帯に「防災対策庁舎からの無言の教訓」とある。
表紙の写真は、2011年(平成23年)3月11日発生した東日本大震災で、津波に飲み込まれてしまった宮城県南三陸町の防災庁舎の屋上で、津波から身を守ろうとして円陣を組んでいるものである。
私は南三陸町の隣(内陸側)に住んでいる。
私の友人二人がこの防災庁舎で亡くなっている。
震災直後、何度も電話をかけメールを送った、が返事はなかった。
その後、私は仕事として南三陸町の復旧や復興にわずかながらお手伝いをした。その際に、多くの人からあの震災の津波の話を聞いた。
それぞれの話は、語り口からは想像できないような悲惨さであり、相槌もうてず、ただただ頷くだけであった。
本書の著者は「防災・危機管理アドバイザー」で、震災前にも南三陸町を訪れている。
そのような縁から本書を著したのだと思う。
本書は第2章の「『奇跡のイレブン』それぞれの3.11」が主となっている。
防災庁舎の屋上で生き残った11人のうち10人にインタビューしたものをまとめている。
ただ、ただ、胸が詰まる。
本書では、そのほかに災害に対する心がけなども著されているが、そのうち何点か今まで私が思い違いをしていたことなどについて説明がされていた。
例えば「想定外」という言葉である。
想定外という言葉は使うな!
ということが、震災後よく言われた。
私などは「毎日が想定外であって、想定外のことがあるという覚悟が必要で、ゆえに想定外を使うなとはどういうことか」と思っていたのだが、しかし、あの時言われた「想定外」という言葉の裏に「責任追及はタブー」という『見え透いた思惑』が見えていた、と著者はいう。
「想定外=責任なし」ではない「専門家が想定しなかった責任」はあるのではないか、ということだそうだ。
著者はまた、『罪深きはリスクを過小評価した被害想定』『責任追求より原因追究である』としている。これも考えさせられることである。
更に、震災後の庁舎の解体・存続についても述べられており、解体への道筋を描いたにも関わらず存続となった経緯もおおむねつまびらかにしている。
その中で、私が驚いたのは、合併してできた南三陸町にある旧志津川町と旧歌津町の確執まで書き込んでいたことである。
私は友人から直接聞いていたし、その後にもいたるところでこの確執を聞き、あまり大きな声では言えないタブーなんだろうと思っていた。
しかし、著者はその問題を顕かにした。
震災に立ち向かう人たちの姿勢はさまざまである。
明るく大きな声で話し前だけを見ているような人、パチンコに入り浸る人、酒を飲み歩き続ける人、生活に行き詰っている人、さまざまである。
そういう情景を見ると「人」というのは何なのだろうかと思う。
今、本書を読み終えて「3.11」とそのあとに続いた非常に重苦しく暗く苦い空気を思い起こしている。
あの年、私は「春」も「夏」どうだったのかよく思い出せない。
もしかしたら8月ころまで防寒着を着ていたのではないかという思いがある。
人は前に進むのだ、ということであれば、重く暗く苦い思い出は薄らいでいくにこしたことはない。
しかし、時には思い出して、また歯を食いしばらなければならない、とも思う。
震災後、6年を経過して本書のような「忘れてはいけないもの」が発刊されそれを読むことができたのは、まだまだ前に進まなければならないということなんだろう、と思う。
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