターとして栄光の座に君臨したものの、黄色人種・アジア人ということと、当時の日本人排斥運動が重なって、あらゆる書物の記述・記載から完全に消されてしまったのだ。非常に残念で悲しいことである。

セッシュー・ハヤカワ(早川雪洲)は本名を早川金太郎といい、千葉県の裕福な網元であった早川家に6人兄弟の3男として生まれた。海軍兵学校を受験したが不合格で自殺をはかる。21才の時、渡米するが苦学し厳しい生活をおくる。その後、ロサンゼルスの日系人社会に移り演劇を学ぶ。当時すでに女優としていた活躍していた青木鶴子と出会い、彼女のツテで映画入り。後に鶴子と結婚。60本以上のサイレント・フィルムに出演し頭角を現す。そして欧米で映画の大スターとして認知される。トーキー Talkie になってから出演した『戦場にかける橋 The Bridge on the River Kwai 』(1957年コロンビア映画)でアカデミー助演男優賞にノミネートされる。この映画は、アカデミー賞の作品賞、監督賞、主演男優賞、脚色賞、撮影賞、編集賞、作曲賞の7賞を総ナメにし世界的大ヒットとなった。でも、ハヤカワは助演男優賞を取れなかった。皮肉にも、同年のアカデミー賞を争って4部門の賞を取った映画『サヨナラ Sayonara』(1957年ワーナー・ブラザーズ映画)でナンシー・ウメキ Nancy Umeki (日本人 ミヨシ・ウメキ Miyoshi Umeki / 梅木美代志 1929~2007) が助演女優賞を獲得した。アカデミー賞の91年の歴史の中で、最も注目される演技の4賞(主演女優賞、主演男優賞、助演女優賞と助演男優賞)で賞を取った日本人は、今までに彼女1人だけである。



コロンビア映画『戦場にかける橋』


一時期、「白人だけのハリウッド映画」という強烈な批判が全米で起こり、また「アファーマティブ・アクション」(Affirmative Action =黒人、少数民族、女性など歴史的、構造的に差別されてきた集団に対し、雇用、教育などを保証するアメリカ合衆国の特別優遇政策)を強く意識し、映画・テレビの主役級は、白人1人、女性1人、黒人1人、アジア・ヒスパニック系1人の4~5人の構成を半強制的に起用するドラマが多数、制作された。また、出演者全員が黒人である映画も意図的に作られたりした。それでもなお、いまだにハリウッドで白人至上主義がはびこっているのが不思議である。■YS


【参考ブログ】
差別問題
『ハーフ・混血児・人種差別・大坂なおみ』(2018・9・15)
『人種差別(2)』(2009・8・3)
『人種差別(1)』(2009・5・24)
映画・俳優関係
『アカデミー賞(2)』(2020・2・10)
『三船敏郎(恩人)』(2015・6・27)
『アカデミー賞(1)』(2013・3・12)
『米国で最も有名な日本人:クロサワ・ミフネ(黒澤明&三船敏郎)』(2011・11・7)
『サイレント・フィルム』(2009・10・18)





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三船敏郎 (恩人) / Toshiro Mifune, A Great Movie Star

2015-06-27 | ハリウッド
三船敏郎*三船プロダクション http://www.mifuneproductions co.jp/

昨日のNHKニュースで映画俳優の故三船敏郎氏(Toshiro Mifune 1920~1997) がハリウッドの殿堂入りに選ばれたと報じられた。生前、その名誉は与えられるべき人だったので、かなり遅すぎた感がある。ただ尊敬する早川雪洲氏(Sessue Hayakawa 1889~1973) とマコ氏(Mako Iwamatsu 1933~2006) 同様、目抜き通りに名前入りの星形プレートが埋められ、後世まで人目を引く場所に置かれるのは大変素晴らしいことである。(設置場所: 6912 Hollywood Blvd.)

「ハリウッド・ウォーク・オブ・フエイム(Hollywood Walk of Fame)」 はロスアンゼルスのハリウッド大通り(Hollywood Boulevard) とヴァイン通り(Vine Street) 沿いの歩道約5㎞ほどの間にエンターテイメント界で活躍した人物の名前が彫られた2000人以上の星形のプレートが埋め込まれている。(早川氏は 1645 Vine St.に、 マコ氏は7095 Hollywood Blvd. の歩道に設置されている。)「チャイニーズシアター(TCL Chinese Theatre) 」の約200名の崇敬されている俳優のサイン、手形、足型などが刻まれたブロックコンクリートと共に世界的に有名。(It's also famous for the handprints, footprints and autographs of more than 200 celebrities in the concrete of the theatre's forecourt.) 【参照・ブログ『第3の故郷・ロスアンゼルス』】(2009.7.4)

