工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

ローマで撮られたある写真のこと、その後

2023年04月04日 | ジオラマあれこれ
 前回の「ローマで撮られた写真」ですが、あの話には続きがあります。フィクションですがご笑覧ください。
「・・・私は手紙を元にローマ市内の住所をたどってみた。ローマっ子は生き馬の目を抜くというか、他の街にはない空気感、人の気質があり、東京で生まれ育った私であっても、空港や駅についた瞬間から自分の中でテンションを一段上げないと、丁々発止のローマっ子とのやりとりについていけなくなる。手紙の住所の近くにバールがあり、近所の人たちのたまり場になっていた。ちょっと緊張しながらバールに入り、主人にこの住所とこの名前の住人が今も住んでいるか尋ねてみた。地元っ子の視線が私に注がれる。『ああ、この近くだよ。これ、あの婆さんの若いころの写真かい?』近所の人たちに案内されるようにその家の前に向かうと、自分の国で見たような服を着た、でも顔かたちはイタリア人の女の子がいた。『アレッサンドラ、あんたのひいおばあちゃんにお客さんだよ』こうして私は80年後の写真の女性に出会うことになった・・・」

ランボルギーニ・アヴェンタドールをバックにたたずむのは、ウクライナ・マスターボックス1/35のおなじみのキット「かわいいファッションリーダー ミナミとマイ」です。

(この箱絵、どうみても秋〇原のビ〇クカメラのあたりから見た図だよな。っていうかこのブログを書いている時点の自分の職場と激近なんですけど。画面だと右奥にイエローサ〇マリンの入ったビルがあって、左奥が秋〇原の駅の方で・・・。ちなみにメイド喫茶の客引きはいてもこういうファッションの子は見かけません)

 どちらがミナミでどちらがマイかは分かりませんが、女の子の一体を組んで、箱裏を参考にファレホなどで塗りました。日本人としては少々スタイルが良すぎということもあって、シャドウや目の色で西洋人になっていただきました。ひ孫は日本にあこがれる女の子のようです。
 ジオラマは市販のケースにタミヤの石畳のシートを切り出して貼り、前回と同様、薄手のスタイロフォームで壁としてアクリルガッシュで彩色しました。
 掲示板のポスターは実際にローマと近郊で使われているものをネットから持ってきました。「SPQR」の文字がありますが、実際にこんな感じで掲示が出ています。左側の公共施設の案内表示も実物のそれに近づけるようにしました。自作デカールで場所の名前などを入れてあります。
 バックの自動車ですが、アヴェンタドールはアオシマの「楽プラ」の1/32です。

 以前他の車種を組んだことがありますが、彩色済みのスナップキットとしてよくできています。そうは言っても玩具っぽさを消したかったのでボディはタミヤのキャンディライムグリーンを吹き付けました(色の細かい霧もなぜかいつも以上にベランダに降り注いだけど)。シャシーや室内はセミグロスブラックに、プラ製のタイヤはタイヤブラックで筆塗りしました。ホイールについてもシールを貼る指定になっていましたが塗装にしています。以前BBCの人気番組「トップギア」でもやっていましたが、実際にランボルギーニをローマで「路駐」するとなると、後ろも見えないので大変な苦労を伴いそうです。
 もっとも、ランボルギーニに限らず、この自動車も来ています。

 現行のフィアット500、前回のトポリーノのまさしくひ孫みたいなものです。ブラーゴ1/32のミニカーです。

「・・・私はマリアというおばあさんに、手紙のことなどを話すと、とても懐かしそうに当時のことを話してくれた・・・。そしてひ孫のアレッサンドラはこれから『マンガ・フェスタ』という日本関連のイベントに行くらしかった。日本が大好きでいつか日本に行きたい、と願い『私はミナミよ』と日本人の名前を家族の前では名乗るほどらしかった。このおばあさんが年の割にはと言っては失礼だが、頭脳明晰で言葉もはっきりしているし、江戸っ子だった私の祖母をどこか感じさせた・・・」

 ちなみに今回の内容はすべてフィクションですが、前回のヴェネツィアのコインショップの話で日本の手紙を翻訳したというのは本当です。現地の映像や写真を見るたび、イタリア帰りたい(だから帰るって言うなよ)の気持ちは高鳴るばかりです。

