【丸ビルから眺める東京駅】
東京おのぼりさんの旅、最後の締めくくりは東京駅丸の内駅舎です。
実は、これが一番見たかったのかもしれません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3階建てに八角形ドームをのせたヴィクトリアン・ゴシック様式の赤レンガ駅舎は
日本銀行も設計した辰野金吾の手によって1914年(大正3)に建てられました。
施工は、当時まだ新興企業だった大林組。
その後、第2次世界大戦の東京大空襲によって3階部分が消失。
建物は2階建てとして1947年(昭和22)に再建。
東京を代表する建物のひとつ。2012年鹿島建設により復元工事が完成しました。
新駅舎は、全長335メートル、両端に高さ35メートルの独特のシルエットドームを有する重要文化財です。
大地震にも耐えられる最新技術が施され、内装も当時の資料に基づき
忠実に装飾やカラーまで細部を再現、創建時の姿が復元されました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東京駅建て替えの話を耳にしたのは、今から20年以上前の事。
ひょっとしたら、高層ビルになってしまうらしい・・・・
え~~~!!あの素敵な駅が
四角いコンクリートとガラスの箱になっちゃうの?
と危惧しておりました。
その後、市民レベルでの保存運動が起こり、計画は頓挫したと聞いていました。
その間、関係者の方々はどうしたらよいものかとあれこれ考えておられたことでしょう。
空襲によって破壊されてしまった部分を元に戻し、建設当時の姿に復元されることが決定されたのでした!
そして、このたび5年の歳月を経て昨年の10月グランドオープンとなりました。
総工費500億円!
元の姿に戻すだけでこんなにかかるものかと思いましたが
この費用、ちょっとしたアイディアで捻出されたものだったのです。
元々、高層化する筈だった部分(空中)を売って資金にしたのだそうです。
この空中権取引は、都市部の限られた空間を有効に活用する手段として
100年ほど前に米国で考案されたものです。
日本では、2000年から「歴史的建造物など低いまま保存すべき建造物があり
周辺でより高層のビル建設の必要がる」など、都道府県などが必要と認めれば
隣接していなくても容積率を取引できる特例制度が新設されました。
これにより、東京駅周辺の約120ヘクタールが、「特例容積率適用区域」に指定され
区域内では低層の東京駅が利用しない空中部分の容積率を
別の場所に移して利用することが可能となりました
この制度を活用して、三菱地所が開発した丸ビルや東京ビルへ容積率を売却し
丸の内駅舎の建て替え原資に充てたのだそうです。
ひぇ~!そんなアイディアがあったとは!
でも、少々不安にもなりました。
周りが高層化して、東京駅だけ低層になるということは
あの「ちいさいおうち」のようになってしまったのではないかと思ったのです。
絵本「ちいさいおうち」 ~都会の真ん中にぽつんと取り残されてしまった「ちいさいおうち」~
ところが・・・・
【丸ビルテラスより~PCでパノラマ加工しました~♪】
復元された東京駅は、堂々と建っていたのでした。
・・・・・よかった、よかった・・・・
何しろ敷地が東京ドームの6倍もあるのですものね。
「ちいさいえき」ではありませんから、無用な心配でした。^^
それにしてもあの時、高層ビルになってしまっていたら
こんな風になってしまっていたかも!
【東京銀行協会ビル】 【神戸で見かけた建物】
・・・・・なんだか古い建物が苦しそうに見えますが~・・・
最近、時折目にするこのファサードのみ残し高層化する工法。
かさぶた工法と揶揄されているらしいけど・・・
土地の少ない日本では、仕方のない事なのかもしれませんね。
いずれにせよ、東京駅がこんな風にならなくて
よかった、よかった!
【皇族専用口】
【物置と化していた中央の屋根のすぐ下は、ホテルの朝食ラウンジへと変身!】
泊まってみたい!!
【空襲で無くなっていたドームも復活!】
第2次世界大戦の東京大空襲によって3階部分が消失。
応急処置として2階建てで修復されたままになっていたものが
元通りの3階建てになっていました。
え?どこからが新しいの??