★三船敏郎社長については下記ブログを参照してほしい。
『ウエスタン・西部劇と時代劇の衰退』(2012.11.20)、
『米国で最も有名な日本人:クロサワ・ミフネ(黒澤明&三船敏郎)』(2011.11.7)、
『映画俳優と自動車』(2009.7.26)






★早川雪洲氏は日本のみならず米国、フランス、ドイツ、英国の映画に出演した世界的大スターで、ハリウッドでも最初にトップスターになったことはあまり知られていない。学生の頃、ラブレア通りの映画館 【参照・ブログ『サイレント・フィルム』】 (2009・10・18) で無声映画の主役だった早川氏の映画をかなり見ている。近年、日本で彼を有名にしたのが映画「戦場にかける橋(The Bridge of the River Kwai)」(英米合作1958年)で第30回アカデミー賞作品賞を受賞し、彼自身も助演男優賞にノミネートされた。この映画を世界的に有名にしたのが映画の中の音楽「クワイ河マーチ」で、誰もが知っている名曲となった。

★マコ(岩松)氏とは京都の大学の15人程度の小さな会合で出会った。映画「パールハーバー(Pearl Harbor)」(米作品2001年)で彼が日本軍の指揮官・山本五十六を演じた数年後だったから亡くなる2~3年前に話を聞いたことになる。彼曰く、日本軍の陣営の設定、五十六の衣装などハリウッドで「日本」の間違ったイメージが多いとのこと。また、映画界の人種的差別の話が印象的だった。
【マコはアメリカの映画・テレビドラマに数多く出演し欧米で知名度のある東洋人俳優の一人。主な映画作品に『砲艦サンパブロ(The Sand Pebbles)』(1966年 アカデミー賞助演男優賞にノミネート)、『コナン・ザ・グレート(Conan the Barbarian)』(1982) と『コナンPART2 (Conan the Destroyer)』(1984 アーノルド・シュワルツェネッガー Arnold Schwarzenegger と共演)、『ライジング・サン(Rising Sun)』(1993)、『ロボコップ3(RoboCop 3)』(1993)、『セブン・イヤーズ・イン・チベット(Seven Years in Tibet)』(1997)、『SAYURI(Memoirs of a Geisha)』(2005) などがある。】 ■YS



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トーク・ショー (U.S. TV Talk Shows) & 冠番組 (Crown Programs)

2014-09-01 | ハリウッド
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今では当たり前のようにどこのテレビ・チャンネルでもオンエア(on the air) されているトーク・ショー[=TVパーソナリティの司会で有名人ゲストをインタビューする形式]だが、それを始めたアメリカ放送業界 (broadcasting fields) の最盛期時代に大学生生活(1960年代後半 late 1960's)をおくれた自分は大変ラッキーだったとつくづく思う。カリフォルニア州のビバリーヒルズで houseboy[=当時流行った留学生の住み込み書生]をしながら隣接のエンターテイメントの本場ハリウッドでテレビ・映画狂になった。特にテレビ番組に大変興味を持ち休日や暇な時間には必ずといってよい程、トーク・ショーやかんむり番組[=番組名に出演者やスポンサー独自の名称をもつ番組]を観あさった。司会者やセレブ (celebrity) の性格、ジェスチャー態度、話し方などなど、後々の自分の仕事や考え方に非常に影響を与えたことは言うまでもない。

☆特に好んで観たトーク・ショーは:
■The Mike Douglas Show [KYN-TV and Syndicated 1961~1981]
     マイク・ダグラス [1920~2006] 歌手 (singer) ・エンターテイナー (entertainer) ・TV司会者 (TV host)
■The Merv Griffin Show [NBC & CBS 1962~1986]
     マーブ・グリフィン [1925~2007] TV司会者・ミュージシャン・俳優 (actor) ・報道有力者 (media mogul)
■The Dick Cavett Show [ABC 1968~1986]
     ディック・キャベット [1936~ ] TV司会者
■The Tonight Show Starring Johnny Carson [NBC 1962~1992]
     ジョニー・カースン [1925~2005] TV司会者・コメディアン (comedian) ・ミュージシャン (musician)

☆そして音楽やエンターテイメントの方に重点を置いた冠番組で好きだったのが:
■The Ed Sullivan Show [CBS 1948~1971]
     エド・サリバン [1901~1974] TV司会者・ジャーナリスト (journalist)
     (出演者はエルヴィス・プレスリー、ローリング・ストーンズ、ドアーズ、ボブ・ディラン、 ビートルズなど
     その時代の人気絶頂中のシンガーの登場で人気を博した。日本人の出演は坂本九、ザピーナツなど)
■The Lawrence Welk Show [KTLA, ABC and Syndicated 1951~1982]
     ローレンス・ウエルク [1903~1992] ミュージシャン・アコーディオン奏者 (accordionist) ・バンドリーダー (bandleader)
■The Dean Martin Show [NBC 1965~1974]
     ディーン・マーチン [1917~1995] 俳優・歌手

