Potential of aromatherapy

aromatherapy and golf and movie

日曜日なのにゴルフがないなんて

2016年05月29日 | ゴルフ
本当は土曜日にゴルフ場へ行く予定でした。
日曜日はせっかくのいいお天気。

残念でした。

友人と水道橋のアフタヌーンティーで、私はブランチを。
紅茶を飲みながら、しばし歓談。
英語の塾に連れて行って、待っている時間お付き合いしました。

後楽園は、人の行き来が激しかったです。
何かコンサートがあるのでしょうか。

日差しが強い日曜日でした。

クラス会 国立国際医療センター附属看護学校

2016年05月28日 | 看護師の仕事など
看護学校を卒業して33年目。
思えば新宿区民でした。
寮の7階から見えた、東京の景色は、どこかの観覧車でした。
空気が澄み切っていない都会の空は、蒸し暑かったことを思い出します。

授業は国語やら英語、ドイツ語、音楽、体育、看護概論、医学概論
いろんな科目があって、クラスで半分にわかれたり、一緒だったりでした。

体育祭は体育館だったし、文化祭も狭い学校でなにやらとりおこなっていました。
英語の授業で、ストロベリーシーズンを読んだのを覚えています。
青山学院大学の先生が、痛風だったことも。

教務の先生たちの、糊のきいたぱりっとした白衣は、大変清潔なものでした。
今や、あのような白衣を見ることは滅多にありません。

寮生活は楽しく、朝の掃除や、夜のお風呂掃除、トイレ掃除、食堂の掃除など
当番がありました。
お風呂が20時ぐらいまでで、なかなか入れないこともあり、清拭していました。
お湯が満足に出ない日は、水で洗髪したこともあります。

冬は寒すぎて、暖房がきれると布団の中に入っていました。
綿のはいったはんてんを着て、ジャージーでした。
そのはんてんの色で、誰が来ていたのかを少し思い出すことができます。

電話の台数が少なく、かかってくる電話はひとつだけで、電話当番は
館内放送の連続でした。
かけるほうも、2台しかなく、10円玉をもっていって、遠距離電話を
していました。そして、並んでかけたものです。

お部屋は段ボールのテーブル、電気スタンド、本棚、お湯のポット・・・。

さまざまな景色が走馬灯ののように流れ、しばし、めまいがしました。

そういえば3年間、テレビを見るという習慣がありませんでした。
空白の3年間は、どんなテレビ番組だったのか、気になります。
何やら歌謡曲はやっていた気がします。


集まったみんなはほとんど変わっていず、時の流れを感じませんでした。
でも、いろんなことがみんなあるものです。看護学校時代の3年間の
10倍も生きてきたからです。

遠くは青森、岩手、石川、山梨などから新幹線で集まってきて
くれました。

まだまだ胸がいっぱいです。

写真は森鴎外の机です。
そして病院のことをもう一度調べてみました。

国立東京第一病院・国立病院医療センターの起源は1871年(明治4年)に創設された
軍医寮附属の本病院である。
かつては麹町区隼町の2万9千坪の敷地内にあり、東は皇居、西南北に繁華街を抱えていた。
1929年に現在地に移転。現在の病院の敷地は旧徳川家尾張藩下屋敷の一部であり、
陸軍戸山学校の所在地でもあった。
東側には同じ1929年に陸軍軍医学校や牛込恩賜財団済生会病院が移転し、隣接していた。

国立東京第一病院の建物は、それまでの臨時東京第一陸軍病院の建物をそのまま使用した。
初代院長も陸軍病院院長がそのまま就任した。
陸軍軍医学校の敷地には1948年3月に国立栄養研究所が移転し、また、国立身体障害者
更生指導所が設置された。
国立身体障害者更生指導所は1979年7月に国立身体障害者リハビリテーションセンターに
統合され埼玉県所沢市に移転し、跡地には1984年に全国身体障害者総合福祉センター(戸山サンライズ)が建設された。

明治の時代からの歴史はいろんなことがありそうです。


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そして 私の誕生日でした。
忘れられない日となりました。

めだかの成長

2016年05月24日 | 雑記
めだかを事務所で飼っているので、最近はその卵に振り回されています。



透明で、つぶつぶを感じるのがいい卵ですが、
さわるとぐにゃっとつぶれるのは、もう死んでいる卵です。
卵にもカビがはえるので、その始末をしなければなりません。


飲む日焼け止め

2016年05月24日 | 雑記
最近話題になっていて、実際に飲んでいる人もいます。
アメリカのシダ類がはいっているものと、そうでないものがあります。

シダ類が入っているものは2種類。
片方は成分量の記載があるけれども、片方はありません。
日本製と米国製です。

毎日内服するものと、日焼けする30分前から内服するものがあります。
効果を目で見て確認したいものです。
と、誰もが思っているので、実験結果もありました。

飲んで場合と、飲まなかった場合では、腕の発赤が違っていました。
本当かどうかは不明ですが。
ビタミン剤もそれぞれ入っています。

5月は紫外線が多い季節です。
将来のしみやしわが好みでない場合は、ガードしましょう。
紫外線は、しわも深くします。

今日 5月24日は ゴルフ場の日だそうです。
紫外線がたっぷり降り注ぎますね。

一銭にもならない

2016年05月23日 | 看護師の仕事など
がんカフェ通信を毎月発送しているので、切手代がかかります。
切手代は参加者の皆様からの寄付で、まかなっています。
私も書き損じの葉書を切手に交換しています。