と思うくらい、違和感なく作られていました。
目に見えるところばかりではなく、関東大震災にも耐えた駅舎ですが
今回最新の技術を駆使した構造へと変更されました。
なんでも、地震の震動を遮断するアイソレーター
(巨大な激しい地震を、ゆるやかな揺れに変える装置。地震を絶縁する「isolate」を意味している。)が352台
振動を吸収するオイルダンパー(油の粘性を利用して衝撃や振動をやわらげる装置)が158台。
東京駅の営業を休むことなく350台のジャッキで支えながら
設置されたのだそうです。
地下部分も改修、新たに巨大な空間も加えられました。
実際の工事は、駅の機能が停止している夜間の3時間ほどの間に行われたのだそうです。
古い技術を生かしながら、最新の技術を導入したという訳ですね。
JR東日本の東京駅リニューアルのCMを見ると、懐かしい想いが込み上げて来ます!?
あなたは何年あたりから懐かしいでしょうか~・・・(笑)
東京おのぼりさんの旅、最後の締めくくりは東京駅丸の内駅舎です。
実は、これが一番見たかったのかもしれません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3階建てに八角形ドームをのせたヴィクトリアン・ゴシック様式の赤レンガ駅舎は
日本銀行も設計した辰野金吾の手によって1914年(大正3)に建てられました。
施工は、当時まだ新興企業だった大林組。
その後、第2次世界大戦の東京大空襲によって3階部分が消失。
建物は2階建てとして1947年(昭和22)に再建。
東京を代表する建物のひとつ。2012年鹿島建設により復元工事が完成しました。
新駅舎は、全長335メートル、両端に高さ35メートルの独特のシルエットドームを有する重要文化財です。
大地震にも耐えられる最新技術が施され、内装も当時の資料に基づき
忠実に装飾やカラーまで細部を再現、創建時の姿が復元されました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東京駅建て替えの話を耳にしたのは、今から20年以上前の事。
ひょっとしたら、高層ビルになってしまうらしい・・・・
え~~~!!あの素敵な駅が
四角いコンクリートとガラスの箱になっちゃうの?
と危惧しておりました。
その後、市民レベルでの保存運動が起こり、計画は頓挫したと聞いていました。
その間、関係者の方々はどうしたらよいものかとあれこれ考えておられたことでしょう。
空襲によって破壊されてしまった部分を元に戻し、建設当時の姿に復元されることが決定されたのでした!
そして、このたび5年の歳月を経て昨年の10月グランドオープンとなりました。
総工費500億円!
元の姿に戻すだけでこんなにかかるものかと思いましたが
この費用、ちょっとしたアイディアで捻出されたものだったのです。
元々、高層化する筈だった部分(空中)を売って資金にしたのだそうです。
この空中権取引は、都市部の限られた空間を有効に活用する手段として
100年ほど前に米国で考案されたものです。
日本では、2000年から「歴史的建造物など低いまま保存すべき建造物があり
周辺でより高層のビル建設の必要がる」など、都道府県などが必要と認めれば
隣接していなくても容積率を取引できる特例制度が新設されました。
これにより、東京駅周辺の約120ヘクタールが、「特例容積率適用区域」に指定され
区域内では低層の東京駅が利用しない空中部分の容積率を
別の場所に移して利用することが可能となりました
この制度を活用して、三菱地所が開発した丸ビルや東京ビルへ容積率を売却し
丸の内駅舎の建て替え原資に充てたのだそうです。
ひぇ~!そんなアイディアがあったとは!
でも、少々不安にもなりました。
周りが高層化して、東京駅だけ低層になるということは
あの「ちいさいおうち」のようになってしまったのではないかと思ったのです。
絵本「ちいさいおうち」 ~都会の真ん中にぽつんと取り残されてしまった「ちいさいおうち」~
ところが・・・・
【丸ビルテラスより~PCでパノラマ加工しました~♪】
復元された東京駅は、堂々と建っていたのでした。
・・・・・よかった、よかった・・・・
何しろ敷地が東京ドームの6倍もあるのですものね。
「ちいさいえき」ではありませんから、無用な心配でした。^^
それにしてもあの時、高層ビルになってしまっていたら
こんな風になってしまっていたかも!
【東京銀行協会ビル】 【神戸で見かけた建物】
・・・・・なんだか古い建物が苦しそうに見えますが~・・・
最近、時折目にするこのファサードのみ残し高層化する工法。
かさぶた工法と揶揄されているらしいけど・・・
土地の少ない日本では、仕方のない事なのかもしれませんね。
いずれにせよ、東京駅がこんな風にならなくて
よかった、よかった!
