工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

2機のF-104J その1

2024年04月29日 | 飛行機・飛行機の模型
 久々に飛行機のキットの話です。冬の間に作った飛行機の中に、ハセガワ1/72のF-104Jがありました。平成初期のリリースで今となってはベテランキットですが、1/72では入手のしやすさ、価格、ディティール等でベストかと思われます。ストックがあったのと、以前作ったことがある機体ながらちょっと気に入らなかったところがあった関係で、もう一度作ってみようとなったのが、今回ご紹介する2機のF-104Jです。
 まずは銀色のこちら。第203飛行隊所属機です。203飛行隊は北海道・千歳基地の所属で、F-15Jに改編されてからも、201飛行隊とともに千歳基地にあり、北方の守りを担っています。

キットはストレートに組んだだけで、特別な付加工作もしていません。胴体が前後と左右で分割されてますので、そこをきれいに接合するのと、銀色は塗装の時に下地の傷が目立ちますので、サーフェーサー吹きをきちんと行い、あらかじめ傷を消しておくことが注意点でしょうか。
コクピットや計器盤はかなり細かくモールドされています。これを初めて見たときは1/72のキットの進化にいたく感動したものです。塗装でもデカールでもいいのですが、私は塗装で再現しました(完成後は見えなくなってしまいますが、それはそれとして)。

塗装ですが、銀色ということで、私はMr.カラーの航空自衛隊機アルミナイズドオールドタイマーカラー(名前が長いな)のアルミナイズドシルバーを吹きました。これは文字通り、航空自衛隊機のオールドタイマー(F86FやF104Jなど)の銀塗装を再現するためのカラーで、最近のMr.カラーの8番の銀色と違い、輝きが抑えられています。光の当たり方によってはこんにふうにグレー色のようになります。

キットにはパイロットフィギュアはありませんが、他のキットからコンバートしたパイロットをコクピットに座らせました。

宇宙服のようなヘルメットですが、これは高高度飛行訓練用のものです。この部分のみエポキシパテで作っています。高高度飛行訓練はF104J、F4EJ等でおこなわれており、60,000フィート以上の高空に進出し、敵を迎撃するためのものでした。ヘルメットだけでなく、専用の与圧服も着用していたそうです。ちなみに与圧服はそれぞれのパイロットの体型に合わせたオーダーメイドだったとか。航空自衛隊のパイロットとして活躍し、退官後にアクロバット飛行でも知られた"ROCK"岩﨑貴弘氏(故人)によれば、年に一回は必ず行う必要がある訓練で、高高度まで上がると空の色も違っていたそうです。こうした訓練はミサイルの性能向上などで不要となったそうですが、生粋のインターセプターである「マルヨン」ことF-104Jを象徴しているように感じ、この姿としました。
航空自衛隊のF104Jといえば、胴体後部の無塗装部分が特徴的で、これをどう表現するかというのも、モデラーの腕の見せ所でもあります。だいぶ古い資料ではありますが、モデルアート2000年10月号特集におおくらとしお氏が詳細な説明をされており、それを参考にしています。なお、垂直尾翼直下のクロームシルバーの部分はMr.カラーのスーパークロームシルバー2を吹きつけました。

塗り分けはなかなか難しく、私の腕ではこんなところです。
以前も203飛行隊のF104Jを作ったことがあるのですが、その時はクロームシルバー部分を塗ってから磨きだすタイプの塗料を使っており、磨きだしが上手にできなかったことなどもあり、今回再チャレンジ、となりました。ただ塗るだけですから今回の方が手軽です(輝きの方は少し足りなかったかも)。ちなみに1/144で再現する際はアルミテープや糊つきアルミ箔などを使っています。
第203飛行隊はF-15Jに改編された後も千歳基地にありますが、尾翼の部隊マークが変わっていないというのも特徴的です。こうしたマークは機種改編時に変わることが多く、しかもF-104Jの場合は垂直尾翼いっぱいにどの部隊もさまざまなマークを描いておりましたのでF15Jの小さな日の丸のサイズに合わせるとなると、マークも変更せざるをえなかったのでしょう。しかし第203飛行隊の場合、赤で数字の2と3を、そしてそれに挟まれた形で白と黒で熊(パンダではありません)を描いたマークは変えることなく、今に至っています。


