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色川三中「家事志」文政10年閏6月下旬

2022年06月30日 | 色川三中
色川三中「家事志」文政10年閏6月下旬

土浦市史史料『家事志 色川三中日記』第一巻をもとに、気になった一部の大意を現代語にしたものです。

1827年閏6月21日(文政10年)
(三中殿は本日日記をお書きになりませんでした。今月16日から風邪を引いて引き籠もっておられるので、体調がお悪いのではとお察し致します。)
#色川三中 #家事志

1827年閏6月22日(文政10年)
雨の降らぬこと30日になる。
#色川三中 #家事志 
(コメント)
長期間雨が降っていないことは間違いなく、異常気象が続いています。しかし、
30日雨が降らないというのは正確ではありません。閏6月3日条には「細雨濛々」、閏6月4日条には「朝雨」と書かれているからです。三中は細かいところにはお構いなしで日記を書いているところがあります。

1827年閏6月23日(文政10年)その1
大工の棟梁藤七のババが死去との連絡があった。この者の親には我が家は世話になった。しかし、一昨年私の父が亡くなったときは、顔も見せぬ仕打ちを受けた。誠に不実である。
#色川三中 #家事志

1827年閏6月23日(文政10年)その2
隣り主人にこのことを相談したら、「先代の功をもって時の定めに従え」という。
隣主人は金二朱・米五升に人一人を遣わすとのことなので、当家は金一朱、米・人は遣わさないとした。
#色川三中 #家事志
(コメント)
関係者の死去。その方の親の代には色川家は世話になっていたのですが、三中の父親が死去したときは何の挨拶もなし。そんな不実な者には何もしなくてよいかと三中も思ったことでしょう。しかし、隣主人と相談して、穏当な道を選んだ三中でした。

1827年閏6月24日(文政10年)
(三中殿は本日日記をお書きになりませんでした。今月16日から風邪を引いて引き籠もっておられるので、体調がお悪いのではとお察し致します。)
#色川三中 #家事志


1827年閏6月25日(文政10年)
(三中殿は昨日に引き続き、本日も日記をお書きになりませんでした。今月16日から風邪を引いて引き籠もっておられるので、体調がお悪いのではとお察し致します。)
#色川三中 #家事志


1827年閏6月26日(文政10年)
(三中殿は昨日に引き続き、本日も日記をお書きになりませんでした。3日連続というのは珍しいことです。明日からは復活されるはずです。)
#色川三中 #家事志


1827年閏6月27日(文政10年)
朝、二軒へお悔やみに行った。
夕方にはそのうち一軒の野辺送りに行く。
この頃人の死ぬることが多い。誠に恐るべき気候である。今日も一人あだし野の露と消え、一人は鳥辺野の山の煙と立ち去りぬ。見る目も哀しく、胸が締め付けられる。
#色川三中 #家事志
(コメント)
ここ3日連続して日記を書かなかった三中。具合が悪かったのもあるのでしょうが、今日は外に出歩けるほどになっていますので、日記をかけなかった理由は具合が悪いだけではなかったのかもしれません。
あだし野、鳥部野の山は徒然草からの引用。亡くなる方が多く、無常を感じる三中でした。

1827年閏6月28日(文政10年)
本日も雨降らず。もう30日以上も雨がない。春には多雨であったので、田の出来は良い。畑の方は少々困った出来となりそうだ。
#色川三中 #家事志
(コメント)
異常気象、感染症の流行になっていますが、稲は豊作のよう。飢饉の心配はないようです。文政期はこの程度で済んだのかもしれませんが、天保期になると大飢饉が発生します。

1827年閏6月29日(文政10年)
先ごろ、鹿嶋御固め御調練軍師荒木様が御役御免となり、大久保要様が御役に着いた。御城内で調練があり、見物しても構わぬとのことで、市が立ったときのような賑わいであった。
#色川三中 #家事志
(コメント)
大久保要は、幕末に活躍する土浦藩士。このとき満28歳で土浦藩調練軍師に任命。この後、天保8年(1837年)藩校郁文館新設に伴い館頭に就任。嘉永3年(1850年)藩主土屋寅直が大坂城代に任命に伴い随従。安政元年(1854年)、ロシア船の大坂来航では折衝に当たっています。

文政10年閏6月に30日はありませんので、 #色川三中 #家事志 はお休みです。

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