先日、高校の同窓会があった。その同窓会があることを知ったころ、父は、死の淵にあった。実のところ、医師からは、昨年の夏あたりを越せるかどうかかもしれないと告げられていたが、何とか暑い夏をやり過ごし、次の山場である冬にさしかかりつつあった頃に、同窓会の構想を聞いたのだが、葬儀とかになれば、同窓会もなかろうと、思っていたが、5月15日に父は息を引き取った。微妙なタイミングで、ちょうど、四九日と納骨が7月2日になった。
ただ、今回の同窓会は、学年全体のものだったので、ひょっとすれば、長年会っていない学友とも再会できるかも知れないという期待もあり、ギリギリまで迷ったが、参加することとした。
Sさんは、高校の時に、たいへん目立つ方で、お名前が、すごく変わっていて、印象に残っていた。その方の尽力により、この同窓会が成功裏に終わったと言っても過言ではない。
感謝あるのみ。
同窓会名簿の出欠の結末と、コメントまで編集された冊子まで用意されていた。
当日の出席者の中には、淡い期待を抱いていた人たちの出席はなかったが、それでもなお、懐かしい面々もいた。
会いたい人には、なかなか会えないもののようだ。
また、様々な理由で、このような会合には、出席したくてもできない人たちもいるだろうし、何十年か昔に、たまたま、駅で出会って、いつか会おうといったまま、反対側の電車に乗ったままの彼は、元気でいるのだろうか?
私は、転勤族の息子でもなかったし、それほど、転居する必要もなかったが、都合6回引っ越している。
一回目の引っ越しは、小学校に入るときだったので、幼稚園時代の友達とは、その後、会うこともなく、彼らも、どこへ引っ越したのか分からない。
生まれてから住んでいた時に通っていた幼稚園と同じ幼稚園に通った女性と出会ったことがあった。場所的には、遊びのテリトリーであったが、年齢の違いから、あのときの彼らの存在は分からずじまいであった。
小学校1.2年生の時の同級生のO君が私を覚えてくれていたことは、幸いなことで、うれしいことであった。
あと、あいかわらずのご様子で、高2の時のI先生が、恩師として出席されておられ、励みとなった。I先生は、女生徒に人気があったし、高2の時の数学の先生であると同時に、すべての生徒にまでは手が回らなかったにせよ、なるべく、平等に接しようと努力されていた。
数学は、答えが一意的に決まっているので、あまり勉強しなくても、そこそこの点数が取れた。そのせいか、褒められたことがある学科となると、数学と理科ぐらいしか思い浮かばない。
ただ、先生というのは、父と同視しうる対象なので、近づきたくない感じがあるのも事実である。