世界でも有名な日本人の建築家。
よく知っている人もいれば、初めてきく名前もあります。
☆妹島 和世+西澤 立衛
☆安藤 忠雄 表参道ヒルズが有名ですが、あとはあまり知らなかったです。
☆丹下 健三 聖マリアカテドラル教会
☆槇 文彦
☆伊東 豊雄
☆石上 純也 1974年生まれの若い人
☆隈 研吾
☆原 広司
☆磯崎 新
☆藤本 壮介
安藤忠雄のことを知りたくて、調べてみました。
瀬戸内リトリートに行きたいですし。
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以下はウィキペディアから抜粋。
大阪府大阪市港区生まれ、同市旭区出身。
双子の兄で、さらに弟がいる三人兄弟である。
双子の弟は東京で北山創造研究所を主宰している北山孝雄。
下の弟は建築家の北山孝二郎(ピーター・アイゼンマンとのコラボレーションで名を馳せた)。
一人娘だった母親の実家を継ぐために、生前からの約束にしたがって
大阪市旭区の祖父母安藤彦一・キクエの養子となる。
大阪の下町にある間口2間、奥行き8間の長屋で育つ。
大阪府立城東工業高等学校卒業後に、前衛的な美術を志向する
具体美術協会に興味を持ち、関わったこともあるが、
大学での専門的な建築教育は受けておらず、関西の建築家・都市計画家の水谷頴介などの
建築設計事務所でのアルバイト経験と独学で建築士試験に合格したという。
木工家具の製作で得た資金を手に、24歳の時から4年間アメリカ、ヨーロッパ、
アフリカ、アジアへ放浪の旅に出る。
ヨーロッパからの帰路、マルセイユで数週間待たされた後、
帰国の船に乗り、象牙海岸、ケープタウン、マダガスカルに立ち寄り、
インド・ムンバイで下船する。
安藤は“何かに導かれるように”汽車に乗り、ベナレスに向かった。
ガンジス川で牛が泳ぎ、死者が荼毘に付される傍らで多くの人々が沐浴するさまや、
強烈な太陽の下、異様な臭気に包まれた果てしなく続く大地、
生と死が渾然一体となり人間の生がむき出しにされた混沌世界に強烈な印象を受け、
逃げ出したい気持ちを必死にこらえながらガンジス川の岸辺に座り込み、
「生きることはどういうことか」を自問し続けた。
「人生というものは所詮どちらに転んでも大した違いはない。
ならば闘って、自分の目指すこと、信じることを貫き通せばいいのだ。
闘いであるからには、いつか必ず敗れるときが来る。
その時は、自然に淘汰されるに任せよう」と考え、ゲリラとしての生き方を決心する。
1965年、24歳のときである。この放浪中に安藤が撮影した写真は、
ルイス・I・カーンの作品集などで使われている。
過去にはプロボクサーでもあった。
高校2年の時にライセンスを取得し6回戦まで行ったが、ファイティング原田の練習風景を見て、
その才能に圧倒され、ボクサーとしてやっていくのを諦めた。
1977年のローズガーデン(神戸市生田区)等初期の作品のいくつかは、
弟の孝雄の所属していた、セツ・モードセミナー出身の浜野安宏が代表を務める
浜野商品研究所(1992年、浜野総合研究所と改名)と共に実現した。
1970年代には個人住宅などの小規模建築、1980年代には商業施設、寺院・教会などの
中小規模の建築の設計が多かった。
1990年代以降は、公共建築、美術館建築、また全国や海外の仕事も増えている。
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チェ・ゲバラに傾倒していた時期もあったとのこと。
こうしたものを読むと、平凡さを感じる今日この頃です。
旅人もいいですね。
写真を見ながら、旅をするのもいいかもしれません。