半年前ぐらい前に知り合った30代男性とある一件で少しメールでやりとりをしていました
・・で、
昨日の「大阪の交通は・・台風で」ということで、
でもふるらんはどうしてもお仕事に行かなければならない場所がありまして・・
と、ちょこっと一般的な方達のボランティアのお手伝いもさせていただいているので、
休もうと思えばできるのですが、それをするとちょっと・・気持ちが
「ちょっといつものふるらんと違うよ」と言われている気がしまして、
おでかけを知っている彼が
「地下鉄が止ったら大変だから、僕、帰りに家まで送ってあげますよ」と。
わぁ~~嬉しいわ~~
ありがとうございます、助かります~
無事、仕事完了。
地下鉄は動いていましたけれど、お迎えに来てもらえてありがたい
帰り道の少しの時間、
「実はこう思っていました」のお話を聞かせていただきまして、
そうだんたんですか、と深く感じました。
こんな風に見える、感じるのね・・
そして人に対しての感じ方も。
本音のクリアーさがとっても出ていて、聞いていてとってもふるらんの心を通る。
この感覚は自分の心の中が綺麗になっていくみたいな不思議な気持ち。
きっと神様は人間みんなにこんな話方をすることを教えてくださっていたのだろうけれど、きっとどこかへ忘れてしまったのか、壊れてしまったのかな・・と思いました。
そして
「実は僕・・」というお話を聞いてびっくり
あ~彼の会社は彼の人間的な才能をも知っているのねと確信しましたわ。
聞けてよかった。
そして言えてよかった
なんか・・ふるらんおばちゃん、心、清らかになった時間を頂けた感じでした。
あんなに短い時間に人の心のクリアーなところに触れられてとっても幸せな空気を感じられたので、人っていいな、とまた実感したのでした
若いとき、北海道だったから、通勤や買い物の足代わりに車も運転したけれど、
眠れないときにわざとちょっと遠目のコンビニに買い物に行って夕涼みしたり。
悩みがあると車を運転して海や山に遠出したり、気分転換をしたり・・
友達や年下の子を乗せて・・悩みを聞いてあげたり。
そんな時代があったけれど、
やっぱり車っていいな、と昔を思い出したふるらんでした