放送大学の「春休み」や「夏休み」は、選ばれた講義が、連続して放送されるので、さっと見たり聞きたいときに便利である。
何分にも、録画したものを通勤の自動車で聞いているので、話の流れでしか記憶していないのだが、この船木亨「現代哲学への挑戦」は、現代思想を概観するのに便利である。講義も、若干早口ではあるが、リズミカルでかえって聞き心地がよい。
いままで聞いた大場登「精神分析とユング心理学」でも、ライヒへの言及はなかった。60年代には、ライヒの書物が、私が言えた立場ではないものの一部はへたくそな訳で出版されていた。ライヒの主張は、フロイトが発見した「性の抑圧」を社会の中で開放すれば、身にまとっていた「性格の鎧」がとれて、真なる自己を生きることができるというものだ。
精神分析でのW.ライヒの位置づけは、社会の改革に結びついたという意味で、フロイト左派と分類される。
私は、今から30数年前、ライヒの「性格分析」を含む、いくつかの著書を読んだ。
社会改良という思想に、何らかの好ましい印象を抱くものには、フロイトの応用としては、ライヒの考えは惹かれるものがあった。
なので、何十年ぶりかで、フロイト、あるいは、精神分析を読み返したものにとって、フロイトの系譜がどうなったかに関心があったが、アカデミックな立場でのライヒの研究者もいないようで、フロイト側からでは、もはや接近しにくい思想、あるいは、後年の研究には、とくに臨床的なアプローチからは符合しないものになってしまったためなのかもしれない。
そんな中で、フランス哲学に造形が深い船木亨先生が、思想史・哲学史の枠組みで、取り上げておられたので、おもしろく感じた。
船木亨先生は、現代は、哲学が混沌としているというか、リードしていく哲学がない点を主として、フランスの現代思想を概観しながら論証していく。
この講義の最初のころ、「うつ病に患者に、がんばれ」ということはいけないことなのだろうかという問いを投げかける。
この「問い」が、どのような思想背景によって提出されたものなのかが、最後まで講義を聴くと分かるようになっている。
ことに、フーコーの「臨床医学の誕生」などを敷衍し、支配するものが、現代においては、変わってしまったことを指摘する点は、フランス現代思想の読み方を端的に示しており、有益である。
フランスの思想については、大学に入ってから興味を持った。ゆえに、ゼミの選択時に、ドイツ語しか取っていなかったために、フランス語が必須のフランス語系のゼミに入れなかった「トラウマ」がある。
ただ、ラカンについては、難解ではあるが、「鏡像段階」の考えに興味を覚えて、何度かトライしてきた。この講座では、ラカンも批判の対象になっているが、言語の行為について考えていくとき、ロラン・バルトのエクリチュールという提言などがさらに有益な批判として思考の足がかりなると思われる。
ともかく、英米と大陸とに分裂してしまった現代の哲学的状況下で、主としてフランス現代思想をまな板にのせて、一連の流れが分かるので、大変有益な講義だと思われる。