【皇族専用口】
【物置と化していた中央の屋根のすぐ下は、ホテルの朝食ラウンジへと変身!】
泊まってみたい!!
【空襲で無くなっていたドームも復活!】
第2次世界大戦の東京大空襲によって3階部分が消失。
応急処置として2階建てで修復されたままになっていたものが
元通りの3階建てになっていました。
え?どこからが新しいの??
と思うくらい、違和感なく作られていました。
目に見えるところばかりではなく、関東大震災にも耐えた駅舎ですが
今回最新の技術を駆使した構造へと変更されました。
なんでも、地震の震動を遮断するアイソレーター
(巨大な激しい地震を、ゆるやかな揺れに変える装置。地震を絶縁する「isolate」を意味している。)が352台
振動を吸収するオイルダンパー(油の粘性を利用して衝撃や振動をやわらげる装置)が158台。
東京駅の営業を休むことなく350台のジャッキで支えながら
設置されたのだそうです。
地下部分も改修、新たに巨大な空間も加えられました。
実際の工事は、駅の機能が停止している夜間の3時間ほどの間に行われたのだそうです。
古い技術を生かしながら、最新の技術を導入したという訳ですね。
JR東日本の東京駅リニューアルのCMを見ると、懐かしい想いが込み上げて来ます!?
あなたは何年あたりから懐かしいでしょうか~・・・(笑)
の旧岩崎邸から締めが東京駅の改修だとは!
pinkyさん、大学で講座をひとつ持てますね。
それか、大林か鹿島の社員教育ができそうですよ
いや、すばらしい、どの辺が“おのぼりさんの旅”なんですか!
生まれも育ちも江戸っ子だ~!三代前からの生粋のでぇー!!
なんていう人も地方から続々と東京周辺に移り住んだ
人にもこれだけのことを知っている人
書ける人ってごくわずかでしょうね。
私も建築家のテレビはけっこう観ますが、テレビで話す
下手な建築家の上を行きますよ。
pinkyさん「どうぞ木でも何でも登って下さい」(笑)
それくらいすばらしいってことです。
いやはや、今日はpinkyさんに打ちのめされた感じです。
しかも昨夜はザックジャパンの日!!!
サッカーにはも飽きられたのかな(笑)
お忙しいpinkyさん、いつこれだけの資料に目を通されたのかな~なんて思います。
建築オタクならいざ知らず、ありとあらゆることにチャレンジされるpinkyさんの生き方に尊敬しますね。
記事のことも、ちょっぴり。
私も、かさぶた工法(笑)は、いいとは思いませんね。
新装東京駅は写真でしか見ていませんが、色調が慣れ親しんだものより鮮やかなのにちょっと違和感があります。
空中権取引って言葉、初めてしりました。
駅から皇居側の丸の内界隈はその昔、葦の沼地を三菱が買い受けたってききますね~。
いやはや、日本の原動力の原点があそこにあるような気がします。
pinkyさんの駅パノラマ写真を観ながら、行ったこのないパリ、エッフェル塔周りの
空間をイメージしました。
パリに比べれば小さな空間でしょうが、皇居とともに超高層群の中のオアシスですね。
営業中の駅の工事は本当に大変なものですが(たぶん昼夜兼行)、鹿島儲かったな!(爆)
いやいや貴重な東京講座有難うございました。
ザックジャパン、応援しながら更新しました。(笑)
親善試合ですもの、それほど熱くはなりませ~ん!
ありがとうございます。
講義だなんて・ホントに・・が木に登ってしまいますよ。
え??