(昔のパッチ(ワッペン)も個性的なものが多いです。こちらは復刻されたものを買っています)

さて、せっかくですので浜松広報館にある実機の写真から、細部部分をお目にかけましょう。古いものもありますが、マーキングの参考にしていただければ幸いです。ライトグレー塗装の機体ですが、無塗装部分などはそのままになっています。

コクピットは一部テープで保護、補強があります。

コクピット後方、Mr.カラー44番で塗装指示がある部分です(笑)。





機首からインテークにかけて。真横から撮っていますのでマーキングの参考にしていただければ




尾部の無塗装部分です。

参考文献 世界の傑作機№104 ロッキードF-104J/DJ "栄光" こちらにはさきのロック岩﨑氏が演習でF-104Jで米軍のF-15を「撃墜」した顛末が書かれており、興味深く読みました。 
モデルアート2000年10月号 こちらはハセガワ1/48でF-104がリリースされたのに合わせて特集が組まれました。





 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祝 キット化50年

2024年01月31日 | 飛行機・飛行機の模型
 ごぶさたしておりました。実は1月は本業がなかなか忙しく、今日、ようやく解放されたところでして、やっとパソコンに向かう余裕ができたというところです。
 このところ飛行機の話題が雑誌の休刊だとか航空祭の中止といった湿っぽい話ばかりでしたので、今日はちょっとだけ明るい話をしましょう。
 モデルアート増刊の「飛行機模型スペシャル」の最新号が、1/72のF-15キット化50年という特集を組んでいます。F15は1972年に初飛行しましたが、その2年後にはハセガワがまだ試作段階の機体をもとに1/72でキット化しており、これが世界初の1/72のイーグルのキットだったそうです。もちろん、アメリカ本国もモノグラム、レベルといったメーカーからキットが発売されます。やがて実機が改良を重ねるのに合わせてキットも進化し、他メーカーの参入などもあり、今ではファインモールドのキットが最新版として君臨しております。余談ですがこの時代のハセガワさんは試作機段階の機体も積極的にリリース、F16もデモ塗装をしたYF16でした。

 今号もファインモールドのキットの紹介という面もあるのですが、歴代のキットをまんべんなくチョイスしており、できるかぎり「当時モノ」も集めております。河野嘉之氏によるキットや実機の解説、秋山いさみ氏によるちょっと昔のF15Jをファインモールドのキットから再現する記事など、私にはどストライクの記事が並びます。個人的に「忘却の彼方」にあったのが今はなきイタリア・エッシーのキットで、繊細な凹モールドだったのですが、同時期にハセガワも新版のキットを出したため、影が薄くなってしまいました。エッシーのキット、金型が日本製という噂があるのですが、聞いたところではあの時代のフジミとエッシーは日本の同じ木型師が木型を作り、金型は今もあのプラモデルでかなり有名なところが手掛けていたんじゃないかと思います。それはさておき、風防のボリュームが抑えられた、独特の解釈のF15を見ることができて収穫でした。
 モデルアートにとっても1/72のF15は特筆すべき記事がその昔に載りました。70年代後半からモデルアートの飛行機関連のライターとして活躍された故・黒須吉人氏のデビューが1976年3月号で、レベル製F15のレビューでした。「新人」としてはページ数を費やし、レドーム内のレーダー、コクピット後方の電子部品などを自作した力作でした。
 F15の実機は米国、サウジアラビア、イスラエル、日本と導入国が限定されてはいますが、国情に合わせたサブタイプも多く生まれており、本来制空戦闘機だったF15に戦闘爆撃機としての能力を付与したストライクイーグルなどはその最たる例でしょう。初飛行から50年が経っても、まだ進化があるのでは、と思います。それだけ名機なのでしょうが、それだけに今後もさまざまなキットが生まれるのではと思います。
 私も1/72のF15は10代の頃からお世話になりました。ハセガワの凸モールドのキットから組みました。エアブラシもなかったので、特徴ある迷彩も筆塗りでした。202飛行隊の武人埴輪のマークの色が薄いとか、いろいろ思い出深いです。その後はハセガワの新版が「決定版」だったものですから、このキットばかり組みました。
 その中でも一番目立つのがこちら。第305飛行隊が航空自衛隊50周年の時に施したスペシャルマーキングです。梅の花を大胆にあしらった塗装が特徴です。50周年塗装の中でも相当なインパクトでした。通常の塗装を覆うようなマーキングですので、通常の迷彩塗装も迷彩が残っている箇所をきれいに塗り、その上から塗料、デカールを駆使して再現しました。ハセガワからこのマーキングの機体もキット化されましたが、私はサードパーティーのデカールを使いながら仕上げています。ちょうど2月に入るところですので、この機体で梅のお花見はいかがでしょうか。