日本で最も有名なのが黒柳徹子 [1933~] の『徹子の部屋』[1976~] だが、それを3~5組の複数ゲスト構成にしたのがアメリカ版(American version) である。

☆残念ながら現在のTVパーソナリティによるトーク・ショーはあまり把握していないが、近年観た番組でよく覚えているのが:
■Ellen: The Ellen DeGeneres Show [2003~]
     エレン・デジェネレス[1958~]コメディアン(comedienne)・女優(actress)
■Late Show with David Letterman [1993~]
     デイヴィッド・レターマン[1947~]コメディアン・TV司会者・プロデューサー
■The Tonight Show with Jay Leno [1992~]
     ジェイ・レノ[1950~]コメディアン・俳優・声優 (voice actor) ・作家 (writer) ・プロデューサー・TV司会者
■Dr. Phil [2002~]
     フィル・マックグロウ (McGraw)[1950~]臨床心理学者(clinical psychologist)


真の「アメリカ合衆国」を知るには、語学を学ぶと同時にアメリカ人の習慣、物の考え方、生活観、政治観、などなどがよく分かるインタビュー形式の番組を観ることをお勧めする。#YS


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ハリウッドのヨーロッパ女優 / European Actresses in Hollywood

2009-11-23 | ハリウッド






[Autographed pictures sent by Ms. Rossana Podesta and Ms. Sylva Koscina]
ハリウッドとイタリアから送られてきた自筆サイン入りのロッサナ・ポデスタさんとシルヴァ・コシナさんのブロマイド

        

ハリウッド映画で活躍した、あるいは活躍している有名な外国人俳優は沢山いるが、以前から結構イタリア・フランス人女優のファンである。米国で生まれたイタリア系・フランス系ではなく、ヨーロッパ生まれの俳優である。

超有名なところで言うと、ジーナ・ロロブリジーダ(Gina Lollobrigida 伊 1927~2023)、キャプシーヌ(Capucine 仏 1928~1990) 、モニカ・ヴィッティ(Monica Vitti 伊 1931~2022)、ブリジット・バルドー (Brigitte Bardot 仏 1934~ ) 、ミレーヌ・ドモンジョ(Mylene Demongeot 仏 1935~2022)、ソフィア・ローレン (Sophia Loren 伊 1934~ ) 、カトリーヌ・ドヌーヴ (Catherine Deneuve 仏 1943~ ) 、クラウディア・カルディナーレ(Claudia Cardinale 伊 1938~ )、カトリーヌ・スパーク(Catherine Spaak 仏 1945~ )などがいるが、自分としてはちょっとマイナー的なロッサナ・ポデスタ (Rossana Podesta 伊) 、シルヴァ・コシナ (Sylva Koscina 伊=正確にいうとクロアチア) 、フランセスカ・レットンディニ (Francesca Rettondini 伊) がお気に入り。


ロッサナ・ポデスタ(Rossana Podesta 1934~2013)は1955年の映画『トロイのヘレン(Helen of Troy) 』で有名になったが、当時は「世界で最も美しい女性」が歌い文句でハリウッド・デビューしている。日本では『黄金の七人』シリーズで有名だったが、カーク・ダグラス (Kirk Douglas) 、アンソニー・クイン (Anthony Quinn) 、アラン・ラッド (Alan Ladd) 、クリストファー・リー (Christopher Lee) 、ロジャー・ムーア (Roger Moore) などの男優と共演している。


映画『トロイのヘレン』("Helen of Troy" in 1955)のロッサナ・ポデスタ


映画『黄金の七人』("Seven Golden Men" in 1965)のロッサナ・ポデスタ


シルヴァ・コシナ(Sylva Koscina 1933~1994)は1957年の映画『ヘラクレス(Hercules) 』でハリウッドで有名になり、スチュワート・グレンジャー (Stewart Granger) 、ポール・ニューマン (Paul Newman) 、カーク・ダグラス (Kirk Douglas)、ローレンス・ハーヴィ (Laurence Harvey) 、オーソン・ウエルズ (Orson Welles) 、ユル・ブリナー (Yul Bryner) 、ロック・ハドソン (Rock Hudson) 、ロジャー・ムーアなど数多くのスターと共演した。

  
映画『ヘラクレス』("Hercules" in 1957)のシルヴァ・コシナ


フランセスカ・レットンディニ(Francesca Rettondini 1971~ )は2002年の『ゴーストシップ(Ghost Ship) 』でアメリカ・デビュー。映画の冒頭で "センサ・フィーネ Senza Fine" を歌っている女優だが、調べてみると彼女はくちパク(吹き替え)で、本当に歌を歌っているのは有名な作曲家ヘンリー・マンシーニ(Henry Mancini) の実娘モニカ・マンシーニ (Monica Mancini) 。


