日帰り京都の旅の締めくくりに、京都国立博物館で開催中の
THE ハプスブルク展に行ってきました。
【京都国立博物館:特別展示館(旧・本館) - 1895年(明治28年)竣工、重要文化財 】
東京都台東区にある重要文化財・東京国立博物館 表慶館(1908年(明治41年)や
港区にある国宝・旧東宮御所(1909年(明治42年)赤坂離宮
現在の迎賓館を設計したことでも知られる片山東熊による建物です。
西洋建築ではありながら、ところどころに和の様式が取り入れられて
じっと見ていると、不思議な気持ちになってきます。
600年以上にわたりヨーロッパを治め、芸術を愛好したハプスブルク家の栄華をたどる大規模な展覧会。
ウィーン美術史美術館とブダペスト国立西洋美術館の選りすぐりの名画と工芸・武具は116件を数え
これまでの日本の展覧会では質・量共に最高になります。
とくに明治天皇がフランツ・ヨーゼフ皇帝に贈った100図からなる風俗・物語・花鳥図画帖と
蒔絵書棚も、初めて里帰り公開されています。
【チケット売り場横の大きなパネル】
愛くるしい王子と王女が出迎えてくれています。
向かって左は、ディエゴ・ベラスケス作
《白衣の王女マルガリータ・テレサ》
1656年頃、ウィーン美術史美術館蔵。
右は、同じくディエゴ・ベラスケス作
《皇太子フェリペ・プロスペロ》
1659年、ウィーン美術史美術館蔵。
ハプスブルク家(ドイツ語:Haus Habsburg, Habsburger)は
現在のスイス領内に発祥したドイツ系の貴族の家系。
古代ラテン人の有力貴族であるユリウス一門(カエサル家)
の末裔を自称し、中世の血縁制度を利用した政略結婚により
広大な領土を獲得、南ドイツを代表する大貴族に成長したのでした。
【入り口の破風の部分にも日本の様式が・・・】 | 今回の展覧会では、ハプスブルク家ゆかりの 絵画の至宝75点に豪華な工芸品を加えた 計約120件を展覧しています。 マクシミリアン1世の宮廷画家デューラー スペイン王フェリペ4世の宮廷画家ベラスケス ネーデルランドのアルブレヒト大功の宮廷画家 ルーベンス、さらにラファエロ、ティツィアーノ からごやまで、16世紀から18世紀にかけての ヨーロッパ芸術最盛期の名画は圧巻です。 また皇帝達を魅了し、宮廷を飾った工芸・武具 の数々は意外にも日本の美術工芸と同調する点 が少なくありません。 芸術を庇護し、愛し続けた王家の栄華を物語る 名品の数々は、一見の価値があります。 ・・・パンフレットより抜粋・・・ |
更に詳しくお知りになりたい方はこちらをクリックしてくださいね。→THE ハプスブルク展
【参考書?】 【パンフレット】
すっかり忘れてしまった西洋史をお正月のお休みの間に、こんな本を読んで予習でした。(笑)
パンフレッの左は
アンドレアス・メラー作
《11歳の女帝マリア・テレジア》
1727年、ウィーン美術史美術館蔵のものです。
11歳でありながら、知性と教養そして愛に満ちた眼差しています。
誰もが彼女に魅了されたことが伺えます。
右はフランツ・クサファー・ヴィンターハルター作
《オーストリア皇妃エリザベート》
1865年、国家家財管理局 宮廷家財庫 ウィーン家具博物館蔵のものです。
今回一番観たかったのは、シィシィの愛称で呼ばれ、ハンガリーの国民に愛されたという
皇妃エリザベートの肖像画でした。
想像していたよりはるかに大きなもので、高い美術館の天井にも届くかと思うほどでした。
美貌の皇妃として名高い彼女の姿は、辺りに高貴なオーラを放っていて
暫しの間うっとりと見とれてしまいました。
博物館前に植えられた松の木も、なんだか和洋折衷になっているようでした。
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京都国立博物館
住所
京都市東山区茶屋町527
お問い合わせ
テレホンサービス:075-525-2473
http://www.kyohaku.go.jp/
会期
2010年1月6日(水)~3月14日(日)
休館日
毎週月曜日ただし1月11日(月・祝)
翌12日(火)は開館。 午前9時30分~午後6時
金曜は午後8時まで
こうして、電車はゆっくり~京都めぐりは駆け足の旅を終え
帰路に着いたのでした。
この日の万歩計は、19625歩となっていました!!
今日も訪問ありがとうございました!