 それにしてもこの特集の前号は「ヨーロピアン・ジェットファイターの系譜」でしたので、2号続けて魅力的な特集で「おれがこういうのに弱いの、どうして知っているんだ」という気分です。


  



 
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入間基地航空祭が中止になって・・・

2024年01月19日 | 飛行機・飛行機の模型

令和5年度の入間基地航空祭は、1月20日に開催される予定でしたが、自衛隊が能登半島の地震の対応等に当たっていることから中止となりました。地震の状況を鑑みればやむなしというところでしょう。被害の状況をメディアで見る限りでは、かなり甚大な様子がうかがえます。
そもそも11月に開催されることが多い入間の航空祭ですが、5年度は航空観閲式を11月に入間基地で実施した関係で一般公開の方は1月になりました。1月開催というのは今までなかったのではないかと思いますし、冬の入間基地ってどうなのか、という期待とそして雪などの天候面の不安もあったのですが、結局中止となりました。
令和4年度は抽選で選ばれた人のみでしたし、その前の2年間はコロナ禍で開催されていませんので、私も随分ご無沙汰となっています。
開催を記念してこんなパッチ(ワッペン)も用意されていました。普段は開催記念くらいでは購入しませんが、デザインと、そして売り上げの一部が赤十字を通して能登半島地震の被災者のために寄付されるということで購入しました。

入間と言えばC-1が並ぶ光景が当たり前でしたが、退役が進んでいます。そして大きい方は配備が進むC-2です。迎春の文字も今年だけの特別感がありますね。

入間基地が中止になったから、というわけでもないのですが、家族で西武線に乗ってちょっと遠出を、ということで先日秩父まで行ってきました。昨年9月に続いてにはなりますが、家人が「冬枯れた武蔵野を車窓から眺めたい」ということで、各駅停車を使いながら秩父を目指しました。家人が前回の秩父行きでラビューもさることながらボックスシートの4000系を気に入ったというのもあるのですが・・・。
秩父はさすがに寒いですし、前回と同じようなところを見て回り、食べてとなりました。駅に併設して特産品も売られており、地元産のシイタケ、唐辛子、ニンニクを買いました。この組み合わせで「アヒージョ作ろう」となりまして、小エビも調達して次の日の夜でしたが、作って食べました。シイタケの味がしみて殊のほか美味しかったです。
さて、秩父で買ったお土産がもう一つ。

タバコと思いきや「チャバコ」と書いてあります。そう、この中にはスティックタイプの狭山茶が入っています。いろいろな車輌などのデザインがあるようで、これは西武の110年記念ということで、西武鉄道モハ151形(旧西武鉄道モハ550形)が箱の写真に使われております。いわゆる「川造型」ですかね。裏は村山貯水池の写真です。

注意書きもタバコのそれをもじったものです。この「ちゃばこ」ではなくても西武鉄道の歴史への興味は高いのですが(笑)。

さて、今日の結びは飛行機に戻りまして、入間基地に因んだこんなジオラマを。

何年か前に作りました1/72のT-33(製品はプラッツ、部隊マークのみハセガワ)と牽引車(ハセガワ)を使ったジオラマで、本名名義で浜松広報館のプラモデルコンテストに出品したものです。
入間基地と言えば飛行点検隊という空自唯一の部隊があることでも有名です。当時の浜松広報館の方が以前入間基地にいらしたということで「入間基地にT-33のこんな風景の写真があった」と言われて、驚いたことを覚えています。基地の施設内にあった写真なので、当然部外者の私は見ることができませんので、飛行機と隊員と車輌を自分なりにアレンジしたジオラマだったのですが・・・。