映画『ゴーストシップ』("Ghost Ship" in 2002)のフランセスカ・レットンディニ


実はこの曲が好きで彼女のファンになったのだが、調べてみると曲は古いイタリアン・ポップミュージックで1960年代にぺギー・リー (Peggy Lee) 、ディーン・マーチン (Dean Martin) 、コニー・フランシス (Connie Francis) がよく歌っていた。現代でも心に響くのは名曲の由縁だ。

映画キチガイだった小学生・中学生時代にポデスタやコシナにファン・レターを書き、エアーメイルで送られてきた実筆サイン入りブロマイドに有頂天(=rapture) になったのは言うまでもない。#YS


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サイレント・フィルム / Silent Film

2009-10-18 | ハリウッド


ハリウッドのラブレア通り(La Brea Avenue) に「サイレント・ムーヴィ・シアター(Silent Movie Theater / 無声映画館)」がある。ここを最初に訪れたのが1967年で、その時の1年間は毎週のように土・日曜日そこに通った。

それまで無声映画には余り興味はなかったが、アパートの隣の部屋の男性に半強制的に連れて行かれ、それが毎週観に行くようになってしまった。チャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin)、ラドルフ・バレンティーノ(Rudolph Valentino)、ダグラス・フェアバンクス Jr. (Douglas Fairbanks, Jr.)、セッシュー・ハヤカワ(早川雪洲)、バスター・キートン(Buster Keaton)、ハロルド・ロイド(Harold Lloyd)、ローレル&ハーディ(Laurel & Hardy) など超一流の俳優の1910年、1920年、1930年代の映画はほとんど網羅した。

40数年ぶりにその映画館の前を通った。まさか同じ場所にあるとは思いもよらず存在を知って非常に感激した。また、昔観たサイレント・フィルムも部分的に鮮明に思い出すことが出来た。今になってこの30代半ばのアパートの隣人に感謝している。

なぜなら、CG、台本に頼らず十二分に人々を楽しませるヒントがそこに見出せるからである。現在、低迷する映画産業に携わる人々に、原点であるサイレント・フィルムを一度じっくりと観てもらい将来、人の心を十二分につかめる作品を創ってほしいものである。#YS

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世界のエンターテイメントの中心地で作られているTV番組 / TV Programs Made in Hollywood

2009-08-10 | ハリウッド


*** 社会勉強のため米国で有名な2つのテレビ番組の公開録画の収録風景を見学してきた。(人気公開番組なので1~2ヶ月以上前からの予約が必要。)

(1)"Rita Rocks" 
《=リタ・ロックス / ドラマの女主人公のニックネーム》 ノース・ハリウッド(North Hollywood) のCBSテレビスタジオ (CBS-Radford Studio) で制作されているコメディ番組。

日本の公開テレビ番組は沢山見ているので同じような雰囲気かなあと思って行ってみた。驚いたのは、スタジオの中は制作スタッフ中心ではなく、aud (=audience / 観客)なのだ。

当日の制作オフの俳優がオーディエンスの世話をする。収録寸前までスタジオ内はこの「世話係」のマイク音とコントロール室・サウンド担当の音楽でかなりやかましい。この100人余りがザワザワわしている中で制作スタッフ(俳優10名を含む約35名)が演技の打ち合わせ、カメラワークなどなどを話合っている。普通だったら演技に集中出来ないだろうが、そこはプロ。どんなにやかましくしてもスタッフは誰も全く怒らないし嫌な顔もしない。監督の「用意!アクション!」でスタジオ内は瞬時に静かになってドラマの収録が始まる。「カット!」の終了と共に又、もとのやかましさに戻る。これを夕方の4時30分から夜の10時すぎの6時間近く繰り返しされると「劇中劇」を観ている感じに陥る。その間、aud 担当の係り7~8人がトイレへの誘導、スナックの差し入れを手際よく行う。一般人・視聴者を大事にするこの姿勢には頭が下がる。

この長~い時間を飽きさせずにするこの俳優のすごいこと。番組PR用に作ったロゴ入りのTシャツを50~60枚、サイン入りの写真や台本10冊余りを観客の飛び入り演技を絡めて上手に配布してゆく。次から次へと止まることがないジョーク。素晴らしいのひとこと。

リタ役に扮しているのがニューヨーク出身の女優ニコール・サリバン(Nicole Sullivan)で、彼女と夫、2人の娘(9才と反抗期のティーン)の一家を中心としたコメディ。何せ30分番組なので台詞のテンポが速く、30秒ごとに観客の笑いをとるように台本が書かれている。これもすごいのひとこと。「短い会話」のなかでよくもウイットに富んだジョークが出てくるものだ。全米で人気のあるのがうなずける。


