南斗屋のブログ

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地方自治体の行う「市民葬」の適法性

2020年07月09日 | 地方自治体と法律
「市民葬」という言葉はわかったようでわからない言葉です。
 千葉市のHPでは、次のような記事があります。
質問:葬儀について、「市民葬」はありますか。
回答:
千葉市斎場での火葬や葬儀につきましては、ご自分ですべて手配されるか、葬祭業者に依頼という方法になり、市で行う「市民葬」という設定はありません。
(葬祭業者の中には、千葉市斎場の式場を利用した「市民葬」や「家族葬」という名称で設定しているものもあります。詳細は、葬祭業者にご確認をお願いします。)
https://www.city.chiba.jp/faq/hokenfukushi/iryoeisei/seikatsueisei/1647.html

 「市民葬」で検索しますと、葬儀業者と思われるサイトで「市民葬」を謳っていますが、どうも市の斎場を利用したものを「市民葬」と言っているようです。

 今回のテーマの市民葬は、このような葬儀業者のいう市民葬ではありません。
 地方自治体が行う葬儀、市が行うのであれば、市葬ともいうべきものですが、これもまた「市民葬」という名前にしているようです。
 さて、このような地方自治体が行う葬儀というものは法律上問題ないのでしょうか。自治体が特定の個人のために葬儀を行うこと、そのために公金を支出することが問題ではないかという疑問も生じます。

 この問題を考える手掛かりとして、和歌山地裁平成13年11月20日判決(判例秘書)という裁判例があります。

(事案の概要)
和歌山県有田市長は、有田市名誉市民条例に基づいて、平成11年6月、A(前市長)を有田市名誉市民に推戴する旨を市議会に提案し、市議会の同意を得て、Aを名誉市民に決定した。
 有田市長は、市議会において、「有田市名誉市民前有田市長故A市民葬」(以下「本件市民葬」)の執行と,これに必要な費用を賄うため補正予算を提案し、市議会は,全会一致をもって可決した。
 本件市民葬は,同年7月6日に挙行された。
 補正予算に基づいて、本件市民葬の経費として支出された金額は合計約780万円であった。

(自治体は葬儀を行えるか)
 同判決は、地方公共団体も葬儀を行うこと自体は可能であるとしています。判示部分を引用します。
「普通地方公共団体は,地方自治の本旨に反しない限り,自然人や私法人等と同様の社会的活動体として,接待や贈答等と同じく,社会通念上相当と認められる範囲内において祝賀,記念行事,顕彰式典等を社交儀礼の範囲内に属する事務として行うことができると解するのが相当であり,葬儀もこれに含まれるというべきである。したがって,地方公共団体は,このような葬儀に対しては適法に公金を支出することができるといわなければならない。」
地方公共団体とはいえ、普通の人間と同様に社会的活動を行うのであって、接待や贈答ということができて当然。実際、祝賀、記念行事、懸賞式典といったものを自治体が行っているけれども、それをおかしいという人はいないですよね。そうだとすれば、葬儀を執り行うということもできることにしてよい。
判決のいう論理はこのようなものでしょう。
この論理は説得力があるので、自治体が葬儀を行うことは何が何でもダメということにはならなさそうです。

(自治体の支出の限界~「社会通念上相当と認められる範囲内」)
しかし、判決はここで一つ重要な枠をはめています。
「社会通念上相当と認められる範囲内において」という言葉です。
つまり、自治体が葬儀を行っても構わないが、それは世間的な常識からみて、まあその程度であれば相当といってよいかなというような範囲で行わなければならない。著しく華美であったりして、支出が常識の範囲外ということである場合は、適法とは言えなくなりますよ、ということになります。

この判決の事案では、前市長の葬儀に対し約780万円が支出されており、これが判決のいう「社会通念上相当と認められる範囲内」なのかどうか、ここが判断のポイントとなってきます。

(適法性を認めた判決のロジック)
結論として、この判決は、前市長の葬儀に対し約780万円が支出されたことは適法であるとしています。
 その理由は次のとおりです。
①本件公金支出の根拠となった補正予算が市議会において全会一致をもって可決された。
②有田市では過去に2度元市長の葬儀が行われており、葬儀費用は昭和56年が545万円余り、昭和62年が749万円余りであった。
③公金からの支出がなかったが、元和歌山県知事の県民葬では1670万円余りの費用が支出されている。
④一般私人の通常の葬儀のために必要とされる費用額の相場
「社会通念上相当」つまりは、常識的に見て妥当かどうかということを問うことになりますので、世間的な相場=前例を考慮するということ自体は妥当といえましょう。
前例としては、過去に2度の元市長の葬儀が行われていて、545万円と749万円であった、後者から比べると今回はほとんど変わりがない金額(780万円)だと。あと、世間相場からする葬儀費用というものがあって、今回の葬儀は前市長だということもあり、実際元県知事の場合は1670万円もの葬儀費用がかかっているではないですか。そうすると、前市長という立場も考慮すれば違法とまではいえない、つまりは適法であるというほかないのではないですか、というのが判決を書いた裁判官の考えではなかろうかと思います。
 裁判官が結構迷ったであろうことは、次の判示からもわかります。
「本件市民葬の経費に充てられた本件公金支出の金額がその当時の社会通念に照らして社交儀礼の範囲を超えて容認することができないほどに不当であるとまで認めることは困難である」
 はっきりと適法であるとは言い切っていないのです。
 「容認することができないほどに不当であるとまで認めることは困難」というのは、ちょっと聞いただけではわかりにくい言葉ですが、まあそれだけに割り切れないような思いを裁判官自身がもったであろうことは想像に難くありません。
 また、次のような判示もあります。
「なお,上記は社会通念という規範的な基準による判断であり,時代の変化に応じて社会通念が変動すれば,これを基準とする判断もまた変わらざるを得ない。とりわけ,地方公共団体の財政悪化もあって,公金支出のあり方等に対して住民から厳しい目が注がれている今日の情勢からすれば,今後の同種事案については,本件と同様の金額が支出されたとしても本件の判断とは異なり,違法との結論が出される可能性は少なからずあるものと考えられる。」
 こういう判示をわざわざするのは、合議体(裁判官3人の判断)の中で支出の違法性を主張する裁判官がいたか、今回は適法としてやむを得ないけれども、適法性としてはギリギリだなと思ったか、いずれにせよ何らかの問題意識があったという風に読めます。
地方公共団体の放漫な葬儀費用への支出について釘を刺したと言ってよいでしょう。

(まとめ)
 以上のように、この裁判例からすると、裁判官の主要な関心は、「社会通念上相当と認められる範囲内」か否か、つまりは公金の支出が常識に則った世間相場的なものかどうかであり、その範囲内であれば自治体が葬儀を行うこと自体は、自治体の裁量の範囲内であるということになるものと考えられます。
 もっとも、世間相場というものは変わりうるものではありますし、葬儀も簡素化している今日の状況からすると、現時点で同じような金額を支出した場合に違法だという判断がでてもおかしくない状況ではあります。

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