そしてT-33というと独特に折れ曲がった搭乗用のラダー(はしご)でして、何度も失敗を繰り返して、プラ材を曲げながら作りました。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さよならの、青い空

2023年11月05日 | 飛行機・飛行機の模型
 現存する最古の航空雑誌だった「航空情報」誌が10月発売の12月号を以て休刊となりました。実に72年にわたって続いてきた月刊誌で、2014年に版元が酣燈社からせきれい社に移管された経緯もありましたが、963号で幕を閉じることになりました。正直なところ、ああ、とうとうこの日が来たかという感想であり、雑誌が売れない中、よくぞここまで持ちこたえたという感があります。

 私が飛行機に興味を持った10代の頃は、航空情報、航空ファン、航空ジャーナル、エアワールドといった雑誌が本屋さんに並んでいました。その頃は航空情報が比較的お堅い感じで、航空ファンは写真中心できれいなカラーページを売りにしていたように思います。すべて買うこともできませんから、興味がある記事が出ている雑誌を、お小遣いの範囲で買うという感じでした。90年代以降くらいに航空ファン誌が次第にさまざまなジャンルの記事を載せるようになったのと裏腹に、航空情報は残念ながら情報量も寂しくなっていった感があり、近年は航空ファン誌をときどき買っている状況が続いていました。航空情報はおそらくは官公署や企業などの定期購読によって支えられていたのではないかと思いますが、価格もそこそこしていましたし、部外で、しかも読者とは到底言い難い私が言う筋合いではありませんが、いろいろな要因もあっての休刊だったのでしょう。
 昔から自衛隊の同乗取材の記事も出ていましたが、最終号でも海上自衛隊第61航空隊の同乗取材による硫黄島などへの「定期便」の特集が目を引きました。昔から資料性の高い写真や記述が出ていることがあり、以前何回かに分けて書いたバンパイア練習機の記事や、昭和30年代の自衛隊機の記事などは参考になるものが多く、おそらく今後も本稿でご紹介する機会があるでしょう。これまでこの雑誌に関わった方々への感謝の想いも込めて、最終号を読みました。

 もう一つ、お別れとなった空の話題です。アメリカ・ネバダ州リノで1964年から毎年開催されてきた「リノ・エアレース」が今年で幕を閉じました。このエアレースというのは以前日本で開催されていたスピードとアクロバティックな動きを加味したものとは異なり、飛行場の周囲にいくつか立てたパイロン(塔)を周回する、スピードを追求するレースでした。さまざまなクラス(T-6練習機だけ、とか最近ではヴィンテージのジェット機のクラスもあります)のレースが行われる中、花形は「アンリミテッドクラス」と呼ばれるレシプロ機改造無制限のクラスで、戦後民間に払い下げられたP-51ムスタングやF-8ベアキャット、シーフュリーに時には魔改造と呼べるくらいの大改造を施し、時速700キロ超えは当たり前、みたいなレースをしていました。米国内ではいくつかこうしたレースが行われていますが、リノのそれは特に規模が大きいことで知られ「ナショナル・チャンピオンシップ」と銘打っているほどです。思い出したようにテレビのドキュメンタリーで採り上げられたりもしていますので、ご覧になった方もいらっしゃるでしょう。
 閉幕の理由ですが、会場となっているリノの街が近年拡大し、レースが開催される空港の近くにも住宅街や倉庫、物流センターができるようになって、レースを行う環境ではなくなってきたと航空ファン誌が伝えています。もともとは砂漠と荒野の中にある地方都市で、かつてはゴールドラッシュで、近年ではラスベガスほどではないにしてもカジノなどで知られる街となっていました。第二次大戦機が武装を外されたとは言ってもあるものは昔のままの姿で、あるものはアメリカらしいカラフルな塗装に変えた姿で現役バリバリで飛んでいて、それがものすごいスピードを出して飛ぶ姿は、写真でも十分魅力的でした。特に「航空ジャーナル」誌の編集長だった中村浩美氏がP-51を魔改造したRB-51「レッドバロン」やリノ・エアレースのことなどを書いた本を出版されており、10代の私にとってはいつか見てみたい場所、ことの一つになりました。上記のこともあって「航空ジャーナル」誌はもちろんのこと「航空ファン」誌でも写真と記事が載っており、10代の頃は一か月遅れの10月発売の航空雑誌を楽しみにしておりました。10代の頃だったか、自分でもハセガワ1/72のP-51のキットをちょっと改造して好きな色に塗った架空のレーサー仕様を作ったものです。やがて自分の中の興味がアメリカ的なものから欧州的なものに変化し(英語力は一向に上がらない中で)、9月にリノに行きたい、という思いも少しずつ弱くなっていきました。
最後のリノ・エアレースですが、最終日にT-6のクラスで事故があった関係で、レーススケジュールがキャンセルされ、アンリミテッドクラスの決勝もキャンセルされ、消化不良の残る最後のリノとなったそうです。リノではできなくなりましたが、他の都市が招致の意向を持っており、2025年にはどこかで復活できるのではということなので、楽しみに待ちたいと思います。

