工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

伝説のマシンが駆け抜けた日々

2020年04月19日 | 自動車、モータースポーツ
 先日、スターリング・モス卿の話を当ブログで掲載しましたが、F1の公式サイト(英語)でもモスの名レースを写真で振り返る特集をしています。前回ご紹介したミッレ・ミリアも含めて掲載されておりました。文献やら映像を見ているうちにあの時代のマシン、モスのレースについてもう少し書きたくなりました。
 前回掲載したメルセデス300SLRですが、せっかくなのでミニチャンプスのミニカーの写真をもう少し載せましょう。
 300SLRは当時のメルセデスのF1マシンW196を元に作られています。W196は「葉巻型」のマシンだけでなく、スポーツカーのような車体のマシンもあり、F1にも出走しています。車輪がむき出しでなくてもこの時代は出走が可能でした。

サイドビューです

独特な形のリアエンド

コクピット。一人乗りのマシンとしても使用でき、その時には助手席にカバーをしました。

 この300SLRですが、ミッレ・ミリアの栄光だけでなく、悲劇にも見舞われています。1955年のル・マン24時間レースにこの車を駆って出場したピエール・ルヴェというドライバーが他車と接触した後に観客席に飛び込むというアクシデントに見舞われ、ルヴェ自身と観客80人以上が死亡するというモータースポーツ史上最悪の惨事となりました。当時の映像を見たことがありますが、これだけの事故が起きながら、レースはそのまま進行していたことが驚きでした。今ならその場でレースそのものが打ち切られるでしょう。この惨事が元でル・マンのあるフランスの隣国、スイスではモータースポーツそのものに規制が加えられ、現在に至っているなど、大きな影響を与える出来事となりました。メルセデスはこの年を最後にモータースポーツから撤退、したがってF1からも撤退しています。この惨事がなく、F1への参戦が続いていたらメルセデスのF1でも活躍していたモスはチャンピオンを獲得して、無冠の帝王を返上していたかもしれません。
 300SLRはプラモデルでもフジミ、ドイツレベルから1/24で発売されています。内容は同じキットです。実車同様鋼管スペースフレームの構造が再現されていて、その上にエンジン、ボディを組むようになっていました。私も組んだことがありましたが、なかなか手ごわいキットで、メルセデスのメカニックのように美しく組み上げることはかなわず、人様にお見せできる代物ではありません。あしからず。
 さて、モスとそのレースについてももう少し触れたいと思います。前回、モスのインタビューの言葉として長距離、長時間のレースを得意していた、というのを紹介しましたが、それだけでなく市街地や一般道を使用したコースで強さを発揮していたように思えます。例えばイタリアのペスカーラのような一周の長さが25kmもあるコース(これはドイツのニュルブルクリンクの旧コースよりも長く、F1史上最長です)で優勝したほか、モロッコ・カサブランカのアイン・ディアブサーキット(こちらも一般道を使用していました)で一度だけ行われたモロッコGP(北アフリカでも戦前にはイタリア領のリビアでレースが行われるなど、モータースポーツの土壌はありました)で優勝しています。ペスカーラのコースは断崖の道が続いたり、とてもF1とは思えないコースであり、イタリアGPとは別に「ペスカーラGP」として開催されましたが、F1での開催は一度きりでした。ポルトガルのポルトやモロッコ、ペスカーラなど、一度きりの開催に終わったクセのあるコースで優勝しているというのは野球に例えると悪球打ちと言いますか、こんなところにモスの真骨頂を見る思いがします。また、モナコGPでも優勝経験がある、と前回書きましたが、1961年の優勝の際には、ドライバーの冷却のためマシンのサイドパネルの一部を外して出走しています。ドライバーが丸見えなわけで、横から衝突されたら大変なことになりますが、今よりも長い100周を走り切っています。現代のF1でも市街地コースは復活傾向にあり、アゼルバイジャンのバクーやシンガポールなど、特徴的なコースもありますが、安全面では昔に比べてはるかに配慮が行き届いたものとなっています。
 モスとフェラーリの関係については前回も少し触れましたが、キャリアの後半でフェラーリをドライブする機会が訪れようとした矢先に引退の原因となったクラッシュに遭い、結局叶いませんでした。シャークノーズと言われたフェラーリ156が用意されていたと聞きます。

(モデルはQuartzo1/43製)
 ちなみにセナもフェラーリをドライブしたいという意向は持っていたものの、それ以前にセナとホンダの相思相愛の関係があったこと、フェラーリが1990年代前半に低迷したこともあって、結局叶いませんでした。フェラーリの創業者エンツォ・フェラーリは勇敢で恐れ知らず、劣勢でもあきらめないドライバーを愛していましたので、モスには強い興味を示していたと思いますが・・・。
 今回の執筆に際しては、前回までの書籍に加え「激走!F1」(文春文庫ビジュアル版)も参考にしています。これは1950年から90年までのF1レースのうち、歴史に残る30のレースをセレクトし、解説したものです。編者の好みなのか、モスが優勝したレースが4つ選ばれています。
 それから、1955年をもってモータースポーツから撤退したメルセデスですが、本格的に「復帰」したのは1980年代の終わり頃でした。当初はグループCカーと言われるシリーズなどに参加しましたが、若手の育成のために何人かの有望選手が所属していました。それがミハエル・シューマッハ、カール・ヴェンドリンガー、ハインツ・ハラルド・フレンツェンらで、彼らは後にF1で活躍することになります。F1についても当初はザウバーチームに「CONCEPT BY MERCEDES-BENZ」と漆黒の車体に標記して関与することとなり、やがてエンジンサプライヤーとして、そして今日ではコンストラクターとして参戦し、最強の地位を築いております。


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