ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

その男、凶暴につき:ソナチネへと繋がる北野武の原点

2010年09月02日 | 映画♪
大して北野武に興味がなかったものの、たまたま映画館で見たのは高校生の頃。見た瞬間、その衝撃で震えたことを覚えている。僕にとっては北野映画にはまるきっかけとなった作品。物語自体は当時からみてもありきたり。ただそこにある「暴力性」は、下手すれば「ソナチネ」以上。北野映画ファンなら必見の1作。

【予告編】

その男凶暴につき 予告編  1989 Takeshi Kitano


【あらすじ】

一匹狼の刑事・我妻諒介は凶暴なるがゆえに署内から異端視されていた。ある晩、浮浪者を襲った少年の自宅へ押し入り、殴る蹴るの暴行を加えて無理矢理自白させた。暴力には暴力で対抗するのが彼のやり方だった。麻薬売人の柄本が惨殺された事件を追ううち、青年実業家・仁藤と殺し屋・清弘の存在にたどり着いたが、麻薬を横流ししていたのは、諒介の親友で防犯課係長の岩城だった。やがて岩城も口封じのため、自殺に見せかけて殺されてしまう。若い菊地は諒介と組むが、いつもハラハラのし通しだった。(「goo 映画」より)

【レビュー】

89年公開ということは、バブル真っ只中という頃か。20年以上前の作品だというのに、この作品の持つ「崩壊した時代の空気」というのは現在でもそのまま通じるのではないか、そんな気がしてしまう。冒頭から浮浪者を集団で襲う子供たちが現われ、あるいは橋の上から通行中の船に空き缶を放り投げる幼児たちが登場する。そうしたどこか崩壊したモラルはこの頃から変わらないのか。

ストーリーはそれなりにハードボイルド作品としてはまとまってはいるものの、特筆すべきことはない。まぁ、一言で言えば「ありきたり」。しかし何よりもこの作品では、その「暴力性」や「渇き」が、そしていかにもの「映画的な撮り方」でないことが独特の魅力となって現われている。

ここで描かれる男たちは、皆、どうしょうもなく感情的であり暴力的だ。そのには偽善は存在しない。ビートたけしが演じた「我妻」にしろ、白龍が演じた「清弘」にしろ、彼らを支配しているのは「自分の方が強いことを証明したい」「相手を倒す」ということだけだ。

もちろんストーリーの展開としては、我妻の親友・菊池の復讐であり、妹・灯のこともあるだろう。しかしいったんぶつかり合った我妻と清弘の関係は、そんなこととは別次元だ。同じタイプの男同士が、どちらが上か相手を叩き潰すことで証明しようとするのだ。

だからこそその激しさは傍から見れば常軌を逸している。

「どいつもこいつもキチガイだ」

新開の言葉は率直な感想だろう。

「ソナチネ」もそうだが、たけしの映画の凄さはセリフやカメラワークといった演出ではなく、粗いカット割とその役者の雰囲気でそのシーンを語ってしまうことだ。もともとこの映画の脚本は野沢尚が書き上げたものだが、たけしが監督を引き受ける際に、大幅にセリフを削ってしまったという。

しかしだからこそ見えてくるものがあり、観ている側に原初的な感情移入をさせる。観ている側にとっても解釈しにくい混とんとした感情がたけしの映画を見ていると現われてくるのだ。深作欣二が撮ればもっと分かりやすく感情移入ができるだろう。

後半、我妻は灯を射殺する。見ようによっては唐突なシーンだ。しかしあのシーンの「やりきれなさ」や「哀れみ」をあれ以上、見事に作り上げられる監督がいるだろうか。もっとドラマチックに作ることの出来る監督はいくらでもいる。あれだけだからこそ、あの「やりきれなさ」は生まれるのだ。

たけし映画の「暴力性」とはまさに人間の原初的な感情の形態をなぞっているのだ。

そしてその表現者としての力量は問題作・「ソナチネ」へと繋がってくのだ。


【評価】

総合:★★★★
「たけし」らしさ:★★★★★
何と遠藤憲一や寺島進らが出ていました!:★★★★

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北野武「ソナチネ」が語りえるもの - ビールを飲みながら考えてみた…

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