 

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ローマで撮られたある写真のこと

2023年04月01日 | ジオラマあれこれ
 私がイタリアをよく訪れていたときのこと、ヴェネツィアのコインや切手を扱うショップで、訪れるたびに古代~中世のコインを買っていたことがありました。旅行のお小遣いで買えるものですから、高価なものなど買えませんが、自分にとっては「宝物」になったものがいくつもあります。訪れるうちに店主に顔を覚えてもらうようになり、あるときなどは店主が仕入れた手紙の束の中に明治~昭和初期にかけての日本のはがきが入っていて、辞書を引きつつ、店主に手紙の中身を教えたものでした。そんな手紙の中に、戦前のイタリアで撮られたと思われる一枚の写真がありました。
 自動車をバックに女の子が映っています。店主は「これはイタリア少女団の女の子だね。ローマに住んでいるこの子の父親が、トスカーナにいる親族に送った手紙みたいだな」と教えてくれました。消印を見ると第二次大戦前夜のようです。ローマの住所を確かめて、ある年の春にその場所を訪ねたところ・・・
 
 と、恒例のエイプリルフールネタでございます。1/35の人形や自動車で戦前のローマの街角を再現したというものです。女の子はオーロラモデルの「イタリア少女団」というホワイトメタル製のフィギュアです。よくできています。イタリア少女団はファシズム政権の中核をなすファシスト党の下部組織的な役割を担っており、ドイツにおけるヒトラーユーゲントやドイツ女子同盟のような位置づけ、と言えば分かりやすいでしょうか。幼児から各年代ごとに「雌狼の子供団」、「イタリア少女団」、「バリッラ団」といった名称がつけられていました。「雌狼の子供団」、どうみても幼稚園のお遊戯にしか見えません。
 イタリア少女団の制服は白と黒が基調ですので、かえって塗装も難しく、ハイライトや影を上手につけないと、作例のように下手なものになってしまいます(汗)。

 自動車ですが、タミヤ1/35のシムカ5です。もともとこの車、イタリアのフィアット・トポリーノをベースとしていて、フランスでも生産されていました。キットはフランスでドイツ軍のスタッフカーとして使われていた仕様ですので、フィアット・トポリーノとはサイドのステップの有無、シートの形状など異なるところもあります。もし、正調トポリーノとして組みたければそれなりの改造を施すか、ブロンコモデルから出ているかなり精密で(その分高価な)キットを探す必要があります。このように多少異なるところはありますが今回は目をつぶり、ストレートに組んでMr.カラーの英軍用迷彩色として発売されている「エイザーブルー」と黒の塗り分けとしました。グリーンスタッフワールドの中世をテーマにした紋章のデカールから、百合の花のマークを切り出し、アクセントとして車体に貼りました。
 100均のケースにタミヤの石畳のシートを貼り、壁は薄手のスタイロフォームにアクリルガッシュで彩色しました。掲示板の「SPQR」の文字は以前もトラムのジオラマで書きましたが、ローマ市の掲示板につきものの表記で「ローマ市民及び元老院諸君」の略です。なお、戦前から「SPQR」を使っていたのかは定かではありません。こちらはグリーンスタッフワールドのローマネタを扱ったデカールに「SPQR」の文字があり、迷わず使いました。ポスターは1938年頃のもの、としてネットに出ていた画像を使いました。
 壁には通りの名前がついており、プラ板を切り出して自作デカールを貼りました。「VIA FRAMINIA」とは「フラミニア街道」といい、建設にあたった古代ローマの執政官の名前を冠してつけられています。こうした執政官の名前を持つ街道というのはアッピア街道を筆頭に何本も整備され、アスファルトに舗装された今日でも「執政官街道」として機能しています。フラミニア街道だと、ローマ市内ではかなり大きな通りになりますので車をバックに写真というのは難しそうです。

 

  

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シチューの季節

2021年11月02日 | ジオラマあれこれ
 こんなタイトルを書くとハ〇ス食品かと思われてしまいますね。朝晩が次第に冷え込んでまいりましたので温かいものが恋しい季節です。模型の世界では戦場のつかの間の休み、温かい食事にありついてほっとしているといったジオラマもあります。
 タミヤ1/35ミリタリーミニチュアシリーズでは、第二次大戦ドイツ軍の食を支えたフィールドキッチンがラインナップされています。フィールドキッチンセット(35103)と、野戦炊事セット(35247)がそれにあたりますが、今回は後者の方を作ってみました。

