月刊誌「東京人」がこの4月号でシティ・ポップを特集しています。シティ・ポップというのは定義が難しいのですが、1970年代に洋楽の影響を受けながら、都会的で洗練された音楽を指す言葉として使われているようです。「はっぴいえんど」をルーツとし、「シュガー・ベイブ」をはじめとして1970年代から80年代にかけて流行った都会的なポップスということになりましょう。アーティストの名前を挙げるとキリがありませんが、この特集でさまざまな立場のリスナーが挙げた「My Best」の顔ぶれを見れば、大瀧詠一、荒井由実、山下達郎、竹内まりや、吉田美奈子といったあたりが共通して入っていますので、皆さんもお分かりいただけるかと思います。また、いわゆる「アイドル」系の人たちでも、作詞・作曲にシティ・ポップ系の人物が関わっていれば「アイドル歌謡」ではなくなるわけで、明確な定義が難しい、というのはそういうところにあります。
この特集では、シティ・ポップのまさに当事者である松本隆や松任谷正隆へのインタビューをはじめ、レコード会社の担当者の回想、名曲の録音の舞台となったスタジオ「音響ハウス」の関係者のインタビューなど、この時代の音楽の当事者、ファンなどさまざまな立場の方が語っているわけですが、ことに近年、シティ・ポップは海外での評価が高く、その中でも台湾などのアジア諸国で影響を受けているアーティストが多いという記事も興味深く読みました。海外での評価という話は、NHK-BSの「COOL JAPAN」という番組でだいぶ前に取り上げられ「へえ、意外なものに興味を持つもんだねえ」と思ったものですが、インターネットを経由してこうした楽曲に触れたり、時には来日して中古のレコードを買ってというファンもいるようですから(今は難しいでしょうが)、日本語のちょっと昔のポップス(そもそも「はっぴいえんど」と言えば「日本語ロック論争」の当事者でもあるわけで)が海外に受け入れられているというのは、面白い時代になったものだという感があります。
1970年代、80年代のポップスということですので、同時代として体験した曲もありますが、私よりもう少し上の世代の方が時を同じくして体験された方ということになりましょう。テレビの歌番組には出ない人もいましたし、私の中ではなじみのある人もいれば、そうでない人もいます。あの時代ですと「洋楽しか聞かない(邦楽は認めない)」という人や、逆に「邦楽しか聞かない」という人もいましたので、その中でのシティ・ポップ(そもそも当時はそういう言葉はあまり聞かなかったように思います)の占める位置は決して普遍的、絶対的ではなかったとは思いますが、名曲とその作り手、歌い手はずっと高い評価を受けております。
私も大人になってから、シティ・ポップの歌手の一人、南佳孝のライブに何度か出かけたことがあります。毎年暮れに六本木のスィートベイジルでライブがあり、没落独身貴族だった私は「一人忘年会」を楽しんでおりました。お客さんはほとんど私より一回り上の方たちでして「今日は私よりお兄さん、お姉さんたちが主役の日でしょう」とばかりに私は後ろの方のカウンター席に腰かけて美味しいお酒をいただき、大人になるのも悪くないなあ、などとカッコつけておりました。また、2000年代の初めに数回行われたフェス「クロスオーバー・ジャパン」では鈴木茂や井上鑑が出演し、私なぞは「わあ、伝説の人だあ」と舞い上がったことを覚えています。
本ブログでさんざん書いておりますが、私自身は歌のないインストゥルメンタル・ポップをよく聴いております。1980年代初頭のザ・スクエア(現T-SQUARE)のアルバムにも都会的な曲が並び、また一部の曲にはボーカルも入っていますので、やはりこの時代の影響があったのでしょう。ちなみに「東京人」の特集の中で、アルバムのアートワークの好例として紹介されているユーミンの「パール・ピアス」の「真珠のピアス」という曲は、ユーミン本人の弁によると「安藤君(スクエアのリーダー)のストーカー的ファンのエピソードをもとに書いた」そうです(T-SQUARE25th ANNIVERSARY リットーミュージックより)。スクエアもこの時代にユーミンのバックバンドを務めたり、ユーミンから楽曲提供を受けていますので、シティ・ポップの関係者、と言えそうです。ユーミンに関しては個人的な感想ですが、バブル期以前の方が好きな楽曲が多く、そういう意味では私も「シティ・ポップ」のフォロワー、ということになりましょうか。
「東京人」の特集に戻りますと、シティ・ポップのアーティストの相関図というのもあって、これも面白いのですが「山下達郎のプロデュースを受けた鈴木雅之の名前がないぞ」とか「都会のポップの源流をたどれば服部メロディーまで行きつくんじゃないか」といった声も聞こえてきそうです。定義が難しい、というのはまさにそこであり、都市(特に東京)が常に変転し、膨張していく中で、都市生活者から愛され、共感を得ているポップスをシティ・ポップと呼ぶのかもしれませんね。
さて、このブログが乗り物をメインにしているため、乗り物のことも書きたいところですが、シティ・ポップに似合う電車というと、東急8500系を思い浮かべてしまうのです。爆音電車などと今では言われているようですが、つりかけモーターの私鉄電車や国電の101系、103系のヘビーな走行音を知っている世代としては、どこが爆音なの、という気がします。あの時代(特に1970年代後半から80年代)、ステンレスの車体に赤い帯は、都会の垢ぬけたおしゃれな存在そのものでした。
