篠原美也子『ダイヤモンドダスト』(2003年)を、2003年の福娘。のシングル『夏ノ花』から、聴いてみる。
綺麗なダイヤモンドは、砕ける為に、あるのではない。
篠原美也子のアルバム『海になりたい青』(1993年)より、『夢を見ていた』(1993年)を、聴いてみる。
夢を見ていた、良い、時間。どれだけあったでしょうか?
篠原美也子のアルバム『レイディアント』(2006年)から、“Stand and Fight”(2006年)を、聴いてみる。 また、すり減って、消えて行く今日の果て。
篠原美也子“Boxer”(1998年)を、1998年のアルバム“magnolia”(1998年)より、聴いてみる。
負の成果しか出ず、終わり、を迫られる現実が、苦しい。
篠原美也子“rainbird”(2007年)を、2007年のアルバム『桜花繚乱』より、聴いてみる。
雨、始まる――それが、原点、と言う、アーティストの想い?
2009年の篠原美也子のナンバー“MOVE”を、2009年のアルバム『いずれ散りゆく花ならば』より、聴いてみる。
古さ、旧さ、は、有形も無形も関係なく、辿った軌跡。
篠原美也子『極楽駅から見える月』(1997年)を、アルバム“Vivien”(1997年)より、聴いてみる。
極楽駅、永遠にたどり着けない気がする。
篠原美也子『誰の様でもなく』(1993年)を、セルフカバーアルバム“SPIRAL”(2003年)より、聴いてみる。
疲れた――でも、終われない、終わらない、夢に想いそして、生命力。
1994年の篠原美也子のナンバー、『ありふれたグレイ』を、アルバム『いとおしいグレイ』(1994年)より、聴いてみる。
このナンバー、消え行かないのは、未だ、抜け出せぬものが、あるから、なんだろうか?
篠原美也子のセルフカバーアルバム“SPIRAL”(2003年)から、1993年のナンバー、『ひとり』を、聴いてみる。
向かうところ、敵と絶望しかない、孤立、の日常も、また
、ひとり、である。