今度連れて行ってもらおう
京都に住む義弟は美術系なので ここにはきっと何度も足を運んでいる事でしょう
こういった肖像画の前にいると
その方の命も感じられるんでしょうね
そのうえ その大きさ、、。
圧倒されそうです
高校時代の世界史の先生が退屈でずっと寝て
おりましたもんで、西洋史弱いですね~。
ただ、今、テレビの迷宮美術館なり西洋史にまつわる番組には、急に興味が沸いてきて番組を選んで観ています。
ハプスブルク家とは何だ?が今大きなテーマです。
先日はカトリーヌ・ド・メディシスを観ていたらフランス料理にナイフにフォークから香水にバレーの原型まで彼女がイタリーからフランスに持ち込んだものと知りビックリ。
話が他に飛んでしまいましたが、ハプスブルク家が分かったらヨーロッパが分かる気までしてきます。紹介有難うございます。NHK日曜美術館で頑張ってみます(笑)
京都の街にぴったりです。
ハプスブルク展は、
以前、東京の乃木坂にある美術館で、
観てきました。
装飾品の見事さにうっとりでした。
・・はなこころ
白衣の王女マルガリータ・テレサ
王子の方は、初めてかもしれません。
美術館♪いいですよね~~好きな空間です。
ユリウス・・・ユリウス・カエサル・・・・
ユリウス暦?あれ?他にも、ユリウスって・・・
なにかありましたよね~?漫画だったかな(笑)
先日風邪で行きそこないました。
pinkyさんが詳しくご紹介下さいましたので、是非行ってみたいと思いました。
万歩計がすごくのびていますね。
わたしも楽しみながら、歩かなくっちゃ。
あちこちに一家の名残があるんですよ。
フランス史にしか目を向けてなかったので、
初めの頃は、小父さんと同じく「誰?」って思ってしまいましたね。
女帝と呼ばれたマリア・テレジアは、マリー・アントワネットのお母さんですよね?
ほんと聡明そうな顔立ちです。
シシィは、ルートヴィヒ2世を調べていた時に知りました。
美しく、自由奔放な女性で、相当わがままだったとか?
美しければ、少々の事が許されるから良いんでしょうね。
pinkyさんは、料理上手で知識豊富な行動派女性!
ハプスブルク展の二人に負けてませんよ!!!
義弟さんって、以前ビエンナーレにオブジェを出展されていた方のことですか?
そういうかたなら、この場所についてはよくご存知でしょう。
三十三間堂のまえにあって、西洋建築なのに日本の雰囲気を持った堂々とした建物です。
今工事中の本館も2013年には完成するとのことです。
是非、足を運んでみてくださいね。
あはは・・・私のときも退屈な先生でした。
西洋史が本当に面白く思えるようになったのは、学校で勉強しなくなってからかもしれません。
本や映画から興味を持つと、面白く思えますよね。
迷宮美術館は私も好きな番組です。
ただなんとなく絵を見るより、その裏側を知ってから観ると
身近に感じられますよね。
今では洗練されたお洒落な人たちが住む国のように思えるフランスですが
カトリーヌ・ド・メディシスの時代には、イタリアの方が洗練されていると思われていたって
不思議な気がしました。
ヨーロッパの歴史を知る上で、ハプスブルク家は大きな位置を占めていますね。
第一次世界大戦のきっかけとなったのも
ハプスブルグ家だったんですものね。
ところで、一番よく知っているハプスブルグ家の血を引く人といったら女優の鰐淵晴子さんかもしれません。
新国立美術館でご覧になられたのですか?
あのモダンな建物の中で観ると、また違った趣が感じられるかもしれませんね。
豪華な装飾品の数々も素晴らしいものがありましたね。
中でも、ラピスラズリの盃に目を奪われました。
京都では、日本から贈られたという絵にとても人気があったようです。
出来ればもっと時間をかけてみたかったです。
そうなんですよね~。
どうしても実物が観てみたかったんです。
迫力がありましたよ~。
美術館って、まるでタイムとラベルをしているような
外の世界とは全く違う空気が感じられますね。
ユリウス・カエサル・・・暦の歴史にも名前が登場しますけど
ユリウスって英語読みだとジュリアス~
名前の読み方が色々あるので、わからなくなりますよね~。
お風邪の具合は如何ですか?
なんだか急に暖かくなったり寒くなったりで体調管理が難しいですね。
お大事になさってください。
Ranchoさんは、京都にお住まいなんですか?
羨ましいです~!
是非、足を運んでみてくださいませ。
ウォーキングも、こういう楽しみがあるとたくさん歩くのも苦になりませんよね。
流石に翌日は、少々足のだるさが残っていました。
これからもっと頑張って歩きたいものです。
スイスが発祥の地ですものね~。
いたるところにハプスブルグ縁の場所があるのでしょうね。
そうです~!マリー・アントワネットのお母さん。
娘のフランスでの様子を聞いて、王妃たるものどうあるべきかと
何度も手紙を送っていたとか。
肝っ玉母さんのような風貌になるとは、この肖像画からは想像が出来ませんよね。
エリザベートは、男勝りで気が強く進歩的な考えを持った女性だったようです。
そのせいか、皇太后にこんな王妃に王子の教育を任せておいては
王家の地位が危ないと息子を取り上げられ
殆ど会わせてももらえなかったそうです。
贅沢の限りを尽くし、子育ても放棄して旅行三昧だったといわれていますが
子供を手元におきたいという願いをかなえてもらえなかった
腹いせだったようにも聞いています。
その王子が情死してから、自分が暗殺されるまでずっと喪服で通したそうです。
たしか、ハイジさんは、ノイシュバインシュタイン城に行かれたのでしたよね~!
美しいお城の姿とは裏腹に、暗い逸話がたくさん残っている人ですよね。
エリザベートとルードリッヒ2世は、仲がよかったのに
妹との縁談を断られてから
疎遠になったんでしたっけ?
歴史の狭間で、贅沢な暮らしをしながらも
どちらもあまり幸せだったとはいえないような
一生を送ったのですね。
え~~~~!
負けてないだなんて!!!
ハイジさんがこちらにいらした際には
何かご馳走させていただきます~~~!!