誰も書かない「ハリウッド・ハワイ・米国」の本音トーク

Information about Hollywood, Hawaii and the U.S. 

アメリカ海軍第7艦隊 / The US 7th Fleet

2011-11-13 | 軍隊
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アメリカの軍隊は陸軍、海軍、空軍、海兵隊の4軍で構成されているが、その中でも特に重要な役割を担っているのが海軍の第7艦隊(U.S. 7th Fleet)である。東経160度以西の西太平洋とインド洋の「番人」としてロシア、中国、北朝鮮、韓国、日本、インド、パキスタン、オーストラリア、ニュージーランドなどの国を監視している海軍(Navy)と海兵隊(Marine Corps)の軍団である。その数は兵士40,000人、艦船60~70隻、航空機200~300機。

日本には神奈川県横須賀市と長崎県佐世保市を母港(home port)として現在19隻の艦船が配備されている。航空母艦(aircraft carrier=USS George Washington)、指揮艦(command ship=USS Blue Ridge)、ミサイル巡洋艦2隻(guided-missle cruisers=USS Cowpens, USS Shiloh)、ミサイル駆逐艦7隻(guided-missle destroyers=USS Curtis Wilbur, USS John S. McCain, USS Fitzerald, USS Stethem, USS Lassen, USS McCampbell, USS Mustin)、揚陸艦4隻(landing ships=USS Essex, USS Denver, USS Tortuga, USS Harpers Ferry)と掃海艇4隻(mine countermeasures ships=USS Avenger, USS Defender, USS Guardian, USS Patriot)である。

世界最強の戦艦:ミサイル駆逐艦
米総領事館の仕事として上記のほとんどに乗船し日本の報道機関に公開してきた。特筆すべき点はミサイル駆逐艦の性能である。船の本体そのものがレーダーになっていて対空(敵機)、対艦(敵艦)、対潜(敵潜水艦)のミサイルを数発づつ同時に発射出来る無敵の艦である。対ミサイル(敵ミサイル)の追撃実験には成功しているが未だ100%の命中率ではない。又、世界中の味方艦、敵艦などを識別出来て、必要とあれば地球の裏側の敵でも攻撃出来るシステムを搭載している。日本の海上自衛隊も同じものを数隻保有している。

映画では本物を使用
戦争関連映画を製作する際、ハリウッド映画と日本映画には大きな違いがある。アメリカ軍は映画製作には非常に理解があり協力的で、金銭を出せば殆んど何処でも何でも撮影はOK。日本のように模型を作る必要はない。だから映像は比べ物にならないくらい迫力がある。

航空母艦(空母)での体験
現在、アメリカ海軍は11隻の原子力空母を保有しているが、数年前に3回乗船した事がある。2隻とも現在は退役しているが、九州・四国間の豊後水道と日本海で展開していたキティホーク(USS Kitty Hawk)と、本州・北海道間の津軽海峡近くで展開していたコンステレーション(USS Constellation)で、3度とも12人乗りのプロペラ軍用機で空母の甲板に着艦した。この時の体験は一生忘れないものになった。

空から見ると空母の甲板が大洋に浮いている小さな点だった。10数秒後に目前には巨大な鉄の塊があった。100メートルの甲板の滑走路にワイヤーが3本張ってあって、そのワイヤーに機尾翼下のフックに引っ掛けて飛行機を止めるのだが、引っかからなければもう一度上昇して再度着艦を試みるか、そのまま海へ墜落するかのいづれかだ。その技術は素晴らしいの一言につきる!! 船に一泊出来ると聞いて喜んだが、何せ乗務員が5,500名乗船しているので、船の部屋数が半端ではない(2000室以上!?)。まず共同トイレに行ったら部屋に戻れない。数が多すぎて迷路。おまけに夜中じゅう発着艦の訓練で音がうるさい。船底の4階下にいてもかなりの音がする。

後から聞いた話だが、四六時中、訓練をしておかないとジェット戦闘機のパイロットの腕がおちるからだそうだ。又、約80機の戦闘機が甲板下の格納庫に収容されているが、数分内でエレベーターで甲板上に移し発艦する訓練を毎日何十回も行っているという。

