ももちゃんの面白古代史

ももちゃんが生活科学の目で主に日本古代史解明します。新しい情報いっぱい。例えば日本の縄文時代に製鉄が行われていた根拠など

聖書を学ぶ④

2018-03-15 09:55:04 | 東日本大震災・7年・聖書・仏教・供養

聖書を学ぶ              15

ご存知のように私は日本の超古代史を「生活科学の目で見て」きて少しでも科学的に古代出土品を見てみようと研究してきた。だから今まで聖書など考えもしなかった。しかし日本出土品の多くからなんとも仏教的な原始仏教の初期的な考えではないかと思える出土品が多い事に10年位前から気が付いた。そして実生活でも多くの問題を抱え悩んでいた。

・そんなことなどあり、また子供の頃からキリストの美しい生き方が不思議で憧れてもいたので聖書をこの年になって学ぶこととなった。聖書の言葉は多くの私の精神的苦しみ・縛りからパッと驚くほど開放し軽くしてくれた。その一つを少しずつご紹介していきたいと思った。そして同時に日本古代史も出土品が生活科学の目で見ていくと、繋がるように思えて来るので発表してみたい。
・今回は聖書では仏像・諸々の像などへの神頼み?を厳格に禁止しているという理由を、なるほどと一瞬にして納得させてくれた聖句を皆さんにご紹介したい。また皆さんはどう思われるか書いてみます。言っておきますが私は日本古代史を研究して来た故に多くの仏像・特に阿修羅像の清純な清い憂いの高潔と言える美しさや天空にそびえ伸びようとする美しい塔などを、美しと思い彼方此方に何回も通って見に行ったものだった。しかし「何々を叶えて下さい」的な信仰は持ってはいない。美術鑑賞以上ではなかったことははっきりしておきたい。

・さて課題の聖書の言葉だがイザヤ44-:15の後半から19の言葉で要約すると、巨木伐採し半分で火を焚き肉を焼き食べ、一方の半分の切れ端で彫像を彫り彼はその彫像に平伏すし祀り手を合わせ、祈り願いを叶えて下さい!と祈る滑稽さに気が付いたこと。日本の仏教は特に多くの原始仏教は仏像を並べたり野仏はあちこち至る村落に存在している。家々では仏壇が輝いてもいる。

・それらの人間が作った物・木の切れ端で作った仏像に信仰を抱く愚かしさを聖書は書いている。自然界の中に「神以外は貴方達の利益を考えてくれるものはない」と言っている。その聖書の言葉に本当に納得だ。肉を焼いた木の一部で仏像を作り願いを祈ったり跪く事の馬鹿らしさは、滑稽な漫画になってしまいそうなことに気が付かず、何とは無く今迄容認していた事への懺悔があるばかりだ。難しく言う訳ではない。神は「あなた方を益する神」とも聖書では書いている。神を信仰することは「物・金などに執着してはいけない事」で「清いのみの生活」と思っていたが、益する(魂を?)という神の言葉は、「魂の益」という意味に慣れない現状だが、霊的益を味わう心境が未だ余り味わえないことが自分の心の未熟さなのだろう。



最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (hfre)
2018-03-15 11:46:49
なぜか多神教の日本で結構唯一神的な考えをする人が多いことに気づきました。
それは、仏像でも石ころでも隣の人でもなんでもその中に目に見えない何者かが宿っていて、それを神とか仏とか読んでいるというような思想ですが。
そうなるとそれは結局一神教であって、すべてのものに何かわからないものが宿っている。
どんなに許しがたい人がいたとしても、その人にも神や仏は宿っていて、それは今とは違う思想の社会の中では尊い存在なのかもしれないと考えると万物が尊い存在となる。
さき御霊、荒魂に近いような感じとも言えるかもしれない。
返信する

コメントを投稿