将来、何らかの病気で食事が摂れなくなったら、胃ろうを造るかどうか・・・
「胃ろう」を作るかどうか?
現在も訪問看護の利用者さんの家族は悩んでいます。
利用者さんは難病で徐々に嚥下困難となり、日々窒息と隣り合わせの食事をしています。
高次脳機能障害も手伝って、食事に際して注意しなければいけない点もうまくいきません。
先日もつまらせて何度も電話がありました。
飲み込む機能が低下して、「口から食事を摂ることができなくなる」日も、間近です。
本人はその日によって気持ちが変わります。
「口から食べられないのなら管を入れるのは嫌だ」といったり、
「食べられなくなったら仕方ないのかな」といったり。
(すでにお話しができなくなっているので筆談です)。
先日は難病で胃ろうからの栄養を5年近く行っているおうちに奥様をお連れして、
見てもらいました。
奥様は
「食事ができなくなって、栄養も与えないなんてそれは見殺しにするということになるんですよね」
と車の中で話してはいました。
しかしながら、本人が選択しない場合もあります。
食べることは生きることです。食べなければ・・・・・生きられない。
死ぬか生きるかの選択です。自分だけでは選択できないものです。
でも、1人暮らしで親戚もいない人だとしたら、私たちは食べずに衰弱していく人を
見守るしかないのでしょうか。
現在日本で胃ろう栄養を行っているのは40万人で、毎年新たに造設する方が20万人で、
これは世界の国々の中でも類をみない数だそうです。
自分自身だったら胃ろうはしないと思う方は多いのに、自分の家族に関してはそうでないから
普及すると、判断していらっしゃる医師も。
揺れ動く家族の心模様は、月に1-2回程度の診察では、医師ともゆっくり話す時間が足りないようです。
このようなことを倫理委員会で検討することも必要でしょう。
訪問看護が依頼されるときは「胃ろう管理になったのでお願いします」がほとんどなのですが、
このような時期に関わることは大変重要な役割を果たすような気がしました。
最近悩むことが多すぎます。
ほかにもたくさん。利用者さんの数だけ悩みがあり、しかも解決が困難です。
浅間山の山頂でも拝みましょう。