南佳孝さんのアルバム「SMILE YES」のジャケットと本人のサイン。ライブの後で「とっても楽しかったです」と、実に単純な感想を申し上げながらジャケットを差し出すと「僕もその言葉が一番嬉しい」という言葉とサインをいただきました。ありがとうございます。
この特集では、シティ・ポップのまさに当事者である松本隆や松任谷正隆へのインタビューをはじめ、レコード会社の担当者の回想、名曲の録音の舞台となったスタジオ「音響ハウス」の関係者のインタビューなど、この時代の音楽の当事者、ファンなどさまざまな立場の方が語っているわけですが、ことに近年、シティ・ポップは海外での評価が高く、その中でも台湾などのアジア諸国で影響を受けているアーティストが多いという記事も興味深く読みました。海外での評価という話は、NHK-BSの「COOL JAPAN」という番組でだいぶ前に取り上げられ「へえ、意外なものに興味を持つもんだねえ」と思ったものですが、インターネットを経由してこうした楽曲に触れたり、時には来日して中古のレコードを買ってというファンもいるようですから(今は難しいでしょうが)、日本語のちょっと昔のポップス(そもそも「はっぴいえんど」と言えば「日本語ロック論争」の当事者でもあるわけで)が海外に受け入れられているというのは、面白い時代になったものだという感があります。
1970年代、80年代のポップスということですので、同時代として体験した曲もありますが、私よりもう少し上の世代の方が時を同じくして体験された方ということになりましょう。テレビの歌番組には出ない人もいましたし、私の中ではなじみのある人もいれば、そうでない人もいます。あの時代ですと「洋楽しか聞かない(邦楽は認めない)」という人や、逆に「邦楽しか聞かない」という人もいましたので、その中でのシティ・ポップ(そもそも当時はそういう言葉はあまり聞かなかったように思います)の占める位置は決して普遍的、絶対的ではなかったとは思いますが、名曲とその作り手、歌い手はずっと高い評価を受けております。
私も大人になってから、シティ・ポップの歌手の一人、南佳孝のライブに何度か出かけたことがあります。毎年暮れに六本木のスィートベイジルでライブがあり、没落独身貴族だった私は「一人忘年会」を楽しんでおりました。お客さんはほとんど私より一回り上の方たちでして「今日は私よりお兄さん、お姉さんたちが主役の日でしょう」とばかりに私は後ろの方のカウンター席に腰かけて美味しいお酒をいただき、大人になるのも悪くないなあ、などとカッコつけておりました。また、2000年代の初めに数回行われたフェス「クロスオーバー・ジャパン」では鈴木茂や井上鑑が出演し、私なぞは「わあ、伝説の人だあ」と舞い上がったことを覚えています。
本ブログでさんざん書いておりますが、私自身は歌のないインストゥルメンタル・ポップをよく聴いております。1980年代初頭のザ・スクエア(現T-SQUARE)のアルバムにも都会的な曲が並び、また一部の曲にはボーカルも入っていますので、やはりこの時代の影響があったのでしょう。ちなみに「東京人」の特集の中で、アルバムのアートワークの好例として紹介されているユーミンの「パール・ピアス」の「真珠のピアス」という曲は、ユーミン本人の弁によると「安藤君(スクエアのリーダー)のストーカー的ファンのエピソードをもとに書いた」そうです(T-SQUARE25th ANNIVERSARY リットーミュージックより)。スクエアもこの時代にユーミンのバックバンドを務めたり、ユーミンから楽曲提供を受けていますので、シティ・ポップの関係者、と言えそうです。ユーミンに関しては個人的な感想ですが、バブル期以前の方が好きな楽曲が多く、そういう意味では私も「シティ・ポップ」のフォロワー、ということになりましょうか。
「東京人」の特集に戻りますと、シティ・ポップのアーティストの相関図というのもあって、これも面白いのですが「山下達郎のプロデュースを受けた鈴木雅之の名前がないぞ」とか「都会のポップの源流をたどれば服部メロディーまで行きつくんじゃないか」といった声も聞こえてきそうです。定義が難しい、というのはまさにそこであり、都市(特に東京)が常に変転し、膨張していく中で、都市生活者から愛され、共感を得ているポップスをシティ・ポップと呼ぶのかもしれませんね。
さて、このブログが乗り物をメインにしているため、乗り物のことも書きたいところですが、シティ・ポップに似合う電車というと、東急8500系を思い浮かべてしまうのです。爆音電車などと今では言われているようですが、つりかけモーターの私鉄電車や国電の101系、103系のヘビーな走行音を知っている世代としては、どこが爆音なの、という気がします。あの時代(特に1970年代後半から80年代)、ステンレスの車体に赤い帯は、都会の垢ぬけたおしゃれな存在そのものでした。
南佳孝さんのアルバム「SMILE YES」のジャケットと本人のサイン。ライブの後で「とっても楽しかったです」と、実に単純な感想を申し上げながらジャケットを差し出すと「僕もその言葉が一番嬉しい」という言葉とサインをいただきました。ありがとうございます。