「家系を見ると・・神道系の人よね?」と言われ、
「ええ、家紋もそうです。」と答えると、ニッコリ笑って
「光が強いからね」と言われたのが数年前
ちなみにこの会話をしている女性も家系が神道の人。
「私も強かったからいろいろ大変だったけれど」という会話をして・・
私も変えよう。
強いのが良いことだと思っていたけれど、違う。
強い方がいろんなことを乗り越えられると思っていたけれど違う。
強さではなくて、質を変えないと前へ進めないことがわかった時点で路線変更
潔さ(いさぎよさ)は過去を引きずらず、前に進められる。
その女性から
「この人も神道が強い人なのよ」と言われて紹介された人がある神社へ行くときに必ず同行する人というぐらいの人。
すごいな・・と思いつつ、
早く自分も強い神道の光を変えないと、強さばっかりで進んでしまうわ、という気持ちを確認する。
強すぎると何が起きるのかを普段の生活でとっても見ることができた。
強い光を持っている人は必ず人と○○○の○が出る。
「え?神様系統の人ってそんなことがあるの?」と驚くだろうけれど、普段ふつ~に目の前で起きている事が、○感で見ると
「あ・・神道の系統の人がこのせいでこの現象が起きるのね」とありありとわかった。
仏教系統の人が“起こす現象”とは違う。
普通の人が見ると同じように見えるだろうけれど、見方を教えてもらってから“絶対的な違い”をわかるようになった。
今、自分がしなければないことが確実に起きている
「何もするな」。
ひっくり返せば・・「いつもしなければならないこと」を確認しているうちに新しい事を全くしていない自分がいる。
さて、ここから本題の「ひみつのしつもんのしかた」というお話がやっと始まる
普通に神様のお願いをしても決してその通りにならないのはみんな経験ズミ
願いが叶うのは「ひみつのしつもんのしかた」をもともと自然にわかっている人がやっていることで、たんなるお願いをしているわけではない。
だから
「どこの神社に行って」の質問をしてしまうけれど、答えはそこではなくて、
「どんなしつもんをしたらどう変われるの?」ということになる。
で、さっきから
お願いごとと質問という単語がでているこれど、
「ちがうんじゃない?」と思ったあなた。
しつもん、と、お願いは・・実は紙一重。
そのみえない間(ひみつ)がわかるとあなたは神道系。
そこから○○に~~して○○○が見えるのは・・仏教系。
遙か昔、神道だった日本に仏教がやってきて、
昔の人は賢かったからある方式で仏様を広げていった。
その秘密のやりかたを聞いたときに「日本人ってすごいな~」と感動
だから仏教って凄いんですよね