(2)"Jeopardy!" 
《=ジェパディ / 「危険」という意味》 カルバーシティ (Culver City) のソニーピクチャーズ・スタジオ (Sony Pictures Studios) で制作されているクイズ番組。

間違って行ったソニーピクチャーズの東正門から中に入ろうとすると、守衛に西正門から入るように言われた。「OK」と簡単に納得してえらい目にあった。このスタジオは日本のソニーが1990年に買収した元米映画メジャーのMGM (Metro-Goldwyn-Mayer) で10数メートルもあるかなり高い白壁に囲まれている。東から西門まで永延とこの壁が続いていて京都の御所の周りの道を歩いていることを思い出した... 歩けど歩けど壁のみ。どれだけこのスタジオが大きいか調べてみたら、45エーカー(約55,000坪)、あの広大な御所のざっと5分の1もある。番組の司会者によると巨大スタジオ30棟がフル稼働しているとのこと。ここのソニーは経済不況知らずの感有り。

朝の11時から昼過ぎの2時まで、30分番組の3本撮り。日本の朝日放送(ABCテレビ)制作の『パネルクイズ・アタック25』に似ているが、パネルが「オセロ」ではなく200~1000ドルのキャシュパネルになっていてその裏に隠されている問題の早押しクイズ(5秒間)形式。3人の視聴者参加型番組で、毎回金額を一番多く獲得した参加者が次回も連続して出場出来る勝ち抜き戦。今までの最高が50数回連続で獲得賞金が cume (=cumulative 累積)2億数千万円と言っていた。番組自体は大変シンプルなのだが、問題の出題にかなり神経を使っていて15人の専属スクリプターがいるという。収録スタジオ前部に陣取った問題出題者、弁護士、プロデューサーなどが14~15台のコンピューターを駆使し瞬時の内にあいまいな回答に対して結論を出す。

この番組が視聴率を視野に入れた、かなり緻密に計算されて作られているのが分かった。参加者3人の出身地のテレビ局用に個々のインタビューを含めて、その人物を中心とした編集に変えてビデオを全米に出荷している。だから厳密に言うと、全国用、各参加者地域用の4種類のビデオを同時制作していることになる。

また、映画ファンにとってたまらないのは、このスタジオはあのハリウッド不朽の名作・ミュージカル映画『オズの魔法使い(The Wizard of Oz)』(1939年女優ジュディ・ガーランド Judy Garland が歌った「虹の彼方に(Over the Rainbow)」は未だに世界的名曲として歌われている)が制作された場所だった。

この番組今年が25周年と唱っているが、実は今の司会者であるアレックス・トゥレベック(Alex Trebek) になって25年目であって1964年から続いている超長寿テレビ番組なのである。司会者曰く現在でもコンスタントに全米の1400万人の視聴者を魅了しているとのこと。

*** 百聞は一見にしかずで写真を見たら一発で状況が分かるのだが、どの映画・テレビスタジオ敷地内もカメラ・携帯telなどの規制が厳しく2重3重のチェック体制をとっているので残念ながらここに掲載する写真がない。また、経費節約あるいは桁はずれに制作本数が多い、あるいは版権、配給先などなど、どんな理由か分からないが番組宣伝用パンフレット類を一切作らないので実際の放映時に内容を確認するか、数種類のエンターテイメントの新聞・雑誌あるいはインターネットで情報を得る以外に方法はない。#YS

       
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街の風景ウォッチング / A View in Los Angeles

2009-08-02 | ハリウッド


『道』
退職後、京の街中をかなり歩き回ったが、ここハリウッド、ウエスト・ハリウッド、ビバリーヒルズの散歩は半端ではない。道から次の道までの1区画、1ブロック(one block) の長さは多分、京都の3~5倍はあると思う。ジョニィ・ディップ(Johnny Depp) 主演のギャング映画「パブリック・エネミーズ(Public Enemies) 」でも見に行こうかと地図を開いたら映画館までたった道15本。30分で行けると思ったら大間違い、1時間近くかかった。

『野生動物』
アメリカの大都会にはなにせ野生のリスが多く生息している。ここロスアンゼルスも例外ではない。日本の動物園でしかリスを見たことがなければ、こんな光景は信じられない。木の実を口にくわえて隠す場所をさがしているのを毎日のように見ると自ずから笑みがこぼれる。そう言えばハワイのホノルルでは野鳥園にいるような鳥が至る所で大群で生息していたことを思い出した。これもやはり植物と「自然」に対する人間の理解がないと成り立たない。

『庭とガードナー(gardener) 』
「緑」で気がついたのが、1960~70年代アメリカでガードナー(庭師)といえば日本人・日系人がやっていた。今は99%メキシコ人・南米人。典型的なパターン(pattern) はかなり中古のピックアップ・トラック(pick-up truck) に芝刈り機、葉っぱ飛ばし機、除草剤などをつんで1人でやっている。あまり大きくない一戸建ての家でさえ木の数と芝生の量は半端ではない。自分でしていたら毎日、一日中外に出て掃除しなくてはならない。少々払ってでも誰かに頼んだほうが効率的だろう。京都自宅裏の神社の神木林の落ち葉を思い出した!