 シチューを煮炊きできる大きな鍋や、コーヒーなどを沸かせる鍋などがついたキッチン部分と前車が入っており、さらに炊事を担当する兵士2体、食事にありつこうとする兵士2体が入っているほか、パン、チーズ、リンゴといった小物も豊富です。
 キットはストレートに組んだだけなので、特段ディテールアップや一部素材を金属に置き換えたりといったこともしていません。ただし、フィールドキッチン部分のキットは1978年登場で寄る年波というものもあってか、さすがにパーティングラインなとが目立つところもありますので、丁寧に処理してあげましょう。
 フィールドキッチンそのものはちょっと年季が入った状態にしたかったので、やや退色したジャーマングレーにしました。Mr.カラー515番の「ジャーマングレー「グラウ」(退色時)」というものです。こちらをベースに塗り、ファレホなどの塗料でハイライトやウェザリングをしました。逆にミルク缶の一つは新品ということで退色していないジャーマングレーにしています。


 鍋の蓋は開くようになっており、鍋も再現されていますので、当然中身も欲しくなります。ドイツ軍の食事と言えばグラーシュと呼ばれるトマトのシチューです。グーラッシュとか、グヤーシュなど、国によって呼び名は違いますが、中欧、東欧でよく食されているシチューです。写真では分かりづらいですがエポキシパテでシチューを作り、具材はランナーをニッパーでランダムに切り、パテに差し込むようにして野菜などがゴロゴロしている様子を作りました。コーヒーの鍋の蓋まで中途半端に開いていますがご愛敬ということで。
 人形も基本的にストレートに作り、ファレホなどで塗っています。なんか実にいい表情ですね。緩みきった感じが戦場というよりは「ドイツ軍に昼が来た」という感じです。
 


 ストレートに組みました、ということでしたが、タミヤのドイツ国防軍は食料の補給がかなり充実しており、パン、果物、チーズなどを置くところがありません。今回の付加工作ではありますが、1/35のテーブルのキットにパンやリンゴを、ドラム缶の上にプラ板でまな板にしたものなどを置き、その上にもチーズやパンを置きました。なお、パンのパーツについてはファレホのオフホワイトで塗り、乾いたら薄茶色を塗り重ねることでパンの質感を出すようにしました。リンゴについてもクリーム色で地色を作り、その上からそれぞれの色を塗っています。また、前車を支えるためドラム缶を倒して前車のバーを渡してあります。

 地面はタミヤの情景テクスチャーペイントを使っています。設定が平地ですし、手軽に地面を再現できるので気に入っています。ところどころ「ミニネイチャー」の草を貼っています。
 
 母親が食に関わる仕事をしていたせいなのか、私がただ単に食べることが好きなせいなのか、食べるということや料理を作るつくることが昔から身近にあり、私も週末には台所に立つことが多いです。その中でグラーシュを作ったこともあります。モデルアートで「パンツァーグラフ」という増刊が出ていたことがあり、2006年春号で戦場の料理が第二特集として組まれていました。

軍装などのコレクターでもある「シュタイナー」氏が当時のレシピを元にグラーシュを作っています。模型雑誌に料理の作り方の記事というのはかなり珍しいと思いますが、料理の初心者でも理解しやすいよう、かなり細かく紹介されています。

この通り作ると時間も相当かかりますし、入手がちょっと難しいスパイス類もありましたので、そこは適宜妥協しながら作ったのがこちらです。

グラーシュは私もウィーンで食べたことがあります。グラーシュの専門店、というお店で食べました。中欧、東欧では国民食みたいなものなのでしょうか。レシピはドイツ軍のものにこだわらなければネットで様々なものが公開されています。次のお休みの日に、皆様もいかがですか。
 実はこのジオラマ、今年の3月頃に作っていたのですが、完成したころにはだいぶ暖かくなって、季節感も薄れたなあということでご紹介が遅くなりました。ちょうどその頃、深緑野分さんの「戦場のコックたち」という小説を読んでいて、こちらは米軍の空挺師団に所属するコックたちが主人公ですが、プラモデルと小説で戦場の「食」に思いをはせておりました。ちなみに現代のドイツ連邦軍でも個人戦闘用糧食にグラーシュは入っていて、戦場カメラマンの宮嶋茂樹氏が実食したところでは携行食とは言っても侮りがたい味、だそうです。
 食後はこちらもどうぞ。日本にも入ってきているカフェイン入りチョコレート、ショカコーラです。