さて、古いお金がなにやら高く売れるかもしれないとのことで
たくさん頂きました。

そして業者に連絡してみたのです。

が、何もなりません。
高く売れるなんてとんでもありませんでした。
大正のものもあるのに・・・・・・

100円以上ものは、現代のお金にかえてくれるそうです。
お札もたくさんあります。
銀行に行くしかないようです。




一銭にもならないのでした。

マットレスの考察

2016年05月22日 | 雑記
睡眠時間は長いです。
30年生きていたら、10年まではいきませんが、8年ぐらいはベッドの上です。
人生の後半はもっと、ベッドの上かもしれません。

ですから、マットレスは重要です。

シモンズのマットレスが好きで、ずっと使っています。
ふと、我が家に帰ってきた息子のマットレスが、なんともお粗末なものでした。

私のマットレスも10年たっているので、新調することにしました。
人は毎日コップ一杯ぶんの汗をかきます。

ということは、3650杯ぶんの水をすったということになります。
スプリングのしなやかさもなくなってきます。


で、買い替えます。
シモンズのショールームで買いましたが、カード会社のキャンペーンで20%も
割引になってしまいました。

最初見た値段が30万超えていて、えーーーーーーって思っていたら
フレームも込みの値段でした。
マットレスはこれぐらいですって、おっしゃったのが思いのほか安くて

  「これ下さい」 

って、決めました。そしたら、さらに20%も安くなり、びっくりでした。
そしたら、古いマットレスも無料でひきとりってことになり、嬉しかったです。




プリウスの燃費もよくなってます。

生きていれば

2016年05月20日 | 看護師の仕事など
だんだんと 命の力がないかもしれないと思っている患者さん。
先日救急車で搬送した方も、数日で亡くなりました。

  「家に居たい、入院したくない」

と、話していましたがあまりの苦しさに入院となりました。
呼吸苦を安楽にするのは難しいと思う今日この頃です。
そして、あまりに苦しいときには、その日になくなったり、数日のことが多いだけに
亡くなるために病院へ行っているような気がしています。

もう二度と会えないかもしれない、そう思いながら家をあとにするのでした。
家族でなくても、悲しいことです。

  「また 明日うかがいますね」

と、家をあとにするのです。

最近、お母様を亡くした友人や、義理のお母様を亡くした友人。
いろんなところでいろんな人が誰かと永遠の別れをしているのでした。

生きていれば、必ず会えるのですから、
誰しも体は大事にしておくべきでしょう。


伊藤野枝と平塚らいてう

2016年05月19日 | 雑記
友達と夜な夜なラインでこの2人についてお話し。
そもそもは
伊藤野枝伝の本から派生したのでした。

 『村に火をつけろ 白痴になれ』という本の話をしていたのでした。

それから日陰茶屋事件とか甘粕事件の内容はどうだったのか、話が盛り上がりました。

平塚らいてうは、「若いツバメ」という言葉を世に送り出した女性です。
5月24日が命日です。

らいてうは
【日本の思想家、評論家、作家、フェミニスト、戦前と戦後にわたる女性解放運動家。
戦後は主に反戦・平和運動に参加した。
平塚は、特に、大正から昭和にかけ、婦人参政権等、女性の権利獲得に奔走した
活動家の一人として知られる。
結局、その実現は、第二次世界大戦後、連合国軍の日本における占領政策実施機関GHQ主導による
「日本の戦後改革」を待たざるを得なかった。
しかし、1911年(明治44年)9月、平塚25歳の時、雑誌「青鞜」発刊を祝い、
自らが寄せた文章の表題『元始、女性は太陽であった』は、女性の権利獲得運動を象徴する
言葉の一つとして、永く人々の記憶に残ることとなった】
と記されていました。

やっぱりゲーテの『若きウェルテルの悩み』を読むものです。はずせません。

伊藤野枝は、自由恋愛主義者で、波乱万丈すぎる人生でした。
アナキストだったので、38歳で扼殺されてしまいましたが、それまでは恋愛も
三角関係ならぬ四角関係にもなり、恋人を刺されたり・・・・
そこが葉山にある日陰茶屋。今は日影茶屋です。
殺されたけれども、その前には肋骨が折れるほどの暴行も受けていたことが
50年以上たってから、明らかになっていました。

野絵の恋人の大杉栄は「ファーブル昆虫記」を訳すほどのフランス語が堪能でした。
100年前にダーウィンの「種の起源」も翻訳しているのです。

こういう人たちって、普通の人じゃないんですねと思ったのでした。
現代に生きていたら、何を話して、何を書いているのでしょう。






失うものは何か

2016年05月18日 | 看護師の仕事など
43歳のアルコール依存でウェルニッケ脳症で、ベッド上生活の女性の
訪問看護の依頼があった。

22歳、20歳、高校生、中学生の4人の子供がいて、22歳の子供は結婚して
別世帯。20歳の長女は、1歳半の双子を育てるシングルマザー。

7人家族で、アパート暮らし。
訪問看護の内容は、膀胱留置カテーテルの管理と、状態観察。
家族が、お母さんが具合が悪く意識障害があることに気づかなかったから。
アルコール依存があるから、飲んでばかりだったのかもしれない。

お父さんが一人で働いて、家計を支えているよう。
奥様の医療費、子供たちの教育費・・・・
生活の様子が目に浮かぶ。

膀胱留置カテーテルのトラブルは、けっこうある。
感染、管の閉塞、自然抜去など。
女性のカテーテルは、看護師も挿入できるので対応が必要となる。

寝たきりで、運動の失調もあり、入浴はできなさそう。

これ以上失うものって、あるのかと考えた。

お父さんというかご主人、一生懸命働いてる。
一日中働いてる。

少しぐらいは、自分の時間がありますように。



5月病って本当にあるようだ。