篠原美也子の2001年のアルバム『新しい羽根のついた日』より、『秒針のビート-studio version-』を聴いてみる。
今日と言う日の終わりへ向けて、秒針は動く――
篠原美也子、2001年のアルバム『新しい羽根がついた日』から“S”を聴いてみる。
永遠のS字階段の先には、たどり着くことはない。
篠原美也子“flower”をアルバム『新しい羽根がついた日』(2001年)より聴いてみる。
3連休に、花が咲かないなあ、と思いながら、こうして時を過ごす時、ふと1輪の花の茎でも、弄んで過ごせたらなあ、と思う。
篠原美也子“water”を、アルバム『新しい羽根がついた日』(2001年)から、聴いてみる。
沈黙と停滞と脱力そして絶望で、塗ったくられた所は、水の底みたいなんだろう。そこは、見上げた水面は、さぞきれいであろう。
2001年の篠原美也子のアルバム『新しい羽根がついた日』より、“place”(2001年)を聴いてみる。
雨降る今夜。この曲のようなシチュエーションがあるかもな、と思う所。
篠原美也子、2001年のアルバム『新しい羽根がついた日』から、“WIND IS GONE”を聴いてみる。
風の中に、消え去ったような感じの1曲と言う感じである。
篠原美也子“HERO”をアルバム『新しい羽根がついた日』(2001年)より聴いてみる。
世に出て、16年が経過する事になるが、“HERO”、この世には出ていない上に、私もHEROには、成れず、この曲の歌詞の様に、敗れ続けたまま、一度もHEROになれないままである。
篠原美也子の1995年のアルバム『河よりも長くゆるやかに』から、“Dear”を聴いてみる。
3連休初日、とりあえずの終末の週末で過ぎ行く。その中、親愛なるものは、何もないのは、言うまでもない。
篠原美也子“Fool in the Rain”を1995年のアルバム『河よりも長くゆるやかに』から聴いてみる。
長雨の8月が終わって、半月はとりあえず過ぎたか――と言う所。おろかな雨に打たれても、利口になれぬままに、時間と日は過ぎ行く。
篠原美也子、1995年のアルバム『河よりも長くゆるやかに』より、“DOWN”を聴いてみる。
たまにライヴで歌われる事もある1曲。このアルバム製作時の密かな、アーティストの想いが込められていたりしそうな気もする。