左がビター、右がミルクです。放射状の線の入ったデザインは第二次大戦中も同じでした(当時は国家鷲章が入っていたようですが)。私が買ったビターの方はタミヤが輸入元でした。

 私自身、1/35というと日本軍の戦車を作ったりしたこともありましたが、大砲のついたものよりもソフトスキンと呼ばれるものを作る傾向にあります。いつかは勇ましいドイツ兵とか、「コンバット」の世界そのままにGIたちを再現したいと思うのですが・・・。もっとも、馬に牽かれたフィールドキッチンもストックにあるので、こちらも忘れずに作りたいところです。手綱や馬具を細いプラ板で作るのと、馬を塗るのに二の足を踏み続けて幾星霜となっているのですが、まだまだどこかの戦場で、兵士たちが「シチューの大砲」を待っていることでしょう。




 
 

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待合室の種明かし

2020年09月30日 | ジオラマあれこれ
 朝晩が涼しくなり、だいぶ過ごしやすい季節になりました。私もこの季節が大好きです。さて、前々回のブログでモノクロ仕上げにした待合室の写真を掲載しましたが、あのジオラマの種明かしをいたしましょう。
 こういう状況下で書きたい、と思った記事で、さらにあの記事に合わせたジオラマを作りたいと思って作ったものであります。いつものようにNゲージやHOゲージサイズの人形では伝えたいものが伝わらないと思い、1/35でジオラマを作ってみようと思いました。ただし、あまりお金は使わず、手元にある素材や材料を使っての工作となりました。
 全景はこんな感じです。

 キオスクがある小さな待合室の風景を切り取りました。ジオラマの土台は100均で売っているディスプレイケースです。床面は津川洋行のNewデザインプラスチックペーパー・石積80を使用しています。壁面は5mm厚のスチレンボードを使っています。リキテックスのモデリングペーストを塗って表面を壁っぽくしていますが、少しオーバーな表現でした。壁同士の接着ですが、爪楊枝を刺して接着面を補強しています。
 主役の人形ですが、中国のmeng modelというメーカーのイスラエル軍戦車クルーというキットから連れてきました。


 箱絵のとおり戦闘中ではなくて休憩中の兵士の姿をモデル化しています。以前別のジオラマを製作した時に使わなかったパーツから今回の座る男のフィギュアができました。胸ポケットをエポキシパテで追加し、服も適宜削ったりしながら民間人に化けてもらったわけですが、服と頭の大きさがややアンバランスな感があります。もともとこんな上着(薄手のものでしたが)を私が10代後半の頃よく着ており、そのイメージです。ハイライトやシャドウをことさら強調する人形の仕上げ方は決して好きな方ではないのですが、やはり写真にすると効果があります。足元の荷物はタミヤの連合軍車輛アクセサリーセットに入っていたダッフルバッグを元に、ジッパーや肩かけのストラップを追加しました。ストラップはカーモデル用のシートベルトから作りました。バッグの色ですが「リトルアーモリーカラー」のステンレスシルバーを使ってみました。ちょっと粗い感じのある色です。私が10代から20代にかけて、こういう色のバッグを使っていたのです。

 ベンチの上のペットボトルは人形のキットに入っていたものです。ラベルの部分を適当な色で塗っています。
 ベンチはコバアニ模型工房のものを使いました。紙製キットですが接着して組みあがるとしっかりとしたものになります。枠の部分はファレホのブロンズグリーンで、座面、背面の木部は同じくマホガニーで塗りました。
 奥のポスターは昭和63年夏の青春18きっぷのものです。モデルは和久井映見さんだそうですね。