結局、同室(2段ベッド)の水兵にも気を使って、その夜は一睡も出来なかったのが苦痛だったことを思い出す。艦長、上級将校たちと一緒に夕食、朝食を摂る。とは言っても所詮、船の食事。ありきたりのアメリカン・メニューである。それがまたアメリカ食好きの自分にとっては最高の食事だった。#YS




 

【出典:USS Kitty Hawk】











■YS





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米国で最も有名な日本人 : クロサワ・ミフネ(黒澤明&三船敏郎)/ The Most Famous Japanese in The US: Kurosawa and Mifune

2011-11-07 | 米国事情
★★☆ ★★ ★☆☆ ★★






「現在、米国で最も有名な日本人は?」 世界中の多種多様の人種・文化から成りたっている人口3億3千万人の国でこの質問は酷である。スポーツの世界で言ったら野球のイチローかもしれない。ただ野球も米国の最も盛んなスポーツの中でアメリカン・フットボール、バスケットボールに次ぐ第3番目の位置。そうなると、やはりアメリカの文化に根強く浸透しているのは映画なので、映画スターから選ぶ必要がある。過去、数多くの日本人・日系アメリカ人がハリウッド映画に出演しているが、本数が多いのが米国に長く在住していた早川雪洲(Sessue Hayakawa 1889-1973)、マコ(Mako Iwamatsu 1933-2006)、ジェームズ繁田(James Shigeta 1933-2014)、ナンシー梅木(Miyoshi Umeki 1929-2007/1957年映画『サヨナラ』で米アカデミー助演女優賞を受賞) らがいる。残念ながら最近の渡辺謙、真田広之、菊地凛子の知名度はイマイチ。そうなるとアカデミー賞を含む数多くの映画賞を外国で受賞し、日本映画を世界的に知らしめた監督・黒澤明(1910-1998) と俳優・三船敏郎(1920-1997) のコンビと言う事になる。

三船敏郎*三船プロダクション http://www.mifuneproductions.co.jp/

俳優・三船氏との出会い
1970年留学から日本に帰国し、就職先を見つけるため数社の新聞社とテレビ局に電話でコンタクトした。しかし卒業校が米国ということですべて断られた。東京6大学の特定の3校を出ていないと採らないそうだ。そんな困っている中で米国で有名な三船氏の名前が浮かんだ。全く映画関係者にコネが無かったが、無謀にも電話帳で「三船」の番号を調べた。「敏郎」の名は無かったが「三船プロダクション」を見つけて電話をしてみた。非常にラッキーにも電話を取り次いでくれた人から三船氏が会ってくれるといわれ、世田谷の成城にあるプロダクションに早速出向いた。事務所の建物は当時プレハブだったが撮影所のスタジオ・セットは広大な2千坪の敷地内にあった。氏は撮影の合間だったのでサムライ姿でズラをかぶって社長室にいた。わが経歴書を見てすんなり「明日から来なさい。」と言ってくれた。その間、15分くらいだったと思う。次の日から助監督として働けることになった。小生の人生を変えてくれた最大の恩人の1人である。

ビジネスマンとしての三船氏
それは石原裕次郎との共演映画『黒部の太陽』(1968年) の大ヒット、『風林火山』(1969年) の大作、仏アラン・ドロン(Alain Delon)と米チャールズ・ブロンソン(Charles Bronson)との共演映画『レッド・サン(Red Sun) 』(1971年) 撮影直後のことだった。石原プロ(代表:映画俳優・石原裕次郎)、黒澤プロ(代表:映画監督・黒澤明)、勝新プロ(代表:映画俳優・勝新太郎)などが財政難にあった頃で、氏のところに各プロの代表がヘルプを求めてきたのも無理もない。ハリウッド映画出演のギャラは破格であると聞いてはいたが、米国のテレンス・ヤング(Terence Young)監督からの手紙を翻訳していて1本2億円のオファにはさすが度肝を抜かれた思いだった。(当時のサラリーマンの平均月給は10万円前後。)又、テレビではサッポロビールのCMに出たり、TVシリーズ番組『荒野の素浪人』(坂上次郎、大出俊との共演)などに積極的に取り組んだ。社内外やスタッフの間で三船敏郎氏は「三船さん」と呼ばれていたが、自分だけは尊敬して「社長」と呼んでいたので、氏にはかなり好かれたようである。YS#

★☆★ ★★ ☆☆★ ★★
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