レンガ調のタイルは、新しく作られたものは古く見えるように加工し
古いものはクリーニングしたのではないでしょうか。
きっと、すぐに以前と同じような色合いになると思います。
この東京駅から皇居までの土地は小父さんが仰る通り
荒地になっていて
どうにもならない土地だったとか。
それを買わされた岩崎弥太郎は「竹でも植えて、虎でもかうか!」と言っていたそうです。
でも、先見の明があったのだと思いますl
今まで態々東京駅で降りて、駅舎を眺めることなどありませんけれど
もっと時間を取って置けばよかったと思うほどでした。
丸ビルにはこの駅がよく見えるようになっているレストランやテラスがあるのですが
とても賑わっていました。
丸の内といえばビジネス街でしたが、すっかり文化の薫り高い場所へと変身していました。^^
東京駅は、やはりこの姿が素敵ですよね。
考えると 彼らには結構 せいたかのっぽさんが多いですね
東京駅、、、、利用した事があったかどうかも 記憶にないです
こうやって見ると 素敵な建物ですね
日本から 離れて たくさんの日本の素敵を知ることです
丸の内の高層ビル群とは対照的な赤煉瓦の東京駅、
明治からつづくレトロな外観が素晴らしいです。
私は尾瀬に行った帰りに東京駅周辺をぶらっと歩きましたが
その時が最後で東京駅は長いことご無沙汰しています。
もう十年は見ていないでしょう。
ところで空中権のお話は以前にテレビで聞いたことがありますが
JRもいいことに気が付きましたね。
高層ビルの林立する丸の内はまるでニューヨークを
思わせる風景だと思いましたが、
今は大阪でも高層ビルが増えました。
逆に姫路市はお城が世界遺産であるため、
高層ビルの新規建設を規制しようという動きがあるそうです。
空中権について云えば逆の発想ですね。
東京と地方都市ではいろんな事情が異なるでしょうから
当然なのかも知れません。
神戸のビルとの比較。流石だなって尊敬しました!^^!
pinkyさんのお部屋はオシャレな上、ほのぼのとしますね
ところで…一枚目のお写真に目が釘付けです
丸ビルから撮られたの?
ヴィクトリアン・ゴシック様式なのに、ガラスの色合いが特徴的で八角のドーモ的な屋根で中東を思い出させていただきました。pinkyさんのお写真の写し方、たいへん好きです。ステキ!!!
パノラマ加工して下さって全体を眺めると、また雰囲気が違うんですね!やっぱりヴィクトリアン・ゴシック様式なんだぁ~って、感じました。(*^_^*)
ホント!今回も楽しかったで~す
何にもない空間がこんな高値で売買されるって、どうも狐に化かされているような話ですよね。(笑)
昔の姿に戻って駅もホッとしていることと思います。
懐かしいのに新しい東京駅、地下のスペースも凄いことになっていました。
とても半日では回りきれませんでした。
イジーさんのコメントから、シカゴの建築~空中権を検索してみました。
とても素敵な建物がいっぱいで、すっかり魅了させられてしまいました。
歴史保存地区や、空中権を利用したビルの隣の風格ある建物まで・・・
実際に行ってみたくなりました。
シカゴでは、こうした空中権が売買されたり借用されたりしているのですね。
東京駅は乗り換えに利用するだけで表に出て駅舎を眺めるなんてことはありませんでした。
そうですよね、近くにいると却ってその良さに気付かず
良く見ていなかったするものですよね。
今までは首都高からちらっと眺めるか、乗り換えで利用するくらいでしたが
今回ばかりは、どうしても観なくてはという思いでした。
空中権というものにも興味がありましたし、いったいどんなことになってしまったのかと心配でもありました。
この丸の内界隈は、東京駅の建設と同時に多くの建物が建ち
欧米化が急がれた場所でもあったそうです。
地名も「一丁倫敦」とか「一丁紐育」と命名されていたとか!
丸の内をニューヨークやロンドンにしたかったのですね。
今回は表からしか見ることが出来ませんでしたが
三菱が東京・丸の内に建設した初めての洋風事務所建築も
40年の時を経て美術館として復元されていました。
ビジネス街に文化の香りが混じってきたように思いました。
姫路城は一度だけ行ったことがあります。
素晴らしいお城で感激しました。
修復工事の際使われた大黒柱は、私の住む市から切り出されたものなので
姫路城にはとても愛着を感じています。
天守閣からの眺めは、まさに殿様気分でした。
この眺めをいつまでも守って欲しいです。
ちいさいおうちを想像した感覚、解って頂けて嬉しいです
感じが似てますよね~!
でも、東京駅は堂々としていて嬉しかったです。
ありがとうございま~~~す
丸ビルのコンランショップからのショーケース越しの眺めです。
ガラス瓶とのコラボがいい感じに見えたので、こっそりしてしまいました
以前の寄棟の屋根と違い、イスラム建築風はドームが
ニコライ堂みたい~なんて思ったり
あれ?ニコライ堂はロシア建築風かしら??(滝汗)
建築様式って、いろんなところに色んな国の文化がまじりあっていて
とても面白いですよね。
一日いても観たりない東京駅となりました。
次回状況の折にはぜひご覧になってくださいませ♪