工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

「待つ」ということ

2020年09月22日 | 日記
 私のブログもおかげさまで丸2年が経ちました。この1年は公私ともに忘れることができないことがあり、世の中も思いもよらない事態に見舞われています。こういう状況ですが、これからも皆様の模型工作の合間の息抜きに、テレビや現地での自動車レース観戦の合間に、私のブログを読んでいただけたら幸いです。また「このブログに出ている作例より上手なものをいっちょ作ってみるか」という方や私の記事をヒントにしていただくのも歓迎です。
 さて、この週末、フランスでル・マン24時間レースが開催され、トヨタに乗る中嶋一貴選手組の8号車が優勝を飾りました。トヨタと中嶋選手、三連覇ということでおめでとうございます。F1のウイリアムズ・トヨタ時代のイメージがあって若いと思っていましたが、35歳ということで父君がF1にいたときの年齢になっていたのですね。もう一人のトヨタのエース、小林可夢偉選手はトラブルもあって3位ということで、ル・マンではなかなか勝利の女神が微笑んでくれないようです。フランスでは夏至の時期に行われるル・マンと7月の風物詩である自転車レースの「ツール・ド・フランス」を9月の同じ時期に開催しており、今年を象徴しているかのようです。さすがに9月のレースとなるとル・マンも昼の時間が短くなるためいつもより暗い時間帯の走行が多かった感があります。

 少々枕が長くなりましたが、今日は旅にまつわる話です。高校、大学と鉄道研究会に籍を置いていたものですから、私も日本各地をずいぶんと旅行しました。高校までは「青春18きっぷ」を、大学、さらには社会人になってからは周遊券やフリーきっぷを使って北海道から九州までという感じで鉄道旅行を楽しみました。仲間と一緒だったり、単独行動だったりさまざまでしたが、あの頃出会った風景や列車、駅の様子は忘れられないものばかりです。特に学生のときはお金はなくとも時間だけはたくさんありましたから、鈍行を乗り継いだり、夜行の普通列車、夜行急行などのお世話になったものです。
 どんなにプランを上手に立てても接続が悪い路線もありますし、夜行列車の発車時刻の関係もあって、駅で2時間待ち、3時間待ちということもありました。昼間は観光あるいはローカル線の乗りつぶし、はたまた地方私鉄の撮影を済ませて、あとは夜行に乗って一夜の宿代わり、という経験をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。
 まだ昭和の終わりから平成になろうとしていたころ、大きな駅では長距離に対応した黄色や青色の公衆電話がずらりと並び、その上には国内主要都市への主な通話料金が入った地図がかかっていました。今ならメール一通、あるいはラインで済むでしょうが、夜行列車が入線する前に小銭の残りを気にしつつ、実家に無事を知らせる電話をしたものです。全国でテレホンカードが使えるのは、もう少し後でした。大きな駅なら人の往来を見る余裕もありますが、小さな駅で夜汽車を一人で待つというのはやはり寂しくなるというか居心地がなんとなく悪くなり、待合室が室温より低く感じられたものです。
 列車を待つ間は文庫本を開いたり、時刻表でまだ見ぬ土地への旅の想像をふくらませたり、ウォークマンで音楽を聴いたりといったことから、土地勘のある同行者と街でご飯を食べたり、駅前の商店で買い物したり、列車が入ってこない無人のホームを友人と全力疾走したり(相当おバカですね)、今思えば相当恥ずかしいこともしていたように思います。また、今でこそ都会的なフュージョン好きな顔をしていますが、高校から大学にかけてサイモンとガーファンクルにはまった時期があり、彼らの歌を聴きながら旅をする自分、に酔っておりました。みうらじゅん氏言うところの「青春ノイローゼ」だったわけです。列車を待ちながら聴くのは「スカボロー・フェア」、「早く家に帰りたい」(本当は帰りたいなんて気持ちは微塵もないけど)や「アメリカ」だったりしまして・・・。

 社会に出てしばらくして、海外に出かけるようになりますと、汽車旅でも時間に余裕を持ちたくて早く駅に入って待つことが習慣になっています。荷物を盗まれないようにとか、とかく用心深くなりますが、待合室で旅の日記をつけたりするのも悪くないものです。待合室にディーゼル特急の大型模型があったローマ・テルミニ、小腹を満たすために買ったカフェオレとパン・オ・ショコラが美味しかったパリなど、お国柄が出ていました。空の旅では飛行機の乗り継ぎや出発にだいぶ待ち時間が生じたりする経験をしています。緊張しながら自分が乗る便のゲートで待つことも多いのですが、明け方のパリで乗り継ぎのために無人のターミナルを延々と歩き、日本人がいるとお互い心強くなって一緒に目的のターミナルまで歩き、旅の無事を祈ってそれぞれの目的地のゲートに向かったこともありました。また、パリでは夜が明けてようやく開いた売店で買ったクロワッサンがことのほか美味しかったのも思い出です。夜、帰りの乗り継ぎ便を待つ間、英字誌を買って苦手な英語で時間をつぶしたこともあります。給油で降りたモスクワの空港もいろんな意味で忘れがたいな。一度機外に出て再搭乗までは待つというほどではなかったけど、あの数十分でロシアという国の一端を垣間見た感じたがしたなあ。仕事で訪れた東南アジアでは売店の様相が日本や欧州と全く違っていて、怪しげなお土産物屋があったり、コーヒースタンドのコーヒーが期待していた以上の味だったり、それもまた、それぞれの国や地域を特色づけているように感じています。

 今ではなかなか旅に出ることもかなわず、ましてや海外に自由に行けるのはいつの日だろうか、という状況です。あの「待つ」という時間すら今ではいとおしく思うほどです。
 でも、この日々が次の旅の列車や飛行機に乗るためのちょっと長い待ち時間と思って過ごせば、などとも思うのです。そう、夜のとばりが降りた待合室で夜汽車を待っていたあの日のように。



 
 
 


 

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