ヴァージニア・ヘンダーソンの『看護の基本となるもの』より
「人間には共通の欲求があると知ることは重要であるが、それらの欲求がふたつとして
同じもののない無限に多様の生活様式によって満たされているということを知らねばならない。
このことは、看護師がいかに賢明でも、また一生懸命努めようとも、
一人ひとりが求めることすべてを完全には理解できないし、その人の充足感に合致するように
要求を満たすこともできない、ということを意味している。
看護師にできるのはただ、看護師自身が考えている意味ではなく、
看護を受ける
その人にとっての意味における健康、
その人にとっての意味における病気からの回復、
その人にとっての意味におけるよき死、
に資するようにその人が行動するのを助けることである。」
昨日の訪問は考えさせられました。
がんの終末期で徐々に動くことが難しくなり、病院へ通うことが困難となってきたこと
人工肛門の処置がうまくできず、家中汚染されてしまうこと
薬がのめていないこと
1人暮らしで身の回りのことがうまくできないことを援助して欲しいということで
訪問看護の依頼がありました。
訪ねてみると、家の中はスリッパをはかなければならない状態でした。
暑い中、こたつのそばに寝転がって、両足をこたつの上にのせています。
人工肛門の排泄物の処理をしましょうと促してみましたが
「昨日やったんだよ。大丈夫だよ。いいんだよ、できるんだから。」
「風呂だって、お湯沸かしてやるんだから。」
「ごはん?食べてるよ。あ、スイカがうまいんだよ。でも血糖あがるからさ。
血糖 測るの持ってないの?看護婦さんなら持ってるんだろ?
いつも測るんだよ。」
少し認知力が低下しているという支援センターからの情報でしたので、
理解が難しい部分もありそうです。
毎日届けられている宅配のお弁当は、全く手をつけていず冷蔵庫の中に
いっぱい入ったままでした。
排泄物で汚染されたままのタオルなどは、洗濯機に入っているようで
臭いもします。
食べ終わったスイカの皮や、バナナの皮をみると、少しは食べているようでした。
困っていることはないと話しています。痛みもないようでした。
「ずっとひとりでやってきたんだから」
介護保険は申請中ですが、保険料滞納だったために3割の自己負担となります。
訪問看護は1割負担で行かれるように、医療保険での訪問としました。
掃除、洗濯などの家事援助で訪問介護に入ってもらいたいけれども
経済的には難しい様子ですし、本人はやってるからと話しています。
人工肛門の袋はパンパンになってきたので、交換したいことを伝えましたが
いいんだよ、昨日交換したばっかりなんだからと。
さて、今後私たち訪問看護師はどうしたらいいか・・・・。
昨日はこの雨で、玄関や今の窓は閉めることができたのか心配でした。