『メイド・イン・ジャパン車』
1960年後半に高速道路で1台の小さな車が走っていたのでムスタングに同乗していた人に聞いたら、「あれは日本のトヨタという自動車で、よく故障するのでこんな高速で走ったら危ないよね。」と言っていた。それが何と今では、この自動車社会の5台に1台はトヨタ製である。というよりは、ホンダ、マツダ、日産、いすずの車と、ベンツ、BMW、フォルクスワーゲンがほとんどで、アメリカ製の車を探すのが大変。歩きながら一台ずつチェックして割合を出したから大げさではない。アメリカのGMジェネラル・モーターズが倒産するのは当たり前である。

『犬と赤ん坊』
この街はやたらと犬を散歩している人が多い。核家族の形態をとっていない社会だから寂しさからの脱却と、このコンピューター時代で人間との接触が少なくなっているのか...「生き物」に癒しを求めているのか。そこらへん中に散らばっているフンの数を調べたら目にする以上の犬が飼われているのだと想像できる。また、ベビーカーを押しながら歩いている女性がやたらと目に付く。これもアボーション(abortion 堕胎)が容易でない社会なのと、南米からの多家族移民の多いせいか。#YS

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映画俳優 と 自動車 / Actors and Automobile

2009-07-26 | ハリウッド
        


【Ford 1967 Mustang 2+2 Fastback】



サンセット大通り(Sunset Boulevard) を歩いている時、驚いたことが1つある。それは1967年製フォード・ムスタング(Ford Mustang) の2+2ファーストバック(fastback) がサーと横を通りすぎて行ったからである。この車は俳優スティーブ・マックイーン(Steve McQueen) の映画 『ブリット(Bullitt)』 (1968年ワーナー映画)で大変有名になり、自分も2年中古で同型を購入し1970年に東京に持ち帰って乗り回した。車検、ガソリン代などの維持費が相当高額だったので30数年前に知人にあげたのだが、その人からもその当時すぐ廃車にしたとのことだった。それが今でも現役で走っている!そんな事があって毎日注意しながら見ていると何の事はない、1960年代のムスタングは結構あっちこっちで走っている。まあ、これも米国には車検制度がないからどんなポンコツ車でも動けば OK なのは分かるが。

この車には色々と自分なりの話があって、まず1つは、アカの他人の青二才を無条件でやっとてくれた恩人の俳優・三船敏郎氏とのことで、撮影の合間に自分の車で休んでいたら三船社長(株式会社・三船プロダクション)が侍のズラ(かつらのこと)をかぶったまま近づいてきて「どうだ、車を交換しようか?」と言って来た。氏は数台、高級車を所有していたが多分隣に駐車していたグリーン色の英国製ジャガーのことだったと思う。笑ってその場をごまかしたが、今思えば交換しておけばよかった。ジャガーの方が数倍高額だった。

三船敏郎*三船プロダクション http://www.mifuneproductions.co.jp/

そもそもこの自動車を最初から好きで購入したわけではない。ビバリーヒルズの住み込み宅の主人が「ムスタングを買うならホワイト・ムスタングを!」としつっこく言う。自分としては赤色のオープンカーのものがほしかったのに!「ホワイト(white) ムスタング (Mustang)」、すなわち「野生の白馬」にこだわっていたことが後から分かった。

「野生の白馬」に乗る「騎士」(自分がそう思っていたのではない!)とは良くいったもので、通っていた大学の先生がビバリーヒルズの夫妻と同じようなことを言って近づいてきた。その先生は1939年MGM映画 『風と共に去りぬ(Gone with the Wind)』 などで有名な俳優クラーク・ゲーブル(Clark Gable) が実際使用していた白色の2人乗りサンダーバード(Ford Thunderbird) オープンカーを所有していた。その車が自分の理想のものだったので大変うらやましく思った。

1950年代、1960年代の車にかなり詳しくなったのは「カーキチ(=車が気が狂うほど好きな)」だっただけではなく、アルバイトとして高級車の運転手(chauffeur) をしたり、ガソリンスタンド(gas station) や駐車場 (parking lot) で働いたからである。