 こちらもプラ板、プラ材を中心に組んでいます。こういったポスターですが、フェルトの布を張った面に画鋲で止めていることが多いので、緑のラシャ紙でフェルトの布っぽさを出しています。画鋲はコトブキヤやWAVEなどから発売されている1mm程度のリベットなどのパーツです。実際の大きさに換算するとオーバースケールになりますが、あえて目立たせています。ポスターの上の「JRからのお知らせ」なのですが、もともとは「国鉄からのお知らせ」とあったところに民営化に合わせて「JR」と紙で上から貼ったという設定です。民営化からしばらくはこういう光景をよく見かけました。モデルでも「国鉄からのお知らせ」という自作デカールを貼った上から紙で「JR」と印刷したものを貼っています。
 ポスターの横は自販機です。こちらはカプセルトイの「ザ・ミニチュア自販機コレクション」を使用しました。カプセルに収めるためか丈も低いですし、サンプルのドリンクの数も実際にはもっと多いでしょう。よりリアルさを求めるようでしたらハセガワから休憩中の工事現場の作業員のフィギュアと一緒に自販機がモデル化されていますので、最近の自販機を再現するなら好適と思います。横のごみ箱ですが、macone modelというメーカーのレジンキットです。化粧板のオレンジの部分は朱色1号に塗りました。

 なお、自販機についてはそのまま接着するのではなく、底面の四隅に1mm程度の厚さのプラ材で足をつけています。実物でも四隅に台がついていて、ボルトで自販機と固定されていたり、地震で転倒しないような機構がついている場合もあります。
 キオスク側の説明にまいりましょう。本来、キオスクはホーム上でも待合室上でも独立した店構えで、前方、左右両面に向かって開き、スペースを稼いでいますが、こちらは壁についているような感じです。もともと立ち食いそばやにするか迷ったのですが、やはり駅の風景と一目で分かるようにするためには誰もが知っている売店の方が、となりました。ロゴなどはネットから落としたものをデカールにして貼っています。シャッターは建築模型のプラ材から、左の業務用の扉はプラ板で作り、枠はプラ材を切り出しています。営業時間は7:00~20:30となっており、閉店時間はこの駅に一番遅い時間に停車する特急の時刻に合わせています。シャッターや扉にはプラ材でドアノブ、鍵穴などをつけています。

 もともと売り場面積がそれほど広くないのか、ポスターの下に什器を置いて商品を並べたりしているようです。産直市の貼り紙がある什器はコバアニ模型工房のシェルフを組み立てたものです。ビールケースはだいぶ前に量販店で買ったノーブランド品です。キオスクの扉の前の足元に段ボール箱がありますが、こちらはベルギーのマソモデル(MATHO MODEL)の製品を組み立てました。印刷された紙を切り出して様々な箱を組むことができるのですが、いかんせん薄い紙ですので、下にケント紙をのりづけして、それを切り出してから組みました。この荷物、おそらく閉店後に届いたものなのでしょう。
 柱時計はスチレンボードを丸く切り出し、1/48のドラム缶の蓋を文字盤にして、その上にマソモデルから発売されているデカールを貼りました。デカールが乾いてからエナメルのクリアーを塗ってガラスっぽさを出しています。

 最後に壁面や看板などに軽くウェザリングをかけました。ファレホのクリームや薄緑系の色をごくごく薄く溶き、筆塗りしています。
 駆け足ではありましたが、以上が待合室の説明でございます。ジオラマの主人公ですが、写真を見た方から「何か訳アリの人が夜汽車に乗ろうとしているイメージ」というコメントをいただいておりますが、私のイメージとしてはこんな感じです。
 
 「夏のある日、私は友人たちと東北地方のローカル線や私鉄をめぐり、弘前で解散となった。そこからは各自、好きなところに行くのである。私は日本海側を南下して旅を続けていた。今夜は夜行に乗って次の土地へ向かう。8月の終わりともなるとこのあたりはだいぶ涼しく、夜は上着を羽織ることにした。時刻表でしか見たことがなかった小さな町に、列車を待つという理由でありながら数時間滞在するというのは、なんとも不思議な感じである。いまは23時を回っている。そろそろ列車が入線する時刻だ。荷物をまとめて、改札に向かうとしよう。」

 この待合室のモデル、他にも場所や時代を超えて作ってみたいものがあります。そのときはまた、皆様にお目にかけるとしましょう。

(本稿については10月2日に一部加筆しています。また、掲載できていない写真がありましたので、追加しております。あらためてご覧いただければ幸いです)

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