数年前にバージニア州アーリントン (Arlington, Virginia) にあるアメリカ国防総省(U.S. Department of Defense /通称ペンタゴン=The Pentagon) を訪問する機会があった。2度目の訪問ではあったが以前と違っていたのはアルカイダ(Al-Qaeda) の省への攻撃後[2001年9月11日の同時テロでは乗っ取られたアメリカン航空77便が同省ビルに激突、乗務員59名と同省職員184名が犠牲になった]でセキュリティがかなり厳しく、建物内に入るのにかなり時間がかかった。
攻撃された建物のところへゆくと、そこはすでにきれいに修復され犠牲になった職員の写真・名前が壁に刻まれていた。その追悼記念室の近くの別室に過去の戦争(南北戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争など)で祖国のために戦った人々の名前を刻んだ広いスペースがある。
その記念室には非常に興味があった。なぜなら第二次世界大戦 (World War II) の英雄 (hero) で後にハリウッドのスターになったオーディ・マーフィ(Audie L. Murphy 1926-1971) の名前を確認したかったからである。
マーフィはヨーロッパ戦線で活躍し、米軍の最高位の勲章の他、32の勲章を授与され最も多くの勲章を獲得した英雄軍人の1人として歴史に名を刻む。その後、ハリウッドの俳優として自伝を映画化した「地獄の戦線(To Hell and Back)」(1955)に主演、その映画は大ヒットした。44本(その内、ウェスタンは33本)の映画出演をしたが若くして飛行機事故で亡くなった。
1950年代の小学生時代は彼の出演する映画が好きで好きでたまらなかった。彼はアメリカ人には珍しく、幼児的甘いマスクを持っていてカッコウ良かった。当時のハリウッド映画は、アメリカ人=善人、ドイツ・イタリア・日本人=悪人、また白人=善人、インディアン=悪人の時代であったから、小さい子供にとってそれらを疑う余地はなかった。
国防総省の係官に再確認し、マーフィの話をしたら彼はほほえんでくれた。
第二次世界大戦の英雄と云ったらもう1人忘れてならないのはハワイ州選出のダニエル・イノウエ(Daniel K. Inouye) 上院議員 (senator) だ。46年も議員をしている米国議会 (U.S. Congress) の現役の長老(85歳)である。イノウエもヨーロッパの前線で活躍した英雄軍人の1人である。
戦時中、日系人というだけで米国内で差別されたが、アメリカに忠誠心を示すため第442連隊戦闘団(Nisei 442nd Regimental Combat Team / 通称、日系2世部隊)に参加、多くの部隊員と共に18,143の武勲章と9,476の名誉戦傷章を授与される。アメリカ軍史上最も多くの勲章を授与された部隊として有名である。この部隊の功績は顕著で、ハリウッド映画製作の戦争映画にはたびたび題材として使われている。
十数年前にイノウエ上院議員が広島を訪問した際に、米国公用車・運転手兼カバン持ちとして2日間、米総領事と共に氏に同行した。議員の印象としては、非常に物静かな紳士ではあるが洞察力のある意見の持ち主であった。
空港でお別れの握手を「両手」でさせてもらった。氏はヨーロッパ戦線で右腕を失くしている!
『アメリカ史重要人物101』(猿谷要編)の本の「ダニエル・イノウエ上院議員についての記述の章」に、議員自ら英語と日本語のサインをしてくれた!
注:Daniel Inouye 氏は2012年に88才で亡くなられた。