大学間のアメフト(American football) 試合で全米で有名なのが UCLA (University of California Los Angeles カリフォルニア州立大学ロスアンゼルス校)と USC (University of Southern California 南カルフォルニア大学)だが、たまたまその試合があるときにスタジアムの隣にあるガソリンスタンドで働いていた。そのゲームがある日は駐車場に変身。カギ付きの車、約200台をびっしりと詰めて駐車させるのが仕事で、ありとあらゆる車が運転出来た。その中に高級車で乗りつけて来たどこかで見たことのある「ムスタッシュ(mustache) ヒゲのはえた人」がいた。1965年に米アカデミー賞5部門受賞したMGM映画 『ドクトルジバゴ(Doctor Zhivago)』 の俳優オマー・シャリフ(Omar Sharif) だった。彼の車は覚えていないがその時の彼の顔はハッキリと記憶にある。勿論、彼からも駐車代2ドルを徴収した。

車をいじっていると色々な情報が入ってくる。その内の一つが俳優・歌手エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley) の愛用車は特注のベントレー(Bentley) だと。その時、プレスリーは健在でベントレーという最高級車は1966年に製造を中止し当時ほとんど走っていない。ロールスロイス、リンカーン・コンチネンタル、キャデラック・フリートウッド、メルセデス・ベンツ、コーヴェット、サンダーバード、ジャガー、ランボルギーニなどなど、ありとあらゆる新車の高級車を運転していた自分にも初耳。興味心身で色々と探したが見つけたのがその1年後。それが彼の車だったかどうかは分からないが、顔とお尻の大変セクシーな(女性の話ではなく、車の前面・後部面のこと!)黒塗りの大型セダンだった。

現在はリッチ(rich) であれば誰でもどんな車にでも乗れるから、それが有名人のステイタス(status) の象徴になっているとは思わない。 #YS

           
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ビバリーヒルズの最高級ホテル / The Top Grade Hotels in Beverly Hills

2009-07-12 | ハリウッド



【The Beverly Wilshire】


【The Beverly Hills Hotel】


【The Beverly Hilton】



マイケル・ジャクソン(Michael Jackson) の葬式(funeral) 前の遺族・親族だけの会食がビバリーウィルシャー(The Beverly Wilshire) のホテルで行われたと、テレビで何度も何度も放映していた。このホテルはリチャード・ギア(Richard Gere) とジュリア・ロバーツ(Julia Roberts) 主演で1990年に大ヒットした映画『プリティウーマン (Pretty Woman)』で有名になった場所である。1964年にこれまた大ヒットしたロィ・オービソン(Roy Orbison) の "Oh, Pretty Woman" を、この映画の主題歌に持ってきたところが良かったのだろう。

それはともかく、ここは個人的にもかなり思い出があるホテルで、金持ちのユダヤ系アメリカ人(American Jew) 老夫婦のところで住み込み "house boy" をしていたのがこの近くだった。歩いても行ける距離で、なにか祝い事があればこのホテルを利用していたのでかなり頻繁に出入りしていた。1960代当時の3大高級ホテルというとこのビバリーウィルシャー、ビバリーヒルズ・ホテル(The Beverly Hills Hotel)、そしてビバリーヒルトン(The Beverly Hilton) だった。調べたらすべて今も健在だった。

住み込み「家政学生」でもこの老夫婦は息子のような扱いをしてくれたので、これらのホテルでの夕食フルコースは経験している。今でも決して忘れられないのが、ビバリーヒルズ・ホテルの食事である。スープ、前菜が2皿、メインが3皿、デザートが2回、たぶん洋食のフルコースとしてはこれ以上のものはないと思う。当時70後半から80歳前半だったので、このフィンクスト(Pfingst) 夫妻はもう亡くなられているとは思うが、感謝すると共にご冥福をお祈りしたい。万が一、墓地(cemetery) がわかるようなことがあればお参りしたい。#YS

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ハリウッドの通り / Streets in Hollywood

2009-07-06 | ハリウッド
    

[ハリウッド]

地図を広げて思い出した。ロスアンゼルス、特に北端に位置するハリウッド (Hollywood)、ウエスト・ハリウッド (West Hollywood)、ビバリーヒルズ (Beverly Hills) は京都市の「碁盤の目」の道路と同じようになっている。

昔からの偏見かもしれないが、その中でも東西に走っている道には「品」を感じるが、南北に走る道は閑散としているからあまり好きではない。
東西道路で有名なのは北から:
ハリウッド通り (Hollywood Boulverd) Boulverd の省略形は Blvd.
サンセット通り (Sunset Blvd.)
サンタモニカ通り (Santa Monica Blvd.)
メルローズ通り (Melrose Avenue) Avenue の省略形は Ave.
ビバリー通り (Beverly Blvd.)
サード通り (3rd Street) Street の省略形は St.
ウィルシャー通り (Wilshire Blvd.)
オリンピック通り (Olympic Blvd.)