(模型誌・モデルアートでも1979年5月号増刊で1978年大会の取材とキットの製作・改造記事が載っていました。人気の機体のデカールも入った豪華版です)



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下田信夫さんの作品集・つづき

2023年09月08日 | 飛行機・飛行機の模型
 味わいのある、それでいて対象物を細密に描き分けるイラストが人気の下田信夫さんは、亡くなった後も作品集が各種出版されております。大日本絵画からは「航空縮尺イラストグラフィティ」と題した作品集が刊行されていますが、この夏に4冊目の「エトセトラ編 2」が発売されました。

 本書の前半では成田にあります航空科学博物館が収蔵するライト兄弟からエアバスA320に至る約100年の航空史を飾った機体のイラストをすべて紹介しています。航空黎明期の機体はともすれば興味の対象から外れてしまうのですが、改めてイラストで見て、それぞれの機体の特徴を見つけたりしています。これらのイラスト、常設展示らしいので、成田は少々遠いですが行ってみたいですね。
 本書の私のお目当ては雑誌「レプリカ」の表紙イラストです。もともとこの雑誌、1985年にTACエディションという版元から発行されており、モデルアートのライターだった野中寿雄さんが編集されていたかと記憶しています。1986年から1992年の休刊までの39冊を下田信夫さんが手がけられたそうです。正直、当時は同誌の熱心な読者では無かったものですから、今回作品を拝見して、こういうのもあったのか、という新たな発見もありました。同誌は飛行機の記事だけでなく、車、艦艇、ホワイトメタルのヒストリック系フィギュア、さらには粘土か何かを型に押し当てて作る紅鮭に至るまで、幅広い模型を対象にしていました。
 表紙についても飛行機だけでなく自動車もあればAFVもあり、またヒストリックということでギリシャ・ローマの兵士から戦国時代の日本、ナポレオン時代の騎兵に至る古今東西の騎兵や兵士のイラスト、そしてブームを反映してかF1マシンのものもありました。イラストで再現された1990年フランスGP、レイトンハウスのマシンがフェラーリのプロストを従えて走るシーンなどは新鮮な印象を受けます。飛行機の印象の強い「Nobさん」ですが、F1マシン、スポーツカーと自動車についても特徴を捉えていて、改めてその才能には敬意をいだいております。
 なお、本書では一部のモノクロ画について、遺族の承諾のもと、イラストレーターの和田隆良氏がコンピューター上で「着彩」したイラストも掲載され、こちらももともと色がついたイラストと変わらない出来栄えで、本書に文字通り大きな彩りを添えています。
 航空史にまつわる記事も面白く、見て、読んで面白いという文章を書ける人がうらやましい限りです。私などはどちらも中途半端ですが・・・。 
 また、下田信夫さんは国産の航空機がお気に入りだったのか、本書でも戦後も含めて国産の機体が多く登場します。前述の成田の展示にはYS11、MU-2、FA200、C-1といった戦後の国産機が富士山をバックに飛ぶ絵も遺されています。また、T-1から始まった戦後国産ジェット機の解説などもあります。私が下田信夫さんのイラストが好きなのは、私自身が国産機が好きというのもあるかと思います。
 本書掲載作品も、他ではもう見られない、絶版になったものもありますので、あの頃に戻りたい、新鮮な感動として受け止めたい、と願う飛行機好きの方にお勧めします。私も寝る前に眺めながら、大空に思いをはせております。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする