実物、模型双方で橘花のことを書いてまいりましたが、今回でひとまず区切りとしたいと思います。他の記事でもそうですが、アマチュアの趣味の延長で書いてあるものとはいえ、基本的にネットの情報を引用せず、自分で文献を当たり、その上で書いております。自分なりに調べて書いた来た中で、説明が中途半端になってしまったもの、確証が持てなかった内容などはぼかして書かざるを得ないものもありました。今回はなるべくそれも含めて触れてみたいと思います。
1 遣独潜水艦作戦で持ち帰ろうとしたもの
遣独潜水艦作戦ではシンガホールまで潜水艦で資料等を運搬し、巌谷英一技術中佐が空路で持ち帰れるものを携えて帰国したことで、貴重な技術資料(の一部ですが)がもたらされたわけですが、潜水艦の積み荷についてはBMW003エンジンの現物が含まれていたとする資料がある一方、エンジンの現物については触れられていない資料もあり、確証が持てなかったのでエンジンの現物を積んで日本に向かった、とは書きませんでした。伊29潜水艦については、艦載機を格納するスペースもありますので、それなりの大きさのものを積んで帰ることは可能だったかと思います。
もし、エンジンの現物を積んで日本まで帰ることができていれば、お手本が手元にあるわけですからネ-20エンジンの開発も早く進んだことでしょうし、実戦配備は無理としても橘花の生産や試験飛行がもう少し進んでいたかもしれません。また、陸軍の火龍もモックアップと言わず、試作機くらいは完成していた可能性があります。
先の大戦については資源の枯渇や物量の差で敗れた、という見方もありますが、大戦後期に空襲や大地震といった災害などで生産設備が打撃を受けたというのも大きいかと思います。橘花の生産も養蚕農家を使って行われた、といったエピソードやその他の試作機についても大変な環境で作られた話を読むと、橘花がもっと早く初飛行したとしても戦局に影響を与えるほどの量産は厳しかったのではないかと思います。
2 燃料として使用される予定だった松根油について
松根油というのは松の切り株を乾溜させて、松の木の油脂分を抽出して作る油で、燃料事情の悪化でジェットエンジンの燃料として期待されていたものでした。地上の乗り物(自動車や鉄道のガソリンカー)では木炭ガスによる代用燃料がありましたが、ガソリン(特にオクタン価の高いレシプロエンジン用)が貴重になるなか、レシプロエンジンほど燃料の質にこだわらなくて済むジェットエンジンと松根油に期待がかかったのも当然の流れでしょう。
しかし、松根油を製造するために樹齢がそれなりにある松の木を大量に切り倒すなど、今日の目で見れば「何をやっているんだろうか」となるでしょう。厳しい戦局で必要に迫られて作った燃料であり、手放しで「バイオ燃料」などとは言えないものがあります。戦争に限らず切羽詰まってしまうと人間というのは傍から見ると「それっておかしくないか?」ということでも、疑問も抱かず、時には集団で突き進んでしまうように思います。
ネ-20に関しては松根油の中でも重質分を使用することが求められており、通常の揮発性の燃料または松根原油に重質分を50%程度混ぜるとされていました。初飛行や二回目の飛行で松根油がどれくらいの分量で使わていたかは定かではありません。アメリカに接収されたネ-20エンジンについては分析が行われたものの、松根油が混ぜてあったかとどうかまでは分かっておりません。いずれにしても松根油は時間の経過とともに粘り気が出て燃料フィルターを詰まらせるなど、「代用燃料」であることには変わりはなく、いいことずくめではなかったようです。
3 ネ-20エンジンの里帰りについて
米国の大学からネ-20が一時里帰りしたのち、ネ-20開発で中心的な役割を果たし、戦後は石川島播磨重工業に勤務された永野治氏が声を上げたことで永久無償貸与という形で日本で保存・展示できるようになった、という資料をみかけますが、前々回記載しましたが米国でネ-20エンジンを「発掘」した舟津良行氏が大学側と調整を行って、日本での恒久展示ができるようになった、とする資料もあります。
さて、橘花に関わった人たちの多くが、戦後の産業界で活躍することとなります。そんな中でネ-20エンジンで中心的な役割だった永野治氏と橘花を初飛行に導いた高岡迪氏は、再びジェット機に関わることになります。この話はいずれまたお話したいと思います。
参考文献・「橘花 日本初のジェットエンジン・ネ20の技術検証」石澤和彦著 三樹書房 ネ20とそこに至るまでの海軍のジェットエンジン開発史、各部品に関する技術的な検証、同時代の各国のジェットエンジン開発についても詳述されており、参考になります。
「「秋水」と日本陸海軍ジェット、ロケット機」モデルアート社 メインはロケット機「秋水」ですが、橘花に関しても後半に章を割いて詳述しています。
「クルマよこんにちは-私の断章-」中村良夫著 三樹書房 中島飛行機、陸軍を経て戦後はくろがね、ホンダで技術者として活躍した氏のエッセイ集。航空機の話も多い。このブログでは「エストリル・ミュンヘン」、「ターボ・ジェット ネ130」を参考にしました。
「深海の使者」吉村昭著 文春文庫 遣独潜水艦作戦を取り上げた作品です。過酷な作戦の実情を知ることができました。
