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Mind Feeling0425-2 Morning on Monday

2011年04月25日 07時26分17秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
涼風鈴子「はいぃ~はよぉ~ざいますぅ~涼風鈴子どすぅ~“Morning on”どすぅ~。さあ皆様、嫌~なブル~マンデェ~がやって参りましたよ。嫌ですね、嫌ですね、嫌ですねっ!!と声を大にして叫んでも月曜日は終わり行かないのがもっと嫌ですね。まぁ何曜日でもですね、日によっては、状況によっては来て欲しくない今日と言うのがあるのが常ですね。ダークフォースフルマックスやったぜこんちきしょう、チリリン、C―ATS120、NC、NC、NCと言う感じですね、ってなんなんすかこりゃ?」

急行特急TH「コネタ…――です」

涼風「あのハリセンで叩いていいですか?」


急行特急TH「ワンパターンなので止めた方がよいかと」

涼風「では生クリームたっぷり皿を食らわすのは?」


急行特急TH「それもマンネリなんで止めた方が良いかと」

涼風「では、八丁畷の旦那に斬られるのはいかが?」

八丁畷同心海芝浦偽左衛門「――著目著目、内緒(ウィンク)――」

急行特急TH「罰ゲームはご勘弁を」

涼風「では後で楽屋裏までお越しください。鶯饅頭とカナリア餅を用意しておきますので、はい」

急行特急TH「遠慮させて頂きたくして候」

八「それで私はどうしたら良いので?」

涼風「まぁもう番組終了時間ですので最後に挨拶だけしてご退室下さい。あっ
急行特急THさんは、この後、楽屋裏で罰ゲームですので、必ずきやがれ。以上、“Morning on Monday”でした」


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Mind Feeling0425-1 Pre Morning on

2011年04月25日 06時54分03秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

明けて4月25日月曜日。
晴れ渡る生まれたての朝の空気には新鮮さはあるものの、また同じ日々が続く事を思うと、そんな3文字の形容詞は何の意味もなさず心の泥ついた感情だけがそこに残るだけである。
春はやって来きたのに、晴天がやって来たのに、望むべくして胸に宿すものはやっては来ない。教科書通り全ては行かない、世の中ってそんな絶望にも似たもので包まれているのだろうか?
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Mind Feeling0424~0425-3 希望を巡り語る

2011年04月25日 01時49分34秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

希望を持ちたい、そう願う。だがしかし、その「希望」の「具体的な中身」が無い事に悩むのを「無い物ねだり」と呼ぶのだろう。
無い物ねだり。無いから人は物をねだり、望むのだろう。あれば望むことも無い。
「希望を持て」の「希望の中身」は決して語られる事はない。それは「人それぞれに異なるから」と言う事からなのだろう。
しかし抱いたからとて必ず叶うわけでもないのが「希望」とするので有れば持ってもどこか空しいだけではないか、とも思う。それが基で、何時からか「願っても叶いやしないさ」で過ごして今に至った私に、今さらそれはどうよ?と言う話である。
希望。明るく前向きさは認めるが、語られる事の無い中身と描けぬ自分自身が願いに想い。叶うはずもないさと言う失望感とこれまでの歴史。
そんな狭間をさ迷う深夜25時の終わり。
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Mind Feeling0424~0425-2 敷居の高い世界な話

2011年04月25日 00時47分24秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
画像は『枕草子 まんがで読破』(イーストプレス 2011年)である。遠い昔にちらっと出会ったかな?と言う話で理解の難しい話であったので、こうして漫画本かされると手に取りやすくなるのが良い。

いざ読んでみると、漫画化されているとは言え、やはり難い話で、絵はあっても字ずらを追いかけていくと、かなり疲れ、読むのに時間がかかった。
しかし、この話の世界は、私のような無教養者には、大変敷居が高いなと思うばかり。何故に、今も昔も著名な詩歌を引用する或は連想させ、それを形にして楽しむなんて、敷居が高い。詰まる所は、「知ってるか知らないか」に尽きる。そして「適材適所」と言う「機転効かし」が必要とは疲れる世界でしかない。
見方によっては、「知識のひけちらかし大会」と言うたいそう嫌味な感じがしてならないと思うのは私が愚か者だからであろう。
「解る人にしか解らない良さを語りあう」と言う、口悪く言えば「マニアック」・「オタクチック」な世界はいにしえの昔から日本には存在したのか?とも言える感じがした。
それにこの話は、執筆された時代背景も解らないと原文を読み解けない部分もありそうで、古典文法の知識も加えないと読み解けない時点で、既に敷居が高い話。貴族・華人社会ってそんなもんなのか?と言う感じがした。お高く止まりたいと願えば、この話は魅力的な所があるかも知れないが、こんな日々が日常では疲れる。

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Mind Feeling0424~0425 これで良かったのだろうか?

2011年04月25日 00時18分38秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
「ネロとパトラッシュはおじいさんやお母さんのいる遠いお国へ行きました。もうこれからは、寒い事も悲しい事もお腹のすく事もなく皆一緒に何時までも楽しく暮らす事でしょう。」

(テレビアニメ『フランダースの犬』の最終話の語りより引用)



本当にこんな事を誰もが望むだろうか?人間死して全ての厄事・災事から解放されて幸せになるなんて信じたくはないが、それも現実なんだろう。
しかし死して何になろう?誰かを犠牲にして誰かが幸せになると言う社会を世界を誰が望むだろうか?そんなあり得ないが具現化したのは、一つには人間のエゴだろう。複雑なしがらみがあると言うのも多いわかる。だが、そうであったとしても、死して幸せにたどり着くと言う美学をあらゆる手を使ってでも成り立たせてはならない。
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