聖書を学ぶ 4・3
先日キリストの亡くなった記念式があった。日本人はキリストとは縁遠いと思う人が殆どだ。その上罪のないキリストが無知な人々によって死刑された。でもその無罪のキリストの命という代償で、私達人類は永遠の命をサタンから取り戻していただいたわけだから‥そのキリストの死を記憶し感謝を忘れないために毎年この時期に記念式が行われるという。単純に言えばアダムとイブが神の言葉に反抗して=神に罪を犯したその身代わりの贖いとしてキリストがサタンに捧げられた。何故なら父の神に対しアダムとイブに反抗させたのは、サタン自身に人間を従わせたいというサタンの支配権を得るための計略だったからだ。そのアダムの罪を人類はアダム父から引き継いで生まれているのだから、反抗心などある不完全な人間だが、キリストが人間の原罪を清めて下さったから、本来神の作られた「病もなく老化もなく涙の無い楽園」を悔い改めた人々によって地上に招き寄せられるという事だ。
・だから人間は楽園に入る神に近づくため神の律法を守り、神に認められるための人格を身につけなさい。という事のようだ。本来神は愛しいご自分の子供に、貴方も子に苦労させない美しい楽園を与え財産を残したいと思う以上に、楽園を作ってくださっていたのだけれど、アダムの神への不従順によってアダムの子孫の私たち人類も楽園に入るには、それなりの思考と行動が必要で、殆どの人類はアダム同様、神を裏切り続けていた。しかし中にキリストの様な清い心と神に喜ばれる行動をしてきた人々がいる。その神に近づこうとした人々の記録が聖書という事になり、聖書には多くの真理が書かれている。その一つが「神は全ての人々から涙を拭って下さる・・マタイ」という言葉で、絶大なる安心感が沸き上がった感動は忘れられない。こうした幾つかの苦しみの重荷から解放してくれる言葉に出会う楽しみは格別だ。貴方も心晴れる言葉を見つけてみませんか?。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます