篠原美也子の2017年のナンバー、『雑草の流儀』を、2017年のアルバム“Lighthouse Keeper”より、聴いてみる。
目についても、無名のままでも、良い。生きていれば、雑草のようでも、良い――想いを噛み締めた今。
篠原美也子の2011年のアルバム『花の名前』から、2011年のナンバー、『光』を、聴いてみる。 たった1つで、今も、光を、放っても、そこに、答えはないままに、流れ行く日常。
篠原美也子のアルバム『いずれ散りゆく花ならば』(2009年)より、“our song”(2009年)を、聴いてみる。
アーティストとファンの間にある、なんと言うこともない日常にある、一曲と言うアーティストの願いは、おおよそ、叶っている。
篠原美也子のアルバム『桜花繚乱』(2007年)より、“bouquet toss(2007年)”を、聴いてみる。
結婚した、勝ち組諸氏よ、今日も明日も幸せで、あれ。
篠原美也子の1994年のナンバー、『河を渡る背中』を、1994年のアルバム、『いとおしいグレイ』より、聴いてみる。
おいてけぼり、と言う、動けぬ場所から、河に消え行く背中を、今日も見る。
篠原美也子の2005年のナンバー、『尽きせぬ思い』を、2005年のアルバム“us”より、聴いてみる。
ただ、ひたすらに、意中の人を思う、一途さ、ここのあり?
篠原美也子の2004年のアルバム『種と果実』から、“spilt” を聴いてみる。
分岐、分岐、で、今。
その分岐を、逃げの1手としない、選択の励行を――と言う感じがするナンバーか、と、思う。
篠原美也子のシングル“Still”(1998年)から、『淋しいのは』(1998年)を、聴いてみる。
淋しい、のが、罪になるような季節と行事が、やってきかけている。
1995年の篠原美也子のアルバム『河よりも長くゆるやかに』より、1995年のナンバー、“MIND FACTORY”を、聴いてみる。
何の価値も、何の意味もない、自分にさえ判らない、気持ちを作り出す、心の工場。
篠原美也子のアルバム『新しい羽根がついた日』より、“place”(2001年)を、聴いてみる。
自分だけの場所、見つかったら、それは、宝、なり。