読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

ローマ人の物語34-迷走する帝国(下)- 塩野七生

2009-04-20 22:56:16 | 読んだ
「迷走する帝国」3部作の最後である。

ローマ帝国、3世紀後半、現職の皇帝ヴァレリアヌスが、ペルシャと戦い捕らえられたところで(中)が終了した。

以後の皇帝たちは、この未曾有の危機を乗り越えるために懸命に働く。

この「働き」について、著者の塩野七生さんは、大いに評価する。
しかし、当時のローマ人たちはあまり評価をしなかったようである。

それは第1に彼らは軍の推薦を受けて皇帝となった「仕事人」ではあったが、ローマ人たちの生き方についてまで影響をするような人ではなかったからではないだろうか。

皇帝は、ローマ人のリーダーであって、それゆえにこそ実務力とともに神秘力というかカリスマ性、もっと突き詰めると「貴種」というものが求められていたのではないか。

国を守り保つことを一生懸命やっているにもかかわらず、いわば些細なことで殺される皇帝、この時期のローマの皇帝たちは大変である。

皇帝たちは蛮族という外敵と戦いながら、実はローマ帝国の栄光という残像を追い求める人や、自らのことだけを考える人たちとも戦っていた。

第3章はローマ帝国とキリスト教ということで、キリスト教とのかかわりが著されている。
著者は言う

「(前略)、キリストの神は人間に、生きる道を指し示す神である。一方、ローマの神々は、生きる道を自分で見つける人間を、かたわらにあって助ける神である。
絶対神と守護神のちがいとしてもよい。(以下略)」

ローマ発足からローマ帝国の栄光の時期までは、守護神でよかった信仰が、外部環境ならびに内部環境の変化から、ローマの神々はもう我々を守ってくれない、神々はローマを見放した、とローマの人々は考えた。
と著者は言う。

だからローマにそれまでの考え方とは違うキリスト教が広がってきた。
つまりキリストの教えがローマ人に必要になったというのである。

帝国は老いつつある。
3世紀のローマはそうだった。

現代の日本も、制度も人も老いつつある、そう思うのだが・・・

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