とても見えるのある先生のお話です。
・・ということで詳しいことを書こうとするとまたブログの内容が書いている途中で消えるか、パソコンの画面が飛ぶか・・良くないことが起きるので遠回しに書くことにします
数年に一回、大きな病気になり、入院される先生です。
手術を数回しています。
その間にはお客様を視た後に体調を崩したりしていましたが、それは何度も繰り返していたのである意味慣れていたそうです。
お客様の悩み以上に連れてきている人がキツイ人が居るということ。
上には上の強いモノを持っている人が沢山いるということなのです。
「もう辞められた方が良いですよ」とお話しました。
それも強めに。
病名もどんどんキツクなっていきますしc。
能力のある、とっても鍛えた修行をされても人間は肉体があるし、限界がある。
そして生きている人には誰にでも『死』がある。
『鬼滅の刃』の映画を見た人は知っていると思うけれど、人は死ぬ。
(ここからもう少し細かく書きたいのですが、止められました)
先日整骨院の先生とたまたま死の話しをしましたが、一番ベストな亡くなり方をしないかぎり、
痛い、苦しい、辛い、しんどい・・・
どうして自分はこうなったのか、と思い、考え・・
そして回想し・・良くない方向の想いを増大させる。
それをあの世へ持って行く。
整骨院の先生が今まで見てきた“肉体的ベストな死”を私にお話をしてくださって、
「それ、いいですね」と話すと
「でしょう、そうなるようにしていきましょう」とニッコリ笑いました
相談された先生に
「身体がやられるということはすでに縛られかかっていて、その縄の締め付けが来ているんですよ」と話すと
「来ているとは?」と聞かれるので
「そっちという方向へ」とお話しすると先生は考えていました。
現代のお医者さん達は優秀ですから、ほとんどの病気の治し方を知っています。
ここまでは良いですが、治せない病気になったら・・心も身体も悩み苦しむのです。
そして最も良くないのは
「治せる病気なのに治せない方向へ持って行かれる。わざわざ遠回りをさせられ、手遅れになるようにさせられる」。
「見えない世界のお話ですから普通の会話と違うということを理解しておられる先生なのでお話を続けますが、病むは身体だけではないですし、心も、魂も病気で痛みます。すでに治療をしている時点でその病気につながれていますので」
(注~普通の病気の会話とは違いますので誤解されませんように)
仏教の世界では「相手を見て相手に合わせて話し方を変えなさい」と言われます。
それだけ人は千差万別、解釈が違い、理解も当然違うのです。
ですから仏教では
「自分が学んだことを人に話してはいけない」という部分もあります。
学んだそのままを相手に伝えても誤解することが多いからです。
それと修行中に切らねばならない『○』が出てくるのを押さえるためです。
お釈迦様もお話をする相手によって変えておられたそうです。
ですから言い伝えが違うという事が多いのです。
弘法大師空海様も、お話のお相手を選んでおられたとか。
歴史のお話に出てきますよ
その他、いろんな宗教の偉いお方達もそうされていたというお話も聞きます。
そして先生はお仕事を辞められました。
その後、しばらくして、新しいお仕事をスタートしました。
「能力を別なところに使う」というちゃんと生きたやり方を見つけたのです
「自分の年齢をすなおに受け止めてみたらもう限界だし、辞めるということと始めるということを思いついてね。
辞めなさい、と強く言ってもらえて気がついたんだよ。
ああ、命の話しまでになっているなとね。
どこかで自分では解っていたけれど、認めなくて、今まではずっと病気の話しと想っていたけれど、命のところまで来ているということにね。
それならこの能力、他のところで使おうかという転換にもなれたし、これからはカタチを変えて頑張るよ」。
どこかで命を捨てていたのでしょうね。
でも違いますよ。
視えるのなら、役に立ちたいの気持ちは大切に。
でも命は捨ててはいけません。
雑に扱ってはいけません。
このお仕事の先生たちはいろんな不思議な大変さを経験していくのが道の途中で何回もあるのですが、
無理をして自分を失ってはいけません。
そういう私も無理をしないようにします。
凄い先生達の教えをいつも胸に、
そして繰り返して頭にたたき込んで、
「あなたは他の能力の人とは違う仕事をしていく」という部分をちゃんと握って歩くようにします