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先月、久しぶりにカリフォルニア州から友人がやって来た。今回もアメリカ人の奥さんと一緒だ。2度目の再婚相手も白人女性だが、前の奥さんとの間に娘と息子がいて現在4人の男の孫がいる。でも今もバリバリの68歳の現役社長である。一週間の滞在で、彼自身神戸生まれなので関西国際空港から入国してきた。
今こそ簡単に旅行、留学で日米間を自由に行き来できるが、1960年代当時は為替レート (exchange rate) 、現金持ち込み制限、高額航空運賃、厳しい留学条件などなどの困難な理由でなかなか渡米できるような状態ではなかった。そんな中、時間をかけてやっとの思いで大平洋横断航路を運営していたアメリカン・プレジデント・ラインズ社 (American President Lines) の旅客船「クリーブランド号 (Cleveland) 」に乗船できるところまでたどり着いた。(高額な渡航費、学費、生活費を工面してくれた亡くなった親父には今でも心の中で感謝している。)横浜から出港してハワイ・ホノルル/Honolulu まで1週間、そこからサンフランシスコ/San Francisco までさらに1週間の長旅だったが、覚えている事といったら2点のみ。船酔いでまる1日、七転八倒 (writhe in agony) した事と、白い客船から見る憧れの「アメリカ」(ブルーの空と海、丘の上の白い家々と緑の木々、赤色のゴールデンゲート・ブリッジ (Golden Gate Bridge) の下をくぐり抜ける)の光景だけ。その船で出会ったのがこの友人である。彼は私のことを覚えていてくれたが、自分としては彼に会った記憶は全くなかった。同じロスアンゼルス市立大学 (Los Angeles City College) で学んだ仲で、自分としてはこの時が彼と初めて出会ったとのだと思っていた。先日、このことを彼に指摘されてビックリした。【参照ブログ:「米国の友人」(2011年1月)】
「友人」ということを考えてみると、自分としては彼とペンシルベニア州の米国人の2人しかいない。【参照ブログ:「ピッツバーグ市」(2014年6月)】【「メジャーリーグ・ベースボール」(2009年9月)】
数が少ないと言うより、腹を割って話せる真の友人を2人持っているのを非常にラッキーだと思っている。英語で言う "a long-time close friend" と "an intimate old friend" で、ただ単なる "friend," "pal," "buddy," "comrade," "fellow," "associate," "partner," "companion" でない。
彼の現在の奥さんは典型的なアメリカ人で、日本人が憧れた1950年、1960年代の裕福な金髪白人女性のような様相だった。彼女はスマホでロスアンゼルス地区郊外の最近購入した家、周りの風景などの写真を見せてくれたが自然の中の一軒家という感じで、やはり都会の窮屈なビル群、街の雑踏を避けたようである。一度チャンスがあったら、彼の3軒目の新居を訪問したいと思っている。□YS
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