注目している作家である。
吉原を舞台にした時代小説である。
これまで「しづめる花」「うつろひ蔓」と二つの小説を読んできた。
この二つの物語は『お蓮』と<保チ屋(もちや)>の佐吉の話であったが、今回は前2回に登場した『豆吉』が主役である。
この豆吉の母は花魁で、豆吉を産み落とすと亡くなった。豆吉は母の勤めていた店とは違う店に働いた『留蔵』に引き取られ、吉原で育ち今は「土浦屋」で妓夫をし、そして「目付」をしている。
この一連の物語には「上ゲ屋」(遊女に仕立てる職)「保チ屋」(年季半ばで磨き直す職)といったものがでてきたが、今回はこの「目付」(合間にあって妓の心を見張り、間夫の芽を絶つ)が物語の柱である。
豆吉は肩を揉むと「何かに届いた閃く瞬間がある」それを豆吉は心に届いたのではないかと思っているのである。
つまり、そのとき豆吉は妓のそのときの気持ちがわかるのである。
その特技を土浦屋の楼主・利右エ門は生かして、店の妓たちを管理している。
物語は、妓の馴染みの男に楼主の娘が惚れて、すったもんだするものである。
このすったもんだが、当時の掟や社会の常識や身分が絡んで、だから人は理不尽だと思っても我慢して暮らしてく<さま>が描かれているのである。
こういうなんともいえない切なさ、つまり今ではみんな自分が正しければ(正しくない場合であっても)自分を押し通そうとするのであるが、時代小説では我慢したりあきらめたりして、それでも幸福になろうとすること描かれている「切なさ」が、近頃、時代小説を読みたくなる所以なのである。
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これまで「しづめる花」「うつろひ蔓」と二つの小説を読んできた。
この二つの物語は『お蓮』と<保チ屋(もちや)>の佐吉の話であったが、今回は前2回に登場した『豆吉』が主役である。
この豆吉の母は花魁で、豆吉を産み落とすと亡くなった。豆吉は母の勤めていた店とは違う店に働いた『留蔵』に引き取られ、吉原で育ち今は「土浦屋」で妓夫をし、そして「目付」をしている。
この一連の物語には「上ゲ屋」(遊女に仕立てる職)「保チ屋」(年季半ばで磨き直す職)といったものがでてきたが、今回はこの「目付」(合間にあって妓の心を見張り、間夫の芽を絶つ)が物語の柱である。
豆吉は肩を揉むと「何かに届いた閃く瞬間がある」それを豆吉は心に届いたのではないかと思っているのである。
つまり、そのとき豆吉は妓のそのときの気持ちがわかるのである。
その特技を土浦屋の楼主・利右エ門は生かして、店の妓たちを管理している。
物語は、妓の馴染みの男に楼主の娘が惚れて、すったもんだするものである。
このすったもんだが、当時の掟や社会の常識や身分が絡んで、だから人は理不尽だと思っても我慢して暮らしてく<さま>が描かれているのである。
こういうなんともいえない切なさ、つまり今ではみんな自分が正しければ(正しくない場合であっても)自分を押し通そうとするのであるが、時代小説では我慢したりあきらめたりして、それでも幸福になろうとすること描かれている「切なさ」が、近頃、時代小説を読みたくなる所以なのである。
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