である。なぜこれらの道が有名かというと、ほとんどが映画スター高級住宅街、金持ちのユダヤ系アメリカ人 (American-Jew / Jewish-American) コミュニティのビバリーヒルズ市を通っているからである。映画、テレビのセレブ (celebrity) の話が出ればこれらの街路地の名前も出るし、映画の中のストーリー (story) にも頻繁に出てくる。

『通り』の英語の表示は沢山あって、一般的にブルバード(Boulverd)、アヴェニュー(Avenue)、ストリート(Street) は広い道路、ドライブ(Drive = Dr.)、ロード(Road = Rd.)、ウェイ(Way = WY), プレイス(Place = PL) が狭い道路とされているが、これもあてにできない。すべて『通り』である。

京都の町並みの夜景を山の上から見たことがないが、北端ハリウッド・ヒルズ (Hollywood Hills) にあるグリフィス・パーク (Griffith Park) から見るロスアンゼルスの夜景はすごい。「碁盤の目」がくっきりと浮かびあがる。これも映画のシーン(scene) によく出てくる光景である。

[写真は左から、サンセット通り、ハリウッド通り、ハイランド通り (Highland Ave.)] #YS

        
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第3の故郷・ロスアンゼルス / LA as My Third Hometown

2009-07-04 | ハリウッド

          
[ハリウッド]

日本人に聞いても、アメリカ人に聞いても、米国のロスアンゼルス (Los Angeles スペイン語で「天使たち」の意味) が好きな人はほとんどいない。それもその筈、何せこの都市圏はだだ広い。フリーウェイ (freeway 無料高速道路網)で車で飛ばしても相当の時間がかかる。観光でもするような事になれば移動だけで一日の大半を使ってしまう。ロスアンゼルス都市圏には、ロスアンゼルス、ビバリーヒルズ (Beverly Hills)、サンタモニカ (Santa Monica)、ロングビーチ (Long Beach) 市などが含まれ、面積は京都、大阪、神戸の3大都市を合わせたのとほとんど同じである。(人口は1300万人で京阪神の1860万人よりやや少ない。)

40数年ぶりにロスに来た。京都が1番の故郷 (hometown)で、生まれた東京が2番。大学生時代に4年住んだこの都市が3番というところ。ロスと言っても活動していたのがビバリーヒルズとハリウッド (Hollywood) で、所有していたフォードのムスタング (Ford Mustang) や英国のサンビーム (Sunbeam) で市内を乗りまわしていた。それは遊びというよりは車社会の必需品で、それがたまたまスポーツカーだっただけである。

ハリウッドは映画・テレビ・エンターテイメント関係のスタジオが散在するだけのところだが、観光スポットはハリウッド通り(Hollywood Boulverd) にあるグローマンズ・チャイニーズ・シアター(Grauman's Chinese Theatre) の映画スターのサイン手形と、通りの両側の歩道に敷いてある (Walk of Fame) 数千のスターの名前を探すことくらいである。現在、マイケル・ジャクソン (Michael Jackson) の死亡によって特に賑わっている。

ディズニーランド (Disneyland) は千葉にあるし、ユニーヴァーサル・スタジオ (Universal Studio) も大阪にあるのでわざわざロスにまで来て見る必要はないし、ハリウッドの映画観光は日本人にとって過去のもの。観光客はかなり多いのだが、ほとんどがアメリカ人、南米人、ヨーロッパ人、中国人で日本人は2~3組の若いカップルくらいしか見なかった。

アパート探しでかなり広範囲に歩き回っているのだが、町並みは昔とほとんど変わっていない。歴史が浅いせいか(建国233年)、古いものを大切に使うという理由のせいか、主要大通り以外の道路、歩道のメインテナンスはかなり悪い。家々も遠くから見ると広くてグリーンが多く一見美しく思ってしまうが、近くでよく見るとかなり手入れを怠っているのがわかる。これもアメリカ人の大らかさだと思えば気にする必要はない。チャイニーズ・シアター近くのコダック・シアター(Kodak Theater) と周りに3~4の新しいビル、ショッピング・モール (shopping mall) が新しく出来たくらいで昔の写真と今の写真を比べてもたぶん違いがわからないと思う。#YS



1975年の写真
左から:
ボブ・ホープ(Bob Hope 1903~2003 コメディアン・映画俳優)
ジョン・ウェイン(John Wayne 1907~1979 映画俳優)
ロナルド・レーガン」(Ronald Reagan 1911~2004 映画俳優・カリフォルニア州知事・のちに 米国大統領)
ディーン・マーティン(Dean Martin 1917~1995 歌手・映画俳優)
フランク・シナトラ(Frank Sinatra 1915~1998 歌手)








 
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