「モデルアート 2013年1月号」モデルアート社 AZモデル1/72橘花のキット評が掲載されています。
「第二次大戦のドイツジェット機エース」大日本絵画 Me262の製作で参考にしました。
そして亡き祖父と父に感謝します。
1 遣独潜水艦作戦で持ち帰ろうとしたもの
遣独潜水艦作戦ではシンガホールまで潜水艦で資料等を運搬し、巌谷英一技術中佐が空路で持ち帰れるものを携えて帰国したことで、貴重な技術資料(の一部ですが)がもたらされたわけですが、潜水艦の積み荷についてはBMW003エンジンの現物が含まれていたとする資料がある一方、エンジンの現物については触れられていない資料もあり、確証が持てなかったのでエンジンの現物を積んで日本に向かった、とは書きませんでした。伊29潜水艦については、艦載機を格納するスペースもありますので、それなりの大きさのものを積んで帰ることは可能だったかと思います。
もし、エンジンの現物を積んで日本まで帰ることができていれば、お手本が手元にあるわけですからネ-20エンジンの開発も早く進んだことでしょうし、実戦配備は無理としても橘花の生産や試験飛行がもう少し進んでいたかもしれません。また、陸軍の火龍もモックアップと言わず、試作機くらいは完成していた可能性があります。
先の大戦については資源の枯渇や物量の差で敗れた、という見方もありますが、大戦後期に空襲や大地震といった災害などで生産設備が打撃を受けたというのも大きいかと思います。橘花の生産も養蚕農家を使って行われた、といったエピソードやその他の試作機についても大変な環境で作られた話を読むと、橘花がもっと早く初飛行したとしても戦局に影響を与えるほどの量産は厳しかったのではないかと思います。
2 燃料として使用される予定だった松根油について
松根油というのは松の切り株を乾溜させて、松の木の油脂分を抽出して作る油で、燃料事情の悪化でジェットエンジンの燃料として期待されていたものでした。地上の乗り物(自動車や鉄道のガソリンカー)では木炭ガスによる代用燃料がありましたが、ガソリン(特にオクタン価の高いレシプロエンジン用)が貴重になるなか、レシプロエンジンほど燃料の質にこだわらなくて済むジェットエンジンと松根油に期待がかかったのも当然の流れでしょう。
しかし、松根油を製造するために樹齢がそれなりにある松の木を大量に切り倒すなど、今日の目で見れば「何をやっているんだろうか」となるでしょう。厳しい戦局で必要に迫られて作った燃料であり、手放しで「バイオ燃料」などとは言えないものがあります。戦争に限らず切羽詰まってしまうと人間というのは傍から見ると「それっておかしくないか?」ということでも、疑問も抱かず、時には集団で突き進んでしまうように思います。
ネ-20に関しては松根油の中でも重質分を使用することが求められており、通常の揮発性の燃料または松根原油に重質分を50%程度混ぜるとされていました。初飛行や二回目の飛行で松根油がどれくらいの分量で使わていたかは定かではありません。アメリカに接収されたネ-20エンジンについては分析が行われたものの、松根油が混ぜてあったかとどうかまでは分かっておりません。いずれにしても松根油は時間の経過とともに粘り気が出て燃料フィルターを詰まらせるなど、「代用燃料」であることには変わりはなく、いいことずくめではなかったようです。
3 ネ-20エンジンの里帰りについて
米国の大学からネ-20が一時里帰りしたのち、ネ-20開発で中心的な役割を果たし、戦後は石川島播磨重工業に勤務された永野治氏が声を上げたことで永久無償貸与という形で日本で保存・展示できるようになった、という資料をみかけますが、前々回記載しましたが米国でネ-20エンジンを「発掘」した舟津良行氏が大学側と調整を行って、日本での恒久展示ができるようになった、とする資料もあります。
さて、橘花に関わった人たちの多くが、戦後の産業界で活躍することとなります。そんな中でネ-20エンジンで中心的な役割だった永野治氏と橘花を初飛行に導いた高岡迪氏は、再びジェット機に関わることになります。この話はいずれまたお話したいと思います。
参考文献・「橘花 日本初のジェットエンジン・ネ20の技術検証」石澤和彦著 三樹書房 ネ20とそこに至るまでの海軍のジェットエンジン開発史、各部品に関する技術的な検証、同時代の各国のジェットエンジン開発についても詳述されており、参考になります。
「「秋水」と日本陸海軍ジェット、ロケット機」モデルアート社 メインはロケット機「秋水」ですが、橘花に関しても後半に章を割いて詳述しています。
「クルマよこんにちは-私の断章-」中村良夫著 三樹書房 中島飛行機、陸軍を経て戦後はくろがね、ホンダで技術者として活躍した氏のエッセイ集。航空機の話も多い。このブログでは「エストリル・ミュンヘン」、「ターボ・ジェット ネ130」を参考にしました。
「深海の使者」吉村昭著 文春文庫 遣独潜水艦作戦を取り上げた作品です。過酷な作戦の実情を知ることができました。
「モデルアート 2013年1月号」モデルアート社 AZモデル1/72橘花のキット評が掲載されています。
「第二次大戦のドイツジェット機エース」大日本絵画 Me262の製作で参考にしました。
そして亡き祖父と父に感謝します。